神の力を隠して平穏に暮らしたいのに、俺がくしゃみしただけで伝説の竜が死ぬし、聖女や姫に勘違いで崇められて困る。

カインズ

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第4章:王女の家出とマッドサイエンティストの陰謀

第39話:王女の選択

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クーデターという名の激しい嵐が過ぎ去った王城に、静かな夜明けが訪れた。漆黒の空は東から徐々に白み始め、やがて、血のように赤い朝日が地平線からその姿を現す。その光は、昨夜の戦いで傷ついた城壁を優しく照らし、瓦礫と化した街路に長い影を落とした。まるで、この国が受けた深い傷を、それでも世界は続いていくのだと、静かに告げているかのようだった。

僕たち一行は、一夜にして反乱軍から救国の英雄へとジョブチェンジし、王城で最も豪華な客室を与えられていた。柔らかすぎるベッド、肌触りの良すぎるシーツ、そして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる侍女たち。仲間たちは、それぞれ軽傷を負ってはいたものの、ルナとカインの治癒魔法のおかげで、もはやピンピンしている。今は、運ばれてきた豪華すぎる朝食を前に、目を白黒させていた。

「す、すげえ……! このベーコン、俺が今まで食ってたのと全然違う!」
「まあ! このスープ、宝石のように輝いていますわ!」
「ふん、わらわクラスの魔導士には、これくらいが当然じゃ!」

サラ、セシリア、ティアナが子供のようにはしゃいでいる。その光景を眺めながら、僕は窓の外に広がる王都の景色に目を向けた。窓を開けると、ひんやりとした朝の空気と共に、遠くから聞こえてくる。

「オリヴィア姫、万歳!」
「我らが聖女、オリヴィア様に栄光あれ!」

民衆の、熱狂的な歓声。昨夜、オリヴィアが遠話水晶を通して発した的確な指揮は、城内の兵士だけでなく、王都の民にも届いていたらしい。「嵐の夜、神の啓示を受けた王女が、その知略で国を救った」という、一夜にして出来上がった英雄譚が、早くも吟遊詩人によって歌われているという。

(やれやれ、これで一件落着、か)

僕は、温かい紅茶を一口すすりながら、安堵のため息をついた。姫様は国の英雄となり、いずれ女王としてこの国を治めるだろう。僕たちの役目は、もう終わった。あとは、この手厚すぎるもてなしを適当なところで切り上げて、誰にも気づかれずにそっとこの国を立ち去るだけだ。次こそは、次こそは誰も僕のことなど知らない片田舎で、完璧なスローライフを……。

僕がそんな甘美な未来予想図を描いていた時、客室の扉が静かに開かれ、当の英雄様が姿を現した。

「皆さん、昨夜は本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました」

オリヴィアは、いつもの凛とした佇まいで深々と頭を下げた。その姿には、昨夜の戦場を支配した軍師の面影はなく、ただ仲間への感謝を告げる、一人の少女の誠実さだけがあった。

「そんな、水臭えって! 姫様こそ、すごかったじゃねえか!」
サラが口いっぱいにパンを頬張りながら言う。仲間たちも口々に彼女を称賛し、部屋は和やかな空気に包まれた。しかし、僕には分かっていた。彼女のサファイアの瞳の奥に、何か決意を迫られている者の、深い葛藤の色が浮かんでいるのを。

---

その日の午後、オリヴィアは父である国王の私室にいた。昨夜の心労と安堵からか、国王の顔には深い疲労の色が浮かんでいたが、娘を見つめるその目には、誇りと愛情が満ち溢れていた。

「オリヴィアよ。本当によくやってくれた。お前が、この国を救ってくれたのだ」
「いいえ、父上。わたくし一人の力ではございません。仲間たちがいてくれたからですわ」
「謙遜することはない。だが、それも事実だろう。お前は、良き友を得たのだな」

国王は、娘の成長を心から喜んでいた。そして、重々しく口を開く。

「オリヴィア。今回の事件で、この国の脆さが露呈した。バルドリックのような思想を持つ者が、他にもいないとは限らん。だからこそ、お前に頼みたい。私の補佐として、この国に残ってくれぬか。お前のその知略と、人を惹きつける力で、この国を立て直してほしいのだ」

それは、次期女王として、当然の責務だった。オリヴィアも、それが最も論理的で、最も正しい道であることは、痛いほどに理解していた。国民の期待、父の願い、王族としての責任。彼女の分析脳が導き出す最適解は、ただ一つ。「イエス」と答えることだ。

「……少し、考えさせていただけますか」

しかし、彼女の口から出たのは、保留の言葉だった。

オリヴィアは一人、王城のバルコニーに出た。眼下には、復興作業に汗を流す民の姿が見える。活気を取り戻しつつある街並み。自分が守るべき、愛すべき光景だ。王族として、この民のために生涯を捧げること。それ以上に尊い生き方があるだろうか。いや、ないはずだ。

