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第三十四話
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サクは、ゆっくりと目を開けた。
視界が定まるまで、少し時間がかかる。
低い天井。
静かな空気。
――半地下。
(……戻った……)
そう理解した、次の瞬間。
違和感が、喉の奥に残っていることに気づいた。
微かな鉄の味。
自分のものではない、温度。
(……血……?)
息を整えながら視線を巡らせ――
そして、見つけてしまった。
ベッドの脇。
椅子に腰かけて眠る凪。
その腕。
包帯の端から、かすかに滲む赤。
胸の奥が、強く締めつけられる。
「……凪……」
掠れた声に、凪が身じろぎをした。
「……サク……?
起きた……?」
まだ眠気の残る声。
それが、どうしようもなく愛しかった。
サクは、ゆっくりと手を伸ばし――
凪の腕を、そっと取る。
「……その傷……」
凪は一瞬だけ目を伏せ、
それから小さく息を吐いた。
「……気づいた?」
サクの指に、力がこもる。
「……約束しただろう。」
低い声。
責める響きではなく――恐れに近い。
「自分を傷つけるなと……」
凪は困ったように笑い、
それでも一歩、近づいた。
「……うん。
でもさ……」
サクの胸元に、額を預ける。
「サクも……
黙って、いなくなったじゃない。」
その言葉に、サクの呼吸が詰まる。
「二年だよ。
何も言わずに。
……生きてるかどうかも、分からないまま。」
ぎゅっと、外套を掴む。
「だから……おあいこ。」
顔を上げて、まっすぐに見る。
「サクが無茶した分。
わたしも……無茶した。」
沈黙。
サクは、ゆっくりと息を吐き――
次の瞬間、凪を強く抱き寄せた。
骨が軋むほど。
「……馬鹿……」
声が、震える。
「……失うかもしれないって……
それだけで……」
言葉にならなかった。
しばらくして、
サクは凪の腕を取り、包帯をほどく。
露わになった傷は、もう浅い。
それでも、確かに凪の血の痕が残っている。
サクは、その縁にそっと触れ――
ゆっくりと、唇を落とした。
祈るように。
惜しむように。
吸血鬼の力が、静かに流れ込む。
赤みが引き、
傷は、跡形もなく消えていく。
サクは、最後まで離れなかった。
やがて顔を上げ、
凪の手を包み込む。
「……凪。」
静かな声。
「もう二度と……
治してやれないから。」
一拍。
「傷、作るなよ。」
凪の心臓が、強く跳ねた。
「……それって……」
サクは、迷いのない瞳で言った。
「私は……それを選ぶ。」
吸血鬼としてではなく、
男として。
凪は、言葉を失い――
それから、サクにしがみついた。
「……重すぎ……」
「……一緒に背負え。」
凪は、しばらく黙ってから、
小さく頷いた。
「……うん。」
その直後だった。
サクは、凪の肩に手を置く。
「……凪。」
凪は、何も言わずに首を少し傾けた。
選択。
サクは、指先で脈を確かめ、
痛みの走らない位置を選ぶ。
凪の手を取り、包み込む。
指と指が絡む。
「……大丈夫……」
低く、穏やかに。
「……怖くない。」
合図。
牙が、動脈に触れる。
ひやりとした感覚の直後、
体の奥が、熱に包まれた。
噛む。
正確に。
深くはないが、確実に。
凪は声を上げない。
ただ、息を一つ呑み――
サクの外套を、掴み返す。
血が溢れる。
温かく、強い。
生きているという事実。
サクの身体が、はっきりと回復していく。
砕けていた感覚が、繋がる。
同時に――
制御が、戻らないことを悟る。
(……あぁ……)
凪の血は、満たしすぎる。
サクは、最後まで吸う。
吸血鬼としての責任を、果たすために。
凪の指から、力が抜ける。
サクはすぐに牙を抜き、
舌で傷口をなぞる。
吸血鬼の力が働き、
首元の傷は、静かに塞がった。
凪は、サクの胸に額を預けたまま、
小さく息を吐く。
「……サク……」
それが、最後の声。
サクの手が、凪の手を包み直す。
逃がさない。
落ちる前提で、離さない。
二人の視界が、同時に暗くなる。
抗わない。
繋いだ手の温度だけを確かめながら、
同じ深さへ、静かに沈んでいく。
半地下には、音がなかった。
呼吸だけが重なり、
どちらのものか、分からなくなる。
それは、
吸血鬼としての最後の愛し方であり――
人間として生きるための、最初の選択だった。
視界が定まるまで、少し時間がかかる。
低い天井。
静かな空気。
――半地下。
(……戻った……)
そう理解した、次の瞬間。
違和感が、喉の奥に残っていることに気づいた。
微かな鉄の味。
自分のものではない、温度。
(……血……?)
