悪役令嬢の願い

なむそ

文字の大きさ
14 / 22

13話

しおりを挟む


数日が経ち、屋敷には公爵家付きの家庭教師が訪れた。
私を含め、数名の使用人が出迎えに立つ。
そのすぐ後ろには、公爵とサビーナ様、そしてルミナが控えていた。

玄関ホールに程なくして現れたのは、落ち着いた色の外套を纏った一人の女性だった。
年は、四十前後ぐらいだろうか。
背筋は真っ直ぐで、歩き方に一切の無駄がない。
派手さはないが、身につけているものはどれも上質で…公爵家に招かれる理由が、一目でわかる。

―――なんて綺麗なんだろう。

立ちふるまいだけで目を引いてしまう事実に、私は胸の奥がわずかに高鳴るのを感じた。

「お久しぶりです、公爵」

低く穏やかな声。

「来てくれて助かる。セシリア・ヴァルデイン」

公爵にそう言われた彼女の視線は、すっとこちらへ流れた。
評価でも、警戒でもない。
ただ、そこに"いる"ことを確認するだけの目。

一拍置いて、彼女は何事もなかったようにルミナへ向き直る。

「初めまして、ルミナ様。本日より、こちらでご指導を任されましたセシリア・ヴァルデインです。…私のことはセシリアとお呼びください」
「セシリア先生、よろしくお願いします!」

ルミナが明るく頭を下げると、セシリアはごく薄く微笑んだ。
その横顔を見ながら、私は悟る。

―――この人は、屋敷の空気を知っている。私の立場も。

だからこそ。
彼女は何も言わず、何も聞かないのだ。

簡単な挨拶を済ませ、私はルミナの少し後ろを歩き、セシリア様と共に部屋へ入った。
セシリア様は無言で、一度だけ周囲を見渡した。
窓の位置、机と椅子の配置、そして光の入り方。
まるで、これから使う道具を確認するように。

「こちらでよろしいですね」

それは確認というより、指導が始まる合図だった。
ルミナが椅子に座ると、セシリアはゆっくりと向かいに立つ。
私は少し後ろ、指示された通りの位置に控えた。

「では、始めましょう」

その一言で、空気が変わる。

先ほどまでの談笑の余韻は、きれいに切り離された。
声は穏やかだが、曖昧さがない。
教える側としての距離と、線がはっきり引かれるのを感じた。

「今日は、基礎の確認からです。マナー、算術、読み書き。すべて"公爵令嬢として"不足がないかを見ます」

ルミナは小さく息を吸い、背筋を伸ばした。

「はい、セシリア先生」

その様子を見て、私は思う。

―――この人は甘やかさない。けれど、突き放しもしない。平等で人を見ている。

そうして静かで、逃げ場のない指導が始まった。

「ではまず、立ってください。学ぶ前に"今の姿"を見せていただきます」

セシリア様の声は静かだった。
命じるでもなく、促すでもない。それでも、その場にいる全員が従うことを前提とした声。
ルミナが椅子から立ち上がる。私は一歩引き、壁際に下がった。

