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第七章 猜疑心
第四十四話 胃袋を掴みましょう
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「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」
自分自身に気合を入れるかのように、杏子は宮部を見据えて力強くそう言った。ハウスの入り口で宮部を見かけて、開口一番である。
宮部は、僅かに目を見張ったあと、すぐに目尻を下げ、いつもの柔らかい笑みを杏子に向けた。
「おはよう。元気いいね。もうすっかり体も慣れたんじゃない?」
「うん、お恥ずかしながら二日目まではへとへとだったけど…。昨日はそれほどでもなかったかな。今朝は筋肉痛も全然ないの。」
杏子はそう言って、肘を曲げ伸ばししつつ、二の腕の筋肉の張り具合を確かめてみた。
太陽の庭での研修も、早四日目となる今日が最終日である。明日から数日間は、杏子が一人で植物の世話をするのだ。
「ほんとだ。柔らけー。」
杏子に歩み寄って、どれどれ、と二の腕の検分を始めた宮部は、腕の内側の柔らかく弛んだ杏子の肉を、無骨な指でしなやかに揉みしだいた。
小さく悲鳴を上げて腕を奪い返した杏子は、宮部から数歩分飛びのいて距離をとった。
「そんなとこ!筋肉痛に関係ないから!」
杏子は宮部を睨みつけた。ここ数日の教訓として、宮部のスキンシップに赤面したり動揺したりしないと心に決めている杏子である。今も、杏子の顔は赤らんでいなかった。
「すっかり動じなくなったな。頼もしい。俺が居なくても、他の奴に弄られないように気をつけろよ。」
「誰も弄らないから。さぁ仕事仕事。」
さらりと躱すように宮部の言葉を聞き流したふりをして、内心、杏子は嬉しかった。宮部の言動は杏子を翻弄して心臓に悪いが、その実、無防備さや不用心さを諌めてくれているのだと、杏子は解釈していた。確かに、こうも易々と体への接触を度々宮部に許しているのだから、杏子は無防備なのだろう。そこは否定できないが、宮部がその点を心配してくれているという事実が、それ程に杏子を気にかけてくれているという事実こそが、杏子は嬉しかった。
杏子が、ハウスの中で宮部から任された仕事を始めると、宮部は自宅に引き上げて、結局、午前中ずっと外には姿を見せなかった。明日に出張を控え、いろいろと準備があるのだろう。
陽が真上に差し掛かるころになって、昼時を告げる腹の虫に根負けした杏子は、自転車の前かごから取り出した重箱と水筒を抱えて、石段を宮部宅へと上がった。
「お疲れ様。今日の弁当は何?」
杏子が玄関の引き戸を開けると、宮部は、居間から顔だけを出して問いかけた。
「から揚げとか銀だらの西京漬けとか。でも、オススメは断然、春キャベツの和え物。」
「うん、旨そう。お茶お願いしていい?居間で荷詰めしてたから、まだ散らかってんだ。」
上がり框に腰かけて靴を脱ぎながら、杏子がちらりと居間を覗き見ると、ちゃぶ台を脇に避けて、部屋の真ん中に大きなスーツケースが鎮座していた。仏間へ続く襖も珍しく開いており、そちらにも服や紙袋のような物が散乱している。
「オッケー。でも後で続きするんでしょ?ちゃぶ台の周りだけ座れるようにしたらいいんじゃない?」
そうだな、と答えた宮部に、台所を借りる旨、杏子は一言断りをいれた。
初めて入った台所は、意外にも整然と片付けられていた。というよりも、物が少なく、生活感がなかった。目につく家電は、目線の高さほどの背の冷蔵庫と、その上に据えられた電子レンジ。自炊はしないと聞いていたとおり、炊飯器や鍋、フライパンなどは見られない。調理台の隅には、あっという間に湯が沸くポットがあり、そのすぐ脇に、目当てのティーバッグの小袋があった。
先ずはポットで湯を沸かし、その待ち時間にいつもの湯飲みを探してティーバッグを取り出した。
「宮部さん!ティーバッグの買い置きってある?」
あいにく、小袋の中にはティーバッグが一つしか残っていなかった。
「あるある。頭の上の釣り戸棚の…上の段だったかな。」
言われたとおり、調理台の上にある釣り戸棚を開けてみると、上下に分かれた下の段には、レトルト食品や温めるだけの白飯の買い置きが山ほどと、上段には、ティーバッグの他に海苔やお茶漬け、インスタント味噌汁などが納められていた。
(力仕事なのにこんな食事ばかりなんて…。)
