大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第318章『交渉』

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第318章『交渉』

 夜明けから数時間が経過した海兵隊基地の会議室、そこでは目の下に隈を滲ませた小此木と横山の姿が有った。突入後火発の敷地内から拡声機で流された要求は定期的に繰り返され、如何に周辺を封鎖して民間人を遠ざけているとは言え音はどうする事も出来ず、何が起こったかという事は数時間も経たない内に博多の街へと知れ渡る事となった。
 その『博多の街に暮らす民間人』の中には人質となった高根の愛妻である凛もおり、身重の女性にこちらへと赴かせるわけにはいかないと司令の代行を務める小此木が直接高根宅へ出向いたのだが、その際に凛から向けられたのは落ち着き払った態度と
「大変な国難かとは思いますが……夫の事、また、人質となられた皆様の事、宜しくお願い致します、御武運を」
 態度と同じ様に落ち着いた言葉、身重の身で一人ではと兄である島津の自宅へと送り届け、彼の妻に凛を託し頭を下げて基地へと戻った。
 昔ながらの武人といった風情だった先々代、その孫娘は兄と同じく薫陶を受け育てられたのか武人の妻の鑑といった風情で、あの気高さと落ち着きが余計に辛い。泣かれて取り乱される方がマシだった、昨夜の事を思い出しながら小此木はすっかり冷めてしまった茶を啜る。
 横山の方はと言えば、独身の黒川では伝える相手は糸島で暮らす弟夫婦と老いた母親、こちらは距離も有るので電話で伝えただけだったが、受話器の向こうでは電話の横で話を聞いていた母親が卒倒した様で、電話口に出ていた弟の焦った声とその妻の悲鳴が耳にこびり付いて離れない。
 残りは中央から来ているという事で統幕や所属部署から連絡が行くから自分達は関与する事が無いので気も楽なのだが、二人が頭を悩ませているのはそういった事ではなく、敵勢と中央、その二正面と事を構えざるを得なかったという実にややこしい現状だった。
 統幕の副長も人質となっている事から、主導権を握ろうと統幕からの横槍が止まらない。自分達、否、タカコ達よりもこういった事への対処に慣れているのであれば明け渡す事に異論は無いが、活骸との戦いの最前線に立ちながらも全くの未経験の事態に対処している自分達よりも更に経験の無い中央、その彼等に主導権を渡せば事態はどうなるのか火を見るよりも明らかで、
「とにかく我々に任せて下さい!何の為の教導隊ですか!!」
 と、そう声を荒げたのは昨日だけでも一度や二度の事ではない。
 そうこうしている内に今度はまた火発の拡声機から要求や軍の行って来た非道という妄言が大音量で垂れ流しになり、発生からこちら気の休まる暇は全く無いと言って良かった。
 博多の市街地の方は警察から機動隊が出て警邏に当たってくれており、夜明け迄は何とか平穏を保っていた様だが、ちらほらと小競り合いや衝突が起き始めたという連絡も入っており予断を許さない。
それと合わせて各地の軍事施設の警戒も強化し、海兵隊も陸軍も、そして沿岸警備隊も九州地方総動員態勢となっている。
「横山さん……これ、ちゃんとカタぁ付くんですかねぇ……?」
「清水の言う事を信じて従うしか無いでしょうよ……はぁ、風呂入りたいなぁ……」
 二人の前に置かれたのは火発の中央制御室との直通の電話機、要求の詳細はこちらへと直接掛けてくれという呼びかけはしているものの、今のところ相手側からの接触は一切無い。銀行や郵便局や金融会社への立て籠もり事件等を扱った経験の有る警察から助言は受けているし、タカコからもどういう風に動くべきかという事は短い時間ながらもみっちりと叩き込まれた、しかしそれを伝える相手から何の接触も無くこちらから掛けても無反応という状態が続いている事に、若干の苛立ちと疲れを感じているというのが現状だった。
 そんな中、机上の電話機が突如として鳴り響く。一気に緊迫する空気、小此木と横山は顔を見合わせ、小さく、しかし確かに頷き合う。
「頼みますよ……横山さん」
「任せろとは言えませんけど……頑張ります」
 火発の管轄権は陸軍博多駐屯地が持ち、そこの長であるという事と旅団総監の黒川が人質に含まれているという事で、交渉の窓口は横山に一本化されるという事になっている。これは警察からもタカコからも言われている事で、窓口の人間がころころと変わるというのは相手に不信感しか植え付けない、そう説明された。
 静まり返る室内に電話の呼び出し音だけが鳴り響き、横山はその受話器に向けて静かに手を伸ばしてそっと握り締める。しかし、それを持ち上げる事はせず、張り詰めた空気の中に呼び出し音だけが鳴り響き続けた。
 横山の手が動いたのは受話器へと手を掛けられてから更に二十秒程も経ってから、す、と持ち上がる手と受話器、途端に鳴り止む呼び出し音、交渉が始まる、と、その光景を見ていた人間の大多数、正確には小此木以外の全員がそう思った、直後。
 ガシャン!
 その音と共に電話機へと叩き付けられる。一気に凍り付く室内、一体何を、顔から血の気を失せさせ見守る周囲に負けず劣らず横山の顔は蒼白で、つ、と汗が一筋頬を伝う。
「し、司令、その電話、敵からの――」
「黙ってろ」
 上擦った声での問い掛けに短く硬い言葉と声音で返す横山、小此木も張り詰めた面持ちでそれを見守り、室内には再び静寂が訪れた。
「あ、また」
 電話を切ってから二十秒程経ってから再び鳴り始める呼び出し音、今回も横山は直ぐに受話器を取る事はせず、たっぷりと一分程も鳴らせておいてから受話器を持ち上げ、そこで漸く受話器を自分の耳へと押し当てる。
『もしも――』
 ガシャン!
 相手の低く落ち着いた声音が鼓膜を揺らした瞬間、再び受話器を電話機へと叩き付ける。再び張り詰める空気、横山はそれを感じながら、清水も何とも胃の痛くなる事をやらせてくれるもんだ、と、胸中で吐き捨てた。
『鳴っても直ぐには出ない、出ても一度目は持ち上げてすぐ切る、二回目は相手の声が聞こえたら切る、三度目で漸くこちらから名乗って下さい。直ぐに出たり交渉を開始しようとしたら、相手に足元を見られます』
 言うのは簡単だがそれなら自分でやってくれ、こんな胃の痛くなる事は俺は御免だ、そう思いつつ受話器を掴んだままの手へと視線を落とせば、やがて三度目の呼び出し音が鳴り響いた。
 今回もまた同じ様に直ぐには出ない、同じ様に一分程鳴らせておいて、それから受話器を持ち上げ耳に当て、横山はゆっくりと口を開いた。
「大和陸軍西部方面旅団隷下博多駐屯地司令、横山陸軍大佐だ、何か用か?」
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