大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第360章『取り残された者』

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第360章『取り残された者』

「……敦賀、いつ迄そうしてる気だ、戻るぞ」
「……真吾……ああ、雨か」
 雨が降りしきる国立海兵隊墓地、その一角に傘もささず濡れるのも構わずに佇む敦賀。彼が見下ろすのは三十四基の墳墓、タカコの夫と部下達が眠る場所。一体どれだけの時間そこにいたのか敦賀の全身はずぶ濡れになり、髪から顎から鼻から指先から大粒の滴が雨に混じって地面へと落ちて行く。そんな彼の背後には高根がやはり同じ様に傘をささず雨衣だけを着て立ち、敦賀の佇まいに辛そうに顔を歪めて歩み寄って来た。
「……ここで幾ら待ってても、あいつは来ねぇよ……もう一週間だ」
「あいつが……あいつがこいつ等を置いて行くわけが無ぇ、絶対に迎えに来る……だから、それ迄――」
「とにかく……今日はその位にしておけ……基地に戻るぞ」

 あの日、五月二十四日の朝、敦賀は連れ込み宿の寝台の上で一人で目を覚ました。腕の中にいる筈のタカコはそこにはおらず、便所か風呂かと思いそちらへと声を掛けてみるも返事は無く、そこで漸く室内を見渡し彼女の服も何も無い事に気が付いた。
 ぞわり、と、背筋を途轍も無く冷たい不快感が駆け抜ける。慌てて服を着て宿を飛び出し基地へと疾走し、正門を潜った後真っ先に向かったのは営舎のタカコの私室だった。
「タカコ!!」
 既に完全に日は登り起床のラッパも鳴った後、仮設営舎の周囲にもそこに至る迄の道程にも大勢の海兵がいたが、そんな彼等の驚く視線等意にも介さず、声を張り上げてタカコの名を呼びながら部屋の扉を開けて中へと飛び込んだ。
「…………!」
 何も、無い、その言葉は声帯を震わせる事は無く、掠れて引き攣った様な音が口から漏れる。室内には人の気配は無く、綺麗に整えられた寝台と机と椅子が有るだけ。きっちりと閉じられた収納の前に立ちそこを開けてみれば、その中に有る筈の彼女の私服も私物も愛用の得物も何一つとして残されておらず、貸与された戦闘服と靴、そして村正――、太刀が綺麗に整えられ置かれていた。
「何処に行きやがった……タカコ!タカコ!!」
 タカコの部屋を飛び出した後は彼女を探し名を呼びながら基地内を走り回り、彼女の部下達やドレイクの存在を思い出したのは三十分程も経ってから。彼等ならタカコの居場所を知っているかも知れない、そう思って先ずは部下達が入っている営舎へと向かえば、そこも彼女の部屋と同じく蛻の殻。ドレイクは踵を返して営倉へと向かえば、立哨の海兵に
「え……いや、明け方清水曹長が来て、至急確認したい事が有るから尋問室に連れて行くって言ってましたけど……いないんですか?」
 と、戸惑った様子でそう言われた。
 尋問室にはいないだろう、否、もう基地内にもいない筈だ。出会った時と同じ様に唐突に消えてしまった、そう思い至れば身体と視界がぐらりと揺れて、敦賀はその場へと崩れ落ちた。
「先任!?大丈夫ですか!?」
 突然床へと座り込んだ敦賀の様子に驚いた立哨の海兵が慌てた様子で駆け寄って来て、声を掛けながら腕を差し出して来る。
「……え?ああ……大丈夫だ、大丈夫」
「清水曹長がどうかしたんですか?」
「いや、何でもない……俺の勘違いだ、仕事に戻ってくれ」
 顔色も無相当悪かったのだろう、敦賀のその言葉にも尚何か言おうとしている海兵の手を借りて敦賀は立ち上がり、ゆっくりと営倉を出て歩き出す。向かう先は総司令執務室、高根にもタカコ達がいなくなった事を早く報告しなければならない、そして、今後の事を話し合わなければ。父の言動も、そして、彼が凡その事を既に勘付いてしまっている事を伝えなければ。
 その先はどうなるのだろう、父は言葉の通りにタカコ一人が消えればそれで全てを収めるつもりなのだろうか、それとも自分達も任を解かれ拘束されるのだろうか、
 タカコは何故いなくなってしまったのだろう、昨日彼女を抱いた時にも眠りに就く時にも
『傍にいる』
 と、そう言ったタカコ。約束したのにそれを違えたのか、何故自分達の言葉ではなく父の言葉に従ったのか。何故、何故、何故、段々と大きくなる憤りを何とか抑え込みながら総司令執務室の扉を叩けば、中から高根の声が聞こえて来てそれを受けて扉を開き室内へと入った。
 室内にいたのは部屋の主の高根の他には彼の盟友黒川、二人の腹心である小此木と横山、そして、父。
 その存在を認識した瞬間、考える前に殴り掛かっていた。突然の事にその場の誰も反応する事は出来ず、派手な音を立てて副長の身体が床へと倒れ込む。彼等が事態を把握し動き出したのは副長の身体に馬乗りになった敦賀が更に数発拳を叩き込んでから、
「おい何やってんだ!」
「敦賀!!落ち着け!!おいお前等も押さえろ!!」
 先に反応した高根と黒川の怒声に弾かれて小此木と横山も敦賀に飛び掛かり、怪我が完治していない黒川以外の三人がかりで敦賀の身体を副長から引き剥がした。その間も敦賀はその拘束を振り解こうと、否、副長へと殴り掛かろうと暴れ続け、
「あいつが何をした!!あいつには、タカコには大和への害意なんかこれっぽっちも無かった!!あれだけ協力してくれてたあいつに何を言ったのか、もう一度言ってみやがれ!!親父!!」
 と、殺気が漲った双眸を見開いて咆哮する。
 尋常ではない、そう判断した高根が舌を打ち、騒ぎを聞いて駆けつけて来て廊下から室内を覗く海兵に
「おい!敦賀を落ち着く迄営倉に――」
 そう言い掛ければ、それを制止したのは口と鼻から流れ出る血を拭いながら身体を起こした副長だった。
「高根司令、その必要は無い。単なる親子喧嘩だ」
「しかし、副長」
「聞こえなかったか?単なる親子喧嘩だと言ったんだ。君の、海兵隊の裁定は必要無い」
 陸軍と海兵隊で所属が違うとは言え、統幕に名を連ねる高根にとっては直属の上官、その人間にそう言われてしまえばそれ以上は反論も出来ず、
「敦賀、ちょっと外で頭冷やして来い。俺と龍興は親父さんに聞かなきゃならねぇ話が出来たみたいなんでな」
 それだけ言い、未だ殴り掛かろうとする姿勢を崩さない彼を押さえ付ける小此木と横山が敦賀の身体を廊下へと押し出して行く。
「他の者は仕事に戻れ!……で、息子さん、今何だか聞き逃せない事を言っていましたが……どういう事です?ウチの清水と……何か有ったんですか?」
 普段の高根とは違う、ひどく低く冷たく、そして硬い高根の声音。床から立ち上がりソファへと腰を下ろした副長の前に高根と黒川が並んで立ち、高根の声音と同じ様に冷たく鋭い視線が二つ、副長を見下ろしていた。
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