優游執事は主君の為に穿つ

夕桂志

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第三章:執事達の激闘

お嬢様は、私を選ばれる筈ですよ。

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 異質、今の六椥を一言で例えるなら、その言葉しかない。対峙している八椥の普段以上の真剣な顔付きが、それを物語っていた。張り詰めた空気が時を重ねるごとに八椥の緊張を高めて行く、緊張のしすぎで呼吸が乱れているのが、はた目から見ても一目瞭然だった。そして、六椥に対抗する為に抜こうと手を掛けている、もう一振りの刀を握っている手に力を入れた。その時、前に立っていた六椥が口角を上げた口でこう言った。


「二本目を抜くんだ?だったら、僕も本気で行こうかな?」


と語尾を小さく言う六椥。口こそ笑っていたが、目は細く鋭い本気の目だった。少なくとも、八椥はその目を知っている。知っているからこそ刀を抜く事を躊躇している、本気の六椥と自分は渡り合えるのかと、ココに来て兄の凄さを痛感していた。


「抜くのかい?抜かないのかい?まぁ、どっちにしたって僕が勝っちゃうけど」


八椥は歯を食いしばりながら、悔しそうに抜こうとしていた刀の柄から手を離した。すると、六椥は拍子抜けした顔をした。その瞬間、八椥は二本目の刀を抜き、六椥に飛びかかった。それはまるで瞬間移動の如く一瞬だった。


   ―入った―



と確信を持った時、白い刀身がスッと二本ごと受け止めた。受け止めた際に衝撃波で周りに強風が吹いた。


「騙し打ちかぁ、立派な戦術だよ。一瞬信じそうになったよ、ニコル君に教わったのかい?その演技」


「言っただろう、兄貴?俺はノークス嬢の執事になるって決まった時、負けは許さないって誓いを立てたと、相手が誰であろうと、俺は負けない!」


「本当、自分にも厳しトコは昔と変わらないね。でも、僕の”貴族狩“入団の噂で日本町に引きこもっていたヤツに僕は倒される程、面倒見がいい兄さんじゃないよ」


「確かに兄貴の噂は、日本町を孤立させ、差別扱いを生んだ。俺は兄貴を罪の償う為に日本町を守る事にした。
 そりゃ、兄貴はみんなにとっては災難を生んだ元凶だ」


その時、六椥が八椥の刀を跳ね返し、腹を蹴って数メートル飛ばした。その顔からは余裕の笑みは消えていた。突き飛ばされた八椥は何とか踏ん張り止まったが、刀を一振り、床に落とすと口から血を吐き、血溜りが出来ていた。苦しそうにゼェゼェと呼吸をする、そんな姿を見た六椥は、ゆっくりと八椥に向かって歩き出した。すると、もう呼吸するのも辛そうな八椥がこう話し始めた。


「ノークス嬢と一緒に居ると、兄貴の事や日本町の事ですら霞むんだ。それ位、ノークス嬢は、人を惹き付けて、正し、護りたいと思わせられる」


「それはどういう意味かな?もう日本町や僕の事はどうでも良いって言う事かな」


「違う。確かにノークス嬢と会った時は兄貴を憎んでいた、それは事実。だが、ノークス嬢が教えてくれたんだ。
 人から人へ伝わって来たモノなど信用しても、それはただ尾鰭が付いた噂に過ぎない、
 自分が怖いからと噂を頼っていても真実は見えない。見たくもない現実かもしれないが、
 それを見ない奴には真実を語り、比べる資格はないと言うのが、ノークス嬢の考えだ。
 だから、俺もそう考える事にした。果たして、兄貴は”貴族狩“なんかに、何で入ったのだろうって」


と言う八椥の言葉から、何故ノークスがカンノに真実を聞かされ、冷静な対応が出来たのかが、六椥にも分かった。ノークスは常日頃からそういう考えを持ち歩いていたから、冷静な対応が出来た。だが、事の重みに耐えられなくなったので、自分を戒める為に自虐行為に走った。そう理解した六椥は自虐行為をしていたノークスの、心理が分かった様な気がした。


