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はじめてのたたかい
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嘘。熊ってこんなに大きいの? くまのぷーさんは幻だったって事? これじゃまるで、コストコの熊だ。
「血一矢!」
ユキメの声が後方から聞こえた。しかし優しい声じゃない。これは誰かを殺そうとしている声だ。
直後、大熊の首元に真っ赤な大矢が突き刺さる。
そして苦しそうで、かつ怒り狂うような鳴き声を上げながら、熊は三歳児が駄々をこねるように暴れだす。
「ソウ様、こちらへ!」
言われなくとも、私は既にユキメの元へと走り出していた。
「これが龍血の力です。よく見ておいてください」
ユキメは左手で印を結ぶと、とても静かに、しかし声に出して、大熊の喉元に食らいつく血矢に向かって唱えた。
「發」
次の瞬間、熊の首は爆発し、辺り一帯には林檎の皮のような色をした血が飛び散った。しかし何が起きたのか皆目見当もつかない。
「何を、したの?」
目線は熊の死体に向けたまま、呆気にとられながら私はユキメに問う。
「熊の身体に私の血を混ぜ、それを中から発したのです」
「そんなことが」
「しかし、我々の血よりも貴い血には、いくら龍血を交ぜようと最早こちらの言う事は聞きませぬ」
なるほど。それは分かったけど、しかしえぐい技だな。熊の上半身が木っ端微塵だ。これには少し同情の念すら覚えてしまう。
「今夜は熊鍋ですね! コレは血抜きしておいて、帰りにまた取りに来ましょう」
「これ食べるんだ……」
ユキメは両手を合わせ、まるで流行のスイーツを目の前にしたJKのような顔でそう言った。今にもスマホで写真を撮りそうな勢いだ。
「――ちなみに、先ほどの“血一矢”は、龍人が最初に覚えるべき術とされています」
熊の残った足に縄を括りつけ、そうして木にぶら下げたユキメは、その手を川で洗いながら私に言う。
「それだけ難易度が低いって事?」
「そういう事です。では、ソウ様もやってみましょう」
川から手を上げ、水滴をぶらぶらと飛ばしながら彼女が立ち上がる。しかし簡単に言うが、どうやればいいのか分からない。
「やれって言われても、どうすればいいの?」
「ソウ様の龍血は、ソウ様の意思だけに従います。矢の形を思い浮かべるだけで、血は応えてくれましょう」
――――そんな簡単なのか?
私は半信半疑になりながらも、自らの人差し指の先端を、爪で少し傷つける。当然の如く血が溢れ出てたので、私は咄嗟に矢をイメージする。
「むむむ」
すると次第に血は形を成し始め、遂には一本の矢になってしまう。それは鉄のように固く、夕焼けのように美しい。
「では、それをあの木に向かって放ってみてください」
「放つって。思い浮かべるだけでいいの?」
「はい。分かりやすいのは、野を駆ける駿馬でしょうか?」
「馬ね。なるほど」
しかし私が思い浮かべるのは、馬ではなく車だった。その方が分かりやすいからだ。馬なんてテレビでしか見たことないし。
そして十分イメージが固まったところで、私は声を張り上げた。
「血一矢!」
――――直後、矢は私の手元を離れたかと思うと、既に、数十メートル先の木に突き刺さって震えていた。
「お見事っ。この齢にしてこの速力! 流石はヨウ家のご令息でございますぅ!」
キャッキャと燥ぐユキメ。
しかし何をしても喜ぶ彼女を見ていると、少し自信というものを失ってしまう。果たして私は、龍人の平均を上回っているのだろうか?
