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鈴之助:は?
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「………僕?」
鏡に映っていたのは僕だった。二十数年見てきたのだから間違えようがない。まごうことなき香々見鈴之助だった。
じゃあ何か、僕は僕の顔面のままイケメンひしめくバラ色の舞台に降り立ったのか。残業続きでぱさついた黒髪に一重の、お世辞にも愛想が良いとは言えないこの顔であのキラキラしいヴィンセントの隣に居ないといけないのか。浮く。100%浮く。何もしなくても顔面不敬罪で処される。
そう青くなっていると、鏡の中の平凡顔は僕の意思に反してにんまりと弧を描いた。
『たまげたべ?』
「僕はそんな顔しない」
思わずツッコミを入れると、悪戯が成功した子どものような顔で僕もどきがさらに嬉しそうに笑った。
『満月が見える間だけ、魔法で相手の顔が映るように手鏡に細工したのっす』
のっす。
「…なら、僕がベルフェリオの中にいるように、君は、ベルフェリオは今僕の中にいる…ってこと?」
『んー、んだ』
んだ。
つまり俗に言う、私たち入れ替わってる?!状態なのか。僕にはあんな緩みきった顔はできないけれど、テレビ電話で自分自身と話しているようで不思議な心地だった。話を要約するにどうやら、というかやはりこの入れ替わりは彼の魔法が引き起こしたもののようだ。使えたのか、魔法。
僕たちはまず、お互いの持つベルフェリオという少年の半生をひとつずつ紐解いていくことにした。
周りから忌み嫌われ、辺境の地で一人孤独に耐えてきたベルフェリオ。
『いんや、生まれでこの方べごの世話で毎日忙しがっだけんど』
(「ところで君いま、どこにいるの?」
『おめはんの部屋』
「じゃあ壁にあるボタン押せる?そう、うん、それ」
『何かあるのす?』
「これで風呂にお湯を貯められるんだよ」
『???』
「大切なことだから」)
そんな彼に転機が訪れる。齢七を数えたある日、名誉あるこの国の第一王子の婚約者として選ばれた彼は、生家であるミロワール公爵家に戻る許しを得た。その時の喜びは如何ほどであろうか。抑止力になり得るほどの強大な魔力源を、他国に逃すまいとする王家の思惑も知らず、哀れベルフェリオはがんじがらめの茨の中へ。
『騎士様が、たらふくおまんま食えっぞって言っでなあ。後、おめは何言ってっかほんずねぇがら、公爵様の前ではすずかにしとげーって』
(「机の上に、黒い四角い板みたいなものがあるよね?」
『ん。あんれ、四角いボタンがいっぺえ並んでら。もう片っぽは…これ鏡か?見づれーけんど顔が映ってんな』
「うん。画面をキーボード側に…ボタンが沢山ある方に折りたたんでもらってもいい?」
『丸っけえのも線で繋がってるけんど』
「触らないで。絶対に。閉じるだけだよ」)
婚約者の相手の顔もろくに知らぬまま、積み重ねられる重責。厳しい教養指導の日々。ベルフェリオは枕を濡らし、それでもまだ見ぬ王子のために励んだ。しかし終わらぬ辛苦に次第に口は閉ざされ、心も冷えていく。
『髪もこんなんだがらっさ、基本だーれも部屋さへえって来ねのよ。学はねがったけんど、毎日新しい本っこ読めるのはえがっだなあ』
(「そのノートパソコン…ええと、板を閉じたまま、湯船に浸してもらってもいいかな」
『?だども…』
「いいから。意外と重いから気をつけてね」
『ん』)
…よし。
そんな折、ベルフェリオに専属の従者があてがわれる。ノアと名乗ったその従者に、ベルフェリオはこれまでの鬱憤を晴らすかのように彼を家畜と同等に扱い虐げた。美しいかんばせ、悪魔のような心。悪逆とは彼のための言葉だったと人は言う。
「ノア…?そんな人物いたかな」
『んー?』
「ううん、続けて」
『ノアもべごも家族みてえなもんだ』
「ごめんやっぱストップ」
『んえ?』
結構な数の相違点に頭を抱える。
