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二章 閑古鳥よ啼かないで

1.大盛況のサウナだが

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「うーん」
「どうかしました? 女将。パソコンじっと睨んで」
 向かいのデスクから、人事担当の道枝みさえが声をかけてきた。春風より五歳年上だが、くりくりした丸い目がかわいらしい上に、雰囲気がおっとりしているせいで、年上だということを忘れそうになる。

「予約がぜんぜん増えないなあと思って」
 春風が見つめていたのは、宿泊予約表。金土はご贔屓さんや新規のお客様がぽつぽつと来てくれるが、平日は全然予約が入らない。
 オープンから三週間が経ったが、一週間で五組の予約が入るのがいいほうで、旅館としてはかなりヤバイ状況になっている。

「サウナの方は盛況ですね」
「お金かかったけど、設置して良かった」

 SNSを使ってサウナオープンを伝えると、全国からサウナーがやってきた。駐車場が満杯になり、片側に長蛇の列が並ぶ事態にまでなった。急遽、駐車場の隣の土地の木を刈り、駐車場を増設した。

 駅から旅館まで送迎バスがあるので、できるだけ公共交通機関を利用してくれるようにお願いしている。バスは一台、運転は郡治がしていたのだが、新しくドライバーを雇った。

 仲居たちも本来の仕事がほとんどないため、サウナ中心の仕事が多くなった。フロント業務だけでなく、掃除やマットの交換、お客様対応など。

 旅館の方で利益が出ていない分を、サウナで補っている形になっているが、やはり本業である宿泊客を増やしたい。
 サウナ利用者が泊まってくれることを期待しているのだが、日帰り利用者ばかりの現状だった。

「カプセルホテルにサウナを併設するところもあるから、旅館も行けると思ったんだけどなあ」
「宿泊料の差、ですか?」
「まあねえ。うちは旅館にしては安い方だと思うけど、カプセルホテルと比べたら、高いよ。美味しいご飯がついてくるんだから」
「素泊まりはどうですか?」

「うーん。それは無しかなあ。父さんたちの料理は美味しいもん」
「そうですよね。あたしなんて、ここで頂くまかないが美味し過ぎて、太っちゃいましたもん」

 柔らかそうな頬が、むにゅっと緩む。約一時間後の昼食はなんだろう、と胸をときめかせているのかもしれない。

 みさえが青陽荘のパートに来たのは、母が亡くなる一年ほど前になる。5歳の子供がいるので、16時には必ず上がる。
 ご主人が心にダメージを追い、みさえの実家近くに居を移してきたそうだ。
 
 青陽荘の料理が評判だったのは知っていたが、あまりに近くにあるため宿泊に二の足を踏んでいた。たまたま人事の仕事募集を見つけ、応募し、経験があったことから採用となったらしい。

「宿泊してもらえないなら、前日までの予約制にして、昼食を大広間で食べてもらうっていうのはどうだろう」
「いいですね、それ。もしかしたら宿泊に繋がるかもしれませんよ。サウナのあとに畳でゆっくりって気持ち良さそう」

 みさえが賛同してくれた。
「提案してみる」
 
 板前たちは夕食の仕込みを始めるまで、休憩か、個々の練習時間に当てている。今日は泊まりのお客様はいないので、板長は暇をもてあましているだろう。話してみようと思い、席を立った直後、

「もう! 春風さん! ユニフォーム替えてください!」
 荒々しい声で事務所に飛び込んできたのは、琴葉だった。
「着物は熱いです! 風呂で熱中症になりそうですよ!」

 琴葉の剣幕に圧されて、春風は返す言葉を失った。

「聞いてます?」
「ごめん、聞いてます。そっか、着物でサウナの仕事は熱かったんですね。気づかなくてごめんなさい」
「ちゃんと考えてください。本来の業務と違うことをしてるんですから!」

 琴葉はかなりご立腹だった。
 仲居は濃紺の着物に薄い黄色の帯を締めている。そのままのユニフォームでサウナの業務をお願いしていた。
 春風もサウナの仕事をしようと思っていたのだが、榮に女将の仕事ではないと断られた。だから着物でのサウナ業務が熱いということに、気が回らなかった。

「すぐに注文します。浴衣はおかしいよね。作務衣がいい? それともTシャツと短パンの方が動きやすいかな?」
「旅館らしさをアピールしたいなら、作務衣でしょうけど、熱そうですよね」
 みさえがおずおずと、声を発した。琴葉の勢いに、みさえも驚いていたようだ。

「汗の吸水がよくて、熱がこもらないものにしてください」
 そう言うと、琴葉は踵を返して事務所から出て行った。

「琴葉さん、言い方きついですよね。それに女将のこと名前で呼んで……」
「言い方は、あたしにだけだから、構わないかなって。名前呼びなのは、認めてもらえてないってことだから、仕方ないかな」

 みさえにバレないように、春風はそっと溜め息をついた。
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