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第六章 新しい門出
第三十五話 私じゃだめですか
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「今日はお疲れさま。だいたい片付いたんなら、仕事は明日からできそう?」
ほうじ茶を音を立ててすすりつつ、横目で杏子を確認して、宮部はそう問うた。美味しい食事で満たされた胃袋のなせる技か、すっかり下がった目尻は、宮部が上機嫌であることを語っていた。
「うん、明日からぼちぼち。そうだ、私のことより、宮部さん。役場でアルバイト募集の張り紙を見たんだけど、人手不足なの?」
同じく、熱い湯飲みを両手で包み、ふぅっと息を吹きかけてから、杏子はそう答えた。ずずっとすすったほうじ茶は、口の中に残った油を洗い流してくれるようで、心地よかった。
「ああ、あれ。いや、そういうわけじゃなくて、来週五日ほどスペインに買い付けに行くから、その間植物の世話をしてくれる人を探してるだけ。実は、春と秋の年に二回、海外に買い付けに行くんだけど、そのタイミングに合わせて、加古川から伯母が出てきて、俺の留守の間の面倒を見てくれてたんだ。あの家の手入れを兼ねてね。でも、伯母ももう歳だから、しんどいみたいで。だから、家のことは丁度よかったんだけど、うちの植物の世話をしてくれる人を探さないといけなくてね。」
「見つかりそう?」
「それがなかなか…。この時期はどこの農家も忙しいから、人手募集のライバルが多くて。うちは短期すぎるのかな。他にもっと長期で金になる仕事があったら、そっちの方がいいんだろ。日程がもう少し前なら、春休み中の高校生でも来てくれたかもしれないけどなぁ。」
「高校生でもいいの?その業界の人じゃなくても?」
杏子の言葉に、少し考え込むような仕草を見せてから、宮部は答えた。
「経験者だったら、そりゃもちろん良いけど。そうじゃなかったら、何日か一緒に作業をして覚えてもらえば、大丈夫だと思うよ。ほんの数日任せるだけだしな。」
宮部のその言葉に、杏子は、意を決して、口を開いた。ずいっと、宮部の方に体を乗り出して、真剣な眼差しで宮部を見据えている。
「素人でも良いなら、私にやらせてください!伯母様が来なくて良くなったのは、そもそも私のせいだし。良くしてもらったお礼もしたかったし。でも、何より、太陽の庭の植物のこと、もっと知りたいなって。」
宮部は、杏子の気迫に押されたのか、少し体を引いて目を大きく見開いている。やがて、杏子から顔を背けて肩を小刻みに揺らし出した。杏子には、もう分かっていた。宮部お得意の、かみ殺した笑いであった。
一通り笑い終えて宮部が再び杏子に向き直ったとき、杏子はすっかりむくれ顔になっていた。
「ごめん、ごめん。杏子さんて、普段は控えめな喋り方なのに、突然スイッチが入るんだな。一万円に釣られたときも、こんな風に喋ってたのかと思うと、もう俺、堪えられなくて…。」
宮部は、垂れた目尻に涙を浮かべていた。対して、杏子は、相変わらず憮然とした表情だった。
「宮部さんって、意外と笑い上戸。それに、硬派な見た目の割に、饒舌に熱いこと語るし。仕事着はワイルドな感じなのに、私服はスマートに決めてくるし。ほんと、意外性の男ですね。」
宮部は、面白そうに口角を片方だけ上げて、杏子の顔を覗き込んだ。杏子は、口を尖らせるようにして、宮部から顔を背けていた。
「スマートかどうかは知らないけど。だから着替えてくれたの?本当に良く似合ってる、その服。」
ちょうど彼の好みだったのだろうか。宮部はまた、杏子の服装を褒めた。すとんとしたIラインを描く膝より少し上の紺色のワンピースに、さらりとした柔らかい質感の白いカーディガンを羽織った杏子は、急に恥ずかしくなって、座っているせいで丈が短くなった布の端を、必至で引っ張り膝を隠そうとした。その耳が、真っ赤に色づいたことに、宮部はもちろん気づいただろうが、それ以上、杏子を揶揄うことはやめて、話題を元に戻した。
「申し出は正直すごく有り難いんだけど、本業は大丈夫?それに、杏子さん、筋肉痛増えるんじゃないかな。」
出だしは真剣な声音だったが、最後は苦笑気味にして、宮部は杏子に問いかけた。
「翻訳は、受注量を調整できるから大丈夫。兼業があると家計も助かるから、私でも良いならぜひお願いします。運動不足で頼りないかもしれないけど…。」
杏子も、最後は俯いて自信なさげにもごもごと呟き、そっと宮部を伺い見た。
いつもの優しい笑みが、そこにあった。
「冗談だよ。杏子さんに力仕事なんてさせないから。助かるよ。ぜひ、お願いしたい。」
未だに、膝の上で裾の布を引っ張ったままだった杏子の手を、宮部がそっと上から握った。
裸の杏子の膝に、ほんの少し宮部の指が掠った気がして、杏子の体はびくんと跳ねたが、宮部は気づかぬふりをして、すぐに手を引っ込めた。
