DEEP BLOOD

SAKU

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第十三話

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──夜の街。

復旧したばかりの街道を抜けて、
車はゆっくりとスーパーの駐車場に滑り込んだ。

店の看板は、夜の闇に浮かぶように白く光っている。
自動ドアの向こうから、蛍光灯の明るさと人の気配が漏れていた。

「……けっこう、遅くまでやってるんですね。」

助手席の凪が窓の外を覗き込みながら言う。

「山間部だからな。夜勤の連中も多いんだろう。」

サクはエンジンを切り、軽く伸びをした。
フロントガラスの向こうに見える街灯は、
彼にとっては“太陽の代わり”だ。

(……夜は、いい。
 凪と外に出ても、何も気にしなくていいからな。)

そう思うだけで、胸の奥がふっと軽くなる。

「じゃあ、行こうか。」

サクが先に降りて、自然な動きで助手席のドアを開ける。
差し出された手に、凪は一瞬きょとんとしてから、
少し照れくさそうに指を重ねた。

「ありがとう、サク。」

「どういたしまして。」

夜風が、ふたりの髪をそっと撫でていく。
サクの横顔は、駐車場のライトに照らされて、
いつもより少し柔らかく見えた。

 

「えっと……洗剤と、スポンジと……あと缶詰、でしたっけ?」

カゴを抱えた凪は、メモを見ながら真剣な顔で棚を移動していく。

サクはその少し後ろを歩きながら、ぽつりと言った。

「紙類は多めに買っておいた方がいいな。
 またいつ山道がどうなるか分からない。」

「たしかに……あ、トイレットペーパー……」

凪が手を伸ばそうとした瞬間、
上の段の大きなパックに指先が届かず、少し背伸びをした。

「っ……」

「無理するな。」

サクが横からすっと手を伸ばし、軽々とパックを取る。
そのまま音もなくカゴの中へ。

「いつも思うんですけど……サク、なんでも届きますよね……」

「背の話か?」

「……うん。」

凪がふわっと笑う。

「でも、頼りになるから……助かります。」

何気ない一言なのに、
サクの胸のどこかに、小さな火がともる。

(……頼りになる、か。
 悪くないな、その言い方。)

「重いものは全部こっちに回せ。凪は細かいものだけでいい。」

「え、でもわたしも持ちますよ?」

「凪の腕を酷使するような護衛をしてたら、
 葛城さんに怒られる。」

「……それはたしかに。」

くすっと笑い合いながら、
ふたりはカゴの中身をひとつずつ埋めていく。

洗剤。
缶詰。
パスタ。
ティッシュ。

生活感のある日用品のひとつひとつが、
妙に愛おしく感じられた。

(サクと、こういう買い物をしてるの……
 なんか“不思議”で……でも、すごく嬉しいな……)

──前は一人でやっていたことが、
今は“ふたりの暮らし”の一部になっている。

それが、たまらなくくすぐったい。



会計を済ませて店を出ると、
駐車場には、さっきよりも少しだけ静かな夜が降りていた。

「……もう一軒、寄ってもいいか?」

車ではなく、少し離れた場所を指さして、
サクがふとそんなことを言う。

凪は首を傾げた。

「どこか、行きたいところあるんですか?」

「日用品は買えたし……あとは、そうだな。
 君に……ひとつ、買いたいものがある。」

「えっ……わたしに?」

「だめか。」

「だ、だめじゃないです……!」

反射的に大きな声が出て、自分で慌てる。

サクは口元だけで小さく笑った。

「……なら、少し付き合ってくれ。」

 

