神の子のつくりかた

いみじき

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神の子セシェンテル

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 慈悲の神イニアを崇める宗派の総本山、カラドリエ寺院は高い山の上にあり、空気が薄い。

 よくもこんな高所にこれほどの建築物を造ったものと思う。感心するより、呆れる。

 ユナ・ルーもゼルバルトも丈夫で、高山病には罹らなかった。

 ただし、ユナ・ルーのほうは別の理由で倒れてしまったが。

「あ……う、ぅ……」

 登山に適した竜馬の背に凭れ、胸元を掴んで苦しんでいる。

 今までもだいぶ我慢していたようだが、ここへきてついに……というところだ。

 それにしても、数々の痛みをものとものせぬユナ・ルーが耐えられない痛みとは、一体どのようなものだろう。

 見ていると此方まで辛く、同じように胸が痛んだ。

 寺院に着くとすぐに尼僧や僧侶がやってきて、ユナ・ルーを「急患だ!」と抱えていってしまった。

「こちらで少々お待ちください」

 そう言われてベッドのある……おそらく病室で待たされ、現れたのが絶世の美少女だった。

(うっわ)

 なんという、花のような娘。

 少しくせっ毛の髪、豊かな睫毛は薄く桃色ががった銀髪であり、目の色も優しい色。

 僧服を纏った姿は可憐な白い鳥のようで、一目でゼルバルトは彼女に心奪われた。

「イニアの神の子、セシェンテルでございます」

 礼もそこそこにユナ・ルーの容態を見始める。

「これは……わたしの力では抑えきれません。体の中がアニムに侵食されているみたい」

「どうにかならないのか」

「苦痛を和らげることは出来ます。でも、あとは秘宝が割れないことを祈るばかりですね」

 悲しそうに眉を寄せ、緩く握った拳を口元に寄せる仕草の、可憐なことはない。

 ユナ・ルーのことが心配なのは確かなのに、彼女のなよやかな一挙一投足から目が離せなかった。

「秘宝が割れる条件は……」

「残念ながら、わたしには分からないのです」

 申し訳ありません、と泣かれそうになると、花がしおれるようで、ゼルバルトは慌てて「貴方のせいじゃない」と否定した。

「けれど、ここにユナ・ルー様を傷つける者はおりません。

 この地はイニア神に馴染むアニムが濃厚で、アチェンラ神ですらおいそれと近づけませんから。他の神様方が襲撃に来ることも不可能です。

 もし、来たとしても、ここにはイニア様がいらっしゃいますから、どうぞ安心してご滞在ください」

「だが、秘宝の真相が分からないことには……」

「シエゼ=デ様もクレナノルク様もご存知ではないのです」

 セシェンテルは祈るように手を組んだ。

 その動作はぐさっと胸に刺さるほどゼルバルトのつぼを突いた。なんだこの娘。可愛すぎるにも程があるだろう……

 彼女の治療を受け、うなされていたユナ・ルーの表情が穏やかになり、ゼルバルトの心痛も和らいだ。

「お苦しいのでしょうね……」

「何が起こっているか、分かるか?」

「体がアニムに作り変えられているのです。けれどもそれは、我々普通の神の子のようにではなく、人の身のまま少しずつ変わっています。それは想像を絶する苦痛かと」

 アニムによる代謝とやらがどのようなものかイメージが湧かず、どのような苦しみかも図りかねる。

 セシェンテルは遣り切れぬ面持ちで首を左右に振る。

