五十嵐青年と山羊

獅子倉 八鹿

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 退屈な基礎ゼミが終わり、解散となる。
 廊下を歩きながら、五十嵐青年は伸びをする。
 狭いゼミ室に縮こまっているのは肩が凝る上、ゲームやマンガの話ではない。

「五十嵐くん五十嵐くん!」
 五十嵐青年がずっと噛み殺していた欠伸をしていると、背後から声を掛けられた。

「あ、えっと、同じゼミの」
「酒井彩花! アヤカでいいよ!」
 気まずそうに目線を逸らしているのを知ってか知らずか、アヤカは五十嵐青年の右腕を軽く叩く。
「あ、うん。おつかれさま」
「眠たかったね! さっきの基礎ゼミ!」
 その言葉に、五十嵐青年は苦笑する。
 眠たさなど微塵も感じさせない元気さだけど。

「あのさ! この後ヒマ?」
「え?」
 五十嵐青年は思わず聞き返してしまった。この後は同学年なら必修の授業がある。アヤカも受講するはずだ。
「え、次授業」
「1回くらいサボっても大丈夫だよー! 一緒に買い物行こ!」
 五十嵐青年が言い終わるのを待たず、アヤカは言葉を被せる。
 逃がさないと言わんばかりに、五十嵐青年の右腕が掴まれた。
 その姿は、飼い主に構ってもらいたい子犬のようだ。

「バイト代入ったの! 限定品ハンターがいれば怖いもの無し!」
「限定品ハンターって、なにそれ」
「はーくんのこと!」
「はーくん?」
「いがらしはるたって言うんでしょ? 漢字分からないけど。だからはーくん。最初の基礎ゼミの自己紹介覚えてたんだ」
「あー、なるほど」
 良くも悪くも、今まで関わったことのない人種だ。
 あまり話したことのない人物に付けるあだ名として、『はーくん』というのは違和感がある。
 まるで、彼氏みたいじゃないか。

「というかそんなのどうでも良くて! 行こうよー、買い物」
 五十嵐青年の右腕を掴んだまま、アヤカは駄々っ子のように体を左右にひねる。駄々を捏ねているのは幼い子どもではなく、同じ歳の女性だ。
 歩きにくく、五十嵐青年の足は自然と止まる。

「次の授業の後、行こうよ」
「いやだーっ!」
「どうしても今からなの?」
「今からっ! お願いお願いっ!」
 可愛い女の子にここまで頼み込まれたら、断れない。
 五十嵐青年は腹を括った。
「分かった。今日だけ」
 五十嵐青年がそう告げると、アヤカの顔はパッと明るくなる。
「やったやった! 行こー!」
 半ば引きずられるように、五十嵐青年は大学のキャンパスを後にした。

 平日の大型ショッピングモールは、人がまばらだった。
 アヤカの購入物を持ちながら、五十嵐青年はあっけに取られていた。

 可愛らしい長財布から、何枚も札が出ていく。
 その金、どこから出てくるんだ。
 五十嵐青年が入学前に服や鞄を購入した店にも行き、何着か購入している。
 俺が買う時、高かったから勇気が必要だったんだけど。
 アヤカにそう伝えても笑われる未来が見える。
 聞かれたことを答えながら過ごすうちに、荷物が増えていった。

 2人が解散した時には、スマホの画面は20時を表示していた。
 ここからアパートまで、歩いて20分程かかる。
 普段ならバスを使う距離だが、アヤカに付き合ってカフェで食事をしたため、節約をすることにした。

 普段交流しないようなタイプの人間と一緒に行動したからか、疲労感が押し寄せる。だが、不思議なことに嫌悪感はあまり感じなかった。
 1人歩く五十嵐青年の脳内で、今日の出来事が思い起こされる。

 笑顔。からかう顔。頬を膨らませながら話す姿。

 自分の頬が緩むのが分かり、五十嵐青年は困惑した。
 五十嵐青年自身、こんな短時間で好意が芽生えると思わなかった。
 ただ、今日の出来事を考えながら歩く足取りは軽い。
 これは否定できない好意だった。
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