「凄いな。で、ヤツはどうする気?僕がなんで”貴族狩“に入ったか?なんて、分かるのかい?」


「良くは分からないが、確信を持って言える事が一つある!」


「へー、確信?なんだい?」


と余裕の口調で言う六椥。すると、八椥は胸を押えながら息を落ち着かせる。


「兄貴は、優しくて友人を一人に出来ない性格だって事。そんな兄貴の事だ、ココに入ったのも、誰かに着いて来たとしか考えられない」


その言葉を聞いた時、六椥の先程までの余裕は消えていた。そして、溜息を吐くとその場に立ち止まり、声のトーンを落としてこう話し始めた。


「僕はそんな、優しい人間ではないんだけどね。
 僕は旦那とは古くからの知り合いでね、旦那が何で執事を辞めたのかも知っている。
 だから、僕は貴族をくだらないものだと思った。特にあのカンノという女はね。
 あんな目に会うのなんてごくごく普通の事だと聞いた、そんな職に憧れを抱くなんて間違いだと思った。
 僕が世から批判されれば、少なくとも日本町の人間は執事になろうなどとは考えなくなると思った。
 結果は行き過ぎて鎖国化状態にしてしまったが、目的は達せられた。
 僕はコレで良いと思っている、家族には迷惑をかけたと思っている。
 だが、人が人の運命を決めるのはおかしい、もう旦那の様に辛い思いを誰にもさせたくないんだよ」


と言う六椥は、下向き加減に俯き真に訴えかけて来るように真剣な口調だった。それを聞いていた八椥はフラッとしながら、体勢を立て直し姿勢を正しピシッと立つと、六椥に向かってこう怒鳴った。


「ふざけんな!兄貴は俺達を守ってたって言うのかよ!
 そんな、兄貴を俺達は憎んでたって言う事か、兄貴だけ悪役を演じる必要はない!」


「フッ、皆が皆、八椥みたく芯が強くはないんだよ。これが僕のやり方なんだよ。
 でも、今更、許してもらいたくて言ったんじゃないんだ。
 ヤツにだけは本当の事を知っててもらいたくなったんだよ。
 ただ、僕も中途半端は嫌だからね、最期まで悪役を貫くよ」


と言うと六椥は、八椥に向かって刀を構え一瞬で距離を詰め、押し倒した。土煙が舞い上がった。それをカウンターに隠れて見ていたランドネルトは、八椥の身を案じ、飛び出して行った。そして、ランドネルトが寄って行くと、土煙の中から二人の姿が見えた。六椥の刀は倒れていた八椥の顔の横の床に突き刺さっていた。

一方、八椥の刀は床に投げ出されていた。それを目にしたランドネルトは、歩みを止めた。何故なら、襲った六椥の顔が敵の顔ではなくなっていたからだ。

すると、六椥は身を振りだしながら八椥にこう言った。


「何故、斬らない!」


「斬れる訳ない。斬れって言っている兄貴を、俺は斬れない。それに理由があったなら、ちゃんと兄貴の口から日本町の皆に言うべきだ。悪役を演じたまま死のうとするな!」


と声を張って言う八椥は、とても押し倒されている人には思えないほどに、堂々として自分の言葉に自信がある様子だった。そんな八椥に六椥はノークスが重なって見えた。

柄を握っていた手から力が抜け、床に着いた。そして、弟を見下ろしながら切なそうな顔で、何処か嬉しそうに微笑んだ。


「そうだね、ココで退場なんて卑怯だよね」


すると、クスッと笑い、床に刺さっていた刀を抜き立ち上がると、鞘に納め手を差し出した。


「立てそうかい?ヤツ」


「当然だ。いつまでも子供ではないからな」


そう言って手に掴まってだったが、やっとの事で立ち上がり、手放した刀を拾う。下を向くと顔を歪ませ、そのまま床に倒れそうになる。その時、体を支えてくれたのは他でもない六椥だった。


