37 / 110
第六章 新しい門出
第三十七話 話題の女
しおりを挟む
がっしりとした体つきとは打って変わり、宮部の顔立ちは至って繊細だった。細面にすっと通った細めの鼻柱。涼しげな切れ長の目は垂れがちで、優美な曲線を描き、眉は凛々しく山を描きつつも、太すぎず細すぎず、洗練された男らしさを形作っている。
その宮部の顔が今、杏子の鼻先まで迫っている。今度こそ、杏子の思い上がりなどではないのではないか。杏子はそう思ったが、目を瞑ることもできなければ、避けることもできず、ただ息を詰めて硬直するばかりであった。
宮部の真剣な眼差しが、至近距離から杏子を射貫いている。その瞳の中には、熱情や恋慕は果たして存在するのだろうか。杏子には分からなかった。
宮部は、女性として杏子に想いを寄せているとまでは、言わなかったではないか。これから二人の間で、甘い何かが育まれていけばいいと、そうお互いに認識し合ったのではないか。だとすれば、この状況は一体何なのか。
「降りて。ほら。」
ガチャリ、とドアを開ける音がして、宮部が杏子を促した。すぐに宮部の体が離れ、再びルームライトが車内を明るく照らしている。
杏子は、呆然としたまま、運転席の宮部を見返すと、宮部の体はもう前を向いており、横目で杏子を見ていた。
「わかった?杏子さん、油断だらけ。簡単に男を家に上げない。」
宮部の声色は、まだ彼が不機嫌であることを示していたが、杏子が固く小さな声で謝罪を述べると、すぐに表情を緩めた。
「俺の方こそ、怖がらせてごめんな。でも、本当に気をつけて。杏子さん、今やこの辺の話題の人だから。独り身のいい歳のやつは、それこそ20代から50代まで、あわよくばってやつがわんさか出てくるよ。ほら、田舎の嫁不足。基本的に隣人としては気のいい人らばかりだけど、女のことになるとわかんないから。多少強引にでも既成事実作って、結婚に持ち込もうって腹のやつもいるかもしれないだろ。」
宮部は至って真剣な口調で杏子にそう説諭したが、杏子には信じがたい内容であった。それでも、宮部が杏子を心配してくれているのだという点は明白であったので、杏子は何も否定しなかった。
「わかった。気をつけるね。ありがとう。でも、私、誰彼構わず家に上げるような不用心な人間じゃないんだから。宮部さんと、もう少し一緒に居たかったから…そう言ってみただけで。確かに考えが足りなかったかもしれないけど…。あの…。」
杏子がもごもごと口ごもっていると、温かく柔らかいものが杏子の頬に触れた。寸前、衣擦れの音と空気の動きを感じたが、杏子が隣の宮部を確かめる間もなく、気づいたときには、宮部はもう運転席に体を沈め、杏子に甘い微笑みを向けていた。頬には、まだ微かに、宮部の熱の残渣があった。
「可愛いこと言わないで。これ以上何かしたくなる前に、早く家に入ってくれる?」
その声音は、確かに熱情を孕んでおり、杏子に有無を言わさない迫力があった。慌てて、杏子は、熱を帯びた右頬を抑えながら、おやすみなさいと告げて車を降りた。
杏子は、小走りで玄関に入り、扉を後ろ手に閉め、そして宮部の走り去る車の音を遠くに聞いた。
(宮部さん、心臓に悪いわ。女慣れしているんだろうな。ドキドキさせられっぱなしだった…。)
最後は、まるで追い出されるように車から降りて別れたが、今夜の宮部は情熱的だったと、杏子はうっとりと思い返した。あれやこれやの甘い場面を、何度も何度も頭の中でリプレイするという、杏子お得意のそれである。帰宅後、風呂に入り、布団に入ってもそれは延々と続き、おそらくは夢の中でも宮部を想っていたのだろう。翌朝、杏子は極めて爽快な気分で目覚めた。
その宮部の顔が今、杏子の鼻先まで迫っている。今度こそ、杏子の思い上がりなどではないのではないか。杏子はそう思ったが、目を瞑ることもできなければ、避けることもできず、ただ息を詰めて硬直するばかりであった。
宮部の真剣な眼差しが、至近距離から杏子を射貫いている。その瞳の中には、熱情や恋慕は果たして存在するのだろうか。杏子には分からなかった。
宮部は、女性として杏子に想いを寄せているとまでは、言わなかったではないか。これから二人の間で、甘い何かが育まれていけばいいと、そうお互いに認識し合ったのではないか。だとすれば、この状況は一体何なのか。
「降りて。ほら。」
ガチャリ、とドアを開ける音がして、宮部が杏子を促した。すぐに宮部の体が離れ、再びルームライトが車内を明るく照らしている。
杏子は、呆然としたまま、運転席の宮部を見返すと、宮部の体はもう前を向いており、横目で杏子を見ていた。
「わかった?杏子さん、油断だらけ。簡単に男を家に上げない。」
宮部の声色は、まだ彼が不機嫌であることを示していたが、杏子が固く小さな声で謝罪を述べると、すぐに表情を緩めた。
「俺の方こそ、怖がらせてごめんな。でも、本当に気をつけて。杏子さん、今やこの辺の話題の人だから。独り身のいい歳のやつは、それこそ20代から50代まで、あわよくばってやつがわんさか出てくるよ。ほら、田舎の嫁不足。基本的に隣人としては気のいい人らばかりだけど、女のことになるとわかんないから。多少強引にでも既成事実作って、結婚に持ち込もうって腹のやつもいるかもしれないだろ。」
宮部は至って真剣な口調で杏子にそう説諭したが、杏子には信じがたい内容であった。それでも、宮部が杏子を心配してくれているのだという点は明白であったので、杏子は何も否定しなかった。
「わかった。気をつけるね。ありがとう。でも、私、誰彼構わず家に上げるような不用心な人間じゃないんだから。宮部さんと、もう少し一緒に居たかったから…そう言ってみただけで。確かに考えが足りなかったかもしれないけど…。あの…。」
杏子がもごもごと口ごもっていると、温かく柔らかいものが杏子の頬に触れた。寸前、衣擦れの音と空気の動きを感じたが、杏子が隣の宮部を確かめる間もなく、気づいたときには、宮部はもう運転席に体を沈め、杏子に甘い微笑みを向けていた。頬には、まだ微かに、宮部の熱の残渣があった。
「可愛いこと言わないで。これ以上何かしたくなる前に、早く家に入ってくれる?」
その声音は、確かに熱情を孕んでおり、杏子に有無を言わさない迫力があった。慌てて、杏子は、熱を帯びた右頬を抑えながら、おやすみなさいと告げて車を降りた。
杏子は、小走りで玄関に入り、扉を後ろ手に閉め、そして宮部の走り去る車の音を遠くに聞いた。
(宮部さん、心臓に悪いわ。女慣れしているんだろうな。ドキドキさせられっぱなしだった…。)
最後は、まるで追い出されるように車から降りて別れたが、今夜の宮部は情熱的だったと、杏子はうっとりと思い返した。あれやこれやの甘い場面を、何度も何度も頭の中でリプレイするという、杏子お得意のそれである。帰宅後、風呂に入り、布団に入ってもそれは延々と続き、おそらくは夢の中でも宮部を想っていたのだろう。翌朝、杏子は極めて爽快な気分で目覚めた。
0
あなたにおすすめの小説
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる