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第3章:エルフの森と家出魔導士
第二十五話:三度目の正直?盗賊団アルセーヌ
しおりを挟む宝石の街ジェミニアでの一日は、夢のように過ぎていった。
昼間は太陽の光を浴びて、街そのものが巨大な万華鏡のように輝き、夜になれば、今度は家々の窓辺や街灯に埋め込まれた魔光石が、満天の星空を地上に映したかのように、優しく、そして幻想的にまたたき始める。
俺たちは、街一番と評判の宿の、豪華で、しかし落ち着いた雰囲気の食堂で、少し遅めの夕食をとっていた。テーブルの上には、この地方特産の岩塩で焼かれた香ばしい鳥料理や、木の実とチーズがたっぷり入ったパン、そして色とりどりの温野菜が並んでいる。
「うめえ!この肉、皮がパリッパリで、中から肉汁がじゅわーって出てくるぜ!」
サラは、昼間の落ち込みが嘘のように、骨付き肉にかぶりつきながら、満面の笑みを浮かべている。彼女の幸せの沸点は、基本的に胃袋と直結しているらしい。実に分かりやすくてよろしい。
「まあ、このパンも、焼きたてでとても美味しいですわ。ルナ様、どうぞ」
「ありがとうございます、セシリア様。あ、こちらのスープも、お野菜の優しいお味がしますわね」
セシリアとルナは、お互いに料理を取り分け合いながら、にこやかに食事を楽しんでいる。昼間に買ったお揃いの髪飾りが、燭台の光を浴びて、彼女たちの髪でささやかにきらめいていた。
「ふん。まあ、素材の味を活かした調理法は、悪くない。我が故郷の宮廷料理も、基本はこのスタイルだ」
ティアナは、そう言いながらも、その口は休むことなく動いている。どうやら、この街の料理は、最強魔導士様のお口にも合ったようだ。
グラン爺は、地元のドワーフが醸造したという、芳醇な香りのエールをちびちびとやりながら、今日手に入れた鉱石の専門書を、うっとりとした表情で眺めている。十兵衛は、言うまでもなく、夕方前に消えた酒場から、まだ戻ってきていない。
平和だ。
なんて、満ち足りた時間なんだろう。
俺は、そんな仲間たちの姿を眺めながら、ゆっくりとハーブティーを口に含んだ。鼻に抜ける、爽やかなミントの香り。窓の外から聞こえてくる、遠い喧騒。目の前にある、仲間たちの笑顔。
この、何でもない、ありふれた時間の、なんと尊いことか。
そんな穏やかな雰囲気を、破るように。
食堂の扉が勢いよく開き、慌てた様子の宿の主人が、声を張り上げた。
「大変だ!皆さん、聞きましたかい!?あの有名な盗賊団『アルセーヌ』が、この街の王立博物館に展示されている、至宝『巨人の涙』に、予告状を送りつけてきたそうですぜ!」
その一言で、食堂の空気は一変した。
あちこちのテーブルから、「なんだって!」「またあの盗賊団か!」「今度こそ捕まえられるのか?」といった、興奮と不安が入り混じった声が上がる。
俺たちのテーブルも、例外ではなかった。
「アルセーヌですって!?」
セシリアが、素っ頓狂な声を上げる。
「げっ、あいつらかよ!水の街で、あたしたちが捕まえた……っていうか、勝手に捕まってた、あのマヌケな三人組か!」
サラが、骨付き肉を片手に、ガタッと立ち上がった。
「ふん、愚かな者たちだ。我という最強の存在が、この街に滞在していることを知らぬと見える」
ティアナが、不敵な笑みを浮かべる。お前はさっきまでモンブランで幸せになっていただろうが。
「ほう、あの盗賊団が。懲りない奴らじゃのう」
グラン爺が、面白そうに目を細めた。
アルセーヌ。
水の街で二度、俺たちの目の前で、信じられないほど間抜けな理由で捕まった、あの三人組の盗賊団だ。リーダーで変装の名人を自称する美女・ルージュ。筋骨隆々の巨漢だが、気が優しいゴードン。そして、気弱な天才ハッカー(この世界では、からくり師か?)のハック。
彼らが、今度はこの街に。
しかも、狙いは街の至宝、『巨人の涙』。
(……ああ、嫌な予感がする)