「うん。
 成長した事は認めるけど、僕のフルパワーの蹴り食らっておいて、平気な程には成長してないし、
 僕も落ちぶれてないから」


「その言い方、腹立つ」


「ごめんね」


と言いながら背負う。すると、兄弟仲睦ましい所なんてお構いなしに、ランドネルトが六椥の前に仁王立ちしていた。その顔はまさしく鬼の形相だった。


「久しいな、六椥」


「本当、久しぶりだねランドネルト。トゥールシェさんは元気かい?」


「元気かい?ではない!
 何をやっているんだ!お前まで!」


怒鳴りながら詰め寄って来た。背負われている八椥は目を丸め、驚いているが、怒られている当の本人はケロッとして、普段と同じ表情でランドネルトと対峙していた。


「その言い方だと、旦那の正体は分かっている様だね」


「当然だ。俺の予想はどうやら当ったらしいな、まぁ、アイツがこんな事するのも無理はない」


「あの、二人は知り合いなんですか?」


後ろから遠慮がちに問いかける八椥。すると、ランドネルトは眉間に人差し指を当て、シワを寄せながら困った口調でこう言った。


「言っていなかったな、六椥もホーシック家で雇われていたんだ。しかも、トゥールシェさんの部下だった」


「昔の話さ。そう随分と昔の」


と言う横顔は何処かホッとしていた。そんな事を考えていると、ノークスの顔が脳裏に浮かぶ八椥。自分で立てない事を悔やんでも悔やみきらない、煮え切らない思いが渦巻く。

その時、ランドネルトと六椥は何かに気付き、三人は一先ず物陰に潜んだ。何かが凄い音と供に、二階の廊下からエントランスホールに落ちて来た。大気中の空気が乱気流を起こし、一目見ただけだと銀色の竜を思い浮かばせる。そんな中、乱気流の中から飛び出て来たのは、何か所か怪我をし服はボロボロになりネクタイは緩くなり、全体的に着崩れているイサミルだった。それを追いかけて飛び出して来たのは、同じ様に怪我をし、服は少し着崩れて、胸元がさらけ出されているニコルだった。


『!』


その場に居た全員が息を呑み、目を疑った。双方で最強である二人が対等に戦って、ほぼ互角の傷を負っていた事に。

そして、乱気流が治まり二人は、数メートル離れて一旦止まった。


「エントランスホールに出てしまいましたね、ニコル君。私にここまで着いて来るなんて、貴方が初めてです」


とまだ余裕がある事を示す様に、冷静に淡々と言ったイサミル。


「あっれ~?分かっててぇ、エントランスホールに出たんちゃうのぉ?
 てぇ~きり、アンタがわざとボクを誘導しとるんやとぉ、思っとったわぁ」


といつもの口調で不敵な笑みを浮かべて、平静を装うニコル。


「随分と安い挑発ですね。その様な挑発に私が乗ると思ったんですか?ニコル君」


語尾を一トーン下げて、敵意を再び見せた。それを見ていたニコルは、銃を持っていた手を左右に滑らかに振り、違うと言うアクションをした。


「ちゃうちゃうぅ、挑発じゃなくてぇ。…馬鹿にしてただけ」


途中までは普段のふざけた態度と口調だったが、最後の一言は戦い始めた時の様に、トーンを下げ、細い目を開き標準語になった。フラフラと宙を左右に振られていた銃は、振られていた最中に発砲された。一直線に首元に行ったが、あと少しと言う所で剣に跳ね返される。そして、相手の攻撃に乗じて距離を詰め、剣を振り上げるイサミル。その鋭い剣先は確実に捕えていたが、剣が当ったのは銃だった。


「だいたい、ニコル君がそんな喋りをする時はノークスお嬢様の前か、興奮している時、それと人をコケにしている時だけです」


「良く調べたな、さすが僕になりすます事はある」


「ふざけた口調は、真似しやすかったよ」


その言葉を聞いた時、初めてノークスと会って契約を結んだ時の事が、脳裏に蘇った。


ノークスの正体を知り契約をし、それまで使っていた言葉を標準語に戻した時、「口調はさっきまでのが良い」と言ってくれたのを思い出した。すると、銃から手を放し胸倉を掴み投げていた。宙に舞った銃が手の平に落ちて来ると、投げた方を鋭い眼光で睨み、怒りを露わにした口調でこう言う。


「お前がふざけた言うな!」


と言われたイサミルは、瓦礫を少し纏って立ち上がった。


「地雷でしたか?ニコル君。ノークスお嬢様に褒められた喋り方だったんですか?ですが、その思い出も皆、ノークスお嬢様は憶えていませんよ。そう、ニコル君の思い出は、最早ノークスお嬢様とは…」


