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第3部

第9章:対抗する者ー001ー

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 ここがどこかは分かっていない。
 街のどこか、くらいは想像がつく。
 うまく廃屋に落ちてくれた、とは思う。
 運が良かった、と考えたら急に可笑しさが込み上げてきた。

 人気のない静かな屋内で、閻魔エンマは壁に背を預けたまま独り大きく笑った。

 仰ぐ天井は自分のせいで大きく穴が開いている。
 覗く星空が街の灯に消されず残った幾つかの煌めきを溢してくるようだ。
 どうやら雨は上がったらしい。
 笑いを収めた閻魔は、深く息を吐きながらうな垂れた。

「……完敗か……」

 自身へ向けて放つ声は小さい。けれど大きく響き渡るように聞こえた。
 何か気づいたかのように閻魔は顔を上げた。
 物音がしたような気がしたからだ。

 いつの間に、だった。

 眼前には大勢がひしめいている。
 いずれも黒いヘルメットとライダースーツらしき格好で身を包んでいる。
 見た目通りの服ではないには予想がつく。
 かつて行手を阻んだ者たちの姿が過ぎっていく。
 円眞えんまとして雪南の救出へ向かう前に現れた邪魔者と同じ格好だった。

「アンチ・スキルか……」

 閻魔が呟くように口にすれば、一人がついと前へ出てきた。
 シールドを上げれば、閻魔がよく知る人物が確認できた。

「やはりキサマか、黎銕憬汰くろがね けいた
「ずいぶんツレない呼び方をするね、エンマ。お父さんだよ」

 笑みをいっぱいに広げた壮年男性の顔が覗いている。酷薄な目許を愉快そうに歪めている。
 閻魔は吐き捨てるように言う。

「なにが父親だ。偽物め」
「だけどエンマは小さい頃から、お父さんと呼び続けてくれたじゃないか。元じゃなくても、この姿なら」
「そうするよう、仕向けてきたのではないか。黎銕くろがね一族が」
「それも愛情だよ。黎銕は人類をより高みへ持っていくよう研究を重ねる立派な家系にあるからね」
「長年に渡って人間の脳や身体を弄っては、自分たちの都合へ持っていくのが、どこが立派だというのだ。ふざけたことをべらべら喋るな」

 心底から不機嫌な閻魔の態度に、くっくっくっと嫌な笑いで父とする者が応えた。

「どうやらエンマは、いろいろ思い出してしまったみたいだ」
「ああ、キサマをバラバラにしてやったこともあった。それを夢に見て苦しむなどとしていたのだからな。今となっては、お笑い種だ」

 そう言って自嘲しかけた閻魔の耳へ、不意に甦る。
 悪夢にうなされた自分を心配そうに覗き込む碧い瞳が。それから父殺しの悪夢など見なくなった事実に、今さら気づいた。
 彼女のおかげだった。その彼女を迎えにいくはずだった、全てのチカラを手にして。
 雪南を傍へ置いても心配がないほどの絶対的な存在へ伸し上がるはずだった。
 だが、もはやもう露となって消え去った夢となった。

 エンマ、と黎銕憬汰だとする者が呼ぶ。

「父さんと一緒に家へ帰ろう。また三人で暮らすんだ」

 今度こそ閻魔は自虐に満ちた笑いを立てた。

「まったく甘く見られたものだ。親子三人という生活などなかったくらい、余は思い出しているぞ。全て黎銕の思惑通りにならなかったのは、癪だが紅い眼のヤツがたまに顔を出したおかげだ」
「でも今は紅い眼のエンマはいない。これは一個の人物として出直せる機会じゃないかな」  
「自分たちにとって都合のいいエンマを生み出したいだけだろう。余が単独となってキサマらには好機到来というわけだ」

 憬汰けいたとする人物から笑みが去り、険相になった。

「エンマ、黎銕の下へ戻りなさい。戻らないとするならば、悲しい答えを出さなければならない」
「どちらにしろ、ろくな結末にはならないだろう。ならば、答えは決まっている」

 間髪入れずの、閻魔の迷いない返事だった。

「そうか、それは残念だね」

 にやり、と返事にそぐわない顔つきをした憬汰なる人物はシールドを降ろした。頭の先から足下まで黒一色で全身を覆う。
 同じ格好をした背後の者たちも構えた。
 割れた窓や開いた天井から差す星灯りに、ぎらり刃が光る。どうやら揃いも揃って大太刀を手にしている。能力を込めなくても殺傷可能な武器だった。
 逢魔ヶ刻おうまがときが過ぎた現在では、殺人が罪として適用される。
 法が施行される事態を見越して用意されたものだろう。
 誰にも気づかれないよう、音もなく始末する。
 準備は万端だった。

 だが閻魔もまた簡単に殺られる気はない。
 痛みに耐えて立ちあがろうとした。
 よろめいては、膝が伸びきれない。なんとか片膝をつく体勢まで持っていくが精々だった。
 それでも戦う気概は失われておらず、右手を上げる。能力を発現した……はずだった。
 なに! と閻魔はうめく。
 剣の具現化など容易いはずの能力が発動しない。しなければ、ただの丸腰だ。単なる無力な怪我人であった。

「余は……これほどまでにチカラを失っていたのか。紅い眼のヤツが離れ、ラグナロクの光に触れなかった余はここまで無力となるのか」

 エンマ、とシールド越しで憬汰とする人物が呼びかけてくる。

「最後に、もう一度だけ言う。黎銕の下へ帰りなさい。そうしなければ、失敗作としてここで抹殺されますよ」

 数瞬間の沈黙が流れた後だ。
 ふっと洩れた閻魔の微笑だった。

雪南せつなの記憶が消えたら、それは余ではない。雪南への想いを奪おうとする要求など、この身がなくなろうとも許容はせぬ!」

 愚かな子です、とシールドの奥から声があった。

 それが余だ、と力強く答えた閻魔に数多くの太刀が突き立てられていった。
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