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第3部

第4章:飜意ー003ー

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 虹色の光彩で包まれていた。
 歪むような空間は、上も下もない。
 気を失う黛莉まゆり雪南せつな雪南が倒れ伏す体勢を取っていなければ底の当てすらつかない光景だった。
 ふわり、倒れる二人の横へ降り立つ。貴志たかしとデリラであった。

「俺たちが逃げ出したなんて、決めつけないで欲しいよな」
「私たちを見くびりすぎね。能力の強さに溺れすぎての慢心ってところかしら」
「辛辣だな。俺たちのやり口が見事だったとも言えないか」
「それこそ慢心じゃない? 逢魔七人衆おうましちにんしゅうはこれくらいではしゃいだりしないわ」

 一本取られたとばかりに苦笑いする貴志だ。
 クールなデリラではあるが、ぐるり目を巡らせば薄気味悪そうに口許を歪める。 

「いつまでも居たい場所ではないわね、ここ」
「ひどい言い草じゃないか」

 黛莉と雪南が屋上で意識を失う前に聞いた声が立った。
 だってブルーノ、とダークブロンドの髪に瞳をしたデリラが言い訳するように始める。

「ここ、あんたの口の中なんでしょ。呑み込まれるんじゃないかって思うの、普通じゃない」
「イヤだな、ボクは食べたりなんかしませんよ。仲間ならば、ね」

 仲間……ね、と貴志は口の中で呟く。
 すると、ブルーノの声を空間いっぱいに響く。

「言っておくけど、ボクの仲間は憬汰けいた父さんに、マザーだけだ。君たちはあくまで協力者としての位置で仲間と呼んでいることを忘れないでくれよ」

 聞かれたか、と思う貴志はむしろ開き直った。人間ですら怪しい相手に、自分より憬汰を敬愛しているような思わせぶりも感じる。こちらからすれば内部からの爆発に耐えられるかどうか試してやりたくなる。
 不穏を、デリラは感じ取ったのだろう。

「ところで、この小娘たち、どうするつもり?」

 話題を変えるべく、意識不明の黛莉と雪南を指差しては尋ねる。

「ボクとしては食べてしまいたいな。二人とも、とてもおいしそうじゃないか」

 食だけでなく性としての欲も匂わせてくるブルーノの声だ。
 答えるは、うんざり気味の貴志である。

「憬汰様から言われているだろ。二人は和須如あすも円眞えんまを脅す格好の人質になるって」
「生かしておけばいいんだよね。だったら女の部分だけなら食べてもいいってことじゃないかな」

 貴志はもはや気持ち悪さを隠さない。

「下手に傷付けてみろ。円眞もそうだが、和須如の兄だって、どこまでチカラを秘めているか、正確には解明されていないんだぞ。そんな二人をお前の下劣さで、わざわざ煽る真似は止してもらいたいな」
「なんだよ、下劣って」
「憬汰様の言いつけより、自分の性欲を優先するようなおまえのことだよ」

 おまえっー! と虹彩の異空間に怒りの響きが埋め尽くした。

「ここはボクのフィールドなんだぞ。貴志がいくら爆弾を出そうが無駄ムダ」
「それはどうかな。俺だって、とっておきくらい用意してある」

 貴志は懐から手のひらに収まるボールにも似た爆弾を取り出す。

「形は小振りだけど、超高層ビルくらい一瞬で吹き飛ばせる特製品だ」
「そんなの爆発させたら、そっちだって無事にすまないじゃないか」
「おまえなんかに食べられるくらいなら、爆発させたほうがマシだ。『食のブルーノ』の中に入るからには、これくらいの用意はしておくさ」

 ちょっと、とデリラが本気で慌てている。けれども遅かったようだ。
 ふざけるなー、と空間を支配する者の熱り立つ叫びに、貴志は球形爆弾を掲げた。
 投げる前に、だった。

 ぎゃぁああああー、と耳の奥まで切り裂くよう甲高い苦悶が轟く。

 虹彩の彼方に真一文字の光りが走り、広がってゆく。
 貴志とデリラは空間を埋め尽くす輝きに腕で閉じた眼を覆う。

 再び眼を開けば、ビルの屋上だった。
 元にいた場所だ、現実の空間だ。
 足元にはブルーノが文字通り転がっている。
 けっこうな歳の大人に違いないが、歪な幼さが顔を形取っている。けれどももう表情が動くことはない。口は後頭部へ届くほど広がっては床を血で濡らしている。呼びかけても返事は二度とないだろう。
 どうして……、と呆然の態で口にするデリラへ、貴志は目を覚ませとばかり軽く小突く。

「しっかりしろ、デリラ。構えろ、来るぞ」

 デリラは武器である両手のサーベルをクロスさせて身体の前へかざした。強化系の能力によって剣身は建築物破壊に使用される鉄球ですら跳ね返す強靭さを誇る。そうそうの衝撃には耐えられるはずだった。
 にも関わらずデリラは受け止めた刃に押された。
 伸長してくる、たかが一本の刃に負けている。そんなはずは、と口にした頃には身体は宙に浮いていた。ビルの屋上から弾き出せれ、真っ逆さまに降下していく。

 デリラの名を呼ぶ貴志だが追うより攻撃が先決だった。
 七つの小型爆弾を一斉に具現化して飛ばしていく。
 貴志が能力として現出できる爆弾は小型であり七個までが限界だ。他は起動スイッチを必要としない自作もある。
 予想はしていた。
 七つの小型爆弾は細かく斬り刻まれて本来ほどの爆発力へ至らない。せいぜい破裂音を響かせる程度で終わっている。

 ならば、と貴志はブルーノを脅した球形の爆弾を取り出そうとした。
 その手より早く刃が突き刺す。
 切っ先に球形爆弾を捉えた刃が上空へ軌跡を描く。
 勢いよく放り投げられるように切っ先から離れていく丸い球が、緋い空の彼方へ飛んでいく。
 間もなく、音を立てて爆発した。

 鮮やかなまでに危機を乗り越え、危険を排除した人物を貴志は見る。到底自分ごときでは敵わないことを思い知る。こうなっては口先三寸で懐柔しかない。
 けれども目前にいる円眞とされる人物は、これまで聞き及んだ評判に当てはまらない雰囲気を放っている。冥い目を覗けば、体験したことのない戦慄が貴志の背筋へ走った。
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