大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第336章『双子』

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第336章『双子』

『最期の最期に……何か良い景色でも見えたか』

 『あの日』――、自分にとってはタカコと出会った、そして、タカコにとっては最愛の夫を亡くしたあの日。横たわる遺体、その顔が状況の陰惨さとは無縁の穏やかな笑みを浮かべているのを見て、思わず呟いた言葉が敦賀の脳裏に蘇る。
 きっと、生前も同じ様に穏やかで人間味に溢れている人間だったのだろう、そして、タカコを深く愛していたのだろうと窺えたあの穏やかな表情。心残りは有ったに決まっている、あの場から解き放つと同時に大きな傷と枷を与えるのだという事も分かっていたに違い無い。けれども、それでも最愛の妻はきっと自分の最期の願い通りに生き延びてくれると信じて生を手放した、全うしたからこそ浮かべられたあの表情。
 目の前の男は、あの男と同じ顔をしている、それなのに、何故そこに浮かぶ表情はこんなにも歪んでいるのか、狂気としか表現のしようの無い色に染まっているのか。
「久し振りだなシミズ大佐、二年七ヵ月前に消息を絶ったと聞いていたが息災の様子で何よりじゃないか」
 呆然としたまま動けない敦賀、その彼に抱き抱えられ負傷により身動きのとれない黒川、ドレイクだけが唯一タカコの気配に弾かれた様に身動ぐが、目出し帽を脱ぎながら歩み寄って来たタカコの片腕で制され拳銃を下へと下ろす。そんなタカコの様子を見て男――、ヨシユキはまた薄く笑い、大和語でタカコへと語り掛け、タカコもそれを受けてか大和語で言葉を返した。
「私が大佐に昇進した事はマクマーンから聞いたか、この最悪のゲス野郎が」
「ああ、やはりお前はそれを掴んでいたか、優秀で嬉しいよ……通称P、正式名称『Providence』……神意、摂理とはまた大きく出たものだが、お前が率いる部隊ならその名前に見合うだけの力は有る、胸を張れ。軍を去る事を決断したお前が引き止められた、それは実力を正当に評価されての事だ」
「私とタカユキのキャリアをブチ壊した張本人がそれを言うとはな……黒幕はお前だろうとは思ってたが、こんなに早く姿を現すとは思わなかったよ」
「ああ、本来ならそうだが、大佐、お前がどれだけ成長したのかこの目で確かめたくなってな」
 双子の兄弟、その弟がタカコの夫で、今目の前にいるのは兄の方、数年単位で顔を合わせていなかったのであろう状況もそれならば何等不自然ではない。しかし、それでも尋常ではないタカコの様子は説明しきれるものではなく、一体二人の間に何が有ったのか、それをタカコに問い掛けようと口を開こうとした時、それより先にヨシユキが何処か楽しそうな調子で話し出した。
「今回の作戦で一つだけ失敗したのは輸送機の細工だったよ、本来であればもっと燃料が少なくなった状態で壊れる様にして帰還を不可能にしてPを手に入れるつもりだったが、まさかあんなに手前で発動するとは思わなかった、これは俺の計算ミスだ。お陰でお前を相手の陣営に入手され手数を増やす羽目になった……今回の様にな」
 敦賀がその言葉の意味を理解するのには少々の時間を要した、つまり、この男は自分の目的の為に弟とその妻を、そこ迄理解した時に思い至ったのは、残酷に過ぎる一つの事実。
「……私は……お前の欲望の為に……あいつを……タカユキを殺さなくちゃいけなくなったのか?」
 何の感情も感じられない冷たいタカコの声音、敦賀は小さく舌を打ちながら、それを聞いていた。
「……何を……笑ってやがるんだ、てめぇの失敗で弟が死んだんだぞ?てめぇが殺したんじゃねぇか、実の……弟を」
