大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第252章『絶望の中の小さな救い』

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第252章『絶望の中の小さな救い』

 ――京都、伏見――
 高い塀に囲まれ厳重な監視下に置かれた法務省管轄下の施設、京都拘置所。首都圏の被告人や死刑確定囚の大多数を収容するだけではなく、一部は軍専用区域としての扱いを受け、全国から移送されて来た軍法会議の被告が収容されている。タカコを刺した浜口も海兵隊独自の取調べの後はこちらへと移送され、独房の中で出廷の日をじっと待つ日々が続いていた。普通ならば雑居房へと入れられるが、基地内での殺人未遂という三軍の中でも前代未聞の不祥事を引き起こした張本人、他の被告に危害を加える事が有ってはならないと独房へと入れられた。
「浜口、面会だ」
 格子付きの窓の外の吹雪と言っても良い程の降雪模様、それをぼんやりと眺めていた時に掛けられた言葉に振り返れば、そこには軍の刑務官が二人立っていた。
「面会、ですか」
「そうだ、来い」
 親ももう亡くし家族は妻は難産で子供は第二次博多曝露で全て失い、既に身寄りらしい身寄りは無い。訪ねて来る者等思い当たらないが誰だ、そう思いつつも立ち上がり、刑務官に逆らう事も無く房を出る。房の中も寒かったが廊下はそれ以上に寒い、長く博多で暮らしていた身体には堪えるな、そんな事を考えつつ歩き続け面会室へと入り、透明の仕切りの前に置かれた椅子へと腰を下ろした。横の椅子には刑務官が座り机の上に発言の記録用の紙とペンを置き、浜口はそれを横目でちらりと見た後、目の前の仕切りの向こうへと視線を戻した。会話が出来る様に顔の高さに幾つも開けられた小さな穴、そこから仕切りの向こうの暖かな空気が流れ込んで来る、面会者が入る方の部屋には暖房が入っているのか、そんな事を考えつつ、仕切りの向こう側の扉を見詰め、そこが開けられ面会者が入って来るのをじっと待つ。
「…………!」
 少ししてから開かれた扉、その向こうから姿を現した人物に浜口は言葉を失った。逮捕されて以来安否を聞く事も無く、死んでしまったのではと思っていた人物、タカコが穏やかな笑みを浮かべ目の前に立っている。思わず立ち上がり隣にいた刑務官が制止するのにも構わず一歩前に出て仕切りへと両手を突けば、そこにタカコの手がそっと重ねられ、その瞬間堰を切った様に双眸から溢れ出る涙を、浜口は堪える事は出来なかった。
「心配掛けて悪かったな、生きてるよ、大丈夫。もうすっかり元通りだ。十日前に退院したよ」
 戦闘服ではなく制服に身を包んだタカコ、それ以外はあの日以前と何も変わらない佇まいに様々な感情が綯い交ぜになり、何とか言葉を紡ごうとするものの口から出て来るのは言葉にならない泣き声ばかり。余りの感情の昂ぶりの所為か崩れ落ちれば慌てた刑務官に支えられ、漸く椅子へと腰を下ろす事が出来た。
「随分痩せたな……大丈夫か?」
 十分程も経った頃合いか、昂ぶりも少しは落ち着き始めた中タカコが再び口を開く。それに短く肯定の言葉を返し顔を上げれば、先程は気付かなかったが彼女の背後の椅子に高根と敦賀が腰を下ろしているのが見えて、慌ててそちらへと向かって頭を下げた。
「統幕で色々と会議が有ってそれで呼ばれててね、修がここにいるって聞いたから、時間取ってもらったんだ」
「……無事で……良かった……本当に悪かった、お前、何も悪くないってのに、何であんな血迷った事……」
「気にしなくて良いよ、私は怒ってないし、先任も司令もそうだから」
 刑務官の存在も有る上に発言は全て記録される、実情を悟られない為にタカコは名前ではなく役職で後ろの二人について触れ、少なくともこの場の三人は浜口を責めてはいないのだと優しく言葉を続ける。
「退院してから話聞いたらさ、私が生きてるか死んでるかも伝わってないかも知れないって言われて、それじゃあ気が気じゃなかったんじゃないかって気になって。その様子だと随分心配してくれてたみたいだけど、ほら、この通りピンピンしてるから、な?お子さんの事は……何て言ったら良いか分からないけど」
 自分は無事だからもう思い悩むな、そう言って全てが綺麗に片付く状況でない事はタカコにもよく分かっているのだろう、一箇所に集めた身元不明の犠牲者の遺体を火葬にした時もそうだったが今もまた子供の事について触れられ、あれだけの目に遭わされたのに気遣ってくれるのか、そんな事を思いつつ浜口は再び流れ出た涙を、ぐい、と袖で拭った。
「不名誉除隊だけはどうしても動かせないって聞いたけど……でも、私はこうして生きてるし、減刑嘆願書、提出するからさ。何処迄力になれるかは分からないけど……仲間だもんな」
「……お、まえ……馬鹿、だなぁ……」
「ん?よく言われるな、それは」
 あんな目に遭わされたのに、それ以前に本当は海兵ではないどころか大和人ですらないのに、それなのに自分達を仲間だと言い、そんな配慮迄してくれるとは、馬鹿でないのならどれだけ優しいのだとまた涙が浮かび、言葉が震える。そんな浜口をタカコは優しく微笑みながら見詰め、その様子を見ていた高根が静かに口を開く。
「浜口、俺は立場上にしろ個人的にしろお前に気にするなとは言えねぇし言わねぇ。でもな、こいつが減刑嘆願書を出すって言うのなら、それは止めないし手助けもしてやるよ。被害者のこいつがお前を責めないってぇなら、俺も、敦賀もお前を職責以上に責める事はしねぇ。このまま不名誉除隊の手続きを進める事になるが、判決が出てその務めを果たしたら……積極的な手助けは一切出来ねぇが、頑張れ、奥さんや息子さん達の為にもな……生きろよ、死ぬんじゃねぇぞ」
 不名誉除隊ともなれば海兵隊として再就職の斡旋やその他の配慮は一切出来ない上、浜口の履歴には生涯傷が付いたままになる。海兵隊総司令としては今の言葉が精一杯最大限の気遣いであり、ずっと海兵隊で生きて来た浜口にもそれはよく分かっていた。
「司令……はい、有り難う……御座います……先任も……申し訳、有りませんでした……!」
「……じゃあ修、私達、そろそろ行かないと……差し入れ、煙草とお菓子と使い捨て懐炉、申請しておいたから、使ってくれな?……もう何も出来ないけど、頑張れ」
 そろそろ時間なのか立ち上がるタカコ達、それに合わせて浜口も立ち上がれば、タカコが仕切りへと右手を付け、
「修、手、手」
 と、先程と同じ様にしろと言外に促してみせる。浜口がそれに従い仕切り越しに掌を合わせ、タカコはそれを見ると、
「……ごめんな」
 ほんの少しだけ哀しそうに笑い、それだけ言って踵を返し、面会室を出て行った。
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