と言いながら、体勢を立て直しピシッと立ち、前髪の陰で片目を隠し不敵な笑みを浮かべて恐怖を煽る様な口調でこう続けた。


「共有なんて出来ないんですから」


そう言われても、決して諦めの色を見せない瞳は、怒りの炎が宿っているかの如く赤い。瞳の色とは裏腹に、表情は何か勝算があるかのごとく不敵に口角を上げていた。

それが現在、誰にとっても意味が分からない現象だった。




   ***




 そしてニコルによって、部屋に閉じ込められてしまったノークスは、ひたすらドアを力いっぱい叩いていた。時間を追うごとに聞こえる下の激闘の音、それを耳にするごとに叩くスピードは増す。当然、誰も来る事はなかった。


「なんで、誰も来ないの?!イサミル!イサミル!!」


言い終わると、力尽きた様に叩くのを辞め、ドアに額を押しあてた。目を瞑り数十分前に、目にした悲しそうな目をした族の事を思い出していた。

彼を知っている気がする。何者なのか、何故あんな悲しそうな目をしていたのか、その三つが頭の中を駆け巡る。思い出そうとすると頭痛がし、頭を片手で抑えなくてはいられない。


「なんなの?あの人!何でこんなに頭が痛い!」


と自問自答すると、頭の中に族の顔が浮かんだ。先程、殴った時に族が言っていた言葉。



             ―…思うとったよりぃ、堪えるわぁ―


何が堪えたのか、平手打ちが思っていたより重いと言う事だったのか。あるいは、別の意味があるのかと考えた。思考を回そうとすると、頭痛がひどくなり立っていられなくなった。ずり落ちる様に床にペタッと座った。


「はぁ…、何が私の頭の中を乱してるのよ!」


拳を床に力いっぱい叩き付け、苛立ちを紛らわせようとした。痛みは激しくなるばかりで収まる事を知らない。何とか部屋の中心にある椅子の所まで這って行き座った、テーブルには零した紅茶と、まだ半分入っているティーカップが置いてあった。


「紅茶…」


紅茶を見ていると、頭の中で声がした。


                ―お嬢ハンの好みが分らんかったからぁー


と言うのは先程の族に良く似た声だった。その後に自分の声と思われる声でこう続く。


    ―私の好みは教えない、毎回ニコルが選んで、探せば良いだろう?その方が楽しいんじゃない?―



楽しそうに話していた。名前をよんだであろう肝心な処は、雑音と激しい痛みで聞き取れなかった。しかし、一つハッキリした事があった。


「この会話は、イサミルとしたものでない…」


疑念と不信感が好奇心を誘う。先程までの弱々しい態度とは変わり、腕を組み鋭い眼光で何かを考え始めた。

そして、徐に指輪をいじり始めた。隠しボタンを見つけ押してみると、空中に何かが映し出された。非常時に備え、肌身離さず付けていた指輪型プロジェクター。映し出されたのは執事の契約書、会社の状況、日記。この三つ。執事の契約書にイサミル達の名前はなく、明記されているのは三名。下から順にニキ・アードネルト、神流八椥、ニコル・ファンジスタ。それを見ると、イサミルに疑念を抱かずにはいられない。


「イサミル…、何をしている」


独り言が部屋中に、静かに響く。さらに、日記を大方見ると、三年前にイサミルがカンノの罠に落ちて執事を辞めた事が記してあった。

そして三年後、エリルに連れられスカード主催のパーティーに行った時に、ニコルと言う執事を雇った。日記を見る限り相当、厄介な執事と推察した。ある日を境に、行動ばかり記した日記が一変し、感情も記すようになっていた。少し読んでみる事にした。
 
 ー今日は、さんざんな目に遭った。学園に”貴族狩“が乗り込んで来て、仲間に入らないかと交渉をして来た。
  勿論、断ったが逆上したコルネリッドと言うヤツが、私の足に鎖を突き刺した。
  何日間か歩けないという話だ。それだけなら良かったのだが、ニコルに弱点を指摘され、
  乗り越えないといけないと言われ、つい泣いてしまった。
               泣き顔を見せるなど、私にとってニコルは大きな存在になりえる人物だー


その日の日記は、終わっていた。読んでいると頭痛がひどくなり、最後には気を失った。眠りに落ちると花畑のド真ん中に横になっていた。そんなあり得ない状況、直ぐに夢だと理解し上半身を起こし、周りを見渡すと真正面からある男性のシルエットが近づいてくる。何処の誰なのかは依然として分からない。