あと訛りのせいで全然内容が入ってこない。頼むから標準語で話せないかと聞くと、ベルフェリオは『こっちのが楽しいのに』とぶつぶつ言いながらも応じてくれた。楽しいからでこんな迷惑な同時通訳させないでほしい。
『ノアとは歳が結構離れていたのだけれど、それはもう仲が良かったんだ。他の使用人達は僕を避けるから大体いつも二人で過ごしていてね、僕が見たことのない、新しい世界を毎日たくさん教えてくれた』
ありがたい。すっと入ってくる。標準語万歳。
『そして僕は、鈴之助を知った』
「へ?僕?」
急に話を振られてぱちり、と瞬く。僕の顔をしたベルフェリオは頬を染めながら、照れたようにはにかんだ。
『ノアが薦めた書物の中に、君が主役の物語があるんだ』
「な…」
僕の世界にベルフェリオが登場するゲームがあるように、ベルフェリオがいたこの世界にも、僕…鈴之助が登場する作品があったってことなのか。それほど見映えする人生だったとは思わないけど。
『市井で働く君は、勤め先の上席に強要されてボーネンカイという場で女装するんだ。そこから癖に目覚めた君は仮想空間で自分を偽って際どい投稿を重ねるようになり』
「まって」
僕の知らない物語だ。
『鈴之助を取り合う後輩や行きずりの相手との三角関係もたまらないし、果ては』
「まって」
僕の知らない夏の大三角だ。
『待てが多いな君は。まあ最初は余裕ぶってた君も途中からは待っで♡♡♡とか言ってたしな』
「もうゆるして…」
『それも言ってた。最高だった』
両手で顔を覆って呻く。僕じゃない。認めない。僕はそんなことしない。…………しない。しないぞ。
「…ノアは…今どこにいるんだ…?」
こうなると最初にベルフェリオに本を薦めたノアの意図が気になる。貴族の読み物では当然ないだろうし、当時のベルフェリオなら付け入る隙だらけだ。怪しい。
何かよからぬ企てがあったのかもしれない。あと会って一発くらい殴らせてもらわないとこちらの気が晴れない。しかし、そういえば入浴の時にヴィンセントが「前任の従者はトラブルで解雇された」とか言っていなかったか。同性同士のくんずほぐれつが描かれた本を渡してくるような変態だ、まさかベルフェリオにも手を出したんじゃ…
『会えるかどうかは微妙だな。なんせあれは「拙者はイエスショタ・ノータッチがモットーでござるゆえ!」とか言って新しい旅に出たから』
「いないんだよこの世界観で一人称が拙者で語尾がござるの奴なんて」
転生者だ。確実に。
『そんな訳で、恵まれながらも公爵家に押し込まれて窮屈に過ごしていた僕は思ったわけさ。この物語の世界に行ってみたい、ってね。後はほら、僕魔力だけはあるだろう?上手くいくかどうかは博打だったけど、こう、ちちんぷい、と…おっとそろそろ時間だ』
ベルフェリオが手鏡から僕の部屋のベランダに視線を移す。つられるように、僕も鍵のかかったバルコニーのガラス戸まで歩み寄って空を見上げると、ちょうど満月に分厚い雲がかかるところだった。
『突然こんなことに巻き込んでごめんね、ベルフェリオ。じゃない、鈴之助。あれ、今はベルフェリオって呼んだ方がいいかな?いいよね?でも、どうしても来てみたかったんだ。大変なこともあるけど、君があんまりにも楽しそうで、羨ましくて。ほら…僕って太く短く生きそうな星回りだろ?』
「実際、このままいけば短命まっしぐらだろうね。ゲームでも生存ルート探す方が大変だし」
『…えっ?』
意表を突かれた顔があまりにも間抜けで、僕は思わず元ベルフェリオ、現鈴之助のようににんまりと笑った。
「あるんだよ。ベルフェリオが出てくる物語が僕の世界にも」
『な、なにそれ、読んでみたい!どこ?どこにあるのっ?』
「さっき君が沈めた」
『ええええ!』
次に彼に会えるのは約一月後の満月の夜。
仕方がないから、お互いが元に戻ったら即処刑、とはならない程度には励んであげよう。さすがに寝覚めが悪いし。その後二、三言葉を交わして僕たちは鏡越しに手を振った。
「じゃあ、またな。鈴之助」
『え、あ、うん、したっけー!』