杏子の手の甲に、膝に、宮部の温かい手の熱が移ったのか、そこはいつまでもじんじんと熱かった。
ほうじ茶を音を立ててすすりつつ、横目で杏子を確認して、宮部はそう問うた。美味しい食事で満たされた胃袋のなせる技か、すっかり下がった目尻は、宮部が上機嫌であることを語っていた。
「うん、明日からぼちぼち。そうだ、私のことより、宮部さん。役場でアルバイト募集の張り紙を見たんだけど、人手不足なの?」
同じく、熱い湯飲みを両手で包み、ふぅっと息を吹きかけてから、杏子はそう答えた。ずずっとすすったほうじ茶は、口の中に残った油を洗い流してくれるようで、心地よかった。
「ああ、あれ。いや、そういうわけじゃなくて、来週五日ほどスペインに買い付けに行くから、その間植物の世話をしてくれる人を探してるだけ。実は、春と秋の年に二回、海外に買い付けに行くんだけど、そのタイミングに合わせて、加古川から伯母が出てきて、俺の留守の間の面倒を見てくれてたんだ。あの家の手入れを兼ねてね。でも、伯母ももう歳だから、しんどいみたいで。だから、家のことは丁度よかったんだけど、うちの植物の世話をしてくれる人を探さないといけなくてね。」
「見つかりそう?」
「それがなかなか…。この時期はどこの農家も忙しいから、人手募集のライバルが多くて。うちは短期すぎるのかな。他にもっと長期で金になる仕事があったら、そっちの方がいいんだろ。日程がもう少し前なら、春休み中の高校生でも来てくれたかもしれないけどなぁ。」
「高校生でもいいの?その業界の人じゃなくても?」
杏子の言葉に、少し考え込むような仕草を見せてから、宮部は答えた。
「経験者だったら、そりゃもちろん良いけど。そうじゃなかったら、何日か一緒に作業をして覚えてもらえば、大丈夫だと思うよ。ほんの数日任せるだけだしな。」
宮部のその言葉に、杏子は、意を決して、口を開いた。ずいっと、宮部の方に体を乗り出して、真剣な眼差しで宮部を見据えている。
「素人でも良いなら、私にやらせてください!伯母様が来なくて良くなったのは、そもそも私のせいだし。良くしてもらったお礼もしたかったし。でも、何より、太陽の庭の植物のこと、もっと知りたいなって。」
宮部は、杏子の気迫に押されたのか、少し体を引いて目を大きく見開いている。やがて、杏子から顔を背けて肩を小刻みに揺らし出した。杏子には、もう分かっていた。宮部お得意の、かみ殺した笑いであった。
一通り笑い終えて宮部が再び杏子に向き直ったとき、杏子はすっかりむくれ顔になっていた。
「ごめん、ごめん。杏子さんて、普段は控えめな喋り方なのに、突然スイッチが入るんだな。一万円に釣られたときも、こんな風に喋ってたのかと思うと、もう俺、堪えられなくて…。」
宮部は、垂れた目尻に涙を浮かべていた。対して、杏子は、相変わらず憮然とした表情だった。
「宮部さんって、意外と笑い上戸。それに、硬派な見た目の割に、饒舌に熱いこと語るし。仕事着はワイルドな感じなのに、私服はスマートに決めてくるし。ほんと、意外性の男ですね。」
宮部は、面白そうに口角を片方だけ上げて、杏子の顔を覗き込んだ。杏子は、口を尖らせるようにして、宮部から顔を背けていた。
「スマートかどうかは知らないけど。だから着替えてくれたの?本当に良く似合ってる、その服。」
ちょうど彼の好みだったのだろうか。宮部はまた、杏子の服装を褒めた。すとんとしたIラインを描く膝より少し上の紺色のワンピースに、さらりとした柔らかい質感の白いカーディガンを羽織った杏子は、急に恥ずかしくなって、座っているせいで丈が短くなった布の端を、必至で引っ張り膝を隠そうとした。その耳が、真っ赤に色づいたことに、宮部はもちろん気づいただろうが、それ以上、杏子を揶揄うことはやめて、話題を元に戻した。
「申し出は正直すごく有り難いんだけど、本業は大丈夫?それに、杏子さん、筋肉痛増えるんじゃないかな。」
出だしは真剣な声音だったが、最後は苦笑気味にして、宮部は杏子に問いかけた。
「翻訳は、受注量を調整できるから大丈夫。兼業があると家計も助かるから、私でも良いならぜひお願いします。運動不足で頼りないかもしれないけど…。」
杏子も、最後は俯いて自信なさげにもごもごと呟き、そっと宮部を伺い見た。
いつもの優しい笑みが、そこにあった。
「冗談だよ。杏子さんに力仕事なんてさせないから。助かるよ。ぜひ、お願いしたい。」
未だに、膝の上で裾の布を引っ張ったままだった杏子の手を、宮部がそっと上から握った。
裸の杏子の膝に、ほんの少し宮部の指が掠った気がして、杏子の体はびくんと跳ねたが、宮部は気づかぬふりをして、すぐに手を引っ込めた。
杏子の手の甲に、膝に、宮部の温かい手の熱が移ったのか、そこはいつまでもじんじんと熱かった。
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