俺は、静かに眉をひそめた。
せっかく手に入れた、この穏やかな時間。それが、また、予測不能なカオスの渦に飲み込まれていく。そんな、確信に近い予感が、俺の背筋を、ぞわりと撫でていったのだ。
***
その予感は、悲しいかな、完璧に的中することになる。
深夜。
ジェミニアの街が、宝石の光を纏ったまま、深い眠りについている頃。
三つの影が、月明かりを背に、王立博物館の屋根の上を、猫のようにしなやかに疾走していた。
「……よし。周囲に警備の気配はないわね。ハック、内部の魔力探知トラップは?」
影の中心、リーダーのルージュが、囁くように問う。彼女の瞳は、獲物を狙う猫科の獣のように、鋭く輝いていた。
『問題ありません、ルージュさん。僕が作ったこの新型ジャマーで、半径五十メートル以内の魔力探...知は、完全に無力化しています。ゴードンさん、ポイントBへ』
彼女の耳につけられた、小さな通信機から、気弱そうな少年の声が響く。
『おう、任せとけ!』
巨漢の影、ゴードンが、天窓のそばにある巨大な石のガーゴイル像を、まるで発泡スチロールでできているかのように、音もなく、持ち上げた。その下から、内部へと続く侵入経路が現れる。
「ふふふ……完璧よ」
ルージュは、満足げに微笑んだ。
「前回、前々回の水の街での失敗データは、全てインプット済み。あの忌々しい冒険者ども……特に、あの金髪の脳筋女と、歩く災害のようなクルセイダー。あいつらの行動パターン、思考、ドジの傾向に至るまで、ハックが完璧に分析し、シミュレーションしたわ」
『はい。算出されたデータによれば、あの二人が、今夜、この博物館に現れる確率は、天文学的に低いです。限りなく、ゼロに近いです』
「そうよ。三度目の正直。今度こそ、邪魔は入らせない。我々の完璧な計画の前に、いかなる偶然も、不確定要素も、入り込む隙など、ありはしないわ!」
彼女たちは、静かに、しかし確実な自信と共に、闇の中へとその身を滑り込ませていった。
彼らは知らない。
この世界というシステムは、完璧な計画を立てれば立てるほど、予測不能なカオティック・アトラクターに引き寄せられていく、という無慈悲な法則があることを。
そして、そのアトラクターの核が、今まさに、宿屋の一室で、暇を持て余しているということを。
***
「うーん、なんだか、眠れないわね……」
宿屋の一室。
サラは、ベッドの上で、ごろごろと寝返りを打っていた。
昼間の興奮と、夕食後の満腹感、そして、まだ宵の口だという時間。その全てが、彼女から安らかな眠りを奪っていた。
「あら、サラもですか?私も、少し目が冴えてしまって……」
同室のセシリアが、窓辺の椅子に腰掛けたまま、静かに微笑んだ。
彼女は、窓の外、月明かりに照らされた、宝石の街の夜景を、うっとりと眺めていた。
「月明かりに照らされた博物館も、昼間とは違って、とても神秘的で素敵ですわね。まるで、おとぎ話のお城のようです」
「博物館?」
その言葉に、サラが、がばりとベッドから身を起こした。
「ああ、あの、あたしが気に入った剣が飾ってあった、武器屋の隣のか!よし!」
サラは、何を思ったのか、勢いよくベッドから飛び降りると、部屋着のまま、剣だけをひっつかんだ。
「ちょっと、夜の探検と洒落込もうぜ、セシシア!このまま部屋でじっとしてるなんて、性に合わねえ!」
「ええっ!?こ、こんな夜更けにですか!?だ、駄目ですわ、サラ!街の衛兵に見つかったら……!」
「大丈夫だって!ちょっと、あの博物館の周りを、ぐるっと散歩してくるだけだからさ!な、行こうぜ!」
サラは、有無を言わさず、セシリアの手を引いた。
セシリアは、「きゃあ!ま、待ってくださいまし、サラ!」と、悲鳴に近い声を上げながらも、その強引な力に、ずるずると引きずられていく。
二人は、誰にも見つからないように、そーっと、宿屋を抜け出した。
その行動に、深い意味も、悪意も、何もない。
ただ、眠れないから。
