君に捧ぐ花

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第六章 新しい門出

第三十八話 新しい朝

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初めて迎えたこの家での朝は、夢見が良かったという点を除いても、実に気持ちの良い目覚めであった。広縁の雨戸を閉めずに寝てしまったので、目覚めたときには、朝の柔らかい日差しが、和室の障子を通して優しく部屋に差し込んでいた。畑の作物をついばんでいるのか、辺りからは小鳥のさえずりも聞こえ、さながら天然のヒーリングミュージックといったところだ。

質の良い睡眠のお陰か、或いは充実した恋愛のお陰か、杏子は、身体中に漲る力を感じつつ手早く布団を畳んだ。掛布団も敷布団も枕も、全部一抱えにした杏子は、足元のダンボール箱に気を付けながら、それを部屋の押し入れに丁寧に仕舞った。
杏子が寝室としたのは、目の字型の和室のうち、一番玄関寄りの一室であった。広々とした造りのこの家は、収納が少ないという欠点があり、唯一の押し入れがあるこの部屋が、必然、寝室と衣装部屋になったのである。そして、真ん中の部屋は居間、一番奥の部屋はデスクとパソコンを置いて仕事部屋としていた。

布団を仕舞って一つ大きな伸びをしてから、杏子は、すっかり綺麗に片付いたダイニングキッチンで朝食を摂った。
朝は簡単に済ませたい杏子は、トーストやシリアルにヨーグルトを添えて食すのを好むが、お供に必ず淹れたての珈琲を飲むのを習慣にしている。コーヒーメーカーは、独り暮らしには過分な量と機能が煩わしいので、杏子の愛具は、二カップ用のフレンチプレスであった。少ない量を手軽に淹れることができ、始末も、容器を水洗いするだけの簡単なものだ。少し値が張ったがステンレス製を選んだのは、おかわりの二杯目まで温かく飲みたいからである。
杏子は、手慣れた仕草で分量の豆を小型のミルにセットし、フレンチプレスに最適の中挽きに挽いた。業務用のものとは違い、均一な粒に挽くことは到底できないが、それにより多少の雑味が出たとしても、挽きたての豆で淹れた珈琲の香りに優るものはないと、杏子は考えていた。挽いた粉は、予め温めておいた容器にいれて、少量の熱湯を注いで蒸らす。残りのお湯は、容器の肌に沿わせて静かに注ぎ、プレスの蓋を水面に乗せて空気を遮断して待つこと四分。じわりじわりと圧をかけて蓋を押し下げれば、表面に豆の油がゆらりと漂う、香り高い杏子好みの一杯のできあがりである。

一杯目の珈琲を、朝食のトーストと共にブラックで楽しんだ杏子は、カフェオレにした二杯目を片手に、仕事部屋でパソコンを立ち上げた。宮部の言葉に従って、早速、太陽の庭のウェブサイトを見ようというのである。
数秒で起動完了となった杏子のこのパソコンは、台湾に本社を置く電子機器メーカーのもので、SSDによる素早いレスポンスが売りの一台であった。メモリの容量もたっぷりと備えており、小型のノートパソコンとしては結構な値段であったが、前職のボーナスで買えば十分にお釣りがくる程度であった。

(もう易々と買い替えられないものね。大事に使わなきゃ。)

無造作にパソコンの傍に置いていたマグを、考え直して膝の上で持ち、お気に入りに登録済みの太陽の庭のウェブサイトを開いた。
もう何度も訪れた勝手知ったるサイトである。杏子は、迷いなく商品カタログを開き、植物名と名前の記憶に取り掛かった。
結果、半分ほどは覚えることができたが、大半は、写真だけでは違いが良くわからず、名前は記憶していても見分けられないというものが多かった。

(現物を見て名前を一致させないと、これ以上は難しいわね。)

四半時ほどで、杏子は早々に匙を投げた。
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