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第338章『束の間』
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第338章『束の間』
「ターツーさん、来たよー」
「おーう、タカコか。女の子が日参してくれるなんておじさん嬉しいよ、入れ入れ」
占拠された火発の解放から五日、場所は博多の陸軍病院の外科病棟、高級士官用の特別個室。五日前からこの部屋の住人となっている黒川が寝台の上で頭だけを上げ、扉の枠に凭れて立つタカコへと笑顔を向ける。顔の腫れは引いてきたものの手の十指全ての骨折や刺し傷、一番の重傷の足の腱の刺傷は如何ともし難く、当面は寝台の上から動く事も出来ない生活を送っている。タカコの方はと言えば腕と腹の銃創のみで、腹の傷を庇っている所為で歩く姿はまだ歪ではあるものの、自力で歩行し日常的な動作をとる分には問題は無く、こうして黒川の病室へと日参し寝台脇の椅子に座って世間話で一日を過ごす事が日課となっていた。
無論、立場の事も有る上に他に入院している高級士官もいる中でそうそう大っぴらにというわけにはいかないが、かなり厳重になるだろうと予想されていた警護は事後処理に人手を割いている為か思った程でも無く、都合良く黒川の病室のみが他の高級士官達とは別の階になっていた事も有り、今のところは比較的自由に出入り出来る状況が続いている。
「タカコ、あれやってあれ、蜜柑向いてあーんって食わせて。林檎でも良いぞ、見舞いの品がそこに有るから」
「……うん、おっさん、めっちゃうっざいわそれ……知り合って間も無い頃から言われてる気がするんだけど」
「当たり前だ、おじさんの夢だぞ。だいたいだな、お前、一度もやってくれた事無ぇじゃねぇか」
「……退院してぇ……」
「そんなんじゃまだ無理だろ、ほれ、早く剥いてくれって。手が使えないんだからさ、頼むよ」
「うぜぇ……只管うぜぇ……」
「何だ、手で食べさせるのが嫌なら口移しでも――」
「ほれ食えよ!」
黒川らしいいつもの軽口、タカコにとっては突っ込んだ部類になるのか、顔を赤くしつつ寝台脇の棚の上に置かれた籠盛りの中の蜜柑を一つ掴み皮も剥かずに黒川の口に丸のまま突っ込み、傷に障ったのか、痛みに顔を歪めて頭を振り蜜柑を吐き出す黒川の様子を鼻で笑いながら椅子へと腰を下ろす。
「おま……酷いねそれ、少しは怪我人に優しくしてやろうって気に――」
「そういう気も削がれるよね何故か」
「ったくよぉ……照れ屋なのは可愛いけど、もう少し優しくして欲しいねぇ、おじさんとしては」
「頼み方がいやらしいよね、タツさんの場合。食べたいなら食べさせてあげるからさ、もう少し普通に頼めないわけ?」
「わーかったよ、蜜柑食いたいから食わせて」
「……まぁ、宜しい。口の中の傷にしみない?」
「しみるはしみるけど、いい加減固形物食いたいのよ……流動食はもう飽きた」
そんな遣り取りで始まった語らいの時間、タカコが蜜柑を剥いて一房ずつ黒川の口元へと運び、それを口にした黒川は果汁が口腔内の傷に与える痛みに顔をしかめつつもゆっくりと飲み込み、その合間合間に交わされる会話は火発事件には関わりの無い事ばかり。
ヨシユキとの間に相当な因縁が有り、タカコが彼に対して尋常ではない怒りを抱いてる事は黒川にもはっきりと伝わってはいるものの、あの鬼気迫った様子を見るにそう簡単に聞いて良い事ではないというのは理解出来ていたし、何よりタカコ自身の方から話そうとしない様子を見るに、話したくないのかまだその時期ではないのか、どちらにせよ無理強いして聞き出すのは得策ではない、そう思えた。
そんな中で話す事と言えば今後の訓練の事や友人達の事、そして、タカコが黒川に預けている彼女の部下、マクギャレットの事。マクギャレットはタカコにとってもなかなかに扱い難い気性なのか、慣れている自分でも時々対応に苦慮する事が有るのに、出会って間も無い黒川では大変だろうとタカコが労われば、それに反応して黒川が愚痴を零し扱い方の教示を求めるといった按配で、話題は次第に中間管理職同士の傷の舐め合い労わり合いへと移って行く。