ただ、夜の街が綺麗だから。
ただ、ちょっとした冒険気分を味わいたいから。
そんな、ごくごく単純で、純粋な動機だけが、彼女たちを、運命の場所へと導いていったのだ。
***
「……着いたわ」
王立博物館、中央展示ホール。
月明かりが、高い天井の天窓から、まるでスポットライトのように差し込み、ホールの中央に置かれた、一つの展示台を、神秘的に照らし出している。
ルージュ、ゴードン、ハックの三人は、息を殺して、その光景に見入っていた。
展示台の上。
ビロードのクッションの上に鎮座する、それ。
人間の頭ほどもある、巨大なダイヤモンド。
その内部からは、まるで自ら光を放っているかのように、青白い、冷たい輝きが溢れ出している。
『巨人の涙』。
かつて、天を衝く巨人が、愛する者を失った際に流した一粒の涙が、長い年月をかけて、この地上で最も硬く、最も美しい宝石になったという、伝説の秘宝。
「……美しい」
ルージュが、恍惚の息を漏らす。
『すごい……これが、伝説の……』
通信機越しのハックの声も、震えていた。
「よし。最後のセキュリティを解除するわよ。ハック、準備はいい?」
『はい。いつでもどうぞ』
ルージュは、展示台に近づくと、その表面を覆う、不可視の魔力障壁に、そっと指を触れた。ビリリ、と微かな抵抗が、指先を痺れさせる。
彼女は、懐から取り出した、細い銀の針を、障壁の、ある一点に、慎重に突き立てた。
「……第一次魔力回路、遮断。第二次物理防衛、解除。最終パスコード認証……ハック!」
『来ました!……解析開始……パターン照合……よし、突破!今です、ルージュさん!』
ルージュの指先が、障壁の内部に、滑るように侵入していく。
目の前には、ただ、伝説の宝石があるだけ。
警報は、鳴らない。
邪魔者も、いない。
「ふふ……ふふふふ……!やったわ!やった!完璧よ!これぞ、芸術!これぞ、怪盗アルセーヌの真骨頂!」
彼女の口から、抑えきれない笑いが、込み上げてくる。
長年の夢だった、大陸一の秘宝。それが、今、まさに、この手に。
水の街での、二度にわたる屈辱的な敗北。その全てが、この瞬間のためにあったのだ。
彼女が、震える指を、『巨人の涙』に、伸ばした、その時だった。
一方、その頃。
博物館の、正面玄関ホールでは。
「うーん、やっぱり、鍵がかかってるみたいだなあ」
サラが、重厚なオーク材でできた、巨大な扉を、ぐいぐいと押しながら、唸っていた。
「当たり前ですわ、サラ……。夜なのですから、施錠されていて当然ですわ……。もう、諦めて、宿に戻りましょう?」
セシリアが、呆れたように、ため息をついた。
その時、彼女の足元で、何かが、カラン、と小さな音を立てた。
見ると、それは、滑らかに磨かれた、小さな丸い石だった。この街の美しい石畳から、何かの拍子に、一つだけ、こぼれ落ちてしまったものらしい。
「まあ、綺麗な石……」
セシリアが、それを拾おうと、無意識に、屈んだ。
「よし、セシリア!あたしが『せーの』って言ったら、一緒に、思いっきり、この扉を押すんだ!そしたら、開くかもしれねえ!」
「ええっ!?む、無茶ですわ、サラ!」
セシリアが、顔を上げる。
その、まさに、その瞬間。
サラが、渾身の力を込めて、扉を押す準備を始めた。
「いくぜ!せーのっ!」
「きゃあっ!」
セシリアは、立ち上がろうとした拍子に、さっき自分が気づいた、あの、小さな、丸い石に、完璧なタイミングで、足を滑らせた。
つるんっ、と。
まるで、手練れの芸人が、バナナの皮で滑るかのような、見事なまでに、完璧なスリップ。
彼女の体は、慣性の法則に従って、美しい放物線を描きながら、前方へと、勢いよく、射出された。
その先には、玄関ホールの中央に、見事な装飾品として飾られていた、一体の、ピカピカに磨き上げられた、巨大な騎士の全身鎧(フルプレートアーマー)が、あった。
***
ドンッッッッッッ!!!!という、凄まじい轟音。
そして、一瞬の静寂。
ガシャン!
