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第十一章 Break the Ice
第九十七話 隠された名前、隠された想い
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結論から言えば、全く気乗りしなかったこの食事会は、杏子を嫌な気分にさせることなど一つも無く、恙なくお開きに近づきつつあった。
高瀬は事ある毎に、ごく自然に志保里に愛の言葉を吐いた。志保里とどこへ旅行に行ったとか、なんの映画を見たのだとか、その時の志保里が可愛かったなど、良い歳の大人が恥ずかしげも無く、若い恋人同士のような惚気を披露するのである。そして志保里も、そんな高瀬の言葉に照れたり、むくれたり、笑ったりした。
時々高瀬が杏子に話を振って、それに杏子が応えると、志保里はやはり少し表情を固くしたが、また高瀬が何か茶々を入れ、そうして場が和んだ。
この高瀬という男は、その職掌柄身についた技術なのか、人の凍り付いた心をじんわりと溶かすような、そんな温かみを持っていた。確かに、杏子の父がこんな男であったのならば、志保里も杏子も、初めからこれほど苦しむことにもならなかったのだろうと、以前に志保里が言っていた言葉の裏付けが取れたような気がした。
母は、この男の傍で、アメリカで、きっと幸せになるのだろうと杏子は感じ、そして、今度は、それを恨めしいとか腹立たしいと思うことは無かった。ただ、羨ましいと、杏子は素直にそう感じたのだった。
「おや?」
そろそろ出ようかという前に、ちょっと失礼、と席を立とうとした高瀬が、時間を確認するために取り出した杏子のスマホの画面を見て、不思議そうな声を上げた。
「ずいぶん珍しい物を待ち受け画面にしてるんだねぇ!プヤ・ライモンディじゃないか。どこでダウンロードしたの?」
「え?この植物の名前をご存じなんですか?家で育てている苗の写真なんです。小さすぎて品種が解らないって言われたんだけど…。」
高瀬は、杏子の疑問に答えるように、杏子の傍に来て画面を覗き込んで言葉を続けた。
「間違いないよ。この棘の多さとか、艶々の葉の質感とか、あとほら、棘の根元が少し赤らんでいるでしょう。僕は素人だけど、それでも知っている人が見たら間違えようがないよ。これは、プヤ・ライモンディ。珍しい物を持ってるんだね。日本でも手に入るとは知らなかったよ。僕はね、ボストンに面接に行ったときに見たんだよ。あれは凄かったなぁ。」
高瀬は、用を足したかったことなどすっかり忘れて、思い出深そうに杏子に話しかけた。
「今度行くラボの大学がね、大きな植物園を持ってるんだけど、ちょうど僕があっちに行っていたときに、この花が咲きそうだって地元で大ニュースになってたんだよ。この植物はね、百年に一度だけ花を咲かすらしくてね、花が咲いたら種を残してすぐに枯死してしまうんだって。生涯でたった一度の花を咲かせるためだけに百年間生きて、そうして死んでいくんだよ。ロマンチックだと思わないかい?だからセンチュリー・プラントっていう別名もあるんだ。確か南米の何処かの原産だったかな。その地元ではね、百年あなたを思い続けます、百年後に一緒に花を見ましょうっていう想いをこめて、この苗をプレゼントする習慣があるらしいよ。」
高瀬は、生来ロマンチストなのか、はたまた少し呑んだ酒のせいか、うっとりと目を細めて悦に入っている。そうかと思ったら、突然目を見開いて鼻息荒く、大きな身振り手振りを加えて更に続けた。
「僕も運良く開花を見ることができたんだけど、実際に花を見てみると、これがまた凄いんだ!葉が10メートル以上もこーんなに大きく展開して、花を付ける茎が一本、天に向かって真っ直ぐとね、こう、真っ直ぐと上に、数メートルくらい伸びて、その茎の先にはね、何と数千の花と数万の種を付けるんだよ。いやぁ、その雄大さと言ったら、本当に地球上にこんな植物があるのかって、目を疑ったくらいだ。」
「まぁ!そんな凄い植物だったら、私も見てみたいわ。ボストンに行ったら見れるかしら。」
あまりの高瀬の興奮ぶりに、植物になど全く関心のなさそうな志保里も、興味をひかれたようだった。
「さぁ、どうだろうね。その時の花はもう枯れて死んだはずだよ。まだ他にもあるのかなぁ。いずれにしても、そこの植物園には連れて行ってあげるよ。他にも珍しい植物が沢山あるんだから。二人で一緒に見に行こうね。」
そうしてまた、高瀬と志保里は仲むつまじく言葉を交わし、漸く気が済んだのか、高瀬は今度こそ席を立った。