「普通は、ただアニムに変ずるだけです。痛みなど伴いません。

 けれどもユナ・ルー様は、体の中から少しずつアニムへ変じ、そのアニムが消失した部分に具現化して、そうして変わっていくのです。

 ですから体の中が削られているのです。具現化によって補正されますけれど。痛みは相当なものかと」

「止めることは出来ないのか。和らげるんじゃなくて」

「わたしにはなんとも……ただ、この代謝活動は、秘宝と連結しています。秘宝とは、ユナ・ルー様の魂なのです」

「これが?」

 今となっては忌々しいだけの石くれに過ぎなかったが、ユナ・ルーの魂だったとは。

 そう思うと、急にいとおしいような感情が湧いた。

「正確には魂など存在しません。アチェンラ神はアニムをユナ・ルー様の精神と連結させ、その繋がったアニムを宝石として具現化なさいました。それがこの秘宝です。

 ユナ・ルーさまが精神的苦痛を覚えるたびに、秘宝は崩壊し、そして代謝も進むのです」

「精神的苦痛……?」

 共にいた間は、何もなかったはずだ。

 せいぜい、ラハトで強姦されたくらいだろう。あとは、空間凍結のアニムノイズに敗北した時に落ち込んでいた。

 だが、あれから大分経っている。

 ユナディロからイニアへの旅路では、何事も起きなかった……はず。

「この地で安静になさっておられれば、現状を維持できる可能性は十分にあります」

 力づけるように、セシェンテルは微笑んだ。

 そうか。それならまだ……

「ゼルバルト様?」

 ふらついたゼルバルトの背に手を添え、心配そうに覗きこんでくるセシェンテル。

「すまない。ちょっと疲れてたみてぇだ」

「無理もありませんわ。それに、ここは高所です。ユナ・ルー様はわたしが診ておりますから、お休みください」

 お言葉に甘えさせてもらうことにする。

 ユナ・ルーに関する問題で、これほど心強い味方を得たことに、ゼルバルトは脱力する思いだった。

 本当に心労が溜まっていたのか、高所のためなのか、丈夫なだけが取り柄のゼルバルトが寝込んでしまった。

 数日もすると、ユナ・ルーのほうが見舞いに来て、部屋に薬香を焚いてくれた。

 もうすっかり彼の薬香も体に馴染む。

(癒される……)

 ユナ・ルーはなんとか安定しているし、自分がつきっきりでなくとも世話をしてくれる人間もいる。病人と僧ばかりのここで、抵抗できない彼に不埒な真似をする輩もいなかろう。

 それに、セシェンテルは可愛い。

 ユナ・ルーには悪いとは思うが、やはり好いた惚れたは理屈ではない。

 ようやく熱が引き、汗で汚れた体を寺院の浴場で清めた後、改めてセシェンテルに礼を言いに赴こうと思った。

 何か気の利いたプレゼントでもあればいいのだが、ここには商店もないし、どうしたものか。

「薬香、作ってみる?」

 悩むゼルバルトに提案してくれたのが、ユナ・ルーだ。

「俺でも作れんの」

「匂いに関するものは人の好き嫌いが左右して、難しいけれど、俺は彼女の好みを把握しているから」

 プロの薬香師監督の元で調合するなら、問題ないと。

 まず、基礎となる薬草はユナ・ルーが揃えてくれた。ありきたりに、疲労回復の効能。

「こういうのが、一番使い勝手がいい」

 毎日焚くものだしな、と納得する。

 そしてその薬草に合う香りの材料を、小皿に入れて並べてくれた。

「この中のものなら、好きに入れていい。どれを混ぜても良い香りになる。それに、ほんの少しの比率が香りの違いを生む。ゼルが調合した、この世でたったひとつの薬香が出来る」