               ―僕の事ぉ、忘れとるん~?いけずやなぁ―


ただ言える事はその声は、とても心地よく、安心できると言う事。


           ―僕の事ぉ、思い出さんてもいいからぁ、自分の事位は思い出しぃや―


と言って手を差し出して来た。スッと伸びて来たのに驚いて、ハッとして手を引いてしまうと、目の前に居た人は座り込み、横座りをして嘆くポーズをとり項垂れている。


            ―酷くあらへんッ?まだ、なっんにっもしてへんよぉ、僕ぅ―


「すっ、すまん、ちょっと黒いモノに触られるのに慣れていなくて」


           ―黒いモン~?あんなに黒い奴に触られとってぇ、良く言うわぁ―


「黒いモノに触られていた?私が?」


   ―そうやでぇ、ゴッツ真っ黒いモンがベタベタとぉ。こりぁ、帰ったらお風呂で洗い落とさんとぉ―


「そんなに、黒いモノに触られてたの私?」


    ―そうやでぇ、僕が居ぃひんからってお嬢ハンにベタベタとぉ。お嬢ハンもお嬢ハンなんやでッ!
                         あんなにベタベタとぉ、しかも嬉しそうにッ!―



喜怒哀楽が激しい、という印象に尽きた。男性は立ち上がりもう一度、手を差し出した。


  ―この手ぇを取ればぁ、全部思い出せるんやッ、嬉しい事も苦しい事も忘れていた方がエェ記憶も全部。
             取らないとぉ、苦しい事も忘れた方がエェ記憶も嬉しい事も忘れたまんまやぁ―


「何で不利な事を言うのよ?話の内容から言って、君は私に思い出して欲しい側の人間だ。
 なのに、あえて不利になる選択肢を言ったのは何故だ?」


  ―だってぇ、悔しかったけどさっきのお嬢ハンも幸せそうやった。
          僕は無理矢理ぃ、お嬢ハンの幸せを壊しとぉないんやぁ。せやからぁ、選んでもらうぅ―


「成程、今の私がこの状況にあるのは、誰かが無理矢理こうなる状況を作ったのか。よし、決めた」


そう言い終えると、立ち上がりながら差し出された手を取った。すると、男性を覆っていた黒いシルエットが花弁になり散っていく様に剥がれた。

そして、何もかもが一瞬で蘇った。なにがあって、誰が仕組んだ事なのか、誰がココに連れて来たのか。それを思うと男性の胸の中で拳を握った。すると、拳を包み込むように黒の手袋をした大きい手が優しく触れられていた。上を見上げるとそこにいて抱きしめてくれていたのは、背も高く、スラッとした細身、しなやかな腕に優しく包み込まれる体感。細い指をした手で優しく頭を撫でてくれた、先程見た族の顔があった。


「ニ…コ…ル」


                ―良く出来たなぁ、お嬢ハン―



あやす様に撫でていた手に安堵し、一筋の涙が頬を伝う。その涙があまりにも綺麗だったからか、顎を手で抑え頬に、わざとリップ音を出しながら口付けをした。一瞬の事で何が起こったのか分からなかったが、唇が離れるとようやく理解し赤くなるノークス。


   ―こんなもんでぇ、そない真っ赤にならんとってやぁ。まだ夢の中やでぇ、ココ。
       現実じゃあらへん~、お嬢ハンの深層心理ってとこやなぁ、
                           そんなトコに僕が居るなんてぇ、嬉しいわぁ―


「えっ?ニコルがさっき会った時、何かしたからここに居るんじゃないの?」


   ―してへん、してへんッ。
         この僕は僕であって僕じゃない、お嬢ハンの中の僕。
           つまり、ノークス・ホーシックがイメージした、ニコル・ファンジスタって事やぁ―


「どおりで、誠実だと思った」


             ―人を不誠実扱いするんのはぁ、止めてぇなッー


「でも、今いるニコルが本物じゃなくて、良かった」


ホッとした様な口調で言うと、ニコルの頬に両手を添えて爪先立ちをした。その時、辺り一面に咲いていた花が、風で舞い上がったと同時にノークスは姿を消した。その場に残っていたニコルは、少し頬を赤らめていた。


