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第一部
30 イレーネのこと
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隣からすーすーという安定した音が聞こえてきた。腕を絡ませたままイレーネは眠ってしまったらしい。
腕をはずしてみようとゆっくりと動かしてみると、イレーネがうーんと不満げな寝息をつく。
どうやら彼女のほうから外してくれるのを待つしかないようだ。
諦めてディーノは動くことをやめた。
顔を動かして、イレーネを見る。枕元の薄灯りに照らされた彼女の顔を見て、奴隷時代のことを思い出した。
健康的だった顔色は食生活のせいか、青白かった。眸はいつも不安そうに揺れていた。毎日湯浴みできる環境ではなかったため、顔や腕はいつも泥だらけだったし、着ている服も元の色がわからないほどぼろで汚れていた。臭いのはお互い様で、奴隷全員がそういう状態だった。
ここで暮らすようになってから、一度も奴隷のころの話を口にしなかった。リノとロゼッタに嘘をついてから奴隷という言葉自体が禁句だった。禁句にしようと示し合せることもなく、暗黙のうちにそうなっていた。
いつのまにかイレーネは少女から娘になっていた。畑仕事をしているうちに日に焼けた肌は健康的で、眸はきらきらと輝き、表情はよく変化した。笑ったり怒ったり泣いたり、楽しそうに過ごしている。
ディーノももちろん、毎日が楽しかった。人と協力して労働をすることの喜びを知り、みんなで作ったものや獲ってきたものを食卓に並べ、大勢で食事をする楽しみを知り、そこにリュートがあっていつでも弾くことができ、聴いてくれる人がいることに。なによりかつて願ったイレーネの笑顔が日々絶えることなく見られることに。幸せと呼べる毎日が続いていることに。
今あの屋敷の人たちがどうなっているかなど、思い出すことも気にかけることもなかった。
隣でイレーネが穏やかな寝息をたてている。傷跡は幸いなことに残らなかった。心に傷は受けなかっただろうか。イレーネが過去を思い出すことがあるのか聞けるようなことではないから、それはわからなかった。
彼女の考えや想いはディーノには全く伝わってこない。ディーノが鈍感なのかもしれないし、イレーネが発していないのかもしれない。
ディーノにわかっていることは、自分の心はいつもイレーネに向いていて、イレーネも自分を嫌っているわけではないということ。兄として想ってくれているのか友達と想っているのかわからないけれど、こうやって寄り添ってくれることに胸が弾むやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちだった。
灯りがふっと切れ、部屋が真っ暗になった。油がなくなってしまったようだ。
夜は更けていく。しかしディーノは身動きもできず、寝ることもできないでいた。灯りが一晩中続くものであったなら、ずっとイレーネの顔を見て夜を明かしたかった。消えてしまって見えていなくても、そこにイレーネがいるのだから。
腕をはずしてみようとゆっくりと動かしてみると、イレーネがうーんと不満げな寝息をつく。
どうやら彼女のほうから外してくれるのを待つしかないようだ。
諦めてディーノは動くことをやめた。
顔を動かして、イレーネを見る。枕元の薄灯りに照らされた彼女の顔を見て、奴隷時代のことを思い出した。
健康的だった顔色は食生活のせいか、青白かった。眸はいつも不安そうに揺れていた。毎日湯浴みできる環境ではなかったため、顔や腕はいつも泥だらけだったし、着ている服も元の色がわからないほどぼろで汚れていた。臭いのはお互い様で、奴隷全員がそういう状態だった。
ここで暮らすようになってから、一度も奴隷のころの話を口にしなかった。リノとロゼッタに嘘をついてから奴隷という言葉自体が禁句だった。禁句にしようと示し合せることもなく、暗黙のうちにそうなっていた。
いつのまにかイレーネは少女から娘になっていた。畑仕事をしているうちに日に焼けた肌は健康的で、眸はきらきらと輝き、表情はよく変化した。笑ったり怒ったり泣いたり、楽しそうに過ごしている。
ディーノももちろん、毎日が楽しかった。人と協力して労働をすることの喜びを知り、みんなで作ったものや獲ってきたものを食卓に並べ、大勢で食事をする楽しみを知り、そこにリュートがあっていつでも弾くことができ、聴いてくれる人がいることに。なによりかつて願ったイレーネの笑顔が日々絶えることなく見られることに。幸せと呼べる毎日が続いていることに。
今あの屋敷の人たちがどうなっているかなど、思い出すことも気にかけることもなかった。
隣でイレーネが穏やかな寝息をたてている。傷跡は幸いなことに残らなかった。心に傷は受けなかっただろうか。イレーネが過去を思い出すことがあるのか聞けるようなことではないから、それはわからなかった。
彼女の考えや想いはディーノには全く伝わってこない。ディーノが鈍感なのかもしれないし、イレーネが発していないのかもしれない。
ディーノにわかっていることは、自分の心はいつもイレーネに向いていて、イレーネも自分を嫌っているわけではないということ。兄として想ってくれているのか友達と想っているのかわからないけれど、こうやって寄り添ってくれることに胸が弾むやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちだった。
灯りがふっと切れ、部屋が真っ暗になった。油がなくなってしまったようだ。
夜は更けていく。しかしディーノは身動きもできず、寝ることもできないでいた。灯りが一晩中続くものであったなら、ずっとイレーネの顔を見て夜を明かしたかった。消えてしまって見えていなくても、そこにイレーネがいるのだから。
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