――――その後も、私は龍血の術についていろいろ学んだ。
刀を作ったり、槍を作ったり。龍血で身体能力を上げたりと、龍血にはとにかく用途がたくさんあった。かなり汎用性の高い特性だ。
「では、次は部位変化ですね」
ある程度龍血の武鞭を行ったあと、ユキメは一回手を叩いてそう言った。彼女曰く、手を叩くのは切り替えるためのクセらしい。
「先生、まずは部位変化がどういうものなのか教えてください」
大きな岩に腰を降ろし、水を飲みながら私が聞くと、ユキメは何とも嬉しそうな顔をして悶え始める。
「せ、先生……。先生。なんと、なんと貴きお言葉」
「先生、はやく授業を進めましょう!」
「――――ああ!」
「どうした!」
ユキメは膝から崩れ落ち、まるで悪代官に押し倒された遊女のように私を見る。
「これ以上はいけませぬ。ユキメは頭がおかしくなりそうです」
なんだこれ。
しまったな。先生と呼ぶのは今後から禁止にしよう。全く物事がはかどらない。
「…………そ、しれでは! それでは、部位変化とは何ぞやという事ですが」
やっとで話が進んだ。普段は冷静沈着で、全てを完璧にこなす才色兼備のくせに、変なところに地雷があるから扱いづらい。
「部位変化とは、龍の姿を取り戻すことです」
「龍の姿を、取り戻す?」
先ほどよりは落ち着いたが、ユキメの頬はまだ薄い紅色に染まっている。
「はい。私たち龍人は、普段は神様の姿をしていることはご存じですよね」
周知の事実だ。
「でも龍人は神の血より、龍の血の方が濃いんだよね?」
「流石、良いところに気付かれます」
大きな岩の上に座っていても、目線はユキメと変わらない。いつもは下から見上げているが、こうして正面から見るのも良い物だ。
「龍人は完全に龍の姿を取り戻すと、友や恋人。果ては両親にも危害を加えてしまうほど、己を失ってしまうのです」
家の文献に書かれていた“龍の姿になりし者、もはや神にあらず龍にもあらず”というのはこの事を言っていたのか。さしずめ狼人間やサイヤ人って言ったところか。
「ですから、それを恐れた神々が、産まれてくる龍人には神の姿を与えようと取り決めたのです」
「ふーん。何か必殺技みたいでカッコいいのを想像してたけど、存外ヤバそうな代物だね」
少し気が抜けた。部位変化なんて言うからどんなものかと想像していたが、使いすぎれば暴発する、まさに諸刃の剣だ
「しかし、しっかりと用法を守れば、龍人は神にも負けぬ力を得ますよ」
「流石に神様には勝てないでしょ」
私の言葉に、ユキメはまるで敵などいないかのような笑みを浮かべる。
「見ててください」
彼女が静かに目をつむると、それに反応するかのように木々が騒めきだし、小さな鳥たちが一斉に空へ飛び立つ。
「龍頭」
彼女の頭から真っ白な角が天を仰ぐように伸び始める。
さらに彼女の耳が、まるでエルフの耳のように長く尖る。いつもの耳飾りが別物に見えてしまうほどの変化っぷり。
「どうですか?」
そう言うユキメの目には、赤い紋様が妖しく浮いている。まるで別人のようだが、その優しい声音は間違いなく彼女の物だ。
「ユキメだよね?」
「もちろんです。ちなみに私たちは、龍の姿に戻る事を“還り"と呼んでいます」
さっき自分を失うなどと聞いたからだ。私は今、目の前の彼女に恐怖心を抱いている。
――――糸のように細く、そして赤く輝く瞳孔。松のように生える立派な角は、普段の彼女を忘れさせてしまう程いかめしい。
「まだまだこれからですよ。よく見ておいてくださいまし」
彼女はそう言って笑うが、その見慣れた口からは牙が覗いている。私の知っているユキメが、ユキメではなくなってしまう様だ。
「龍脚」
――――再び彼女の身体が変化を始める。
すらりとまっすぐ伸びている足が歪み、さらに三十センチほど身長が高くなる。仕舞には袴の裾から、まさに龍の如く鋭利な大爪が姿を現した。
「少し醜いので足は見せたくありませんが、龍の鱗は、如何なる刃も砕く程たくましいんですよ」
目元に浮かぶ赤い紋様が、先ほどよりも広がっている。恐らくこの紋様は、龍の姿を取り戻す程に赤く、そして妖しく浮かぶのだろう。
――――龍人本来の姿と言われるその様は、あまりにも神々しく、そしてあまりにも厳めしい。しかしユキメの声だけが唯一、彼女が正気だと言ってる。
「エモいね。その姿」
「えも?」
「ああいや、すごく躍動的だなって」
ユキメはいつものように笑って見せる。やはり彼女はどんな姿になろうと、太陽のような不変の美しさを持っている。
「他にも“尻尾"や“腕”も龍に戻せますが、同時に変化するのは二か所までに留めておいた方がいいです」
「それ以上は危険ってこと?」
「そうです。天龍体になってもなお、正気を保った龍人の伝説もありますが、実在したという話はありません」
「注意しろって事ね。りょ」
――――さて、それじゃあ、一丁やってやりますか。
そう意気込んで岩から飛び降りた時、ユキメの大きさに改めて驚く。一七〇近い身長が、二〇〇以上に伸びているのだ。驚くのも無理はない。
「私としても、さっそく部位変化を教えたいのですが、もどかしい事に、ソウ様にはまだ龍玉がありません」
ユキメは腰を落とし、更には膝をついてようやく目線を私に合わせる。それでもまだ私が見上げなければならない程の高さだが。
…………ん? 待てよ、龍玉がないと変化できないのか?