 色を失ったタカコの言葉を聞きながら敦賀もまたヨシユキに問い掛ける、彼はそれに肩を竦め口元を歪めて笑い、実に軽い調子で言って退けた。
「敦賀上級曹長だったかな、勘違いしないで欲しいが俺は弟を殺してなんかいない、楽にしてやるという建前を振り翳して殺したのは――」
「黙れ!」
 その先を言うな、思わず声を張り上げた。タカコが聞いているこの場で彼女の傷をこれ以上抉るなと睨みつければ、男は敦賀のその様子すら薄く笑って軽く受け流す。
「何だ、君が今後弟の立場になりそうだからそこは有耶無耶にしておきたいのか?ああ、そう言えば君も何度も彼女に庇われたんだったか。第一次博多曝露、海兵隊基地曝露、鳥栖曝露、第二次博多曝露……自分も生き延びて仲間もしっかりと庇うとは流石だよ大佐……それがお前の欠点だと何度も言ったのにな」
 楽しそうに話すヨシユキ、その口から出た言葉に、どうやらこの二年七ヵ月の間に大和で起きた主だった事件にこの男が関わっていたのだと敦賀は知る。その多くの場面に於いて、タカコの機転と実力、そして一切の見返りを求めない尽力で多くの人間がその命を救われたのだ。弟が死んだ事に何の痛痒を感じている素振りも見せず、更にはその妻を殺そうとした目の前の存在、敦賀にはその精神構造が全く理解出来なかった。
「……全部、全部てめぇが描いた絵図面だったのか?」
「ああ、そうだ」
「……それじゃあ、てめぇが……うちの浜口を唆してタカコを殺させようとしたのは――」
「ああそれも私だ、それが何か?」
「……てめぇの実の弟の女房だぞ、殺す理由が何処に有るってんだ?」
 敦賀のその言葉にヨシユキは一瞬真顔になり、そしてその直後、生理的嫌悪感すら感じさせる程の喩え様も無く歪んだ笑みをその顔に湛え口を開いた。
「楽しいからだよ上級曹長、殺そうとするのも、愛し合っている二人を引き裂くのも、絶望を与えるのも、自らを呪わせるのも、そしてその怒りを俺にぶつけて来るのも、その全てが想像も出来ない程の快感を産む……その過程で死んでしまったとしたら、それは俺が殺したんじゃない、タカコが、彼女が弱かっただけの事だ」
 壊れてやがる、敦賀はヨシユキを見ながら小さくそう呟いた。タカコに対しても同じ事を思った事が有る。けれどこの男の、ヨシユキのそれは次元が違う、この男にとっては彼女は玩具なのだ、自分を愉しませ狂った快感を与えてくれる高性能な玩具。そして彼女と自分以外の全ては、それを補強し演出効果を高める為の単なる小道具でしかないのだろう。
 どんな生まれでどんな人生を歩めばこんな化け物が出来上がるのか、考えたくもない、こいつに比べればタカコも余程人間らしいと内心で吐き捨てた。
 と、突然ヨシユキの手に弄ばれていた銃の銃口が敦賀にぴたりと定められる、そして、
「タカコ、これが弟の後釜か?こいつを殺したらお前は今度はどうなるんだ?」
 そう実に楽しそうにタカコへと向けて言って退けた。その直後に引き絞られたヨシユキの銃の引き金、その素早い動きに僅かに反応の遅れた敦賀の身体が大きく揺れ、ガスを噴射する様な音が小さく響く。
「……この、馬鹿が……!」
 目の前に立つのはたった今傍に立っていたタカコ、その彼女が今は敦賀とヨシユキの間に立ち、その左腕に弾を掠らせたのか血を流している。黒川ごと突き飛ばされて間に入られたのだと理解したのはその直後、また庇われたと一瞬頭に血が上りかけるが、それを止めたのは目の前のタカコから放たれた咆哮にも似た叫び。

『……我が子を奪い仲間を奪い夫を奪い……今度はこいつ迄私から奪うのか!!殺してやる!殺してやる!!私がこの手で!!』
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