スーパーの隣には、小さなショッピングモールが併設されている。
夜でも開いている店は限られていたが、
その一角に、控えめに光るアクセサリーショップがあった。

ガラス越しに見えるショーケースには、
銀色や黒の小物が並んでいる。

「……サク、こういう店、入るんですね……」

「たまにはな。」

「似合いますよ。サク、こういうの。」

「そうか?」

サクは表情こそ変わらないが、
耳の先がわずかに赤い。

ドアを開けると、ちりん、と小さくベルが鳴った。

店内はさっきのスーパーよりも照明が落ち着いていて、
ガラスに映る自分たちの姿が、どこか“非日常”の色を帯びて見えた。

凪の目が、ふとある一角で止まる。

「……わぁ……」

黒いベルベットの台の上、
細い革紐のチョーカーがいくつか並んでいる。

その中に——
サイドに小さな黒薔薇の飾りが付いたものがあった。

「かわいい……」

思わず指先が伸びる。

黒い薔薇。
夜の中で、ほんの少しだけ艶めいて見えるそれは、
どこかサクのイメージと重なった。

「それが気に入ったのか?」

「……あ、はい。なんか……
 サク、黒が似合うから……つい……」

言ってから、あまりにも素直すぎたことに気づいて、
凪は慌てて視線を逸らす。

サクは一瞬目を瞬かせ、それから静かにチョーカーを手に取った。

細い革。
小さな黒薔薇。

(……悪くない。)

「これは……いいな。」

「え……?」

サクの声が、少しだけ低く落ちる。

「凪。」

「は、はい。」

「首、貸してくれるか。」

「っ……え……ここで!?」

店内には他に客はいない。
店員もレジの奥で、雑誌をめくっているだけだ。

それでも“首を貸す”という響きが、
あまりにサクらしくて、
凪の頬は一気に熱を帯びた。

「……嫌か?」

「い、嫌じゃないです……!」

「なら、いいだろう。」

サクは当たり前のような顔で言うと、
凪の後ろに回り込む。

「髪、少し上げて。」

「は、はい……」

凪は震える指で髪をまとめて持ち上げた。

夜の冷たい空気に触れて、
うなじがひやりとする。

そのすぐあと——

サクの指先が、そっと肌すれすれのところをなぞった。

「……っ」

「……すまない。冷たいな。」

息が触れたわけでもないのに、
ぞくり、と背筋が震える。

(……近い……近すぎる……)

サクの手が首の後ろで器用に動き、
カチリ、と小さく金具の留まる音がした。

「……よし。」

サクが一歩下がる。

凪はおそるおそる振り向いた。

「どう、ですか……?」

黒い細いラインが、
白い首筋をやわらかく縁取る。
サイドで揺れる小さな黒薔薇が、
凪の喉元を“印”のように飾っていた。

サクの喉が、わずかに鳴る。

(……危ないな、これは。)

吸血鬼の本能が、ささやく。

“そこに噛め”と。

けれど——

同時に、別の感情がそれを上書きした。

(……これがあれば。
 ここに、境界を引ける。)

サクは、短く息を吐いてから言った。

「……うん。似合ってる。」

「……っ、ありがとうございます……」

凪の声は、少しだけ甘く震えていた。

「これは…」

サクは静かに続ける。

「ヴァンパイアドロップの防止にもなる。」

「……え?」

「直接、首に噛みつくのは……
 この飾りが邪魔をして、難しくなる。」

「サクの……?」

「……私も、他の吸血鬼も、だ。」

さらりと言われて、凪は目を丸くした。

「じゃあ……」

「君の“護身具”だと思ってくれ。」

(……本当は、私自身への牽制でもあるが。)

それは口には出さない。

凪はチョーカーにそっと触れた。

自分の喉元に、サクが選んでくれた“お守り”がある。

それだけで、胸の奥がじんと熱くなる。

「……大事にします。」

「そうしてくれ。」

二人の間に流れる空気は、
さっきよりもずっと甘かった。

店員が、遠くからこっそり微笑ましそうにこちらを見ていることに、
ふたりとも気づいていない。

 

店を出ると、夜風がふわりと首元を撫でていった。

「……あ、なんか……変な感じです。」

「締めつけが強かったか?」

「いえ、そうじゃなくて……
 “守られてる”感じがして……」

凪は照れくさそうに笑った。

「サクの……じゃなくて……
 えっと……その……」

「私の、だ。」

サクがあっさり言う。

「え?」

「それは、私から君への贈り物だ。
 “これは凪のものであり、私のものでもある”という印だよ。」

「わ、わたしの……で、サクの……?」

「そうだ。」

(……なに、その……
 所有権、共有みたいな言い方……)