「今の私には出来ないってこと?」
「残念ながら」
生殺し! ここまで見せられてお預けって、そりゃあんまりだ……。
「えええ。何かショック」
「ですがこれで“還り”がどの様なものか、おおよそ把握できたと思います。還りを見せるのと見せないのでは、今後の成長が大きく変わるんですよ」
要は、普段からイメージトレーニングしろって事か。龍玉が貰えるまであと三十年。ほど遠いなあ。
「しからば、ここまでで何か質問はおありですか?」
懇切丁寧な説明のおかげもあり、疑問は殆どなかった。そして彼女は何かを待っているようにその身をうずうずさせているが、私はもう先生とは呼ばない。
「――――ありません!」
「そ、そうですか」
あからさまに落ち込む龍。同時に部位変化も解くが、元の姿でしゅんとされると、どうしようもない罪悪感に駆られる。
「……では、次は実戦に参りましょう」
沈んだ気分のまま次へ移ろうとするが、本当に大丈夫なのだろうか? きっと私のお兄ちゃんも、こんな気持ちだったのだろうな。
――――待て、いま実戦と言ったか?
「実戦!?」
「はい。まだ不安な気持ちもあると思いますが、ソウ様は十分に龍血を使えているので、私から見ても問題ないですよ」
肩を落としながらぶつぶつ呟くように言葉を並べるユキメだが、しかし私の心は滾っていた。
来た来た来た! さっきのクマ戦では不意を突かれたから何もできなかったけど、真正面からの戦いなら、どんな相手でもボコボコにしてやる。
「もちろん! 私にかかれば天下龍だってイチコロよ!」
「その意気でございますソウ様!」
やっとこさ戦が出来る! ここまでずっとムービーシーンみたいなものだったからな。私の龍眼が疼いて仕方ないぜ!
「で? 私は何と戦えばいいの?」
「それはですね…………」
――――場所は変わり、川辺から少し翔んだ山の中腹。そこで私とユキメはある妖怪を見つけ、その後を静かに追っていた。
「あれは小鬼です」
斜面が緩やかな山の中。夏の暑さが届かない美しい木々の下。聞くだけで涼しくなるようなセミの鳴き声や、鳥のさえずりがこだまする美しい場所。
「キモ、何あれ」
風光明媚な自然の中で、まるで風景と同化するような土色の肌をした化け物。その妖怪は、生きたままのウサギを掴みながら、なにやら楽し気に山中を歩いていた。
「小鬼は山中に巣を作り、山から降りては家畜や村々を襲う厄介な妖怪です」
「めちゃくちゃ弱そうだけど」
人間換算で、だいたい五歳児の私より少し小さい。あれに負ける奴なんているのか?