杏子は、宮部の健康を思うと切なくなった。上段には手が届かず、踏み台になるものを探しながらも、機会があればこれからも宮部に食事を差し入れようと、杏子は心に決めたのだった。
自分自身に気合を入れるかのように、杏子は宮部を見据えて力強くそう言った。ハウスの入り口で宮部を見かけて、開口一番である。
宮部は、僅かに目を見張ったあと、すぐに目尻を下げ、いつもの柔らかい笑みを杏子に向けた。
「おはよう。元気いいね。もうすっかり体も慣れたんじゃない?」
「うん、お恥ずかしながら二日目まではへとへとだったけど…。昨日はそれほどでもなかったかな。今朝は筋肉痛も全然ないの。」
杏子はそう言って、肘を曲げ伸ばししつつ、二の腕の筋肉の張り具合を確かめてみた。
太陽の庭での研修も、早四日目となる今日が最終日である。明日から数日間は、杏子が一人で植物の世話をするのだ。
「ほんとだ。柔らけー。」
杏子に歩み寄って、どれどれ、と二の腕の検分を始めた宮部は、腕の内側の柔らかく弛んだ杏子の肉を、無骨な指でしなやかに揉みしだいた。
小さく悲鳴を上げて腕を奪い返した杏子は、宮部から数歩分飛びのいて距離をとった。
「そんなとこ!筋肉痛に関係ないから!」
杏子は宮部を睨みつけた。ここ数日の教訓として、宮部のスキンシップに赤面したり動揺したりしないと心に決めている杏子である。今も、杏子の顔は赤らんでいなかった。
「すっかり動じなくなったな。頼もしい。俺が居なくても、他の奴に弄られないように気をつけろよ。」
「誰も弄らないから。さぁ仕事仕事。」
さらりと躱すように宮部の言葉を聞き流したふりをして、内心、杏子は嬉しかった。宮部の言動は杏子を翻弄して心臓に悪いが、その実、無防備さや不用心さを諌めてくれているのだと、杏子は解釈していた。確かに、こうも易々と体への接触を度々宮部に許しているのだから、杏子は無防備なのだろう。そこは否定できないが、宮部がその点を心配してくれているという事実が、それ程に杏子を気にかけてくれているという事実こそが、杏子は嬉しかった。
杏子が、ハウスの中で宮部から任された仕事を始めると、宮部は自宅に引き上げて、結局、午前中ずっと外には姿を見せなかった。明日に出張を控え、いろいろと準備があるのだろう。
陽が真上に差し掛かるころになって、昼時を告げる腹の虫に根負けした杏子は、自転車の前かごから取り出した重箱と水筒を抱えて、石段を宮部宅へと上がった。
「お疲れ様。今日の弁当は何?」
杏子が玄関の引き戸を開けると、宮部は、居間から顔だけを出して問いかけた。
「から揚げとか銀だらの西京漬けとか。でも、オススメは断然、春キャベツの和え物。」
「うん、旨そう。お茶お願いしていい?居間で荷詰めしてたから、まだ散らかってんだ。」
上がり框に腰かけて靴を脱ぎながら、杏子がちらりと居間を覗き見ると、ちゃぶ台を脇に避けて、部屋の真ん中に大きなスーツケースが鎮座していた。仏間へ続く襖も珍しく開いており、そちらにも服や紙袋のような物が散乱している。
「オッケー。でも後で続きするんでしょ?ちゃぶ台の周りだけ座れるようにしたらいいんじゃない?」
そうだな、と答えた宮部に、台所を借りる旨、杏子は一言断りをいれた。
初めて入った台所は、意外にも整然と片付けられていた。というよりも、物が少なく、生活感がなかった。目につく家電は、目線の高さほどの背の冷蔵庫と、その上に据えられた電子レンジ。自炊はしないと聞いていたとおり、炊飯器や鍋、フライパンなどは見られない。調理台の隅には、あっという間に湯が沸くポットがあり、そのすぐ脇に、目当てのティーバッグの小袋があった。
先ずはポットで湯を沸かし、その待ち時間にいつもの湯飲みを探してティーバッグを取り出した。
「宮部さん!ティーバッグの買い置きってある?」
あいにく、小袋の中にはティーバッグが一つしか残っていなかった。
「あるある。頭の上の釣り戸棚の…上の段だったかな。」
言われたとおり、調理台の上にある釣り戸棚を開けてみると、上下に分かれた下の段には、レトルト食品や温めるだけの白飯の買い置きが山ほどと、上段には、ティーバッグの他に海苔やお茶漬け、インスタント味噌汁などが納められていた。
(力仕事なのにこんな食事ばかりなんて…。)
杏子は、宮部の健康を思うと切なくなった。上段には手が届かず、踏み台になるものを探しながらも、機会があればこれからも宮部に食事を差し入れようと、杏子は心に決めたのだった。
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