「っと……タカコ、悪いんだけどさ、看護師呼んでくれねぇか?」
「どうしたの?何処か痛む?」
二人が話し始めてから二時間程経った頃合い、不意に黒川が僅かに眉根を寄せて看護師を呼べと言い出し、傷が痛むのかというタカコの問い掛けに少々の間黙り込んだ後、何とも言い難そうな様子で口を開いた。
「いや、蜜柑食って茶も飲んでとかしてたら……その、小便したくなった。普段ならもう少ししたら定時で来てくれるんだけどよ、ちょっとそれ迄もちそうにないわ、頼む」
普段とは違う意味での下半身の話題は流石に黒川にとっても少しばかり言い出し難い事なのか、微妙に視線を泳がせるその様子に、珍しいものを見たと言いながらタカコは立ち上がる。しかしそれで直ぐに部屋を出て行く事はせず、寝台脇の棚の下に置いてあった尿瓶を見つけて手に取ると、
「んもぅ、早く言ってよ、私とタツさんの仲じゃない。ささ、ど、う、ぞ」
と、逆に恐ろしさすら感じさせる程の素晴らしい満面の笑みを浮かべて、一歩、寝台へと歩み寄る。
「ちょ!待て!世話焼いてくれなんて言ってねぇぞ!!看護師を呼んでくれって――」
「私以外の女に触らせるとか有り得ない!!とか言えば良いの?さあさあさあ!ずずいっと!はい脱がせるよー!」
「ちょ……やめ……やめてぇぇぇぇぇ!!」
鼻息も荒く掛布団を引き剥がすタカコ、両の手足を負傷し満足に動く事も出来ない黒川に出来た唯一の抵抗は、そんな情けない叫びを上げる以外には何も無かった。
「黒川さん、こういう時には呼んで下さって大丈夫ですからね、清水さんも怪我してるんですから、無理はしないで下さいね」
色々と失ってしまった様な面持ちで天井を見詰める黒川、その横で腹の傷を庇いつつ寝台に突っ伏して肩を震わせて寝台をドンドンと拳で叩いているタカコ。その二人に落ち着いた笑みを浮かべた看護師がそんな言葉を掛け、交換した布団と敷布入院着を台車に乗せて押しながら扉を閉め、病室を出て行く。
「……おい……タカコよ……」
「っ……ひっ……ひっ……し、尿瓶……立つとか……」
「笑うな!!だから看護師呼べって言ったんだよ!!」
「そっ……それで……下半身自分のションベン塗れ……ぶふっ!」
「お前もう黙れよ!!本当に配慮とか慎みとかってもんが無ぇよな!!」
どうやら男としての沽券に関わりかねない事態になってしまった様子の黒川、要らぬ事をして事態を大きくしてしまったのは明らかにタカコ。流石に気色ばんで声を荒げる黒川、その様子等委細構わないといった風情で笑い転げるタカコに黒川が憤慨し、それを受けて更にタカコが笑う。
「お前な……退院したら覚えとけよ……笑った事後悔する位に啼かしまくってやるからな……」
「そうだよね、尿瓶立てになれる位に元気――」
自分で言った事がツボに嵌まったのか一旦は収まりかけた笑いがぶり返すタカコ、これをどう料理してくれようかと黒川が舌を打てば、不意に扉が叩かれてその直後開かれ、その向こう側から見慣れた二人が姿を現した。
「よーう、どうしてるー?あ、やっぱりタカコもこっちにいたか」
「真吾、どうした?」
「見舞いだよ見舞い、他のお偉方のところ順繰りに行って、ここが一番最後」
「……龍興、その馬鹿は何やってんだ」
「……俺の男としての名誉の為に聞かないでおいてくれ……ま、座れよ」
現われたのは高根と敦賀の二人、公務で来ているのか二人共制服を身に付けており、言葉の通りにお偉方の見舞いに来ているのだという事が窺える。寝台に突っ伏したままのタカコの様子を敦賀が眉根を寄せて問い掛け、そこには触れてくれるなと黒川が二人へと着席を勧めれば、壁際に寄せてあった椅子を持って来てタカコの隣へと並んで腰を落ち着けた。
「……揃ったね、話、始めようか」