「一匹なら問題ありませんが、奴らの恐ろしい所は、その数と繁殖力です」
「まるでゴキブリだな」
中世ヨーロッパ異世界で言うところのゴブリン的なポジションか? まあ、最初の魔物なんてそんな所だろうな。
「よし、アイツを倒してこればいいってことね」
「ですが小鬼は、“一匹見たら百匹いると思え”という話があります。注意してください」
「お任せ」
そう言って私が木の影から出ると、小鬼はすぐさまその気配に気づいた。流石は山の中で暮らしているだけはある。
「悪いな。私の経験値になってもらうぞ」
「何⨧"ᤊ前!」
神語を解さないのか、小鬼は訳も分からない言葉を私に浴びせかける。だが、それが逆に不気味さを増している。
しかしそんな小鬼もお構いなしに、私は指を切って血を流した。そして…………。
「血一矢!」
最初に覚えた龍血。木を貫通させるほどの威力はないが、こいつには十分なダメージになるだろ。
――――そしてその威力も速度も十分の血矢は、甲高い風切り音を奏でながら小鬼の頭を打ち抜いた。
「よし!」
まさに一撃必殺。小鬼はそのまま地面に伏し、捕まっていたウサギが山の奥へと消えて行った。
「見事です。ですが注意してくださいませ。奴の仲間が襲って来るやもしれませぬ」
その言葉に再び神経をとがらせる。しかし聞こえてくるのは、鳥の羽ばたきや木々の騒めきだけで、その他の音は何も聞こえない。
「もういないんじゃない?」
――――その瞬間、ユキメが私を抱きかかえる。
おいおい、嬉しさのあまり声も出ないのか?
「ご注意を」
「え?」
ユキメの手には小さなボロボロの矢。どこからか放たれたその矢を、彼女が掴んで止めたのだ。
そして気づけば、私たちは小鬼の群れに囲まれていた。奴らは自らの体色を活かし、森の中に潜伏していたのだ。……迂闊だった。
「数が多いですね。一旦退きましょう」
退くだって? せっかく経験値の群れが向こうから出向いてくれたのだ、これを逃す手はない。
私はユキメの腕を振りほどき、再び血の矢を作り出す。
「忘れたかユキメ。私は天才だぞ」
くう。決まったあ。……でも待てよ、これってもしやフラグなのでは?
「血一矢!」
ユキメの声が後方から聞こえた。しかし優しい声じゃない。これは誰かを殺そうとしている声だ。
直後、大熊の首元に真っ赤な大矢が突き刺さる。
そして苦しそうで、かつ怒り狂うような鳴き声を上げながら、熊は三歳児が駄々をこねるように暴れだす。
「ソウ様、こちらへ!」
言われなくとも、私は既にユキメの元へと走り出していた。
「これが龍血の力です。よく見ておいてください」
ユキメは左手で印を結ぶと、とても静かに、しかし声に出して、大熊の喉元に食らいつく血矢に向かって唱えた。
「發」
次の瞬間、熊の首は爆発し、辺り一帯には林檎の皮のような色をした血が飛び散った。しかし何が起きたのか皆目見当もつかない。
「何を、したの?」
目線は熊の死体に向けたまま、呆気にとられながら私はユキメに問う。
「熊の身体に私の血を混ぜ、それを中から発したのです」
「そんなことが」
「しかし、我々の血よりも貴い血には、いくら龍血を交ぜようと最早こちらの言う事は聞きませぬ」
なるほど。それは分かったけど、しかしえぐい技だな。熊の上半身が木っ端微塵だ。これには少し同情の念すら覚えてしまう。
「今夜は熊鍋ですね! コレは血抜きしておいて、帰りにまた取りに来ましょう」
「これ食べるんだ……」
ユキメは両手を合わせ、まるで流行のスイーツを目の前にしたJKのような顔でそう言った。今にもスマホで写真を撮りそうな勢いだ。
「――ちなみに、先ほどの“血一矢”は、龍人が最初に覚えるべき術とされています」
熊の残った足に縄を括りつけ、そうして木にぶら下げたユキメは、その手を川で洗いながら私に言う。
「それだけ難易度が低いって事?」
「そういう事です。では、ソウ様もやってみましょう」
川から手を上げ、水滴をぶらぶらと飛ばしながら彼女が立ち上がる。しかし簡単に言うが、どうやればいいのか分からない。
「やれって言われても、どうすればいいの?」
「ソウ様の龍血は、ソウ様の意思だけに従います。矢の形を思い浮かべるだけで、血は応えてくれましょう」
――――そんな簡単なのか?
