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第319章『潜伏』
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第319章『潜伏』
温かい水の中に漂っている様な、目覚め直前の布団の中で感じる様な不思議な安心感。布団の中にいるにしては少々窮屈な体勢と息苦しさに薄らと瞼を持ち上げれば、目に飛び込んで来たのは薄闇の中の迷彩模様。顔を上げればそこには双眸を閉じた敦賀の顔が有って、眠ってはいなかったのか腕の中の身体が動いた感触で直ぐに双眸は開かれ、いつもの鋭い眼差しがタカコへと向けられた。
「……起きたか」
「あー……悪いな、寝させてもらって」
「気にするな、んな貧弱ななりであの荒海泳げばそりゃ疲れるだろうよ」
小声での会話、それを交わしながら二人が視線を向ける先は開け放たれたままの鉄扉、場所は夜明け近くに乗り込んだ油槽船の中。
日没迄はここから動かず、少人数に分かれて船内の各所に潜伏し体力を回復させておく事、簡単な打ち合わせの後は二人一組程度になって散開し、タカコと敦賀は船内のこの一室へと入り込んだ。鉄扉を閉めようとしたのは敦賀、それを制止したのはタカコ。何故かと問えば
「開けておけば通路の音や気配が直で分かる。油槽船の中も定期的に見回りには来るだろう、その時に気配が感じ取り易いし、相手も閉まっていたら状態の変化に気付くかも知れない」
そう答えられ、それも尤もだと鉄扉から手を離した敦賀は通路からは死角になる位置に座り込み、タカコがその隣へと続く。
「さっきも言ったが、日没迄、そしてこの船内に潜伏している間は絶対に敵に気取られちゃいけない。この油槽船から建屋迄はそれなりに距離が有る、ここにする事を勘付かれたら最後移動を開始するしか無いが建屋迄は油槽の陰以外には身を隠す場所も無い、陽の出ている時間帯に発見されたら御破算になる。敵と遭遇して相手を殺せば、不在は直ぐに相手の指揮官にも伝わるだろう、そうなれば油槽船を含めて虱潰しに探される事になる、見つかる事、殺す事、日没迄これは絶対にするな」
「ああ……分かってる。お前は少し寝たらどうだ、泳いだ疲れが動きに出てるぞ……そんなんじゃ成功する作戦も失敗しかねねぇ……寝ろ、俺が見張る」
「すまんな……そうするよ」
そんな遣り取りを交わした後、敦賀が小さな身体を腕の中へと収め、タカコはそれに
「寝込みを襲うなよ」
と、そう言って眠りに就いた。腕時計を見れば時刻は午前十一時を回った頃、後八時間も待てば再び景色は夜の中に沈み、人工的で強烈な照明の光が火発の敷地内とその周囲を照らす事になるだろう、動くのはそれから先の事だ。
他の面々も同じ様にしてこの巨大な船の中の何処かへと身を潜めている、一斉に動き出すのは夜になってから、そこから再びの夜明け迄の約十二時間が勝負の時だ。
「……腹減ったな……乾パン食うか?」
「俺は乾パンはあんまり好きじゃねぇんだよ……口の中の水分が全部持って行かれる」
「氷砂糖舐めろよ……ほれ、食え」
腹が減っては戦は出来ぬ、そんな大和の古い言い回しを口にしつつタカコが背嚢の中から乾パンの袋を取り出して封を開けて寄越し、いつも思うがこいつは何処でそんな大和語の言い回しを覚えて来るのか、敦賀はそんな事を考えつつ袋を受け取り、中身を一つ摘まんで口の中へと放り込む。噛み砕いた途端に乾パンに奪われる口腔内の水分、だから嫌いなんだと胸中で毒吐いて袋の中へと手を突っ込み、底へと沈んだ氷砂糖を探し当てて取り出してそれも口へと放り込んだ。
「……おい、てめぇそりゃ何なんだ」
「え、鯨の大和煮の缶詰とおにぎり。美味いぞ?」
「『美味いぞ?』じゃねぇよ、自分だけ食ってんじゃねぇ、俺にも寄越せ」
「えー、折角食堂で握ってもらったのに。乾パン嫌いなんだよ、口の中パサパサになるから」