             ―確かに…、これならノーカウントやからなぁ―



と呟き、上を見上げた。


         ―…気張りぃッ、お嬢ハン。アイツ等止めんのは、お嬢ハンの役目やぁ―


目を覚ますと、先程までとの景色とは一変、眠る前に居た部屋の中に戻った。頭痛はすっかり治まった様子。テーブルに倒れていた上半身を起こし、余裕の表情で椅子に座り直した。ティーポットに手を伸ばしカップに注ぐ、注がれる紅茶は静かにゆっくり落ちて行く、口切りいっぱいまで注いだ。別に喉が渇いていた訳でもなく、程良い量を知らない訳でもなかった。カップから紅茶は零れなかったが、表面張力で少し触ったら零れそうなほどだった。


「これが、今…」


そう言って目線までカップを持ち上げ、淵切りいっぱいの所で留まっている紅茶を見ている。そして数秒後、一階の激しい振動によって、紅茶はカップから一筋、外側を伝い零れ落ちる。


「落とさない」


ポツリッと呟き、零れている紅茶を舐めた。そのまま、注いである紅茶を呑んだ。飲み終えると、そっとテーブルに置いた。クスッと口角を上げた。だが、その笑みはここ二週間の穏和なモノではない、ニコル達といる時の様に、気品に溢れる凛とした姿勢、美しく艶やかで危険な雰囲気を醸し出し、鋭い漆黒の眼光は何を考えているのか分からない。完全復活を遂げたノークスは、立ち上がり窓辺に向かう。



***





 その頃、何も知らないイサミルはニコルと対峙していた。有利になる様に先程、脅迫めいた事を言った。なのに、恐怖に怯えるのは愚かこちらを煽る様に、余裕の笑みを浮かべている。だんだんとその不審な笑みに恐怖を覚えて来た。すると、ニコルの口が開く。


「共有なんてぇ、せぇへんでもえぇ。例え思いださへんかったとしてもぉ、かまへん。アンタの事を好き言うてもえぇ、お嬢ハンが生きてる事が大前提なんやぁ!」


「随分と正義を語ってくれるよね、ニコル君。で、それで君は良いの?」


「そうやぁ、それでえぇ」


「へー、驚いたね。乗り込んできた時は、僕を許さないとか言っていたくせに今になって、ノークスお嬢様が生きている事が大前提なんて、欲のない事なんか言って。まぁ、その意見には賛成だけど、僕もノークスお嬢様が生きて居なければ、こんな事をした意味がないからね。で、本当の所はどうなの、その自信はどこから来るんだい」


と呆れながら聞くと、胸に空いている手を当て格好を付けた。


「そやなぁ、略奪愛って言うんも、なかなかオツなもんやろぉ」


「ニコル君って性格悪いよね」


「アンタと比べたらぁ、マシちゃうん~」


そう言われると、ニコリッと愛想笑いを浮かべ一瞬で間合いを詰め、剣を振った。しかし、手応えは変わらず無い。切っ先を見ると再び銃で受け止められていた。


「私と君を比較するのは止めてもらいたい、私はノークスお嬢様に執事としてお仕えしているのです。
 君の様によこしまな感情を抱いたとしても、自重出来ます」


「随分と言ってくれるやないけぇ、僕が乗り込んだ時ぃ、お嬢ハンにキスしようとしてたのはぁ、何処の誰や!」


「拒まれませんでしたから。それに、私がお育てした大切なお嬢様を私の後釜である執事に取られるなど…、
 考えるだけで気分が悪いのですよ。男性を見分ける目も教えておくべきでした」


自分の汚点をうまく庇い、相手をけすす言葉を言う。すると、ニコルはムッとした表情を一瞬見せ、剣を振り払い素早く照準を定め引き金を引いた。レーザーは迷いもなく足を狙って来た、寸前で避ける事に成功した。


「今のはムカついたぁ。まるで僕が自重出来ないフェロモン気質な奴みたいな言い方ぁ、やめてぇやぁ」


周囲に隠れていた同僚達は目を見開いていた。その眼差しに気付いたのか、キョロキョロ首を振り同僚を見た。すると、物陰に隠れていた六椥に似ている顔が出て来た。弟の八椥だと一目瞭然だった。