こうして、嵐のような邂逅は幕を閉じた。
鏡に映っていたのは僕だった。二十数年見てきたのだから間違えようがない。まごうことなき香々見鈴之助だった。
じゃあ何か、僕は僕の顔面のままイケメンひしめくバラ色の舞台に降り立ったのか。残業続きでぱさついた黒髪に一重の、お世辞にも愛想が良いとは言えないこの顔であのキラキラしいヴィンセントの隣に居ないといけないのか。浮く。100%浮く。何もしなくても顔面不敬罪で処される。
そう青くなっていると、鏡の中の平凡顔は僕の意思に反してにんまりと弧を描いた。
『たまげたべ?』
「僕はそんな顔しない」
思わずツッコミを入れると、悪戯が成功した子どものような顔で僕もどきがさらに嬉しそうに笑った。
『満月が見える間だけ、魔法で相手の顔が映るように手鏡に細工したのっす』
のっす。
「…なら、僕がベルフェリオの中にいるように、君は、ベルフェリオは今僕の中にいる…ってこと?」
『んー、んだ』
んだ。
つまり俗に言う、私たち入れ替わってる?!状態なのか。僕にはあんな緩みきった顔はできないけれど、テレビ電話で自分自身と話しているようで不思議な心地だった。話を要約するにどうやら、というかやはりこの入れ替わりは彼の魔法が引き起こしたもののようだ。使えたのか、魔法。
僕たちはまず、お互いの持つベルフェリオという少年の半生をひとつずつ紐解いていくことにした。
周りから忌み嫌われ、辺境の地で一人孤独に耐えてきたベルフェリオ。
『いんや、生まれでこの方べごの世話で毎日忙しがっだけんど』
(「ところで君いま、どこにいるの?」
『おめはんの部屋』
「じゃあ壁にあるボタン押せる?そう、うん、それ」
『何かあるのす?』
「これで風呂にお湯を貯められるんだよ」
『???』
「大切なことだから」)
そんな彼に転機が訪れる。齢七を数えたある日、名誉あるこの国の第一王子の婚約者として選ばれた彼は、生家であるミロワール公爵家に戻る許しを得た。その時の喜びは如何ほどであろうか。抑止力になり得るほどの強大な魔力源を、他国に逃すまいとする王家の思惑も知らず、哀れベルフェリオはがんじがらめの茨の中へ。
『騎士様が、たらふくおまんま食えっぞって言っでなあ。後、おめは何言ってっかほんずねぇがら、公爵様の前ではすずかにしとげーって』
(「机の上に、黒い四角い板みたいなものがあるよね?」
『ん。あんれ、四角いボタンがいっぺえ並んでら。もう片っぽは…これ鏡か?見づれーけんど顔が映ってんな』
「うん。画面をキーボード側に…ボタンが沢山ある方に折りたたんでもらってもいい?」
『丸っけえのも線で繋がってるけんど』
「触らないで。絶対に。閉じるだけだよ」)
婚約者の相手の顔もろくに知らぬまま、積み重ねられる重責。厳しい教養指導の日々。ベルフェリオは枕を濡らし、それでもまだ見ぬ王子のために励んだ。しかし終わらぬ辛苦に次第に口は閉ざされ、心も冷えていく。
『髪もこんなんだがらっさ、基本だーれも部屋さへえって来ねのよ。学はねがったけんど、毎日新しい本っこ読めるのはえがっだなあ』
(「そのノートパソコン…ええと、板を閉じたまま、湯船に浸してもらってもいいかな」
『?だども…』
「いいから。意外と重いから気をつけてね」
『ん』)
…よし。
そんな折、ベルフェリオに専属の従者があてがわれる。ノアと名乗ったその従者に、ベルフェリオはこれまでの鬱憤を晴らすかのように彼を家畜と同等に扱い虐げた。美しいかんばせ、悪魔のような心。悪逆とは彼のための言葉だったと人は言う。
「ノア…?そんな人物いたかな」
『んー?』
「ううん、続けて」
『ノアもべごも家族みてえなもんだ』
「ごめんやっぱストップ」
『んえ?』
結構な数の相違点に頭を抱える。
あと訛りのせいで全然内容が入ってこない。頼むから標準語で話せないかと聞くと、ベルフェリオは『こっちのが楽しいのに』とぶつぶつ言いながらも応じてくれた。楽しいからでこんな迷惑な同時通訳させないでほしい。