―――私は、指導を受ける立場ではない。

「力は入れなくて結構です。いつも通りで」

セシリア様はルミナの姿勢にゆっくりと視線を巡らせる。

「……」

何も言わない。
けれど、その沈黙は誰かに"見られている"時間だった。

「ルミナ様」

名前を呼ばれ、ルミナがぴんと背筋を伸ばす。

「肩の力を少し抜いて。顎は引きすぎない。視線は正面」

一つずつ、短く。
ルミナは言われた通りに直し、すぐに姿勢が整う。

「よろしいですね」

その言葉とともに映るルミナの立ち姿を見て、私ははっきりとした違いを感じた。
…これが、公爵令嬢としての立ち振る舞い。
そして、私の立つ場所との違い。

―――けれど、私も"公爵令嬢"だ。

セシリア様は、私には一切視線を向けなかった。
声も、指示も、何もない。

けれど私は、目を逸らさなかった。

ルミナの足の位置。
体重のかけ方。
背筋の伸び方と、肩の落とし方。

―――全部、頭に刻み込む。

「立ち方は、まず"軸"です」

セシリア様の声だけが、静かに部屋に落ちる。

「軸がぶれなければ、動きは自然に見える。逆に、意識しすぎると不自然になる」

ルミナは小さく呟きながら、もう一度立ち直す。

……なるほど。

私は無意識に、自分の足元を見る。
侍女として立つ時の位置。給仕をする時の距離。

同じ"立つ"でも、求められる意味が違う。

「侍女は、目立たず。令嬢は、在るだけで場を整える」

そう言われたわけじゃない。でも、見ていればわかる。
私は教えられていない。
けれど、学べないわけじゃない。

―――教わらなくても、盗めばいい。

私は壁際で静かに息を整え、もう一度ルミナの姿を見た。
この時間は、ルミナに与えられたものであり、同時に私にとっても"学びの場"だった。

「…それでは、次は歩きましょう」

セシリア様はそう言って、部屋の中央を指した。

「端から端まで。一度で結構です」

ルミナは頷き、指示された位置に立つ。

「先ほど言った通り、重心を意識して。足を出そうとしない」

声は静かだが、逃げ場はない。
ルミナは一歩、踏み出した。

最初の一歩は少し硬い。けれど二歩、三歩と進むうちに、動きが整っていく。

「…今の音、聞こえましたか」

セシリア様の声が、ぴたりと落ちた。

「床を叩く音です。力が下に落ちています」

ルミナは小さく息を飲み、もう一度歩いた。
今度は、足音がほとんどしない。

…歩き方を工夫するだけで、こんなにも違う。

「よろしい」

短いその一言に、ルミナは微笑んでいた。
私は壁際で、足元から目を逸らさずに見ていた。
重心の移動、歩幅、腰の位置が上下しない理由。

侍女として身につけた"気配を消す歩き方"とは、似て非なるものだ。これは、"見られる前提"の歩き方。

―――同じ床を歩いているのに、意味がまるで違う。

「では、座ってください」

今度は椅子を示される。

「椅子に触れる前に、動作は始まっています」

―――座る、という行為は、腰を下ろす瞬間だけではない。
ルミナが椅子の前に立つ。

「背を向けない。視線を落としすぎない」

ただ座るだけのはずなのに、セシリア様の指示は細かい。

「腰から下ろす意識で。音を立てない」

ルミナは慎重に動き、静かに腰を下ろした。
椅子は、微塵も音を立てなかった。

「初めてにしては、上出来です」

その言葉に、ルミナの表情がほんの少し緩む。
それは褒められたからというより、張りつめていた糸が許されたような、そんな緩み方だった。

私はその一連を、息をするのも忘れて見ていた。
座る前の間。
裾の扱い。
膝の揃え方。

…知っているはずの動作なのに、こんなにも違う。

「今日はここまでにしましょう」

微笑みを浮かべたセシリア様がそう告げると、部屋に張りつめていた空気が、音もなくほどけた。

「少し休憩を。無理に詰め込む必要はありません」

ルミナは深く息を吐き、頷いた。

「ありがとうございます、セシリア先生」

その声には、疲労と、確かな手応えが混じっている。
私は壁際のまま、そっと肩の力を抜いた。

―――休憩は、ルミナのためのもの。

けれど私にとっても、頭の中を整理する時間だった。
立つ。歩く。座る。
どれも知っているはずなのに、知らなかった。
次に動く時、私はきっと無意識にこの"型"をなぞるだろう。

教わらなくても、学べる。侍女の時でもそうしてきた。
そして―――ここでも。


休憩のため、紅茶が用意された。
セシリア様が席を外したのを確認すると、ルミナはふっと肩の力を抜き私の方を見た。

「……つかれたぁ…」

さっきまでの凛とした姿はどこへやら。
椅子に座ったまま、少しだけ前に見を倒す。

「よく頑張りました」

私がそう言うと、ルミナは小さく笑って、私の袖をつまんだ。

「ねぇ、お姉様…私、ちゃんとできてた?」
「えぇ。とても綺麗だったわ」

それだけで、ルミナはぱっと表情を明るくする。

「ほんと?じゃあ、頑張ってよかったー」

その笑顔は、公爵令嬢のものではない。年相応の、無防備な顔。
私は無意識に一歩、距離を詰めていた。

―――あ。

気づいて、足を止める。
背筋を伸ばし、体重をほんの少しだけかかとに乗せ直す。
肩の力を抜き、顎を引きすぎない。

……さっき見た通りだ。

誰にも見られていないのに。
注意も、命令もされていないのに。

私は、もう"あの立ち方"をなぞっていた。

「お姉様?」

呼ばれて、はっとする。
ルミナは、どこか楽しそうに微笑んだ。

「……ふふふ。やっぱりお姉様なら、ちゃんと見てくれると思ってた」

そう言って、ルミナは意味ありげに微笑んだ。
子供らしい無邪気さと、どこか計算された色が混じった表情。

「それってどういう―――」

問いかけた、その瞬間。

「あ、先生」

ルミナの声色が、すっと変わる。
先ほどまでの柔らかさを一瞬で引き、きちんとした姿勢に戻る。
扉の方へ視線を向けると、セシリア様が静かに立っていた。

「おまたせしました」

それだけを告げ、視線は一度ルミナに、そして―――私に、かすかに流れる。
気づいたのは、私だけだったかもしれない。

「では、続けましょうか」

その一言で、部屋の空気は再び引き締まる。
私はルミナの後ろに立ち、いつもの"侍女の位置"に戻る。
けれど、胸の奥には、さっきの言葉が残ったままだった。

―――ちゃんと見てくれると思ってた。

それは、ただの信頼か。それとも、もっと先を見据えた言葉だったのか。

今は、まだ聞かない。
聞けない。

けれど確かに、ルミナは私が"見る側"であることを、最初から知っていた。
その事実だけが、静かに胸に残る。

私は息を整え、再びルミナの背中を見つめた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

虐げられた人生に疲れたので本物の悪女に私はなります

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
伯爵家である私の家には両親を亡くして一緒に暮らす同い年の従妹のカサンドラがいる。当主である父はカサンドラばかりを溺愛し、何故か実の娘である私を虐げる。その為に母も、使用人も、屋敷に出入りする人達までもが皆私を馬鹿にし、時には罠を這って陥れ、その度に私は叱責される。どんなに自分の仕業では無いと訴えても、謝罪しても許されないなら、いっそ本当の悪女になることにした。その矢先に私の婚約者候補を名乗る人物が現れて、話は思わぬ方向へ・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

ここは少女マンガの世界みたいだけど、そんなこと知ったこっちゃない

ゆーぞー
ファンタジー
気がつけば昔読んだ少女マンガの世界だった。マンガの通りなら決して幸せにはなれない。そんなわけにはいかない。自分が幸せになるためにやれることをやっていこう。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

聖女の力は使いたくありません!

三谷朱花
恋愛
目の前に並ぶ、婚約者と、気弱そうに隣に立つ義理の姉の姿に、私はめまいを覚えた。 ここは、私がヒロインの舞台じゃなかったの? 昨日までは、これまでの人生を逆転させて、ヒロインになりあがった自分を自分で褒めていたのに! どうしてこうなったのか、誰か教えて! ※アルファポリスのみの公開です。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

処理中です...