「ニコル、お前アレをフェロモン気質と言わず何と言う」


「フェロモン気質や~ないッ!僕はお嬢ハンの詰め寄られた時に見せるぅ、あの赤い顔が好きなんや!」


と勢い良く断言した、周囲は呆れた顔をしていた。だが、その言葉の意味を瞬時に理解したのは、対峙している者だけだろう。ノークスが顔を赤く染めたと言う事は、それだけニコルが気になっていると言う事。そして、少なからず一回は至近距離をとった事があると言う事を意味していた。その時には、もう体が勝手に剣を振っていた。珍しく避けて回避された。


「あぶっなぁッ!アンタ今カチンって来たやろぉ」


「えぇ、嫌味な狐の挑発に乗ってしまいました。私とした事が、つい本気を出してしまいました」


剣を振り下ろした所は、そこだけ重力が増したように、直径一メートルの円形状にヒビが深く入っていた。


「さすがぁ、僕の前任者ぁ一振るいであそこまでとはなぁ。今までは遊びっちゅ事かいなぁ」


「いいえ、私もニコル君を舐めていました。まさか、あの一振りの威力を察知し避けるとは、てっきり今までの様に受け止めるのかと思いました。受け止めてもらえば、腕の一本は折れましたのに残念です」


「悪かったなぁ、僕そういう危機察知能力は高いからぁ。まぁ、お嬢ハンの蹴りだったらぁ、話は別やけどなぁ」


「ノークスお嬢様が蹴りなどする筈がありません。あのおみ足に蹴られたいなどと、君の変態思考を押しつけるつもりなら、他の主人の所へ行ってください」


再び構えながら言う。すると、ニコルは少し眉間にしわを寄せていた。そして、発砲音がしたかと思うと、既に右の横腹が打ち抜かれていた。服にジワジワと染み渡っていく、黒ずんだ赤。手で抑え、見ると掌には鮮やかな赤がベトッと着いていた。


「油断禁物って言うやろぉ。今のは『ちん』、静かに姿も見せず標的を撃ち抜く、この銃の技なんやぁ。アンタのさっきのと同じぃ」


「全く油断も隙も作れませんね、君相手では。では、そろそろ本当にヤバいので、二本目を抜きましょうか」


「何言うてるんやぁ?一本しか持ってないやん」


「持ち歩く必要なんて、今までありませんでしたから、持っていませんよ」


とニヤリと俯きながら笑うと、周囲に居た同僚の一人が気付き、叫んだ。


「後ろだ!狐!」


その声に反応し、後ろから飛んで来る剣をスレスレで避ける。剣は手に収まると静かになる。


「動く剣やてぇ~!聞いた事あらへんなぁ」


「バカッ、動く剣な訳ないだろう?」


としゃしゃり出て来たのは、見覚えのある顔だった。


「誰かと思えば、久しいねランドネルト」


「こんな所で何をしている!イサミル」


「何をって、決まっているだろう?ノークスお嬢様が暮らす為の世界を作り直そうとしているんだよ。
 君達が居る世界はただノークスお嬢様には、小さくて邪悪なだけだ。だから、私が作り直す。
 貴族や一般人の垣根などなくして、好きなように生きてもらうんだよ」


と言うとランドネルトは溜息を吐く、目を伏せ少し顔を左右に振った。


「そこまで行くと、まるで中毒患者だな、イサミル。お前はノークス様の為にその身を犠牲にし、
 執事を辞めたのではなかったのか?今になって何故、ノークス様を苦しめる真似をする」


「似た様な事をニコル君にも言われたよ。私がノークスお嬢様を苦しめる?意味が分からないね。ノークスお嬢様は私といる方が幸せなんだよ、人に気を使う苦労も、自分が狙われる心配も、疎ましく思われる事も無くなるんだから」


「今のお前を見たら、ノークス様はなんと言うと思うんだ」


ランドネルトは歯を食いしばり、怒鳴りたい気持ちを押し殺し問いかけた。それに応えた。


「何を言い出すと思えば、ランドネルトらしいね。でもね、今のノークスお嬢様は私が執事をしている頃に戻っているんだよ。君達の言う事なんて、私の言う事の足元にも及ばないんだよ」


