大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第320章『賭け』

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第320章『賭け』

 後数時間も経てば拘束から二十四時間が経過するという時分の中央制御室、そこでは黒川と高根、そして統幕副長の三人が小声で言葉を交わし合っていた。
「本当に知らないのか?相手は君を知っている様子だが」
「初対面だというのは語弊が有ります、以前妻の墓参りに行った海兵隊墓地で会った事が。ただ、彼が何者かはその時も分かりませんでしたし今もそうです、その時に何やら言われましたが、思い当たる節は何も」
 監視が他に呼ばれて少し距離を置いた事で今なら少し位話しても、そう思った副長からの問い掛けに答える黒川はさらりとそう言って退け、タカコの事は噯にも出さずに初対面ではないが自分には何も分からないという事を強調してみせる。
「そうか……総司令、君は?」
「自分は全くの初対面ですね、総監からも何も聞いた事は無いです」
「そうか……相手はこちら、特に総監の事を知っている様子だが、何とも気味が悪いな」
 男の言葉の端々に滲む聞き慣れない訛り、大和国内の方言の類ではない事は明らかで、男が外国人なのだろうという事を窺わせる。そんな今迄全くの無関係だったであろう存在に自分達の事を把握されているらしいという事実は何とも言えない不気味さを副長の心へと齎していた。
 高根にとっては以前タカコが浜口に刺された時、取り調べの時に見た写真の中でタカコを抱き締める人物と同一と思われる人間が目の前に、そしてあの時にウォーレンが言っていた様に敵として現れた事に警戒感を露わにしている。
 黒川と高根の胸中に共通しているのは、僅かに生まれたタカコへの不信感。今迄献身的に協力して続けてくれている彼女ではあるが、こうして明確な敵対行動をとっている人間との繋がりを感じさせる男の言動や写真という証拠に、やはり彼女は嘘を吐いていたのだろうか、そんな思いがどうしようもなく湧き上がって来る。
 無関係なのだと思いたい、彼女は自分達を裏切っていたのではないのだと思いたい、けれども目の前に突き付けられた現実を否定しきれる程確かなものも強いものも無く、二人は副長には気取られぬ様にして内心で舌を打った。
 黒川はタカコの個人的事情を配慮して、高根は海兵隊の体面や立場を慮って、あの男を見た事が有るという事実をお互いには伝えていない。しかしこんな事になるのであれば対処の為にも情報を共有しておくべきだったな、そう思いつつ相手を見れば視線がぶつかり合い、何とも言えない気まずさを感じつつ、双方がふいと視線を逸らせた。
「さて……そろそろ貴方方とも話をしようか」
 そこへ現れたのは件の人物、他は拘束時から変わらずに目出し帽を着用しているのに彼だけは既に脱ぎ去り素顔を晒しており、その顔に湛えられた穏やかな笑顔を人質達へと向けて来る。
「……いや、君と、だな。君と話がしたい」
 そう言いながら立ち止まった男が視線を向けるのは黒川、底知れぬ不気味さを感じさせる佇まいに黒川が無言のまま肌を粟立たせる中、その彼に代わって口を開いたのは副長だった。
「この場で階級が最も高いのは私だ、交渉がしたいのであれば私が相手になろう。彼は確かに将官ではあるが――」
「中央のお偉いさんとする話は無い、私は、現場の人間と話がしたい。黒川少将がこの九州地方の陸軍を統括する人間だというのは分かってる。おい、彼を連れて来い」
 ひどく冷淡な膠も無い言葉、それに副長が押し黙れば、男の命令に応じて周囲にいた兵士が動き出し、両脇から黒川の腕を掴んで立たせ、後ろ手に手錠を掛けて人質の輪から連れ出し何処かへと向かって歩き始める。
「おい!何処に――」
「君達が大人しくしているのであれば彼の身の安全は保証しよう……君達次第だよ、高根准将」
 刃向ったところで武器は既に全て取り上げられた身、肉体的にも現役の下士官達には遠く及ばず何も出来ないであろう事は自分達が一番よく分かっている。ここで無理に抗っても犠牲を出すだけか、そう判断した高根が歯噛みしつつ浮かせかけた腰を床へと戻せば、男はそれを見て薄く笑い、黒川と共に中央制御室を出て行った。

「……さて、一度ゆっくり話をしたかったんだ……彼女の、タカコの事でね」
 黒川が連行されたのは制御棟内の別室、そこの椅子に黒川を座らせた男は連行して来た兵士達に何やら外国語で命令し、彼等はそれに従って無言のまま部屋を出て行く。男は部屋の扉が閉まるのを見届けた後で隅から椅子を持って来て黒川の前に置き、静かにそこへと腰を下ろした。
「……彼女の、何なんだ、あんた」
「本当なら海兵隊最先任の敦賀貴之上級曹長とも話をしたいんだが、巡り合わせが悪いのか何なんのか、今迄一度も単独で接触出来なくてね。墓地を出る時に車内から顔を見掛けたが、話し掛けられる状況でもなかったんでね」
 黒川、そして敦賀、タカコと男として深く関わっている自分達を名指ししているという事は、やはり彼女とそれなりの深さの付き合いの有る人間か、そう判断した黒川は無言のまま男を見詰め、男は穏やかな笑みを浮かべたまま黒川を見返している。
「……その敦賀に聞いた、タカコの亡くなった旦那はどうやらあんたに瓜二つらしいが、一体どういう関係なんだ?タカコと……その旦那と」
 男は黒川の問いには直ぐには答えず、彼から視線を外し暫しの間遠くを見る様にして中空に視線を遣っていた。その眼差しはひどく優しく温かで、まるで今し方迄とは別人の様なその佇まいに黒川が注視すれば、やがてその視線と雰囲気のまま、男はゆっくりと口を開いた。
「彼女は……タカコは、私が作り上げた最高傑作だ……戦う為に生まれ、兵士の上に立つ為に生まれ、私がその素質を最大限に引き出した。それがどうだ、タカユキも、敦賀も、君も、タカコに対して求めるのは女としての彼女ばかり、これは彼女に対しての最大級の侮辱だと思わないか?それに、彼女は、タカコは……最初から細胞の一つに至る迄全てが私のものだよ……出会いの順番なんか関係無い」
 言葉と共に段々と眼差しにも狂気が戻って来る、やはりこの男はおかしい、と、黒川が内心でそう呟けば、歪んだ笑みを深くした男は黒川を見据え、とんでもない提案を口にした。
「だから、実際のところ君の事も気に入らないんだ、彼女を自分のものにしようというその魂胆がね。ここで一思いに殺しても構わないが……一つ賭けをしようか……私が今から君を痛めつけて、それに飽きる迄一声も発しないでいられたら、君を殺す事はしないでおいてやる。その代わり、例え呻き声一つでも発したら、その度に中央制御室で人質になっているお仲間を一人ずつ殺していこう……手始めは、盟友でもある高根海兵隊総司令だ」
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