大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第335章『再会』

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第335章『再会』

 痛めつけられ続けるよりも、間々で休憩を挟まれて身体を休める方が身体にも心にも響く。本来なら自分の人生に於いて知る機会も必要も無かったであろうそんな事を体感しつつ、黒川は口の中に溜まった、最早胃液とも唾液ともつかない血の混じった液体をごぼりと吐き出した。
 男に甚振られ始めてからどれ位の時間が経ったのか、最早時間の感覚は無くなり、時計も見えない状況では知る由も無い。
 頭に袋を被せられてあちこちを切り刻まれた後は、袋を外されて今度は手錠を使い背後で拘束された両手の指を一本一本折られ、その次には両肩の関節を外された。その度に絶叫してのたうち回りそうになった自分を何とか抑え込み、部下への指示を出しに行くのか男が部屋を出て一人取り残される僅かな時間だけ、外へと漏れない程度の声量で悪態を吐いた。
 腹を何度も蹴り上げられ、上から吐き出すだけでは足りず下半身は既に小便で濡れている。上は吐瀉物に下は小便に塗れ、こんな姿は部下にも高根にも敦賀にも、そしてタカコにも見せられないな、ぼんやりと考えつつ小さく笑う。
 吐瀉物や小便だけではなく出血もそこそこの量が有った様子で、周囲の床は血の色に染まった諸々の液体が広がり、それ等に濡れた所為だけではなく先程から寒気が止まらない。これ以上は拙いなと思いつつもそれでもこう迄痛めつけられては最早自力での脱出も出来ず、さて、どうしたものかとまた一つ口腔内に溜まった液体を床へと吐き出した。
 男の方はと言えば、こちらも長時間に渡る拷問に飽きが来たのか、先程からは特に何をするでもなく黒川の前に置いた椅子へと腰を下ろし手にしたナイフの刃を指先で弄んでいる。少し前から響き始めた爆発音や銃声や震動、タカコ達の部隊が行動を開始したのだろう、小さかった音や震えは少しずつ大きくなり、つい先程迄はこの制御棟内のあちこちから激しい戦いの様子が床を通して伝わって来た。
 仲間が、救援がもう直ぐそこ迄来ている、後少し、少しだけ耐え切ればきっと、そう思いつつ何とかここ迄踏ん張って来たものの、出血という物理的な事態には気力だけで抗うには流石に無理が有る。震える身体に続いて少しずつぼんやりとし始めた自らの意識、それを必死になって現実へと繋ぎ止めている黒川の前に、何の前触れも無く男が立ち上がる。
「我慢強いのも相当だな、頑固と言うべきか何なのか……俺もそこ迄暇じゃないしそろそろ飽きてきた。そこで、だ、一つ大きな賭けをしてそれで仕舞いにしようじゃないか、総監」
 淡々とした、そして穏やかな声音。殴られ続けて腫れ上がった瞼を何とか持ち上げて顔を見てみれば、そこにはやはり声音の穏やかさとは裏腹な、何とも言い表し様の無い異様な色を湛えた双眸と歪んだ笑顔、ああ、やはりこの男は狂っている、胸中でそう呟く黒川の目の前で男は腰に差した拳銃を抜き、安全装置を解除し初弾を装填した状態で引き金に指を添え、ぴたり、と、銃口を黒川の太腿へと狙いを定める。
「太腿に一発、これは流石に君も声を出すだろう、そうすれば高根総司令は死ぬ事になるが君は助かる、どうせもう我々も撤退の頃合いだ、直ぐに救援部隊が来てくれる。もしそれが嫌だと言うのなら……眉間に一発、君は当然死ぬが盟友は助かるというわけだ……さぁ、どちらを選ぶ?」
 結局のところ、この男は自分の事も高根の事も、誰の事も生かすつもりは無いのだろう。自分が先に死ねば高根や他の者も後から、だからと言って高根を差し出して生き延びたところでそれは束の間の事で、自分も後から同じ様に殺される。
 それならば高根を差し出した様に見せかけて先ず自らの命を確保し、この男が中央制御室へと移動し高根へと銃口を向け引き金を引く迄の間に、タカコ達が突入して来てくれる事に賭ける、それが恐らくは最適解なのかも知れない。しかし、そんな不確定な賭けに親友の命を放り出す事は到底出来る事ではない。
 死ぬつもりは毛頭無い、死にたいとも思わない、それでも、帰る家も帰りを待つ家族も在る親友の命を賭けの道具に使うつもりは、無い。
 それならば、答えは、採るべき行動は、一つだけ。
「……ほう、それが君の答えか、黒川総監」
 揶揄う様な男の声音、視線の先には、身体を捩り痛みを堪えて上半身を持ち上げ、銃口に眉間を自ら押し当てた黒川の姿。腫れ上がった瞼の下から覗く、依然として力強さと意志の強さを失わない鋭く射抜く様な眼差し。そして、べっ、と、口の中に溜まった血の混じった唾液を男の靴へと吐き出して見せる様に男は一瞬目を見開き、その直後、
「君のその目が嫌いだよ……タカユキによく似てる……!!」
 と、今迄よりも更に歪んだ笑みを浮かべ、引き金へと指を掛けた。
 その直後暗転する室内、突然の事に男も様子を窺っているのか弾丸が発射される事は無く、黒川も何がおきたのかと暗闇の中で周囲の気配へと気を遣った直後、突如として背後に現れた気配に身体を抱えられ、強い力で後ろへと引き摺られた。
「……ほう、君が来たのか、敦賀上級曹長」
 数秒後に再び光に満たされる室内、誰が、そう思って黒川が顔を上げればそこに在ったのは見下ろす目出し帽から覗く敦賀の双眸、。無事かと問い掛けられ、何が無事だ、漸く来たか、と悪態を吐きつつも内心安堵して男の方へと視線を移せば、そこには拳銃を男に向けたまま動きを失っている海兵隊の戦闘服、背格好と肌の色からしてドレイクと窺える男の姿が在った。
「誰かが来るのは分かっていた、準備を何もしないわけが無いだろう?」
 男の左手は自らが来ていた戦闘服の上着を肌蹴ており、その下には胴体に巻かれた夥しい量の爆薬が見て取れる。そして右にはその爆薬へと繋がれた点火装置、親指はその釦に完全に掛かっており、もしドレイクが撃ち殺しその弾みで釦に掛かった指が釦を押してしまおうものなら、その衝撃でこの部屋どころかかなりの範囲が吹き飛ぶであろう事が嫌という程に伝わって来る。
「……あんた……誰、なんだ……何であいつの、タカコの旦那と同じ顔をしてる……?」
 五分か十分かそれ以上なのか、誰も動けない、動かない、そんな時間がどれだけ過ぎたのか、呆然とした、うわ言の様な不鮮明な敦賀の言葉が黒川の頭上から降って来る。そうだ、彼はこの男に直接会った事は無かった筈だ、と顔を敦賀の方へと向け直せば、そこには声音と同じ様に愕然とした眼差しが在った。
 そんな時、不意に扉の方向に人の気配が現われ、そして、それが室内へとゆっくりと入って来る。

「……ヨシユキ・シミズ、旦那の、タカユキの、双子の兄貴だよ」

 静かな静かな、けれど張り詰めたタカコの声音が、その場の全員の耳朶を打った。
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