 素人はそれでいいが、プロの薬香師は相手が同じものを所望した時のため、レシピを記録しておくという。これをユナ・ルーはカルテと呼んでいるらしい。

 乳鉢に入れてゴリゴリしていると、それだけで香りが立つ。

 彼女に似合うふんわり甘ずっぱい香り。さすがプロ。わかってらっしゃる。

「けっこう楽しいな」

 笑って言うと、ユナ・ルーも頷いた。

 ユナ・ルーの薬香と煙香は、さっそく寺院内の僧たちや患者、信者の人気を呼び、毎日依頼が絶えないという。

「一日にこなす分量は、セシェンテルに決められている。体に障ると怒られた」

 あの愛らしい少女がぷんぷんユナ・ルーを叱る姿を想像すると、胸がきゅんきゅんした。俺も、叱られたい。

 平和だなあ、と顔が綻ぶのを止められない。

 ゼルバルト自身、かなり長く戦場にいたし、終戦直後からはユナ・ルーのことで頭を悩ませていた。

 セシェンテル及び寺院の者からは、ぜひ一生でもここに居て貰いたいと言ってくれている。ゼルバルトには寺院警護団の団長になってほしいと、切実に請われた。

 ユナ・ルーもここでなら薬香師として存分に腕をふるえる。

 癒しの力を持つセシェンテルがいるので、アニム化進行もひとまず安心だ。精神的苦痛が進行の理由なら、なおのこと、ここにいるほうがいい。

 手製のプレゼント持参で部屋に訪ねてゆくと、セシェンテルは「きゃあ」と言って喜んだ。

「嬉しいです。さっそく使ってみてもよろしいです?」

「どうぞどうぞ」

 男は、喜ぶ反応が素敵な女性に弱い。

 可愛い小物や本が多いこちゃこちゃしたセシェンテルの部屋で、花香茶を飲んだ。こちらはユナ・ルー先生の力作。

「おいしい……です!」

 ぷるぷる震えて溜めて溜めてにこっと笑う。もう、正直たまらん。

「今度、わたしもユナ・ルー様に調合を教わろうかしら」

「やってみたら結構楽しかったよ」

「ですよね? きっとそうですよね!? わくわくしてきちゃった」

 口元を両手で覆って髪をふりふり。もう、以下略。

「お二人がいらしてから、毎日が楽しいです」

「いやこっちも。こんなに気が休まったのは数年ぶりで」

「ふふ。きっとここでは平和ぼけなさいますよ。大きな事件も滅多にはありませんから。強いて言えば、お二人がいらっしゃったことですね」

 心から二人の訪問が嬉しいというように笑うセシェンテル。

 けれども、ふと俯いた。

「ん、どうかしたか?」

「あ……あの」

「へ?」

「突然で、きっと驚かれると思うんですけど」

 かあっと花びらのように頬を染め、セシェンテルは胸元で拳を握った。

「はじめてお会いした時から……ひと目で、ゼルバルト様のことが」

 まじでか。

 まさかの両一目惚れ? いやまあ、こんな山の中じゃ滅多にいないほど見た目は良いと自負しているが。

「お返事はすぐでなくてよいのです。

 でも、わたしもこんな立場ですから……お付き合いとなると結婚が前提でないと許されません。ゼルバルトさま、ゆっくりでよいので、考えて頂けませんか?」

 正直かなり嬉しい。

 結婚と言われると少し気後れはするが、ゼルバルトとて適齢期の男。興味がなくはない。しかも、こんな花の精のような癒しの神の子と。

 が……

 ユナ・ルーのことが気がかりでもあった。

 罪悪感まで覚えたが、そういえば「ゼルは結婚して幸せになって」とまで言われたことがあるような。それに、あいつもゼルバルトが好きと言いながら、他の男と寝ようともする。けっこう、お互い様だ。

 それに、ユナ・ルーと離れる訳ではない。

 たとえばセシェンテルと結婚するならユナ・ルーと離れる必要がある、というなら即お断りするが、この寺院で共に暮らすのだ。何があっても駆けつけられる距離である。

 しかし、一応話はつけるべきだろう。

 結婚のような一生に一度のことでもある、きちんと考えたい。

 その日のところは部屋を辞して、ゼルバルトは寺院の空中庭園を散策した後、ユナ・ルーの部屋を訪ねた。

 ユナ・ルーの部屋はすっかり薬草庫、作業場と化している。

 彼がそれを望んだというより、依頼者の要望に応える内に、そうなってしまったという風情。

「邪魔するぜ」

 もはや気心知れた仲。適当に入って、適当な場所でくつろぐ。

「どうだよ、調子は」

「なんともない」

 ユナ・ルーも振り向かぬまま、カルテを覗いて作業に没頭している。

 大事な話があるのだが……大事な話なだけに、忙しいようだし後にすべきか。

 精神的苦痛が進行を促すという状況である、告白は慎重にいきたい。

「ゼルの顔色もいい。俺も少し安心した」

 お互いがお互いに気遣いすぎて、心痛を増やしてもいたようだ。

「ここでさ、ずっと暮らさねえか」

「ゼルが言うなら」

「そうじゃなくて、お前自身の意思を聞いてんの。ジプシーは旅を住処にする人種だろ」

「もともとは定住する民族の出身だ。ジプシーとして旅をしたのも、年数はたったの六年で、あとは戦場だった。旅をしなければ死んでしまう本当のジプシーとは違う」

 泳ぎ続けないと死ぬ魚のような人種だったのか、ジプシー。突き抜け過ぎだろう。

「ここにいるとゼルが幸せそうだから、俺もいたい」

 ゼルバルトは苦く笑む。

 本当にどこまでもゼルバルトを基準にものを考える。どれほど深く愛されているのか、分かる。

 その愛を、重いと感じないでもない。

 重いけれど押し付けてはこないから、息は詰まらないが。

「ひとつ聞いてもいいか?」

「なに」

「お前ってさ、俺のこと好きだろ。俺に好きになってほしくはないの」

「ないって、前にも言った」

「その理由を教えてくれないか。大事な話なんだ」

 真剣に頼み込む。

 ユナ・ルーは首を傾げながら、考えては作業し、考えては作業し、手が止まってしまう。

 作業を諦めたのか、中断してゼルバルトの隣に腰を下ろした。

「人魚……」

「はえ?」

「人魚姫」

 人面魚か何かだろうか。怖い。

 だが、聞いたところ、それはユナ・ルーの故郷の世界のお伽話で、人面魚ではなく此方で言う水龍の足を持つ美しい女人とのこと。それなら美しいと分かる。

「人魚姫は一人の男を好きになって、彼に会うために人間の足を得て陸に上った。男と結ばれなければ彼女は死ぬけれど、男には好きな人がいた。人魚姫は黙って身を引き、泡になって消える」