息を整えながら視線を巡らせ――
そして、見つけてしまった。
ベッドの脇。
椅子に腰かけて眠る凪。
その腕。
包帯の端から、かすかに滲む赤。
胸の奥が、強く締めつけられる。
「……凪……」
掠れた声に、凪が身じろぎをした。
「……サク……?
起きた……?」
まだ眠気の残る声。
それが、どうしようもなく愛しかった。
サクは、ゆっくりと手を伸ばし――
凪の腕を、そっと取る。
「……その傷……」
凪は一瞬だけ目を伏せ、
それから小さく息を吐いた。
「……気づいた?」
サクの指に、力がこもる。
「……約束しただろう。」
低い声。
責める響きではなく――恐れに近い。
「自分を傷つけるなと……」
凪は困ったように笑い、
それでも一歩、近づいた。
「……うん。
でもさ……」
サクの胸元に、額を預ける。
「サクも……
黙って、いなくなったじゃない。」
その言葉に、サクの呼吸が詰まる。
「二年だよ。
何も言わずに。
……生きてるかどうかも、分からないまま。」
ぎゅっと、外套を掴む。
「だから……おあいこ。」
顔を上げて、まっすぐに見る。
「サクが無茶した分。
わたしも……無茶した。」
沈黙。
サクは、ゆっくりと息を吐き――
次の瞬間、凪を強く抱き寄せた。
骨が軋むほど。
「……馬鹿……」
声が、震える。
「……失うかもしれないって……
それだけで……」
言葉にならなかった。
しばらくして、
サクは凪の腕を取り、包帯をほどく。
露わになった傷は、もう浅い。
それでも、確かに凪の血の痕が残っている。
サクは、その縁にそっと触れ――
ゆっくりと、唇を落とした。
祈るように。
惜しむように。
吸血鬼の力が、静かに流れ込む。
赤みが引き、
傷は、跡形もなく消えていく。
サクは、最後まで離れなかった。
やがて顔を上げ、
凪の手を包み込む。
「……凪。」
静かな声。
「もう二度と……
治してやれないから。」
一拍。
「傷、作るなよ。」
凪の心臓が、強く跳ねた。
「……それって……」
サクは、迷いのない瞳で言った。
「私は……それを選ぶ。」
吸血鬼としてではなく、
男として。
凪は、言葉を失い――
それから、サクにしがみついた。
「……重すぎ……」
「……一緒に背負え。」
凪は、しばらく黙ってから、
小さく頷いた。
「……うん。」
その直後だった。
サクは、凪の肩に手を置く。
「……凪。」
凪は、何も言わずに首を少し傾けた。
選択。
サクは、指先で脈を確かめ、
痛みの走らない位置を選ぶ。
凪の手を取り、包み込む。
指と指が絡む。
「……大丈夫……」
低く、穏やかに。
「……怖くない。」
合図。
牙が、動脈に触れる。
ひやりとした感覚の直後、
体の奥が、熱に包まれた。
噛む。
正確に。
深くはないが、確実に。
凪は声を上げない。
ただ、息を一つ呑み――
サクの外套を、掴み返す。
血が溢れる。
温かく、強い。
生きているという事実。
サクの身体が、はっきりと回復していく。
砕けていた感覚が、繋がる。
同時に――
制御が、戻らないことを悟る。
(……あぁ……)
凪の血は、満たしすぎる。
サクは、最後まで吸う。
吸血鬼としての責任を、果たすために。
凪の指から、力が抜ける。
サクはすぐに牙を抜き、
舌で傷口をなぞる。
吸血鬼の力が働き、
首元の傷は、静かに塞がった。
凪は、サクの胸に額を預けたまま、
小さく息を吐く。
「……サク……」
それが、最後の声。
サクの手が、凪の手を包み直す。
逃がさない。
落ちる前提で、離さない。
二人の視界が、同時に暗くなる。
抗わない。
繋いだ手の温度だけを確かめながら、
同じ深さへ、静かに沈んでいく。
半地下には、音がなかった。
呼吸だけが重なり、
どちらのものか、分からなくなる。
それは、
吸血鬼としての最後の愛し方であり――
人間として生きるための、最初の選択だった。
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