プヤ・ライモンディ。別名センチュリー・プラント。
思いがけず知ったトゲべの名前はさることながら、その苗を贈ることの意味が、杏子の思考をどうしようもなく占拠したのだった。
高瀬は事ある毎に、ごく自然に志保里に愛の言葉を吐いた。志保里とどこへ旅行に行ったとか、なんの映画を見たのだとか、その時の志保里が可愛かったなど、良い歳の大人が恥ずかしげも無く、若い恋人同士のような惚気を披露するのである。そして志保里も、そんな高瀬の言葉に照れたり、むくれたり、笑ったりした。
時々高瀬が杏子に話を振って、それに杏子が応えると、志保里はやはり少し表情を固くしたが、また高瀬が何か茶々を入れ、そうして場が和んだ。
この高瀬という男は、その職掌柄身についた技術なのか、人の凍り付いた心をじんわりと溶かすような、そんな温かみを持っていた。確かに、杏子の父がこんな男であったのならば、志保里も杏子も、初めからこれほど苦しむことにもならなかったのだろうと、以前に志保里が言っていた言葉の裏付けが取れたような気がした。
母は、この男の傍で、アメリカで、きっと幸せになるのだろうと杏子は感じ、そして、今度は、それを恨めしいとか腹立たしいと思うことは無かった。ただ、羨ましいと、杏子は素直にそう感じたのだった。
「おや?」
そろそろ出ようかという前に、ちょっと失礼、と席を立とうとした高瀬が、時間を確認するために取り出した杏子のスマホの画面を見て、不思議そうな声を上げた。
「ずいぶん珍しい物を待ち受け画面にしてるんだねぇ!プヤ・ライモンディじゃないか。どこでダウンロードしたの?」
「え?この植物の名前をご存じなんですか?家で育てている苗の写真なんです。小さすぎて品種が解らないって言われたんだけど…。」
高瀬は、杏子の疑問に答えるように、杏子の傍に来て画面を覗き込んで言葉を続けた。
「間違いないよ。この棘の多さとか、艶々の葉の質感とか、あとほら、棘の根元が少し赤らんでいるでしょう。僕は素人だけど、それでも知っている人が見たら間違えようがないよ。これは、プヤ・ライモンディ。珍しい物を持ってるんだね。日本でも手に入るとは知らなかったよ。僕はね、ボストンに面接に行ったときに見たんだよ。あれは凄かったなぁ。」
高瀬は、用を足したかったことなどすっかり忘れて、思い出深そうに杏子に話しかけた。
「今度行くラボの大学がね、大きな植物園を持ってるんだけど、ちょうど僕があっちに行っていたときに、この花が咲きそうだって地元で大ニュースになってたんだよ。この植物はね、百年に一度だけ花を咲かすらしくてね、花が咲いたら種を残してすぐに枯死してしまうんだって。生涯でたった一度の花を咲かせるためだけに百年間生きて、そうして死んでいくんだよ。ロマンチックだと思わないかい?だからセンチュリー・プラントっていう別名もあるんだ。確か南米の何処かの原産だったかな。その地元ではね、百年あなたを思い続けます、百年後に一緒に花を見ましょうっていう想いをこめて、この苗をプレゼントする習慣があるらしいよ。」
高瀬は、生来ロマンチストなのか、はたまた少し呑んだ酒のせいか、うっとりと目を細めて悦に入っている。そうかと思ったら、突然目を見開いて鼻息荒く、大きな身振り手振りを加えて更に続けた。
「僕も運良く開花を見ることができたんだけど、実際に花を見てみると、これがまた凄いんだ!葉が10メートル以上もこーんなに大きく展開して、花を付ける茎が一本、天に向かって真っ直ぐとね、こう、真っ直ぐと上に、数メートルくらい伸びて、その茎の先にはね、何と数千の花と数万の種を付けるんだよ。いやぁ、その雄大さと言ったら、本当に地球上にこんな植物があるのかって、目を疑ったくらいだ。」
「まぁ!そんな凄い植物だったら、私も見てみたいわ。ボストンに行ったら見れるかしら。」
あまりの高瀬の興奮ぶりに、植物になど全く関心のなさそうな志保里も、興味をひかれたようだった。
「さぁ、どうだろうね。その時の花はもう枯れて死んだはずだよ。まだ他にもあるのかなぁ。いずれにしても、そこの植物園には連れて行ってあげるよ。他にも珍しい植物が沢山あるんだから。二人で一緒に見に行こうね。」
そうしてまた、高瀬と志保里は仲むつまじく言葉を交わし、漸く気が済んだのか、高瀬は今度こそ席を立った。
プヤ・ライモンディ。別名センチュリー・プラント。
思いがけず知ったトゲべの名前はさることながら、その苗を贈ることの意味が、杏子の思考をどうしようもなく占拠したのだった。
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