神の力を隠して平穏に暮らしたいのに、俺がくしゃみしただけで伝説の竜が死ぬし、聖女や姫に勘違いで崇められて困る。

カインズ

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第3章:エルフの森と家出魔導士

第二十八話:夜空の奇跡

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世界から、音が消えた。
いや、正確には、自称・最強魔導士ティアナの、魂からの号泣と、それに対する仲間たちの怒涛のツッコミという、この世で最も緊張感のない音が、改造グリフォンの、全てを嘲笑うかのような甲高い咆哮によって、無慈悲に、かき消されたのだ。

「一旦、引くぞ!」

俺の叫び声は、ほとんど悲鳴に近かった。
サラが、泣きじゃくって動かないティアナを、文句を言いながらも米俵のように担ぎ上げ、俺たちは、ほうほうの体で、その場からの撤退を開始した。

それは、もはや、戦いと呼べる代物ではなかった。
一方的な、狩りだった。

ヒュン!ヒュン!と、空気を切り裂く音。
上空から、グリフォンが放つ風の刃が、雨のように降り注ぐ。俺たちが駆ける、そのすぐ横の地面が、次々と、まるで巨大な爪で抉られたかのように、深く、鋭く、切り裂かれていく。

「『聖なる盾(ホーリー・シールド)』!」

セシリアが、悲痛な叫びと共に、何度も、何度も、防御魔法を展開する。淡い光の壁が、俺たちの頭上に出現し、風の刃を防ぐが、その衝撃は凄まじく、光の壁は、ガラスのように、砕け散っては、再生し、また、砕け散る。そのたびに、セシリアの顔から、血の気が引いていくのが、手に取るように分かった。

夜の闇が、急速に、あたりを支配していく。
太陽は、地平線の彼方に完全に姿を消し、今は、東の空に昇り始めた、半月のか細い光だけが、俺たちの逃避行を、頼りなく照らしていた。
視界は悪く、足元は、草原のくぼみや、木の根で、おぼつかない。
誰もが、息を切らし、肩で、荒い呼吸を繰り返している。汗と、土埃と、そして、微かに漂う、血の匂い。

「くそっ!このままじゃ、ジリ貧だ!」

サラが、ティアナを担いでいない方の手で、大剣を握りしめながら、吐き捨てるように言った。
彼女の頬には、浅いが、一本の、赤い線が走っている。先ほどの、風の刃を、かすめたのだろう。

「どこか、身を隠せる場所は……!」
グラン爺が、ぜえぜえと息を切らしながら、周囲を見回す。しかし、見渡す限り、広大な平原が続いているだけだ。身を隠せるような、洞窟も、森も、どこにもない。

その時、グリフォンが、再び、急降下してきた。
今度の狙いは、最後尾を走り、仲間たちを守っていた、十兵衛だった。

「ちぃっ!」
十兵衛は、即座に、反応した。迫りくる、鋼鉄の爪を、その刀で、迎え撃つ。
キィィィン!という、甲高い、嫌な音。
十兵衛は、その衝撃を、巧みな体捌きで、地面に逃がしたが、彼の口から、苦悶の呻きが漏れた。

「ぐっ……!この、カラクリ翼め……!」

グリフォンの、金属でできた翼の先端が、刃物のように、鋭利になっており、それが、十兵衛の脇腹を、深く、切り裂いていた。どくどくと、生温かい血が、彼の服を、赤黒く染めていく。

「十兵衛殿!」
「十兵衛さん!」

セシリアとルナの、悲鳴が上がる。
万事休す。
誰もが、そう思った、その時だった。

「……あそこだ!あの岩場まで、走れ!」

俺は、前方に、いくつか、巨大な岩が転がっている場所を、見つけていた。
あそこなら、少なくとも、上空からの、一方的な攻撃は、少しは、凌げるはずだ。

俺の言葉に、仲間たちは、最後の力を、振り絞った。
傷を負った十兵衛の肩を、サラが支え、グラン爺が、最後の魔力を燃やすように、援護の魔法を放つ。
そして、俺たちは、文字通り、転がり込むようにして、その岩場の、影へと、身を滑り込ませた。

***

岩陰に、身を潜めても、状況が、好転したわけではなかった。
むしろ、それは、自ら、袋小路に、追い込まれたことを、意味していた。

グリフォンは、俺たちが、もう、逃げられないことを、悟ったのだろう。
上空で、ゆっくりと、旋回しながら、まるで、これから始まる、晩餐の、メニューでも、吟味するかのように、俺たちを、見下している。
その、赤い、無機質な瞳が、闇の中で、不気味に、光っていた。