私は半信半疑になりながらも、自らの人差し指の先端を、爪で少し傷つける。当然の如く血が溢れ出てたので、私は咄嗟に矢をイメージする。
「むむむ」
すると次第に血は形を成し始め、遂には一本の矢になってしまう。それは鉄のように固く、夕焼けのように美しい。
「では、それをあの木に向かって放ってみてください」
「放つって。思い浮かべるだけでいいの?」
「はい。分かりやすいのは、野を駆ける駿馬でしょうか?」
「馬ね。なるほど」
しかし私が思い浮かべるのは、馬ではなく車だった。その方が分かりやすいからだ。馬なんてテレビでしか見たことないし。
そして十分イメージが固まったところで、私は声を張り上げた。
「血一矢!」
――――直後、矢は私の手元を離れたかと思うと、既に、数十メートル先の木に突き刺さって震えていた。
「お見事っ。この齢にしてこの速力! 流石はヨウ家のご令息でございますぅ!」
キャッキャと燥ぐユキメ。
しかし何をしても喜ぶ彼女を見ていると、少し自信というものを失ってしまう。果たして私は、龍人の平均を上回っているのだろうか?
――――その後も、私は龍血の術についていろいろ学んだ。
刀を作ったり、槍を作ったり。龍血で身体能力を上げたりと、龍血にはとにかく用途がたくさんあった。かなり汎用性の高い特性だ。
「では、次は部位変化ですね」
ある程度龍血の武鞭を行ったあと、ユキメは一回手を叩いてそう言った。彼女曰く、手を叩くのは切り替えるためのクセらしい。
「先生、まずは部位変化がどういうものなのか教えてください」
大きな岩に腰を降ろし、水を飲みながら私が聞くと、ユキメは何とも嬉しそうな顔をして悶え始める。
「せ、先生……。先生。なんと、なんと貴きお言葉」
「先生、はやく授業を進めましょう!」
「――――ああ!」
「どうした!」
ユキメは膝から崩れ落ち、まるで悪代官に押し倒された遊女のように私を見る。
「これ以上はいけませぬ。ユキメは頭がおかしくなりそうです」
なんだこれ。
しまったな。先生と呼ぶのは今後から禁止にしよう。全く物事がはかどらない。
「…………そ、しれでは! それでは、部位変化とは何ぞやという事ですが」
やっとで話が進んだ。普段は冷静沈着で、全てを完璧にこなす才色兼備のくせに、変なところに地雷があるから扱いづらい。
「部位変化とは、龍の姿を取り戻すことです」
「龍の姿を、取り戻す?」
先ほどよりは落ち着いたが、ユキメの頬はまだ薄い紅色に染まっている。
「はい。私たち龍人は、普段は神様の姿をしていることはご存じですよね」
周知の事実だ。
「でも龍人は神の血より、龍の血の方が濃いんだよね?」
「流石、良いところに気付かれます」
大きな岩の上に座っていても、目線はユキメと変わらない。いつもは下から見上げているが、こうして正面から見るのも良い物だ。
「龍人は完全に龍の姿を取り戻すと、友や恋人。果ては両親にも危害を加えてしまうほど、己を失ってしまうのです」
家の文献に書かれていた“龍の姿になりし者、もはや神にあらず龍にもあらず”というのはこの事を言っていたのか。さしずめ狼人間やサイヤ人って言ったところか。
「ですから、それを恐れた神々が、産まれてくる龍人には神の姿を与えようと取り決めたのです」
「ふーん。何か必殺技みたいでカッコいいのを想像してたけど、存外ヤバそうな代物だね」
少し気が抜けた。部位変化なんて言うからどんなものかと想像していたが、使いすぎれば暴発する、まさに諸刃の剣だ
「しかし、しっかりと用法を守れば、龍人は神にも負けぬ力を得ますよ」
「流石に神様には勝てないでしょ」
私の言葉に、ユキメはまるで敵などいないかのような笑みを浮かべる。
「見ててください」
