【完結】とあるリュート弾きの少年の物語

衿乃 光希

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第二部

10 音楽家の仕事

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 ヴァイオリンの出演者たちが部屋をでていき、チェンバロの彼も慌てて一緒に出て行った。ヴァイオリン演奏の次がチェンバロの演奏だった。リュートはもう少し先。

 ディーノも舞台袖でその演奏を聴きたかったのだが、師匠のリュートをほったらかしにしてこの場を離れるわけにはいかない。師匠の出番はドルチェやコーヒーが振る舞われてから。今はメイン料理が運ばれてくる頃合だろう。

 貴族たちの食事は長い。食前酒、前菜に始まり、第一の皿、第二の皿、メイン、口直しのドルチェとコーヒー。合間にはパンも給仕され、ドルチェは数種類用意される。かなりの量になるため、ゆっくり時間をかけながら食事をするのだ。

 食が細いディーノには食べきれないほどの量が給仕される。まだその席に呼ばれたことはないが、食に対する関心が低いため、呼ばれたいと思ったことはなかった。

 チェンバロの彼ではないが、リュートさえ弾ければいい、と今でも思っていた。

 生活のために仕事は必要だが、食べていけるだけの稼ぎがあれば十分だとも。自分一人ならなんとかなる。しかし、イレーネのことを思うとこれではいけないとも考える。

 彼女とやがて生まれるかもしれない子供を養うためには、安定した収入が必要なことは、集落にいた頃よりよくわかっている。

 演奏旅行についていくようになって、いろいろな人と出逢い、様々な価値観や考え方を知った。

 貴族に雇われれば実入りはとても多いし安定もするが、その分貴族の命令は絶対。

 流しの演奏家になって町を回るのは気楽でいいが、収入は不安定。

 師匠のように、その気ままさを尊重されながら貴族から援助してもらえるというのが理想ではある。もちろん援助してもらっている分、今回のような拘束もあるが、公爵はあまり無理は言わない人だ。公爵のようなスポンサーがついてくれればありがたいのだが、そう上手くいくとは限らない。

 あともう一つ。音楽教師という仕事もある。ダンスのように嗜みの一つとして楽器を演奏する貴族たちが増えているのだ。師匠も公爵からの依頼で数人の貴族を教えたことがあった。

 師匠の場合は一つの所に留まることがないため、その地にいる間の数回だけという約束だったが、街に留まり数人の貴族の教師ができれば安定するだろう。そのためには一人前になって名を上げなければ、依頼がくるはずもない。やはり社交界デビューが必然だった。

 チェンバロの彼ほど焦ってはいないが、イレーネのことを考えるとゆっくりしてはいられない。

 手紙を書くから字の勉強をしよう。

 約束をしたのに、この二年で手紙を出せたのは、たったの一回。紙やインクが高級品であることを知らなかったのだ。ピエールからいくばくかの手当をもらい、それを貯めて買って、ようやく出せたのは半年ほど前のことだ。

 しかもこちらは定住地がないため、イレーネから返事がくることはない。定住地があったとしてもイレーネに紙が買えたかどうかわからない。

 寂しい。

 イレーネの顔を見られないのは寂しい。

 集落を離れたことを後悔したことはない。けれど、イレーネへの想いが溢れ出して、胸が苦しくなることが何度もあった。

 夢の中で出遭えただけで、幸福な気持ちになれる。けれど、傍にいない現実をつきつけられて、より寂しさが募る。

 イレーネに逢いたい。何も話せなくて構わない。一目だけでも逢いたい。

 しかし、今師匠の元を去れば、もうリュート奏者として身を立てることはできなくなるだろう。庶民にはお金をだして音楽を楽しむという習慣はない。せいぜい自分たちで歌を唄うか教会で聴く程度のものだからだ。

 今が踏ん張りどころ。ディーノ自身もそれを重々承知している。

 激しく高鳴っていた鼓動が、次第に落ち着きを取り戻し始めた。

 ヴァイオリンの澄んだ音色が楽屋に届き、ディーノは瞼を閉じた。音色に集中する。

 凛と張り詰めたような音色が、ディーノの頭を冴え渡らせ、ディーノの身体は再び緊張を取り戻した。

 これから師匠が演奏をするのだ。その姿を見ているのも良い勉強になる。

 ピエールが楽屋に現われれば、リュートを持って中央ステージに近い戸口で待機することになっている。

 始まったばかりのヴァイオリンの演奏に、ディーノは耳を傾けた。
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