「セシリア!回復を!」
「は、はい!『癒しの光(ヒール)』!」

セシリアが、震える手で、十兵衛の傷口に、手をかざす。優しい光が、傷を、包み込むが、出血は、なかなか、止まらない。彼女自身の魔力も、もう、ほとんど、残ってはいないのだろう。その顔は、紙のように、真っ白だった。

グラン爺も、魔力の使い過ぎで、岩に、ぐったりと、もたれかかっている。
サラは、悔しそうに、何度も、地面を、拳で、叩いていた。
そして、ティアナは……泣き疲れて、消耗しきったのか、サラの腕の中で、ぐったりと、意識を、失っていた。

万策、尽きた。
その言葉が、誰の胸の中にも、重く、のしかかっていた。

俺は、少し離れた岩陰で、静かに、その光景を、見ていた。
仲間たちの、荒い呼吸。
セシリアの、懸命な祈りの声。
そして、上空から、降り注いでくる、絶対的な、死の、プレッシャー。

(……ああ、そうだ)

俺は、心の中で、静かに、呟いた。

(人間は、弱い)

どんなに、強くても。
どんなに、賢くても。
どんなに、優しくても。
たった一人では、どうにもならないことがある。
この世界は、時として、あまりにも、理不尽で、残酷で、そして、思い通りにならないことばかりだ。

俺は、神ではない。
ただ、人よりも、ほんの少しだけ、大きな力を、持って生まれてしまっただけの、ただの、男だ。
俺が、この世界に、干渉すれば、必ず、どこかで、歪みが生まれる。
因果の流れが、乱れる。
だから、俺は、決めていた。
決して、この力を、使わない、と。
ただ、運のいい、一般市民として、目立たず、騒がず、平穏に、生きていく、と。

だが。

俺は、目の前の、仲間たちを、見た。

傷だらけになりながらも、最後まで、戦おうとしている、サラ。
自分の魔力が尽きるのも構わず、仲間を癒そうとしている、セシリア。
絶望的な状況でも、静かに、祈りを捧げ続けている、ルナ。
それぞれの、限界の中で。
それぞれの、役割を、果たそうと、必死に、もがいている。

(「私」なんてものは、本当は、いないのかもしれない)

俺の、脳裏に、そんな、冷たい、思考が、浮かび上がる。
ただ、無数の、原因と、結果が、複雑に、絡み合って。
今、この、「仲間たちが、絶体絶命である」という、状況が、生まれているだけ。
俺が、ここで、何もしなくても。
それは、ただ、そういう、「仲間たちが、死ぬ」という、結果が、生まれるだけの、こと。
それ以上でも、それ以下でもない。
それが、この世界の、法則。
それが、この世界の、真理。

(……でも)

違う。

(俺は、ここに「いる」)

この光景を、この目で見ている。
この絶望を、この肌で感じている。
そして。

(「思う」)

この、不器用で。
どうしようもなくて。
それでも、最後まで、必死に、生きようと、している、こいつらの姿が。

たまらなく、愛おしい、と。

***

「……ここまで、か」

十兵衛が、血の気の失せた唇で、ぽつり、と、呟いた。
彼は、刀を、杖代わりにして、ゆっくりと、立ち上がった。

「だが、無駄死には、せん。一太刀くらいは、浴びせてくれるわ」

「くそっ……!」
サラも、その隣に、並び立つ。「最後まで、リーダーらしいこと、なんも、できなかったな……!せめて、最後くらいは、一番、前に、立たせてくれよな!」

その、二人の、傷だらけの背中を、守るように。
セシリアが、立った。
彼女の手には、もう、盾はない。だが、彼女は、自分の、その、華奢な体そのものを、盾にするかのように、両腕を、広げた。

「神よ……」
彼女の、青い瞳から、一筋、涙が、こぼれ落ちた。「どうか、この、尊い、魂たちに、安らかならんことを……」

ルナは、そんな仲間たちの姿を、ただ、静かに、見ていた。
そして、その、潤んだ瞳で、最後に、俺の、方を、じっと、見つめた。
その瞳は、まるで、「リヒト様……」と、語りかけているかのようだった。