「…………………………お前、泡になる気なの」

「俺は石鹸じゃない」

「石鹸てお前」

「俺はずっとゼルの側にいるって、指きりした。消えたり死んだりしない」

 いやあ。

 もちろんユナ・ルーはセシェンテルとのことを知らないが、こちらに疚しい事情があるせいか、やけにあてつけがましく聞こえてしまう。

 ゼルバルトの自意識過剰だと、分かってはいるが。

「ゼルはどうして、彼女が泡になったと思う?」

「そりゃ、好きな男の幸せを願って、だろ。お前もそのタイプじゃん」

「ちがう。幸せを願うのは、そうだけど」

 ユナ・ルーは様々な薬草を吊った天井を見上げる。何かものを考えるとき、いつも彼はこの仕草をした。星でも見るような仕草だ。

「彼女が泡になったのは、他にすることがなかったからだと思う」

「え? ……いやそう、か。そう、だけど。え」

 本質ではあるが、斜め上のぶっとんだ回答。さすがのユナ・ルーである。

「俺も他にすることがないだけ。ゼルの幸せを願い、望みを叶える以外、俺には何もないから」

 だからゼルの好きにして、と言う。

 よくよく考えなくても物凄い状況だよなあ、と現実感なく腕を組む。

 ユナ・ルーは各神の子に敬われるほど特別な神の子で、彼に選ばれると世界の王になると言われていて、実際彼に選ばれて。

 そして今は癒しの神の子に求愛されている。

 シエゼ=デも言っていたが、世界一幸運な男というのは的外れではない。ユナ・ルーの不幸のことさえ抜かせば、であるが。

 なんにせよ、この分なら大丈夫そうだな、と思った。

 ただ、返事は急がなくていいと言われているし、ユナ・ルーの体が安定したとはっきり実感するまで、彼に告げるのは待つ。もちろんその間に結婚などしない。

「もうひとつさ、指切りしねえか」

「あまり多いと一つ一つの効力が薄れる」

「危ない時は逃げる、俺もお前も含めた幸せだろ? 忘れたりしねえよ。特に二番目は死んでも忘れてやらねえ。

 違うんだ。三番目は、俺が勝手にお前に約束してえの」

「?」

「何があっても、俺はお前を守る。約束というより、誓いみたいなもんだな」

 ユナ・ルーの瞳が不安定に揺れた。

「でも……」

「でもじゃねえよ。お前だって似たようなこと約束してたじゃん。だから指切りさせろ。ほら」

「あ」

 まごつくユナ・ルーの勝手に手をとって、指を絡ませた。

「歌、なんてんだっけ?」

「………」

「ユイーエルマン、嘘ついたら……ものすげえ制約ついてたよな。なんだっけ、剣まるのみ?」

「針千本」

「そうそれ。どんだけだよ千本って」

 茶化すけれども、ユナ・ルーの顔は浮かない。

 その様子にどきっとした。

 案の定というべきか、ユナ・ルーは胸を押さえて苦しみだした。

「あ……あ、」

「誰か! セシェンテルを呼んで来てくれ!!」

 やはり、まだまだ無理だ。

 セシェンテルに治療を受ける、苦しみ喘ぐユナ・ルーの姿に、ゼルバルトは目元を押さえる。

 なんだ。誓いがまずかったのか。

 ゼルバルトがユナ・ルーを守るということは、ゼルバルトの身が危険に晒されることでもある。

 ユナ・ルーはそれが怖くなったのだろう。

 これは自分が悪かった、と反省する。

 守る守らないなど、相手に言えば押し付けがましいではないか。誓いなど胸の内で勝手に立てて、勝手に遂行すればいい。

 もし、クレナノルクの「この世で最も恐ろしいこと」が訪れたとしても……

(絶対俺も一緒にその恐ろしい事とやらを受けてやる)

 それさえ乗り越えれば、ずっと側にいるとユナ・ルーは約束した。

 避けられないなら、せめて半分背負ってやりたい。

 それほどに、ゼルバルトにとってユナ・ルーは大切な存在だった。異性として惹かれるセシェンテルよりも。
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