彼女が静かに目をつむると、それに反応するかのように木々が騒めきだし、小さな鳥たちが一斉に空へ飛び立つ。
「龍頭」
彼女の頭から真っ白な角が天を仰ぐように伸び始める。
さらに彼女の耳が、まるでエルフの耳のように長く尖る。いつもの耳飾りが別物に見えてしまうほどの変化っぷり。
「どうですか?」
そう言うユキメの目には、赤い紋様が妖しく浮いている。まるで別人のようだが、その優しい声音は間違いなく彼女の物だ。
「ユキメだよね?」
「もちろんです。ちなみに私たちは、龍の姿に戻る事を“還り"と呼んでいます」
さっき自分を失うなどと聞いたからだ。私は今、目の前の彼女に恐怖心を抱いている。
――――糸のように細く、そして赤く輝く瞳孔。松のように生える立派な角は、普段の彼女を忘れさせてしまう程いかめしい。
「まだまだこれからですよ。よく見ておいてくださいまし」
彼女はそう言って笑うが、その見慣れた口からは牙が覗いている。私の知っているユキメが、ユキメではなくなってしまう様だ。
「龍脚」
――――再び彼女の身体が変化を始める。
すらりとまっすぐ伸びている足が歪み、さらに三十センチほど身長が高くなる。仕舞には袴の裾から、まさに龍の如く鋭利な大爪が姿を現した。
「少し醜いので足は見せたくありませんが、龍の鱗は、如何なる刃も砕く程たくましいんですよ」
目元に浮かぶ赤い紋様が、先ほどよりも広がっている。恐らくこの紋様は、龍の姿を取り戻す程に赤く、そして妖しく浮かぶのだろう。
――――龍人本来の姿と言われるその様は、あまりにも神々しく、そしてあまりにも厳めしい。しかしユキメの声だけが唯一、彼女が正気だと言ってる。
「エモいね。その姿」
「えも?」
「ああいや、すごく躍動的だなって」
ユキメはいつものように笑って見せる。やはり彼女はどんな姿になろうと、太陽のような不変の美しさを持っている。
「他にも“尻尾"や“腕”も龍に戻せますが、同時に変化するのは二か所までに留めておいた方がいいです」
「それ以上は危険ってこと?」
「そうです。天龍体になってもなお、正気を保った龍人の伝説もありますが、実在したという話はありません」
「注意しろって事ね。りょ」
――――さて、それじゃあ、一丁やってやりますか。
そう意気込んで岩から飛び降りた時、ユキメの大きさに改めて驚く。一七〇近い身長が、二〇〇以上に伸びているのだ。驚くのも無理はない。
「私としても、さっそく部位変化を教えたいのですが、もどかしい事に、ソウ様にはまだ龍玉がありません」
ユキメは腰を落とし、更には膝をついてようやく目線を私に合わせる。それでもまだ私が見上げなければならない程の高さだが。
…………ん? 待てよ、龍玉がないと変化できないのか?
「今の私には出来ないってこと?」
「残念ながら」
生殺し! ここまで見せられてお預けって、そりゃあんまりだ……。
「えええ。何かショック」
「ですがこれで“還り”がどの様なものか、おおよそ把握できたと思います。還りを見せるのと見せないのでは、今後の成長が大きく変わるんですよ」
要は、普段からイメージトレーニングしろって事か。龍玉が貰えるまであと三十年。ほど遠いなあ。
「しからば、ここまでで何か質問はおありですか?」
懇切丁寧な説明のおかげもあり、疑問は殆どなかった。そして彼女は何かを待っているようにその身をうずうずさせているが、私はもう先生とは呼ばない。
「――――ありません!」
「そ、そうですか」
あからさまに落ち込む龍。同時に部位変化も解くが、元の姿でしゅんとされると、どうしようもない罪悪感に駆られる。
「……では、次は実戦に参りましょう」
沈んだ気分のまま次へ移ろうとするが、本当に大丈夫なのだろうか? きっと私のお兄ちゃんも、こんな気持ちだったのだろうな。
――――待て、いま実戦と言ったか?