グリフォンが、最後の、とどめを刺さんと、その、巨大な、機械の翼を、大きく、広げた。
仲間たちが、それぞれの、覚悟を、決めた。

その時だった。

俺は、静かに、立ち上がった。
そして、仲間たちから、ほんの少しだけ、離れた場所で。
わざとらしく、そして、どこまでも、のんきな声で、言った。

「うわー」

「星が、綺麗だなぁ」

俺は、まるで、子供のように、無邪気に、夜空を、見上げた。
そこには、雲一つない、完璧な、星空が、広がっていた。
天の川が、白い帯のように、夜空を、横断している。

「あの、ひときわ、明るい星。なんて、名前だったっけかなぁ」

俺は、そう、呟きながら。
右手の人差し指を、すっ、と、上げて。
その、星々が、最も、美しく、輝いている、一点を、指差した。

***

仲間たちの、目には。
その光景は、あまりにも、場違いで、現実離れして、見えたことだろう。
絶体絶命の、この状況で。
仲間の一人が、呑気に、星空観賞を、始めたのだから。

だが、彼らには、見えない。
彼らには、決して、認識できない。

俺が、夜空を、指差した、その、指先から。
極小の、この世の、いかなる物理法則にも、囚われない、純粋な、エネルギーの、粒子が。
思考よりも、速く。
光よりも、速く。
時間という、概念すら、超越して、放たれたことを。

それは、弾丸ではない。
それは、魔法でもない。
それは、ただの、「俺の意志」そのものだ。

この世界を、構成する、無数の、因果の、糸。
その、一本だけを、ほんの、少しだけ、指先で、弾いてやる。
それだけで、いい。

俺の意志は、夜空を、駆け上り。
上空で、旋回していた、改造グリフォンの、体内に、寸分の狂いもなく、到達した。
そして、その、内部に、埋め込まれていた、あの、不気味な、緑色の液体が満たされた、ガラス管。
全ての、改造の、動力源であり、制御の、中核である、その、コアだけを。

正確に、破壊した。

仲間たちの、耳には、何の音も、聞こえなかっただろう。
何の、爆発も、起きなかった。
何の、衝撃も、なかった。

ただ。
空中で、絶対的な、捕食者として、君臨していた、改造グリフォンが。
ぴたり、と、その動きを、止めた。

そして、次の瞬間。

その、巨大な、禍々しい体は、まるで、風に吹かれた、砂の城のように。
苦しみの声、一つ、上げることなく。
内側から、淡い、青白い、光を、放ち始めた。

シャラララララララ……。

どこかで、聞いたことのあるような、澄んだ、鈴の音が、夜空に、響き渡る。
グリフォンの、輪郭が、光の中に、溶けていく。
そして、無数の、無数の、光の粒子となって。
キラキラと、ダイヤモンドダストのように、輝きながら。
夜空に、舞い上がり、そして、静かに、消えていった。

まるで、最初から、そこには、何も、いなかったかのように。
絶望的な、死闘の、痕跡すら、残さずに。

後には、ただ。
どこまでも、静かで、どこまでも、美しい、星空だけが、広がっていた。

***

「…………え?」

誰かが、漏らした、か細い声が、やけに、大きく、響いた。

「…………き、消えた?」

サラが、呆然と、呟く。
十兵衛も、グラン爺も、ただ、何が、起こったのか、理解できずに、空を、見上げている。

「……奇跡、ですわ」
セシリアが、その場に、膝から、崩れ落ちた。「神が……神が、私たちの、祈りを、聞き届けて、くださったのですわ……!」

彼女の、瞳から、安堵の涙が、とめどなく、溢れ出す。

俺は、そんな仲間たちの、様子を、横目で見ながら。
何事もなかったかのように、指を、下ろした。
そして、しれっと、一人ごちる。

「あれ?なんか、今、流れ星っぽいの、見えた?ラッキー!」

俺は、そう言うと、仲間たちの、もとへと、駆け寄った。

「おーい、みんな、大丈夫かー?」

「リヒト殿……!」
「リヒト!」

仲間たちは、俺の、呑気な声に、はっと、我に返った。
彼らは、まだ、今の、奇跡が、俺が、指を差した、その方角から、起きたことには、気づいていない。
ただ、その、あまりにも、神々しい、光景に、打ち震えているだけだ。

ただ、一人。
ルナだけが。
涙を、拭うこともせず、じっと、俺の、顔を、見つめていた。
その、大きな、瞳は、まるで、全てを、見透かしているかのように、どこまでも、澄み切っていた。

傷ついた仲間たちが、互いを、支え合い、安堵のため息をつく。
夜空には、ただ、静かで、美しい、星々が、瞬いている。
俺は、そんな、かけがえのない、仲間たちの、輪の中に、加わりながら。
心の中で、そっと、呟いた。

(……まあ、たまには、こういうのも、悪くない)

俺の、平穏な、スローライフ。
それを、守るためなら。
ほんの少しだけ、世界の、法則を、捻じ曲げるくらいは、許される、だろう。
多分。
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