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第1部

第10章:真実の紅ー008ー

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 あまりにあっさりな円眞えんまの同意は、残る二人を拍子抜けと困惑をもたらした。

 ただし、と真紅の瞳の円眞が始める。
「あの雪南という女は見逃してやれ。甘いながらも彼奴の苦労は報いてやりたいし、我れの女にも頼まれている」
「それだけは受け入れるわけにはいきません、絶対に」

 ノウルが答える声は一気に低温化だ。断固とした響きがあった。

「ほぅ、なぜだ。著名人だったかもしれないが、たかが権力を握っていただけの話しだ。そのような者を一人ぐらい殺したところで、そう目くじらを立てることでもなかろう」

 事もなげにとんでもない内容を語る真紅の瞳の円眞だ。
 壬生みぶからすれば、考え出しからして以ての外である。
 けれども能力者であるノウルからすれば主張の機会を得られた。

「スキルを持たぬ者を、獲得者が手を出さないことで世界の調和は成り立っているからです。けれども強者が弱者に殺めないなど絵空事にしかすぎません。だからこそ強者側から盾となる者を輩出することでバランスを取るのです。さすれば……」
「それは結果的に、スキルなどと呼んでいる異能を保持する者同士で潰し合いをさせているようにしか思えんな」

 円眞の疑義は聞き慣れている類いなのだろう。ノウルの答えは透かさずだった。

「けれどもそれは我々が残ればいいだけの話しです。むしろスキル獲得者は少ないほうが、後の世界においては具合がいいかもしれません」
「なかなか野望に満ちた話しではないか」
「けれどこれこそ世界の均衡を保つための、最も現実的な方策です。それが達成されるまで、スキルある人間が持たぬ者を殺害したなどという事実を放っておくわけにはいきません。況してや、世界における権勢の中枢にあった人物を殺害したとあっては、断固たる処置で臨まなければならないのです」

 ふふふ、と真紅の円眞が笑った。とても熱弁に感銘を受けたとは思えないリアクションだ。

 なんですか、とさすがのノウルも気に障ったようである。

 いや、なに、と応じた円眞が問う。
「ところで、正義はどこへいった」

 即答し続けたノウルの声が出てこない。言葉の解釈ならいかようにでも切り返せる。いくらでも弁など立つはずが、円眞の真紅の瞳が迫れば言葉の意味よりも響きに押された。彼が放つ存在感に、この場しのぎが出来ない。

「我れに言わせれば、どうせ殺害されたという男は権威を振り回すことを躊躇しない輩なのだろう。ならば其奴のせいで死へ追いやられた者の数は、そこらのアサシンごときがこなせる数ではないだろうな」
「メイスン氏は犯罪者ではありませんよ」

 ようやくといった感じでノウルが応じる。
 ふっと笑みを、口許と真紅の瞳に閃かせる円眞だ。

「それは直接に手を出していないか、もしくは表沙汰になっていないだけの話しだろう。権力を掌握する人間など、目的のためなら手段は選ばん。言っていることとやっていることが最も乖離する連中だからな」
「メイスン氏がそんなことをした証拠が、どこにあるんですか」
「では、聞くがな。どうしてあの雪南なる女を逢魔街おうまがい逢魔ヶ刻おうまがときに始末をしようとした」
「それはスキルを持たぬ者を、持つ者が殺害をしたからです」
「ならば、法で裁けばいい。人間の都合で作ったものとはいえ、社会を機能される一部なのだろう。それに照らし合わせることなく処理など、能力者自ら立場を貶めるものではないか」

 それは……、とノウルは答えに詰まる。

「我れには、わざわざ犯人と目される者を法律外にある場所でリンチ同然で処理しようとした時点で、裏があるとしか思えんがな」」
「でもそれでは、メイスン氏の残された遺族の悲しみはどうなるのですか」

 壬生が我慢ならないといった調子で割り込んできた。
 円眞はうんざり顔で答えた。

「だから聞いている、正義はどこへいった、と。斃された三人は信じていたのだろう、そのお題目を」
「ええ、ですから殺害されたメイスン氏の仇を討つために……」
「それは私憤だ。正義を謳うならば、なぜここへ、この時間にきた? 我からすれば行為の理不尽さを逃れるために逢魔街を選んだとしか思えん。我れからすれば、メイスンとやらの殺害自体が怪しいぞ」

 なお壬生が前へ出掛かる肩を、ノウルが押さえた。静かすぎる瞳を湛えて、承服しかねるとする相手を見据える。

「残念です、黎銕円眞」

 敬称が消えた呼び方が、ノウルの変化を感じさせた。
 真紅の瞳の円眞は、それさえおもしろそうな顔で眺めてくる。とてもノウルには我慢ならない態度であった。

「貴方を生かすことは危険この上ない。一度は仲間に、などと思った私が愚かでした。おかげで貴重な戦力となる三人を失いました」
「本音は所詮、仲間ではなく戦力か」
「その減らず口も、ここまでです。黎銕円眞はここへ来た時点で敗北を喫しています、私のスキルによって。今それを知ることとなります」

 冷たい目の輝きをもってノウルは、右手の指を引いた。

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