茜さす

横山美香

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第二部5

5-1

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 おるいとおゆいの母子が本領に戻るのと入れ違いに、明野領に客人が二名やって来た。
 もっとも一名は明らかに客人だが、もう一名は客人と言うにはいささか語弊があるかもしれない。彼は元々明野領の生まれである。明野領が君水藩になる前――初代明野領主・武智道久がこの地にやってくる前から暮していた漁師の家系で、父親は腕の良い漁師だったそうだが、彼が幼い頃に海で亡くなった。夫を亡くした母親は息子を連れて再婚したのだが、この義父と彼との相性が最悪だった。殴る蹴るはもちろん、家から締めだされたことも、海に沈められたことも、漁師が使う浮き間切りで全身を切刻まれたこともある。世間一般でいうところの折檻の域を超えていたらしく、見かねた網元が義父と母を注意したことをきっかけに、母は彼を家から出した。我が子を散々虐待した夫と別れるのではなく、子どもを影衆に売り払ったのだ。
 最初にその話を聞いた時、忠雅は「おい、ちょっと待てよ」と声に出して突っ込んだ。
 実父同様、義父もそれなりに腕のよい漁師ではあったので、生活に困ってはいなかった。同じ状況で子よりも夫を取る母親ならば他にもいるだろうが、金に困っていないのならば、何もわざわざ影衆に売らなくともよいではないか。商家に奉公に出すなり、職人の親方に預けるなり、いくらでもまっとうな手放し方はあったはずだ。
「俺を売った金で、親父にいい顔をしたかったんだろ。俺の売り代でいい網を買って、今では結構羽振りよく暮らしているらしいし」
 思わず突っ込んだ忠雅に対し、当の雅道はいたって冷静だった。影衆に売られてくる子どもの来し方で、雅勝を典型、忠雅を例外とするなら、雅道はその狭間にいたといっていい。
 しかしどうして親という人達は、子どもの命と人生を平気で金に置き換えるのだろうか。困窮して食い詰めてどうしようもなく、全員で死ぬか一人売るかの瀬戸際で泣く泣く手放した……というのであれば、まだわかる。納得したくはないが、百歩譲って理解はできる。だが実際には雅道のように、決して瀬戸際まで追い詰められているわけではないのに、親の酒代や遊興代の為に安易に売られてくる子どもがいるのが、今の影衆の現状だった。
 もっともそうして影衆にやってきた少年は書物や学問にたいそう興味を示し、今では立派な医師見習いとして本領で暮している。雅道と師匠である庄野玄徳が明野領にやって来た時、忠雅は彼らを清水の邸には入れなかった。何せ清水家と飯野家は武家屋敷のご近所なので、うっかり飯野成之と顔を合わせてしまいかねない。とはいえ、おるいとおゆい母子のように保月庵に預けるわけにもいかなかった。よって彼ら二人は陣屋と清水家の邸からほど近いところにある寺――法勝寺に落ち着いた。
 夏が完全に過ぎ去り秋が深まった先日、明野領では春先でもないのに一日中突風が吹いて、まだかなり枝に残っていた紅葉が完全に消えてなくなった。裸に剝かれた枯れ枝の下で秋虫が盛大に鳴いている。裏に影衆の墓を抱き、かつては影衆一の遣い手がねぐらにしていたこの寺の夜は深い。昼は子ども達の歓声で明るい――夜はそこここに闇のわだかまる法勝寺の手習い所で、忠雅と雅道、庄野玄徳と慈円和尚、そして手習い所の師匠として寺にやってきていた菊乃の五人が対面していた。
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