意味を考えれば考えるほど、
顔が熱くなる。

サクは少しだけ視線を逸らしながらも、
満足そうにそのチョーカーを見つめていた。

(……これでいい。
 これで、私は“ここから先”を自制できる。)

黒薔薇は、凪の首を飾る“装飾”であると同時に、
サクの本能に対する“境界線”でもあった。



帰り道。

駐車場から官舎のある山道へと続く道は、
ところどころ街灯が途切れ、
闇と光がまだら模様をつくっている。

買い物袋をトランクに積み終え、
ふたりは並んで車へ歩き出した。

「今日は、楽しかったです。」

凪がぽつりと言う。

「“買い出し”なのに?」

「買い出し“も”ですけど……
 デート、って言ってくれたから。」

サクは運転席側のドアに手をかけたまま、ふと動きを止めた。

「……そんなに、嬉しかったか?」

「……嬉しかったです。」

夜のせいで、
凪の頬の赤みは、はっきりとは見えない。

それでもその言葉の温度は、
じゅうぶんサクの胸に届いた。

(……私は、本当に……
 この子に、甘やかされているな。)

「……また行こう。」

「え?」

「買い出し“ついで”じゃないデートも。」

「……っ」

凪の心臓が跳ねる音が、
自分でもうるさいくらいだった。

「約束、ですよ?」

「もちろん、君とならいつでも。」

軽口のように言ったサクの瞳は、
どこか本気の色を帯びていた。

そのとき——

ふっと、空気の“温度”が変わった。

(……ん?)

サクの指先が、ドアノブの上でわずかに止まる。

夜の匂い。
アスファルト。
山から降りてくる冷たい風。

その中に——
ひどく懐かしいような、
そして決して忘れたくなかった“気配”が、かすかに混じる。

(……同族……?)

胸の奥で、血がざわりと揺れた。

凪はまだ気づいていない。

「サク?」

振り向いた凪の声が、
いつもより少し遠く感じる。

サクは視線だけをわずかにずらし、
駐車場の出口の方を見やった。

街灯の明かりが届くギリギリの場所。
ビルの陰。

闇と光の境目に——

黒いコートを纏い、
ゆっくりとこちらを見ている人影があった。

女。

細いシルエット。
整った立ち姿。
闇に溶けそうな黒髪。

そして、夜の光を受けて、
その瞳だけが赤く、細く光る。

(……同族だ。
 しかも、“上”……)

凪には、ただの遠くの人影にしか見えない。

けれどサクには、その“質”が分かった。

長い年月。
数え切れない飢えと血。
人間とは決して重ならない、寒気のする気配。

(……まずいな。)

女は、何も言わない。
ただ、そこに立ち、
獲物の匂いを確かめるようにサクを見ていた。

サクの喉が、乾く。

(……ウルド。
 お前のいた“世界”の臭いだ……)

「サク……?」

凪が心配そうに近づこうとした瞬間、
サクは振り返って、その前に立ちふさがった。

「凪。」

「は、はい……」

「先に乗っていろ。すぐ出る。」

「え、でも——」

「大丈夫だ。」

いつもの柔らかな声ではなかった。

低く、短く、命令するような響き。

凪は驚きながらも、
サクのただならぬ様子に逆らえず、
助手席のドアを開けて中に乗り込んだ。

ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。

サクはもう一度だけ、闇の中の女を見た。

女の口元が、かすかに笑う。

遠くて声は聞こえない。
それでも——

“見つけた。”

そんな言葉が、唇の動きだけで読めた気がした。

(……まだだ。
 まだここでは……)

サクは視線を切り、運転席へ乗り込む。

エンジンをかける指先が、
ほんのわずかに震えていた。

「サク、本当に……?」

「平気だ。」

短く答え、ハンドルを握る。

バックミラーには、もう女の姿は映っていない。

けれど——

胸の奥に残った“寒気”だけは、
簡単には消えてくれなかった。

(あれは…純血種か…なぜここに?)

凪の方は、まだ何も知らずに、
チョーカーの黒薔薇をそっと指でなぞっていた。

「……サクの、チョーカー……」

その小さな黒い花は、
今はただ、恋人から贈られた首飾りのように、
夜の車内で静かに揺れているだけだった。
 
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