大和―YAMATO― 第四部

良治堂 馬琴

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第380章『盧溝橋』

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第380章『盧溝橋』

 何の前触れも無く姿を現した巨大な艦艇、沿岸警備隊の保有する艦艇の中でも最大のものよりも二回り程は大きく、更にはその後ろからやや小振りの艦艇が四隻、梯形陣を組んで済州島の方角から大和本土へと向かって進んで来る。
 艦橋脇に在る一際高い帆柱には赤と白の横縞地に蛇が描かれた旗が掲げられ、風に煽られる旗の中で、その蛇が不気味に身体を揺らめかせているのが双眼鏡越しに薄らと見て取れた。佐世保基地と博多の西方司令部には直ぐに連絡が飛び、そこから指示を出された艦艇が数時間で続々と海域へと急行して来る。手を出すな、そう命令されている為どの艦も武力行使には出ない。しかし命令が出されればその時にはと、砲口を艦隊へと向けて状況を窺う、何とも緊迫しきった空気が一帯を支配していた。
『こちらは大和国沿岸警備隊、重巡洋艦築後。この海域は大和国が実効支配している海域だ、貴船は許可を得ず我々の海域を侵している、武装を解除して停止しなさい』
 外国の勢力との遭遇、有史、少なくとも大和という国体が確立されてからは経験の無かった事態。相手の使う言語も分からない中で密漁船の臨検の際に使われる文言を改変して急遽作成された呼び掛け。大和語以外の言語を理解する者もいない為に大和語を使用したそれを数度繰り返すが、艦隊の航行速度は周囲を取り囲まれた所為でかなり落ちはしているものの、未だに停止する気配は無く、それ以外の反応も同様だ。
 包囲はじりじりと本土側へと後退し五島列島に近付き、そのまま東へとゆっくりと進路を変える。狙いは佐世保ではなく博多か、と進路を塞ごうと艦艇が移動するものの艦隊の動きは止まらない。やがて停止したのは日本海へと入り、水平線を割り対馬区の稜線が薄らと見える頃合いになってからの事だった。
 日本海西側と東側は対馬区に分断され、相互へと抜ける海路は存在しない。東シナ海に通じる西側は、東側に比べ無いに等しい程の狭い海域ではあるが、それでも袋小路の中に自ら入り込んだ体の艦隊、それを大和沿岸警備隊の大小の艦艇が段々と取り囲んで行き、事態はやがて静かな睨み合いへと突入した。
 一時間、二時間、刻々と時間は過ぎるが艦隊に動きは無い。沿岸警備隊だけではなく陸軍も海兵隊も包囲する艦艇群の旗艦から入る報告を聞きながら事態を見守る中、やがて日は落ち夜の闇が全てを包み込む。照明が当てられる艦隊、周囲の何も見ていないわけではないのだろう、どの艦の艦橋の窓にも明るい光は無く、全体が静まり返っている。きっとあの中から相手はこちらを見ているのだ、何を考えているのかは分からずともそう思いながら包囲を続ける沿岸警備隊、その彼等の心に或るものが訪れつつあった。
 それは、彼等が未だ経験した事の無かった心理的重圧。一瞬後に何がどう動き出すかも分からない状況の中、恐怖、緊張、そんなものが心を少しずつ蝕み始める。誰かが少しでも動けば全てが一気に動き出すという張り詰めた空気、或る者はそれに耐え兼ねて持ち場を離れる事も出来ずに足元へと胃の中身をぶち撒け、或る者は投光器の光に浮かび上がる艦隊、その砲口が自分達へと向けられている光景に目を背けきつく目を閉じた。
 国難の際には防衛の最前線に立つのが自分達の役目なのだと、それは理解していた。陸上の防衛線を死守するのが海兵隊とその後ろに控える陸軍で、自分達は海上の防衛線の死守が職務。事が起これば自分達は護国の為の盾となり刃となるのだと理解はしていた筈なのに、実際こうしてその事態に際してみれば覚悟は全く出来ていなかった事を思い知る。
 自分はここで死ぬのかもしれない――、そんな思いが少しずつ少しずつ広がり、正常な判断力を蝕んでいく。それが崩れ去った後に残るのは、剥き出しの防衛本能、生存本能だけ。

 大和が大きな、そして決定的な転換点を迎えた『その時』、事前にそれを察知する事が出来た者は誰もいなかった。

 何か有れば即座に行動が出来る様にという臨戦態勢がとられていた事が災いし、艦艇の搭載砲は射手が釦を一つ押せば即座に発射出来る様になっており、その内の一門の射手が釦へと手を伸ばしそれを押すのを止める事が出来た人間は、誰もいなかった。
 突如海域に響き渡る発射音、僅かの間を置いて艦隊の一隻から大きな爆音が上がり一帯は急に騒がしくなる。爆音が響いた方向へと集中する投光器の光、そこには濛々と黒煙を立ち上らせる艦体が見て取れて、自分達が事態に決定的な一撃を入れてしまった、彼等がそれを認識した次の瞬間、先程よりもずっと大きな音と振動が一帯に響き渡った。
 砲撃を加えてしまった艦艇、その乗員達は事態を把握する事も出来ないままに激しい振動に襲われ、次の瞬間には業火にその身を包まれる。油を染み込ませた木の棒の様に燃え上がり、声にならない声を上げ奇妙な踊りを踊る者、砲撃を食らった直近にいた為にそれすらも無く肉の塊となった者、炎にも包まれず肉塊にもならずに済んだが崩れた壁や天井の下敷きになった者。そんな人間を体内に抱えたまま、艦艇は耳障りな咆哮と爆炎を上げゆっくりと海に沈み始めた。
 それを目にした近くに居た他の艦艇からも艦隊へと砲撃が加えられ、そちらにも艦隊からの反撃が加えられ、博多の沖に幾つもの火の手が上がりその全てが海へと沈んで行く。
 艦隊との距離が有ったり、他の様々な要因が重なって幸運にも自律と統制を保つ事が出来ていた艦は艦長の命令によりその場を離れ後退を開始し、艦隊はその彼等に迄砲撃を加える事はせず、海には再び静寂が訪れた。
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