大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第310章『下世話』

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第310章『下世話』

 大和田芳文、年齢、四十一歳、既婚、子供は男女一人ずつ、職業、大和海兵隊医官、階級、中佐。最近は拷問を含む尋問へも参加する様になった彼だが、対馬区への出動時以外の普段の職場は海兵隊本部の医務室。海兵隊員達の日常的な小さな怪我や体調不良の診察をし薬剤を処方し、設備的に手が負えないと判断すれば陸軍病院への紹介の手続きを採る、そうやって海兵隊を後方から支え支援するのが任官以来の彼の主な任務だった。
「……今日は随分怪我人が多いなぁ……何か有ったのか?」
 桜の蕾もぽつぽつと開き始めた春先の或る日、彼の職場である医務室を訪れる海兵が突然に増加した。その殆どが打撲や外傷を負ってのもので、出場も無いのに何故こんな怪我を、そう思い手当てを受ける海兵へと問い掛けてみれば、それに返って来た言葉に、大和田の視線は僅かばかりの間遠くへと遣られる事となった。
「先任ですよ……よく分からないんですけど荒れまくってて、道場で俺等相手に片っ端から半殺しの勢いです……いてて……」
 今手当てをしているのは任官から数年程しか経っていないまだ経験の浅い海兵で、現在進行中の『ややこしい話』には関わっていない為知る由も無いのだが、敦賀や高根には及ばないものの二十年近くの経験を持ち内容的にも深く関わっている大和田にとっては、鬼の最先任の不機嫌の理由は分かり過ぎる程に分かっていた。
 数日前に捕虜となったドレイクが
「タカコを介して『結果的』にという事であれば大和に協力しても良い。直接的に大和に協力する気は無い」
 と言い出したのは昨日の事。その彼が大和語でブチ撒けた内容は、タカコにベタ惚れの敦賀を激昂させるには十二分なもので、その上穴兄弟だの何だのと何が狙いなのか揶揄いの集中砲火を敦賀に浴びせ、本来であれば敦賀を宥めても良さそうなタカコも一緒になって怒っている所為で、彼女の忠実な部下であるカタギリがそれを宥めるのに四苦八苦している。
 そんな不愉快な状況の中、それでも何とか堪えて一緒にやっていくしかないとなれば、怒りの発散としては道場での鍛錬が最も手っ取り早いわけで、その犠牲となったのが今日の患者達か、大和田はそう思い至り苦笑する。
 傷や打撲の状態を見る限り、敦賀も力の加減はともかくとして非道な事をしているわけではない様子で、何も知らない海兵達は気の毒ではあるのだが、一日暴れて発散すれば多少は落ち着くだろうとそんな事を考える。
「そう言えば……先任が暴れてるのに軍曹や曹長達はどうしたんだ?いつも先任の相手になってるのは彼等だろう?」
「上官の皆様は俺等兵卒にあの鬼の相手押し付けてさっさと逃げましたよ……話が回るのは早いっすよね、もう下士官以上は誰も道場には近付かないですよ。俺等はほら、上官とか先輩に鍛錬して来いって命令されれば逆らえないんで」
「……頑張れ、うん、頑張れ」
 何とも薄情な事だが、荒ぶった鬼が相手ではそうなるか、突然現れたドレイクの存在が何とも落ち着かず荒れた空気を生み出しているが、敦賀も馬鹿ではないのだから遠からず落ち着くだろう、大和田はそう思いながら、手当ての続きをしようかと湿布の入った箱へと手を伸ばした。
 それと同じ頃、曹長の大部屋には鬼の怒りから逃れた曹長達が揃い、ストーブの上の薬缶が立てるしゅんしゅんという音を聞きながら、茶を飲んだり菓子を摘まんだりと午後の休憩時間を過ごしていた。鬼の最先任は道場に入り浸りでそれには生贄を捧げてあるし、高根は黒川や中央から来ているお偉方と共に軍用火力発電所の視察に出ており、小此木がその代理を務めている現在、五月蠅い上の目も無いという事で少々だらけた空気が漂っている。
「しかしさ……タカコ、あいつも女なんだよなぁ……」
「あー、司令に言われてタカコ止めた時?」
「そうそう、思ってたよりもずっと小さくて細くてさ、序でに柔らけぇの、胸とか。普段の印象だとゴツくて硬くて、それ以前にそもそも女とは思えなかったんだけど」
「女と思えない以前に人間なのか疑問だったがな、俺は」
 話題はタカコの事、常に敦賀が付き纏っており、それ以前に性的対象として見た事も無かった所為で密に接触する機会は殆ど無く、普段の言動から窺える力強さと破天荒さから女性らしさを感じた事は一度も無い人間が殆どだ。その彼女を理由はともかくとして抱き締めて感じた肉体の頼り無さと柔らかさ、それは彼等にとってはそこそこの衝撃を与えるものだった様子で、曹長の一人は右手で何かを揉む様な手付きをして見せて言葉を続けた。
「結構胸有るのな、あいつ。俎板に申し訳程度に肉付いた感じだと思ってたのによ」
「その手止めろ、手」
「俺はタカコ保護した時に手当て手伝ったから見た事有ったぞ」
「先任が揉んだ乳か……」
「揉んだだけじゃなくて舐――」
「言うな!それは流石に言うな!!」
「しかし、先任って女の趣味が悪いってか、ちいとばかし特殊じゃね?」
「そうかぁ?俺はタカコは結構好みだけどなぁ、従順な女よりは跳ね馬の方が良いわ。それに、あいつ、意外と細やかなところ有るし。まぁ、他が強烈過ぎて俺の手には余るから恋愛対象からは早々に除外したけど」
「俺は無いわぁ……アレ、女じゃねぇよ……どんな状況になっても勃たない自信が有る」
「俺も……人間の女と恋愛したいっすよ、態々タカコ選ばなくても女は幾らでもいるし、例え相手が見つからなくてもタカコ相手にするなら一生独身で良いっす……」
 タカコはと言えば念の為にと営倉に入れられたままのドレイクのところに行っているのかこの場には居らず、不在を良い事に曹長達は下世話な話題で好き勝手に盛り上がっている。そんな中、誰かがドレイクの言葉を思い出したのか
「……穴兄弟」
 とぼそりと呟き、或る者は俯いて肩を震わせ、また或る者はあれやこれやを脳裏に浮かべ、長閑な筈の午後のひと時を何とも言えない空気が支配する。
 その空気を一変させたのは
「……へぇ……本人の不在を良い事に好き勝手言ってくれてるじゃないの……私じゃ勃たないとか私に突っ込む位なら一生独身で良いとか……へぇ……そうか……」
 という、地を這う様な低い、押し殺したタカコの言葉。
「あ……いや……あの、タカコちゃん?」
「違うぞ?俺はお前が好みだって言ってたからな?」
「な?落ち着こうぜ、タカコ?」
 扉の脇に立つのはいつの間にか戻って来たタカコ、少し前から話を聞いていたのか座った眼差しで居並ぶ曹長達を睨み付け、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「ちょ!落ち着け!!」
「悪かった!俺等が悪かったから!!」
「おい、村正仕舞え馬鹿!!」
 その後、結局曹長達もタカコの手によって医務室送りとなり、大和田はまた苦笑する羽目になる。
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