『ノアとは歳が結構離れていたのだけれど、それはもう仲が良かったんだ。他の使用人達は僕を避けるから大体いつも二人で過ごしていてね、僕が見たことのない、新しい世界を毎日たくさん教えてくれた』
ありがたい。すっと入ってくる。標準語万歳。
『そして僕は、鈴之助を知った』
「へ?僕?」
急に話を振られてぱちり、と瞬く。僕の顔をしたベルフェリオは頬を染めながら、照れたようにはにかんだ。
『ノアが薦めた書物の中に、君が主役の物語があるんだ』
「な…」
僕の世界にベルフェリオが登場するゲームがあるように、ベルフェリオがいたこの世界にも、僕…鈴之助が登場する作品があったってことなのか。それほど見映えする人生だったとは思わないけど。
『市井で働く君は、勤め先の上席に強要されてボーネンカイという場で女装するんだ。そこから癖に目覚めた君は仮想空間で自分を偽って際どい投稿を重ねるようになり』
「まって」
僕の知らない物語だ。
『鈴之助を取り合う後輩や行きずりの相手との三角関係もたまらないし、果ては』
「まって」
僕の知らない夏の大三角だ。
『待てが多いな君は。まあ最初は余裕ぶってた君も途中からは待っで♡♡♡とか言ってたしな』
「もうゆるして…」
『それも言ってた。最高だった』
両手で顔を覆って呻く。僕じゃない。認めない。僕はそんなことしない。…………しない。しないぞ。
「…ノアは…今どこにいるんだ…?」
こうなると最初にベルフェリオに本を薦めたノアの意図が気になる。貴族の読み物では当然ないだろうし、当時のベルフェリオなら付け入る隙だらけだ。怪しい。
何かよからぬ企てがあったのかもしれない。あと会って一発くらい殴らせてもらわないとこちらの気が晴れない。しかし、そういえば入浴の時にヴィンセントが「前任の従者はトラブルで解雇された」とか言っていなかったか。同性同士のくんずほぐれつが描かれた本を渡してくるような変態だ、まさかベルフェリオにも手を出したんじゃ…
『会えるかどうかは微妙だな。なんせあれは「拙者はイエスショタ・ノータッチがモットーでござるゆえ!」とか言って新しい旅に出たから』
「いないんだよこの世界観で一人称が拙者で語尾がござるの奴なんて」
転生者だ。確実に。
『そんな訳で、恵まれながらも公爵家に押し込まれて窮屈に過ごしていた僕は思ったわけさ。この物語の世界に行ってみたい、ってね。後はほら、僕魔力だけはあるだろう?上手くいくかどうかは博打だったけど、こう、ちちんぷい、と…おっとそろそろ時間だ』
ベルフェリオが手鏡から僕の部屋のベランダに視線を移す。つられるように、僕も鍵のかかったバルコニーのガラス戸まで歩み寄って空を見上げると、ちょうど満月に分厚い雲がかかるところだった。
『突然こんなことに巻き込んでごめんね、ベルフェリオ。じゃない、鈴之助。あれ、今はベルフェリオって呼んだ方がいいかな?いいよね?でも、どうしても来てみたかったんだ。大変なこともあるけど、君があんまりにも楽しそうで、羨ましくて。ほら…僕って太く短く生きそうな星回りだろ?』
「実際、このままいけば短命まっしぐらだろうね。ゲームでも生存ルート探す方が大変だし」
『…えっ?』
意表を突かれた顔があまりにも間抜けで、僕は思わず元ベルフェリオ、現鈴之助のようににんまりと笑った。
「あるんだよ。ベルフェリオが出てくる物語が僕の世界にも」
『な、なにそれ、読んでみたい!どこ?どこにあるのっ?』
「さっき君が沈めた」
『ええええ!』
次に彼に会えるのは約一月後の満月の夜。
仕方がないから、お互いが元に戻ったら即処刑、とはならない程度には励んであげよう。さすがに寝覚めが悪いし。その後二、三言葉を交わして僕たちは鏡越しに手を振った。
「じゃあ、またな。鈴之助」
『え、あ、うん、したっけー!』
こうして、嵐のような邂逅は幕を閉じた。
応援ありがとうございます!
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