大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第372章『目撃』

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第372章『目撃』

 事件の犯人はタカコではない、敦賀が高根へとそう訴えたところで犯行が止まるものでもなく、その後も軍や警察の対応は後手に回り、少なくない数の犠牲者が出続けた。博多の街には厳戒態勢が敷かれ、今では日中でも街からは人の気配は極端に少なくなり、一見すると廃墟の様になっている。そんな中で買い物や通勤で時折通りを歩く人、親に隠れて屋外へと抜け出して来て路地から路地へと走り抜ける子供、そんな者達の姿がこの街がまだ辛うじて生きている事を示していた。
 酒や色事で支えられている中州は更に悲惨な様相で、店を畳み中州を去った人間も相当数が出ているらしい。博多の街の何処を見ても以前の活気は無く、いつ凶行に巻き込まれるかも知れないという恐怖と相俟って、博多全体が重苦しい空気に沈んでいる。
「どうだよ?様子は」
「見ての通りだ、早く何とかしねぇと街が死ぬな」
 警察と陸軍だけではなく、街中の警邏に海兵隊も組み込まれるようになり、その車両の定時の出発を見送って本部棟へと戻った敦賀の前に現れたのは高根。タカコが犯人ではないと告げに来てから何とか調子を取り戻しつつある敦賀を信用して実務へと復帰させたものの、その事喜んでもいられない状況に彼の表情が和らぐ事は無い。
 独り身の敦賀とは違い、高根には今では博多に暮らす家族、妻が有り、その彼女の事を考えれば気が重くなるのも当然の事。いっその事事態が好転する迄はと糸島の自らの実家に避難させる事も考えたが、それは妻自身が
「真吾さんがそれをすれば、海兵隊総司令自らが負けを認めた事に、敵に屈した事になります。私は、ここを離れません」
 と、そう毅然と言い放たれ拒否された。それでも日中常に一人では心配だと、義兄である島津へと頭を下げ共に妻の説得に当たり、当面の間は島津の自宅で彼の妻や子供達と生活してもらう事で何とか納得してもらった。
 食品の買い出しにも支障が出る程に深刻になりつつある博多の状況、軍人達も自分はともかくとして、家族は街をから出し避難させている者も出始めている。解決が長引けば、敦賀の言う通りにこの街はじわじわと死んでいき、或る時点でもう息を吹き返す事は無くなるだろう。
「陸軍はどうなんだ、横山さんや龍興は何て言ってる」
「あちらさんも警察もなぁ、手詰まりだ。今迄こんな事態の経験は何処にも無ぇしな……龍興は博多の事だけ面倒見てれば良い立場でもねぇ、佐世保もワシントンつーかヨシユキってのの侵攻も想定しなきゃならねぇ、俺等よりよっぽど忙しいよ。横山さんの上にはお前の親父さんが――」
「あぁ!?」
「……副長が付いてる、一時的にだがな。中央としても博多の現状は深刻だと捉えてる、副長がいなかったとしたら、何も分かってねぇお偉方が派遣されて来るか電話一本であれこれ言って来てた筈だ、それを考えればまだましだろうよ」
 タカコが姿を消した翌朝の一件以来、敦賀は父親である副長を拒絶したまま。副長の方も自らの行為の意味を思い知った後には引け目や後悔も有るのか敦賀へと接触する事は無く、親子の間は断絶したままの状態が続いている。今迄よりも悪化してしまった親子関係、高根としてはそれを何とかしてやりたいと思うものの、敦賀のタカコへの想いの深さ強さを考えれば今の彼の心持ちも尤もな事で、何も出来ないまま二人の様子を見守っている。
 公私共に次から次へと問題が出て来る、頭は痛くなるし気が重くなる事ばかり。そんな時に思い出すのは、あの底抜けに明るく、そして強い、タカコの笑顔。時には能天気でそして時にはとことん『俺様』だった彼女、あの存在が有ったからこそ、どんな深刻で大きな問題が出て来たとしても事態へと立ち向かう気力が持てた、事態を打破出来た。彼女がこの国へとやって来たから出て来た事件や事態だったのだろうという事は理解しているが、それでも、彼女の持つ知識と力、そしてそれ以上にあの存在そのものが在ったからこそ、自分達は、少なくとも自分はここ迄やって来る事が出来たのだという想いもまた、確かなもの。
 彼女に対して男としての気持ちは欠片も抱いていない、それでも、あの笑顔をまた見たいと思う。悪戯の標的にされる事だけは御免蒙るが、敦賀や黒川だけではなく、自分もまた、彼女という存在を必要としているのだ。
 しかし現状その事にだけ意識を注ぐ事も出来ず、取り敢えずは目の前の悲惨な状態をどうにかするかと人知れず溜息を吐く。目の前の敦賀も彼なりに足掻いているのだ、その彼の上官であり友人でもある自分がそれに倣わないわけにはいかないだろうと思いつつ頭を掻き、
「ま、とにかく一つ一つ片付けていこうや」
 と、そう言いながら敦賀の肩を叩き、夫々の執務室へと戻ろうと踵を返し本部棟の中へと歩き出す。
 突如、背中に、博多の街に響き渡る爆発音、それに弾かれて二人揃って振り返れば、住宅街の方向から立ち上る黒い煙。
「またか!!」
「クソが……!!」
 爆発は一つでは終わらず、一つ、また一つと振動とそれに続いて黒煙が方々から上がる。俄かに殺気立ち動き始める基地内、高根もまた敦賀と顔を見合わせて頷き合い、夫々の職務へと戻って行った。

 深夜の海兵隊基地、総司令執務室。執務机には高根、その前には敦賀を含めた極近しい海兵達や小此木や横山、高根に呼び出された黒川、そして副長が立ち、押し黙ったままの高根の前に広げられた数枚の書類と一枚の絵に視線を落としている。
「……どういう……事だ、これ」
 口を開いたのは黒川、高根はそれにも言葉を返さず、ぎり、と歯を軋らせるだけ。

 後ろで一つに束ねた長い黒髪、身に着けているのは迷彩の戦闘服、そして、その袖には正三角形に縁取られた目が一つ――、

「何で……タカコが……」

 静まり返った執務室内、黒川の言葉だけがそこに響いていた。
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