ガシャシャン!
ガッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!
それは、もはや、破壊音のシンフォニーだった。
セシリアが激突した騎士の鎧は、見事なドミノの最初の一枚となった。
それは、ぐらり、と傾くと、隣にあった、古代の壺が飾られた展示台に激突。
展示台は、その衝撃で、美しい軌跡を描いて宙を舞い、壁に飾られていた、巨大な剣のレプリカにヒット。
剣のレプリカは、留め金が外れ、振り子のように揺れると、その切っ先が、反対側の壁にあった、巨大なタペストリーを吊るしていたロープを、見事に切断。
巨大なタペストリーは、まるで舞台の緞帳が落ちるかのように、その下にあった、無数のガラスケースを、一斉に、薙ぎ払った。
ガラスが砕け散る、甲高い悲鳴のような音。
金属が歪む、鈍い呻き声のような音。
そして、最後に。
騎士の鎧から外れた兜(かぶと)が、大理石の床を、カラカラカラーン……と、物悲しい音を立てて転がり、ぴたり、と止まった。
その、完璧なまでの静寂を、切り裂いたのは。
**ファンファンファンファンファンファンファンファンファンファン!!!!!!**
鼓膜を突き破るような、けたたましい警報音と、博物館全体を、悪趣味な赤色に染め上げる、閃光だった。
***
中央展示ホール。
『巨人の涙』まで、あと、数センチ、というところで、ルージュの指は、凍り付いていた。
「…………え?」
背後で鳴り響く、地獄の釜が開いたかのような、破壊音と、警報音。
何が、起きた?
どこから?
どうして?
完璧な、はずだったのに。
次の瞬間、博物館の、ありとあらゆる扉や窓が、蹴破られんばかりの勢いで開き、武装した衛兵たちが、雪崩を打って、なだれ込んできた。
「「「「侵入者だ!取り押さえろ!」」」」
「…………」
ルージュは、ゆっくりと、ゆっくりと、振り返った。
その視線の先。
破壊の限りを尽くされた、玄関ホールの惨状の中心で、腰を抜かしてへたり込んでいる、金髪のクルセイダーの少女と、何が起きたか分からず、きょとんとしている、赤毛の戦士の少女の姿が、あった。
「あ」
ルージュの口から、か細い声が、漏れた。
見覚えが、ある。
いや、ある、どころではない。
この世で、忘れたくても、忘れられない。
悪夢にさえ、出てくる。
「…………なんで?」
ぽつり、と。
彼女の、美しい瞳から、一筋の涙が、こぼれ落ちた。
「なんで……?」
完璧な計画。
完璧な仲間。
完璧な実行。
そこには、失敗する要素など、何一つ、なかったはずなのに。
「**なんで、あなたたちが、いつも、いるのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!**」
その、魂からの絶叫は、鳴り響く警報音の中へと、悲しく、虚しく、吸い込まれていった。
その隣で、ゴードンとハックは、静かに、天を仰いでいた。
「……もはや、これは、呪いの類だな」
「……はい。我々の計画に、『あの二人』という、予測不能な不確定要素を、変数として組み込むのは、現代の科学技術では、不可能です……」
三度目の正直は、なかった。
彼らは、三度目も、あっけなく、そして、これまでで最も、理不尽な形で、捕まったのだった。
俺は、その一部始終を、博物館の向かいの建物の屋根の上から、静かに、見届けていた。
(……だから、言わんこっちゃない)
完璧な計画など、この世には存在しない。
世界は、無数の、予測不能な要素の、相互作用でできている。
その中でも、サラとセシリアという二つの要素が組み合わさった時に生まれる、破壊的なまでのカオスは、もはや、神の御業の領域だ。
俺は、大きく、一つ、ため息をつくと、面倒なことになる前に、そっと、その場を立ち去るのだった。
明日の朝刊は、また、賑やかになりそうだ。
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