「……お前、イイ性格してるなって言われた事無ぇか?」
「えー、性格良いとか照れちゃ――」
「褒めてねぇよ、半分寄越せ」
苦手な乾パンを半ば義務感で食べようとしていた敦賀、その横でタカコは押し付けた乾パンには見向きもせずに握り飯と缶詰を広げ始め、少々の遣り取りの後にタカコは敦賀へと握り飯と缶詰を半分寄越し、鉄と油の臭気が漂う中での食事が始まった。
夜は明けて既に昼近く、会議室の中ももう大きく動き始めているだろう。そちらの方は小此木と横山に任せるしか無い、敵との交渉だけでなく恐らくは中央とも遣り合わないといけなくなるだろうが、現場にいる以上は手助けも出来ず、あの有能な腹心二人の働きに期待するしか無い。
「……どうなるかな……健一と横山さん、大丈夫なのか」
「さぁな……自分の仕事以外の事は考えるな、足元掬われるぞ」
「まぁ、そりゃ分かってるがよ」
夜になれば自分達の戦いが始まる、確かに他の事等考えている余裕は全く無いのだが、それでも長年付き合って来た人間達がしている苦労に考えが及ばない程敦賀に人情味が無いわけでもなく、基地の会議室の修羅場を考えた後には、今度は中央制御室で拘束されているであろう高根と黒川、そして父である副長の事を考える。
肚の据わり具合に関しては全く心配はしていない、恐慌状態に陥り前後不覚になり鎮める為に殺されるという事は無いだろう。しかし相手の狙いが本当にあの荒唐無稽な要求通りとも思えず、何が真意にせよどう動くのか見切れない事が人質達の安否に直結してしまい気が晴れない。これは自分達だけではなく恐らくはタカコも同じだろう、敵の狙いが何であるのか、彼女の口からも明確な答えは一度も出なかった。
人質が無く目的が火発の奪取一つだけであればこうも考えずに済むのだが、そんな事を考えながら大和煮の中に入っていた薄切りの生姜をがりりと噛み砕き、握り飯を齧り胃の中へと流し込む。
それと同じ頃、中央制御室では事が大きく動き出していた。
温かい水の中に漂っている様な、目覚め直前の布団の中で感じる様な不思議な安心感。布団の中にいるにしては少々窮屈な体勢と息苦しさに薄らと瞼を持ち上げれば、目に飛び込んで来たのは薄闇の中の迷彩模様。顔を上げればそこには双眸を閉じた敦賀の顔が有って、眠ってはいなかったのか腕の中の身体が動いた感触で直ぐに双眸は開かれ、いつもの鋭い眼差しがタカコへと向けられた。
「……起きたか」
「あー……悪いな、寝させてもらって」
「気にするな、んな貧弱ななりであの荒海泳げばそりゃ疲れるだろうよ」
小声での会話、それを交わしながら二人が視線を向ける先は開け放たれたままの鉄扉、場所は夜明け近くに乗り込んだ油槽船の中。
日没迄はここから動かず、少人数に分かれて船内の各所に潜伏し体力を回復させておく事、簡単な打ち合わせの後は二人一組程度になって散開し、タカコと敦賀は船内のこの一室へと入り込んだ。鉄扉を閉めようとしたのは敦賀、それを制止したのはタカコ。何故かと問えば
「開けておけば通路の音や気配が直で分かる。油槽船の中も定期的に見回りには来るだろう、その時に気配が感じ取り易いし、相手も閉まっていたら状態の変化に気付くかも知れない」
そう答えられ、それも尤もだと鉄扉から手を離した敦賀は通路からは死角になる位置に座り込み、タカコがその隣へと続く。
「さっきも言ったが、日没迄、そしてこの船内に潜伏している間は絶対に敵に気取られちゃいけない。この油槽船から建屋迄はそれなりに距離が有る、ここにする事を勘付かれたら最後移動を開始するしか無いが建屋迄は油槽の陰以外には身を隠す場所も無い、陽の出ている時間帯に発見されたら御破算になる。敵と遭遇して相手を殺せば、不在は直ぐに相手の指揮官にも伝わるだろう、そうなれば油槽船を含めて虱潰しに探される事になる、見つかる事、殺す事、日没迄これは絶対にするな」
