古民家ベーカリー&カフェ とまり木 ~美味しいパンとやすらぎを~ 〈何気ない暮らしの景色賞〉受賞

衿乃 光希

文字の大きさ
2 / 45
一章 田舎とパン屋とグルメバーガー

2.古民家ベーカリー&カフェ とまり木

しおりを挟む
 私——鈴原依織がグルメバーガーにかぶりついているお店は、山間の住宅街にある『古民家ベーカリー&カフェ とまり木』というパン屋だった。

 古民家をリフォームした店内でパン屋さんとカフェが併設されていて、購入済みのパンをカフェで食べることもできたし、カフェ限定のメニューもあった。

 私がここに行き着いたのは、たまたま。知っている土地でもなく、狙ってきたわけでもなかった。
 会社の最寄り駅で意識と足が動かず、電車を降りることができなくて、ずっと乗っていた。
 ぼんやりと車窓を眺め、各駅停車で二時間。なんとなく降りてみよう。と思ったのが、きっかけだった。

 降りてみると、空気が澄んでいて、気温も少し低めに感じた。都会の喧騒と残暑が、この場所にはない。陽ざしはあるけれど、からっとしている。
 気持ち良いから少し歩いてみよう。
 土地鑑はないけれど、冒険してみたい気になった。

 山々に囲まれ、平地には畑が広がる。畑の間に立ち並ぶ住宅は、古民家というのだろう、どれもに築年数があった。
 重厚感のある瓦屋根の和風建築で、広い敷地を立派な塀が囲っている。
 私が生まれる以前からあり、受け継がれてきているのだろう。

 あてもなく歩いているとパン屋さんが目に留まった。
 そういえば朝病院で食事をして以来、さっき駅前の自販機で買ったスポーツドリンクしか口にしていなかったなと気がついた。
 倒れるとまた他人様に迷惑をかけてしまう。
 何か食べておこうと思い、私はパン屋さんに向かった。

 ここの建物も、古民家だった。二階建ての一軒家。
 敷地を囲う塀はリフォームされていて、木製のおしゃれな塀だった。
 看板がついていて、白文字で『古民家ベーカリー&カフェ とまり木』と書いてある。クロワッサンとコーヒーカップの絵も描かれていた。
 庭が飲食可能エリアになっていて、犬を連れた六十代頃の夫婦が一組座っていた。クリアコップに入ったコーヒーを飲みながら、パンを食べている。

 庭を抜けて、紺色の暖簾が掛かった引き戸をからからと開けると、パンの香ばしい匂いが一気に飛びこんできた。
「良い匂い」
 思わず独り言が漏れてしまうくらい、美味しそうな香りだった。

 築年数のある外観と打って変わって、内装は洋風にリフォームされていた。
 パンが並んだ棚が壁際に置かれ、左側にはカフェ、右側の壁の窓からはキッチンが見えた。

 トングとトレーを手に取って、パンを見ていく。
 体に良さそうなパンってどれだろう。

 パン屋さんに足を運ぶのなんて、何カ月ぶりかな。
 去年から就職を機に一人暮らしを始めた。自炊するつもりだったのに、仕事を覚えるのに必死で余裕がなく、毎日コンビニや、夜遅くまで営業しているスーパーでお弁当やお惣菜やパンを買う日々。

 休日も出歩く時間はなく、勉強に追われた。
 ゆっくり味わう気持ちの余裕も時間もなくて、流し込むような食事をしていた。体を維持するためだけに食べていた。
 そんな生活のせいなのか、夏ごろから味を感じなくなっていた。空腹感も。
 つい忘れてしまいそうになる食事を続けられていたのは、ただの習慣。
 だから昨日倒れてしまった。

 甘そうな物からハード系、総菜系など、かなりの種類のパンが並んでいる。
 固いハード系のパンを咀嚼するのは面倒だし、選択するのに頭を使うのも気が進まなくて、手軽な物でいいか、と冷蔵庫のサンドイッチを手に取った。柔らかそうな食パンに挟まっているレタスが新鮮そうに見えたから。
 味を感じない最近は、触感だけが食べている実感をくれていた。

 レジにトレーを置くと、トレーの下が光ったあと、何を買ったのか液晶画面に出てきた。初めてのシステムに、ちょっとびっくりする。
 どういう原理になっているんだろう。

 イートインを選ぶと、飲み物の選択が画面に出てくる。
 選ぶことばかりしないといけないのは、疲れる。水でいいんだけど、と思った直後、強烈なビタミンカラーに目を奪われた。
 注文したのは、生絞りオレンジジュースだった。

 スマホで決算をしていると、カフェスペースから店員さんだろう女性が「いらっしゃいませ」と言いながら小走りでやってくる。反対側から画面を見た店員さんは、
「店内でご飲食ですね。お飲み物は後ほどお届けいたしますね。お好きなお席へどうぞ」
 にっこりと微笑んだ。
 三十代前半くらいだろうか、同性の私から見ても惹かれるほどきれいな人だった。