「実戦!?」
「はい。まだ不安な気持ちもあると思いますが、ソウ様は十分に龍血を使えているので、私から見ても問題ないですよ」
肩を落としながらぶつぶつ呟くように言葉を並べるユキメだが、しかし私の心は滾っていた。
来た来た来た! さっきのクマ戦では不意を突かれたから何もできなかったけど、真正面からの戦いなら、どんな相手でもボコボコにしてやる。
「もちろん! 私にかかれば天下龍だってイチコロよ!」
「その意気でございますソウ様!」
やっとこさ戦が出来る! ここまでずっとムービーシーンみたいなものだったからな。私の龍眼が疼いて仕方ないぜ!
「で? 私は何と戦えばいいの?」
「それはですね…………」
――――場所は変わり、川辺から少し翔んだ山の中腹。そこで私とユキメはある妖怪を見つけ、その後を静かに追っていた。
「あれは小鬼です」
斜面が緩やかな山の中。夏の暑さが届かない美しい木々の下。聞くだけで涼しくなるようなセミの鳴き声や、鳥のさえずりがこだまする美しい場所。
「キモ、何あれ」
風光明媚な自然の中で、まるで風景と同化するような土色の肌をした化け物。その妖怪は、生きたままのウサギを掴みながら、なにやら楽し気に山中を歩いていた。
「小鬼は山中に巣を作り、山から降りては家畜や村々を襲う厄介な妖怪です」
「めちゃくちゃ弱そうだけど」
人間換算で、だいたい五歳児の私より少し小さい。あれに負ける奴なんているのか?
「一匹なら問題ありませんが、奴らの恐ろしい所は、その数と繁殖力です」
「まるでゴキブリだな」
中世ヨーロッパ異世界で言うところのゴブリン的なポジションか? まあ、最初の魔物なんてそんな所だろうな。
「よし、アイツを倒してこればいいってことね」
「ですが小鬼は、“一匹見たら百匹いると思え”という話があります。注意してください」
「お任せ」
そう言って私が木の影から出ると、小鬼はすぐさまその気配に気づいた。流石は山の中で暮らしているだけはある。
「悪いな。私の経験値になってもらうぞ」
「何⨧"ᤊ前!」
神語を解さないのか、小鬼は訳も分からない言葉を私に浴びせかける。だが、それが逆に不気味さを増している。
しかしそんな小鬼もお構いなしに、私は指を切って血を流した。そして…………。
「血一矢!」
最初に覚えた龍血。木を貫通させるほどの威力はないが、こいつには十分なダメージになるだろ。
――――そしてその威力も速度も十分の血矢は、甲高い風切り音を奏でながら小鬼の頭を打ち抜いた。
「よし!」
まさに一撃必殺。小鬼はそのまま地面に伏し、捕まっていたウサギが山の奥へと消えて行った。
「見事です。ですが注意してくださいませ。奴の仲間が襲って来るやもしれませぬ」
その言葉に再び神経をとがらせる。しかし聞こえてくるのは、鳥の羽ばたきや木々の騒めきだけで、その他の音は何も聞こえない。
「もういないんじゃない?」
――――その瞬間、ユキメが私を抱きかかえる。
おいおい、嬉しさのあまり声も出ないのか?
「ご注意を」
「え?」
ユキメの手には小さなボロボロの矢。どこからか放たれたその矢を、彼女が掴んで止めたのだ。
そして気づけば、私たちは小鬼の群れに囲まれていた。奴らは自らの体色を活かし、森の中に潜伏していたのだ。……迂闊だった。
「数が多いですね。一旦退きましょう」
退くだって? せっかく経験値の群れが向こうから出向いてくれたのだ、これを逃す手はない。
私はユキメの腕を振りほどき、再び血の矢を作り出す。
「忘れたかユキメ。私は天才だぞ」
くう。決まったあ。……でも待てよ、これってもしやフラグなのでは?
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