ふと、彼女は城の中庭に視線を移した。

そこには、僕の仲間たちがいた。

サラが、城の衛兵に「近道を教えてやる!」と言って、地図を上下逆さまに広げている。衛兵は困惑し、グラン爺が呆れたように首を振っている。
セシリアが、負傷した兵士に治癒魔法をかけようと祈りを捧げているが、その一歩手前で何もないところでつまずき、盛大に転んでいる。カインとルナが慌てて駆け寄っている。
ティアナが、中庭の噴水を見て「ふん、わらわの魔法なら、これくらいの水柱は一瞬で蒸発させられるわ!」と高笑いし、十兵衛に「お嬢ちゃん、口の前に手を動かせ」と呆れられている。

全くもって、非合理的。
無駄が多くて、非効率的。
そして、何一つ、予測通りに進まない、カオスな光景。

オリヴィアは、昨夜の戦いを思い出していた。自分の完璧な計算が、彼らの予測不能な行動によって、何度も覆された。サラの無謀な突撃が、敵の陣形に計算外の穴を開けた。セシリアのドジが、意図せずして敵の追撃を妨害した。そして、リヒトの……あの、ありえない「偶然」の一撃が、全ての絶望を覆した。

自分の脳内シミュレーションでは、あの戦いの勝率は、限りなくゼロに近かったはずだ。しかし、現実は違った。計算では決して導き出せない「何か」が、確かにそこには存在した。

(わたくしの『秩序』は、彼らの『カオス』によって、救われた……)

彼女は、知ってしまったのだ。計算通りにならない世界の、その途方もない面白さと、可能性を。王宮という、完成された秩序の中では、決して味わうことのできない、生の躍動を。

オリヴィアは、静かに踵を返し、再び国王の元へと戻った。その顔には、もう迷いの色はなかった。彼女は父王の前に深く跪くと、毅然とした声で告げた。

「父上。わたくしにはまだ、やらねばならぬことがあります」

彼女は、この国の脅威の根源であるマッドサイエンティストが、まだ野放しになっている事実を告げた。その邪悪な科学の芽を完全に摘み取らない限り、この国に真の平和は訪れない、と。

「ですから、わたくしは、旅に出ます」

国王は驚き、そして諌めようとした。だが、オリヴィアは首を横に振ると、中庭の仲間たちの方へ優しい視線を向け、悪戯っぽく微笑んだ。

「それに……この世界には、わたくしの計算通りにはならない『不確定要素』が、まだたくさんあるようですから。それらを全て観測し、解析し、理解するまで、王宮でじっとしているのは、どうにも退屈ですわ」

その瞳は、もはや王女のものではなかった。未知なる現象を前に、その探求心を抑えきれない、一人の天才科学者の瞳だった。

---

その日の夕方。旅立ちの準備を終え、城門からこっそりと出発しようとしていた僕たちの前に、旅装を整えたオリヴィ-アが、護衛もつけずに一人で立っていた。

「というわけで、改めて。わたくしも、このパーティに加えていただきましてよ」

彼女は、スカートの裾を少し持ち上げ、優雅にカーテシーをしてみせた。

「おお!マジかよ!やったぜ!」
「まあ! これからも姫様とご一緒できるのですね!」

サラもセシリアも、仲間たちは大喜びで彼女を迎え入れている。その輪の中心で、オリヴィ-アは、これまで見せたことのないような、心からの晴れやかな笑顔を浮かべていた。

僕だけが、その光景を、頭を抱えながら遠い目で見つめていた。

(終わった……。完全に、終わった……。僕のスローライフ計画、ここに墓を建てる)

まさか、一国の王女、それも国家権力そのものを、仲間にしてしまうとは。僕のささやかな計画が、天文学的なスケールで破綻した瞬間だった。もはや僕がこそこそと介入しなくても、この最強の頭脳を持つ司令塔がいれば、世界の方が勝手にハッピーエンドに向かって突き進んでいきそうだ。

オリヴィ-アは、僕のそんな絶望を知ってか知らずか、僕の隣に立つと、小さな声で囁いた。

「リヒト。あなたの『幸運』の正体、この旅の中で、必ず解き明かしてみせますわ。覚悟なさい」

その挑戦的な瞳に見つめられ、僕はただ、乾いた笑いを返すことしかできなかった。

最強の頭脳と、国家レベルの権力という、これ以上ないほどに面倒くさ……いや、頼もしい仲間が加わった。僕たちの旅は、そして僕のスローライフからの逃避行は、新たな次元へと突入したのだ。
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