 お好きなお席へと言われて、店内を見渡す。
 木曜日の十五時過ぎ、店内はそこそこの混み具合だった。

 白い帽子を被った別の店員さんが、「失礼します」と私の横をすり抜けて、料理を運んで行った。
 すごいボリュームのハンバーガーと、山盛りポテトが乗ったお皿を見て、ぎょっとした。あんな凄い量を食べられるの?
 四十代頃の夫婦らしき二人は、運ばれてきたハンバーガーに、興奮するような声を上げている。

 庭を見ながら休憩をしたかったのだけど、残念ながら窓側の席は空きがない。
 また考えるのが面倒になったから、誰もいないカウンター席に座った。

「お待たせしました。生絞りオレンジジュースです。ごゆっくりどうぞ」
 ことり、とクリアコップが置かれた。画面で見たとおりの鮮やかなオレンジ色が揺れている。
「ありがとうございます」
 店員さんの対応は気さくで、友達の親みたいなアットホームな雰囲気。古民家に合っている。

 なんか、いいな、ここ。
 心地良い空間に、溜め息とは違う吐息がふっと零れる。

 生絞りオレンジジュースを吸い込む。
「美味しい……」
 オレンジのさっぱりした香りと甘味と酸味にはっとした。
 味がした。香りもあった。

 もう一口飲む。
 この数カ月、何を食べても無味無臭で、食事をしている感がまったくなかったのに。
 ちゃんと味を感じられた。

 久しぶりに果物を食べたからだろうか。
 果物は面倒でほとんど食べない。ジュースも口の中がべたべたするから苦手。水ばかり飲んでいるのは、後味が気になるから。

 けれど、このオレンジジュースは後味もすっきりしていて爽やか。
 生絞りのお陰だろうか。あまりに美味しすぎて、一気飲みしてしまいそう。でももったいない。また注文すればいいんだけど、そうじゃない。大切にしたい一杯に思えた。

 ああ、でもオレンジって味が濃いのかもしれない。
 あっさりしたサンドイッチは、きっと何も感じない。
 諦めに似た心境で、封を開けた。

 サンドイッチの具材は、ひとつは卵。もう一つはハムとレタスとキュウリ。見た目も普通の、コンビニに売っているものとあまり変わらない。違いは具が少し多めなぐらい。
 期待するほうが難しい。それぐらい普通のサンドイッチ。

 ハムを先に食べる。
 あれ? 味がする。
 具材は素朴だけど、パンが美味しい。

 シャキシャキのレタスとキュウリ、塩味を感じるハム。パンに塗ってあるのはバターじゃなくてマヨネーズ。マスタードが混ざっているのか、かすかにぴりりとした辛味を感じる。
 その具材とうまく調和しているのが、パンだった。
 もっちりしっとりして柔らかく、噛めば噛むほど小麦の風味を感じる。

 素朴な中に繊細な味があるサンドイッチは、初めて食べた。
 美味しい。
 一口一口丁寧に味わう。

 食べ終わると、もうひとつに目がいった。
 卵だ。

 さっきまでなかった期待がむくむくと膨らむ。
 卵は味が濃い。いったいどんな衝撃を感じられるんだろうと考えると、ドキドキと胸が高鳴った。


 次回⇒3. ここで働きたい
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

薬師だからってポイ捨てされました~異世界の薬師なめんなよ。神様の弟子は無双する~

黄色いひよこ
ファンタジー
薬師のロベルト・シルベスタは偉大な師匠(神様)の教えを終えて自領に戻ろうとした所、異世界勇者召喚に巻き込まれて、周りにいた数人の男女と共に、何処とも知れない世界に落とされた。  ─── からの~数年後 ──── 俺が此処に来て幾日が過ぎただろう。  ここは俺が生まれ育った場所とは全く違う、環境が全然違った世界だった。 「ロブ、申し訳無いがお前、明日から来なくていいから。急な事で済まねえが、俺もちっせえパーティーの長だ。より良きパーティーの運営の為、泣く泣くお前を切らなきゃならなくなった。ただ、俺も薄情な奴じゃねぇつもりだ。今日までの給料に、迷惑料としてちと上乗せして払っておくから、穏便に頼む。断れば上乗せは無しでクビにする」  そう言われて俺に何が言えよう、これで何回目か? まぁ、薬師の扱いなどこんなものかもな。  この世界の薬師は、ただポーションを造るだけの職業。  多岐に亘った薬を作るが、僧侶とは違い瞬時に体を癒す事は出来ない。  普通は……。 異世界勇者巻き込まれ召喚から数年、ロベルトはこの異世界で逞しく生きていた。 勇者?そんな物ロベルトには関係無い。 魔王が居ようが居まいが、世界は変わらず巡っている。 とんでもなく普通じゃないお師匠様に薬師の業を仕込まれた弟子ロベルトの、危難、災難、巻き込まれ痛快世直し異世界道中。 はてさて一体どうなるの? と、言う話。ここに開幕! ● ロベルトの独り言の多い作品です。ご了承お願いします。 ● 世界観はひよこの想像力全開の世界です。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される

水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。 行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。 「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた! 聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。 「君は俺の宝だ」 冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。 これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ

天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。 ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。 そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。 よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。 そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。 こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。

処理中です...