その時、不意にタカコから発せられた言葉、黒川はたった今迄とはまるで違う雰囲気に双眸を見開き顔を上げ、高根と敦賀の二人は一体何なのかと顔を見合わせた後、揃って視線をタカコへと向けた。
「本当だったら、もっと早く話しておくべきだったんだと思う。それをしなかったのは、偏に私の心の弱さが原因だ。先ず、それを謝罪したい」
「ターツーさん、来たよー」
「おーう、タカコか。女の子が日参してくれるなんておじさん嬉しいよ、入れ入れ」
占拠された火発の解放から五日、場所は博多の陸軍病院の外科病棟、高級士官用の特別個室。五日前からこの部屋の住人となっている黒川が寝台の上で頭だけを上げ、扉の枠に凭れて立つタカコへと笑顔を向ける。顔の腫れは引いてきたものの手の十指全ての骨折や刺し傷、一番の重傷の足の腱の刺傷は如何ともし難く、当面は寝台の上から動く事も出来ない生活を送っている。タカコの方はと言えば腕と腹の銃創のみで、腹の傷を庇っている所為で歩く姿はまだ歪ではあるものの、自力で歩行し日常的な動作をとる分には問題は無く、こうして黒川の病室へと日参し寝台脇の椅子に座って世間話で一日を過ごす事が日課となっていた。
無論、立場の事も有る上に他に入院している高級士官もいる中でそうそう大っぴらにというわけにはいかないが、かなり厳重になるだろうと予想されていた警護は事後処理に人手を割いている為か思った程でも無く、都合良く黒川の病室のみが他の高級士官達とは別の階になっていた事も有り、今のところは比較的自由に出入り出来る状況が続いている。
「タカコ、あれやってあれ、蜜柑向いてあーんって食わせて。林檎でも良いぞ、見舞いの品がそこに有るから」
「……うん、おっさん、めっちゃうっざいわそれ……知り合って間も無い頃から言われてる気がするんだけど」
「当たり前だ、おじさんの夢だぞ。だいたいだな、お前、一度もやってくれた事無ぇじゃねぇか」
「……退院してぇ……」
「そんなんじゃまだ無理だろ、ほれ、早く剥いてくれって。手が使えないんだからさ、頼むよ」
「うぜぇ……只管うぜぇ……」
「何だ、手で食べさせるのが嫌なら口移しでも――」
「ほれ食えよ!」
黒川らしいいつもの軽口、タカコにとっては突っ込んだ部類になるのか、顔を赤くしつつ寝台脇の棚の上に置かれた籠盛りの中の蜜柑を一つ掴み皮も剥かずに黒川の口に丸のまま突っ込み、傷に障ったのか、痛みに顔を歪めて頭を振り蜜柑を吐き出す黒川の様子を鼻で笑いながら椅子へと腰を下ろす。
「おま……酷いねそれ、少しは怪我人に優しくしてやろうって気に――」
「そういう気も削がれるよね何故か」
「ったくよぉ……照れ屋なのは可愛いけど、もう少し優しくして欲しいねぇ、おじさんとしては」
「頼み方がいやらしいよね、タツさんの場合。食べたいなら食べさせてあげるからさ、もう少し普通に頼めないわけ?」
「わーかったよ、蜜柑食いたいから食わせて」
「……まぁ、宜しい。口の中の傷にしみない?」
「しみるはしみるけど、いい加減固形物食いたいのよ……流動食はもう飽きた」
そんな遣り取りで始まった語らいの時間、タカコが蜜柑を剥いて一房ずつ黒川の口元へと運び、それを口にした黒川は果汁が口腔内の傷に与える痛みに顔をしかめつつもゆっくりと飲み込み、その合間合間に交わされる会話は火発事件には関わりの無い事ばかり。
ヨシユキとの間に相当な因縁が有り、タカコが彼に対して尋常ではない怒りを抱いてる事は黒川にもはっきりと伝わってはいるものの、あの鬼気迫った様子を見るにそう簡単に聞いて良い事ではないというのは理解出来ていたし、何よりタカコ自身の方から話そうとしない様子を見るに、話したくないのかまだその時期ではないのか、どちらにせよ無理強いして聞き出すのは得策ではない、そう思えた。
そんな中で話す事と言えば今後の訓練の事や友人達の事、そして、タカコが黒川に預けている彼女の部下、マクギャレットの事。マクギャレットはタカコにとってもなかなかに扱い難い気性なのか、慣れている自分でも時々対応に苦慮する事が有るのに、出会って間も無い黒川では大変だろうとタカコが労われば、それに反応して黒川が愚痴を零し扱い方の教示を求めるといった按配で、話題は次第に中間管理職同士の傷の舐め合い労わり合いへと移って行く。