「ああ……分かってる。お前は少し寝たらどうだ、泳いだ疲れが動きに出てるぞ……そんなんじゃ成功する作戦も失敗しかねねぇ……寝ろ、俺が見張る」
「すまんな……そうするよ」
そんな遣り取りを交わした後、敦賀が小さな身体を腕の中へと収め、タカコはそれに
「寝込みを襲うなよ」
と、そう言って眠りに就いた。腕時計を見れば時刻は午前十一時を回った頃、後八時間も待てば再び景色は夜の中に沈み、人工的で強烈な照明の光が火発の敷地内とその周囲を照らす事になるだろう、動くのはそれから先の事だ。
他の面々も同じ様にしてこの巨大な船の中の何処かへと身を潜めている、一斉に動き出すのは夜になってから、そこから再びの夜明け迄の約十二時間が勝負の時だ。
「……腹減ったな……乾パン食うか?」
「俺は乾パンはあんまり好きじゃねぇんだよ……口の中の水分が全部持って行かれる」
「氷砂糖舐めろよ……ほれ、食え」
腹が減っては戦は出来ぬ、そんな大和の古い言い回しを口にしつつタカコが背嚢の中から乾パンの袋を取り出して封を開けて寄越し、いつも思うがこいつは何処でそんな大和語の言い回しを覚えて来るのか、敦賀はそんな事を考えつつ袋を受け取り、中身を一つ摘まんで口の中へと放り込む。噛み砕いた途端に乾パンに奪われる口腔内の水分、だから嫌いなんだと胸中で毒吐いて袋の中へと手を突っ込み、底へと沈んだ氷砂糖を探し当てて取り出してそれも口へと放り込んだ。
「……おい、てめぇそりゃ何なんだ」
「え、鯨の大和煮の缶詰とおにぎり。美味いぞ?」
「『美味いぞ?』じゃねぇよ、自分だけ食ってんじゃねぇ、俺にも寄越せ」
「えー、折角食堂で握ってもらったのに。乾パン嫌いなんだよ、口の中パサパサになるから」
「……お前、イイ性格してるなって言われた事無ぇか?」
「えー、性格良いとか照れちゃ――」
「褒めてねぇよ、半分寄越せ」
苦手な乾パンを半ば義務感で食べようとしていた敦賀、その横でタカコは押し付けた乾パンには見向きもせずに握り飯と缶詰を広げ始め、少々の遣り取りの後にタカコは敦賀へと握り飯と缶詰を半分寄越し、鉄と油の臭気が漂う中での食事が始まった。
夜は明けて既に昼近く、会議室の中ももう大きく動き始めているだろう。そちらの方は小此木と横山に任せるしか無い、敵との交渉だけでなく恐らくは中央とも遣り合わないといけなくなるだろうが、現場にいる以上は手助けも出来ず、あの有能な腹心二人の働きに期待するしか無い。
「……どうなるかな……健一と横山さん、大丈夫なのか」
「さぁな……自分の仕事以外の事は考えるな、足元掬われるぞ」
「まぁ、そりゃ分かってるがよ」
夜になれば自分達の戦いが始まる、確かに他の事等考えている余裕は全く無いのだが、それでも長年付き合って来た人間達がしている苦労に考えが及ばない程敦賀に人情味が無いわけでもなく、基地の会議室の修羅場を考えた後には、今度は中央制御室で拘束されているであろう高根と黒川、そして父である副長の事を考える。
肚の据わり具合に関しては全く心配はしていない、恐慌状態に陥り前後不覚になり鎮める為に殺されるという事は無いだろう。しかし相手の狙いが本当にあの荒唐無稽な要求通りとも思えず、何が真意にせよどう動くのか見切れない事が人質達の安否に直結してしまい気が晴れない。これは自分達だけではなく恐らくはタカコも同じだろう、敵の狙いが何であるのか、彼女の口からも明確な答えは一度も出なかった。
人質が無く目的が火発の奪取一つだけであればこうも考えずに済むのだが、そんな事を考えながら大和煮の中に入っていた薄切りの生姜をがりりと噛み砕き、握り飯を齧り胃の中へと流し込む。
それと同じ頃、中央制御室では事が大きく動き出していた。
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