「ノークス様は、お前を実兄の様に慕い、頼りにしていた。そんなお前が人の道を外していると知ったら、さぞや悲しまれる」


必死に説得を続けるランドネルトの情熱も虚しく、言われれば言われただけ黒く染まっていくのが自分でも分かる。そして、誰にも語った事のない本音を口にする。


「私もカンノ様に貶められ執事を止めた時、心が黒く染まって行くのを感じました。
 それが最初は怖かった、苦しかった。もうノークスお嬢様の隣には戻れないと悟りました。
 二度と光り輝くあの方の隣には行けない。だけど、黒く染まっていく内に気付いたんです。
 光り輝くから狙われたり、疎まれる。だったら、皆と同じようにまたはそれ以下にしてしまえば、
 ノークスお嬢様は安心して生きられる。そして、光りではないのなら私も隣に行ける。
 黒く染まらせるのは簡単…、だからカンノ様と手を組みました。
 あの方はカンノ様にだけは、憎しみを抱きやすいから」


そう言いかけた瞬間、頬に痛みを感じ、袖で拭うと真新しい血が付いて来た。それを確認すると目の前に居たランドネルトの後ろで銃口をこちらに向けている赤い瞳が獣の様なニコルがいた。ランドネルトも突然の発砲に言葉を失っていた。


「ランドネルトさん、もう何言っても無駄です。もうお嬢様とランドネルトさんが知っている、イサミル・レン―シックはいません」


冷たい声色と敬語、赤い瞳が氷の様に冷たい眼光。今すぐにでも殺したいと言いたそうなのが分かる、そう言う瞳をして銃を構えられていると、流石に手汗が出て来る。


「殺すのかい?私を。執事が人を殺めた手で、主君に触れるのかい?」


「奪還する邪魔をした貴方がいけない。それに、最初から考えていたんです」


「何をだい?」


「貴方を求めるノークスお嬢様を、どうにかしたいと。そして、今まで私が貴方を求めるノークスお嬢様を包み込んできました。ノークスお嬢様もやっと、貴方より私を見てくれるようになりました。不器用ですから、愛情表現が下手でしたが、前に進もうとしていました」


「それは、危なかったですね。まぁ、君の方に気持ちが行っていたから、ノークスお嬢様は君を庇って私の下に来て下さいました」


「貴方は易々とその気持ちを利用し踏みにじり、なかった事にしました。
 貴方に何があったのかは知っていますが、私にとっては”ノークスお嬢様の為“とか言っていますが、
 貴方の為にしか聞こえません。結果的にはこの行動には、ノークスお嬢様のお気持ちは入っていません。
 ただの貴方のノークスお嬢様とこうありたいと言う、理想でしかない。
 私にはカンノ様と貴方は差して変わらない、寧ろ貴方の方が酷いです」


そう言い終わった時、ニコルの頬に刃を突き立て、血が一筋流れた。怒りに身を任せ、剣を突き付けていた顔は、目を見開き動向も大きかった。


「ニコル君、言葉には気を付けてモノを言う事だね。私がカンノ様と変わらない?何処をどう見たら、そんな見解になるのか全く持って理解不能だね。それに私を求めていたノークスお嬢様が、君みたいな軽薄そうで外見だけの執事に想いを寄せる訳ないだろう」


「それはあなたの思い込みだ。
 それにノークスお嬢様は真面目な堅物よりも、少しエキサイティングな方が好きみたいですけど?」


「いいえ、ノークスお嬢様は清楚で可憐なお方。
 私の様な深い愛情を持ち、且つ、誠実に付き合えなくてはいけません」


「いいや、ノークスお嬢様は気さくで怖がり屋。
 私の様に歩幅を合わせながら育てていく度量を持ち、且つ、時には大人のやり方をお教え出来なくてはいけません」


言い合っていると、間に居たランドネルトは頭を抱えこう言った。


「真面目な場面で何を言っている!お前達、そんな色目でノークス様を見ていたのか!?」


ついにキレた。だが、そんな正論の域など越えていた。


『当然です、少し黙っていて下さい!』


とココだけは息が合い、同じ言葉が出た。その時だった、階段の方からミシッと言う音が聞こえた。誰もが想像をしていなかった人物が立っていた。もしかしたら、一人いたのかもしれない、どんなに不利な事を言われても、どんなにボロボロになろうとも、余裕の笑みを浮かべていた、赤目の狐だけは確信を抱いていたのかも知れない、階段に現れる人物が絶対に来る事を。

その証拠に剣を突き付けられて、先程までの人を殺そうと言う顔が無くなっていた。今はあの余裕の笑みが浮かんでいた―。








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