「っと……タカコ、悪いんだけどさ、看護師呼んでくれねぇか?」
「どうしたの?何処か痛む?」
二人が話し始めてから二時間程経った頃合い、不意に黒川が僅かに眉根を寄せて看護師を呼べと言い出し、傷が痛むのかというタカコの問い掛けに少々の間黙り込んだ後、何とも言い難そうな様子で口を開いた。
「いや、蜜柑食って茶も飲んでとかしてたら……その、小便したくなった。普段ならもう少ししたら定時で来てくれるんだけどよ、ちょっとそれ迄もちそうにないわ、頼む」
普段とは違う意味での下半身の話題は流石に黒川にとっても少しばかり言い出し難い事なのか、微妙に視線を泳がせるその様子に、珍しいものを見たと言いながらタカコは立ち上がる。しかしそれで直ぐに部屋を出て行く事はせず、寝台脇の棚の下に置いてあった尿瓶を見つけて手に取ると、
「んもぅ、早く言ってよ、私とタツさんの仲じゃない。ささ、ど、う、ぞ」
と、逆に恐ろしさすら感じさせる程の素晴らしい満面の笑みを浮かべて、一歩、寝台へと歩み寄る。
「ちょ!待て!世話焼いてくれなんて言ってねぇぞ!!看護師を呼んでくれって――」
「私以外の女に触らせるとか有り得ない!!とか言えば良いの?さあさあさあ!ずずいっと!はい脱がせるよー!」
「ちょ……やめ……やめてぇぇぇぇぇ!!」
鼻息も荒く掛布団を引き剥がすタカコ、両の手足を負傷し満足に動く事も出来ない黒川に出来た唯一の抵抗は、そんな情けない叫びを上げる以外には何も無かった。
「黒川さん、こういう時には呼んで下さって大丈夫ですからね、清水さんも怪我してるんですから、無理はしないで下さいね」
色々と失ってしまった様な面持ちで天井を見詰める黒川、その横で腹の傷を庇いつつ寝台に突っ伏して肩を震わせて寝台をドンドンと拳で叩いているタカコ。その二人に落ち着いた笑みを浮かべた看護師がそんな言葉を掛け、交換した布団と敷布入院着を台車に乗せて押しながら扉を閉め、病室を出て行く。
「……おい……タカコよ……」
「っ……ひっ……ひっ……し、尿瓶……立つとか……」
「笑うな!!だから看護師呼べって言ったんだよ!!」
「そっ……それで……下半身自分のションベン塗れ……ぶふっ!」
「お前もう黙れよ!!本当に配慮とか慎みとかってもんが無ぇよな!!」
どうやら男としての沽券に関わりかねない事態になってしまった様子の黒川、要らぬ事をして事態を大きくしてしまったのは明らかにタカコ。流石に気色ばんで声を荒げる黒川、その様子等委細構わないといった風情で笑い転げるタカコに黒川が憤慨し、それを受けて更にタカコが笑う。
「お前な……退院したら覚えとけよ……笑った事後悔する位に啼かしまくってやるからな……」
「そうだよね、尿瓶立てになれる位に元気――」
自分で言った事がツボに嵌まったのか一旦は収まりかけた笑いがぶり返すタカコ、これをどう料理してくれようかと黒川が舌を打てば、不意に扉が叩かれてその直後開かれ、その向こう側から見慣れた二人が姿を現した。
「よーう、どうしてるー?あ、やっぱりタカコもこっちにいたか」
「真吾、どうした?」
「見舞いだよ見舞い、他のお偉方のところ順繰りに行って、ここが一番最後」
「……龍興、その馬鹿は何やってんだ」
「……俺の男としての名誉の為に聞かないでおいてくれ……ま、座れよ」
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「……揃ったね、話、始めようか」
その時、不意にタカコから発せられた言葉、黒川はたった今迄とはまるで違う雰囲気に双眸を見開き顔を上げ、高根と敦賀の二人は一体何なのかと顔を見合わせた後、揃って視線をタカコへと向けた。
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