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二章 最悪の職場環境
4. 面接の結果
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「パワハラだよね。それ」
またも掃除中の店員さんが声をかけてきた。
頷いていいのかわからず、あいまいにしていると、笹井さんが間に入ってくれた。
「パワハラだと決めつけてしまうには難しい問題ではあるけれど、きつい上司に当たってしまいましたね」
笹井さんからきつい上司に当たったと同情されて、やはりそうなんだ、と納得がいった。今まで疑問を持つことなく受け入れてきた。仕事だからそういうものだと思い込んでいた。
「普通は違うんですか?」
「今はハラスメントが問題視されているから、気を付けている会社も多いはずですけど。まだそういう人も残っているでしょうね。問題視されて初めて自分の行いがハラスメントだったと気がつくんだと思いますよ。それでも認めないタイプの人もいるでしょうね」
前田課長は、認めなさそうな気がする。そんな人と戦おうとは思わない。逃げるが勝ちだと思う。
「ハズレ引いたね、上司ガチャ」
「こらこら。松本さん」
気遣いのない言い方を、笹井さんがたしなめるけど、そうなのかもしれない。私はくじ運があるほうではない。
欲しいものほど当たらず、嫌なときほど当たってしまうから。
松本さんが続ける。
「でも、たまたま変な奴に当たっちゃただけで、今後もそうだとは限らないよ。どうしたって合わない人はいる。でも合う人もいるし、合う職場に巡り合う可能性だってある。ここに来たのは、巡り合いだったのかもしれないよね」
松本さんの言葉に、私は頷いた。
電車を降りられずに、流れるままにここに来た。このベーカリー&カフェ とまり木のパンを食べたのは、たまたまだと思ったけれど、松本さんの言うように、巡り合ったのかもしれない。
少なくとも、私は救われた。
「ここは空気がとてもおいしくて。気持ちがすっとしたんです。解放された気がしました。味覚が戻ったのは、それのお陰もあるのかもしれません」
笹井さんがウンウンと頷く。
「仕事のプレッシャーが、味覚を奪っていたのかもしれませんね。だから環境を変えるのは、鈴原さんにとって良いことだと思います。だけど、うちの雇用形態はアルバイトですよ。若いんだから、正社員か正社員登用のある会社を探したほうがいいと思うんです、おじさんは。家はこの辺じゃないんでしょう?」
「通勤するには遠いので、引っ越しを考えています」
「ないでしょう。賃貸物件は」
「はい。なので、近隣の駅で探していました」
「そうなんだよね。そもそも人口が少ない上に、持ち家住まいが多いから、賃貸は需要が低いんですよ。ここは」
笹井さんは周辺の物件情報に詳しいらしい。
働きたい気持ちはあっても、住居が定まらないと無理な話。
「じゃあ、うち来る? あたし一人で住んでて、部屋余ってるよ」
「え?」
唐突な提案をしてくる松本さんの顔を、じっと見つめた。
あまりにもさらりと言われたので、どう返していいのかわからなかった。
「うち、部屋数だけはあるのよ。あなたが住むことで上がる光熱費の支払いと、交代で家事をしてくれるなら、家賃なんていらないわよ」
「あ、いえ、それは」
今さっき初めて会った人と同居なんて。同性とはいえ、さすがに二つ返事はできない。
「お店から近いよ。徒歩十分ぐらい。他人と暮らすのが苦手なら無理にとはいわないけど、近いと楽よ」
「松本さんのお住まいは、ここと同じ古民家です。僕は二階が居住区なんだけど、妻に先立たれて一人暮らしだから、広い家は持てあますんですよ。掃除も大変だし」
プライベートな情報を聞かされて、あたふたと慌てる。
アットホームな雰囲気のお店だし、人も良さそうだけど、距離感に戸惑う。
「うち、おいでよ」
「ちょっと待ってください。その前に、採用してもらえたということでいいのでしょうか?」
そもそもの前提として、採用されないと引っ越しもできない。
「なかなか人が来てくれなくて、正直困ってはいたんですよ。福留さんが、あぁ、白い帽子のあの人」
笹井さんがもう一人の店員さんを見やる。
働きたいと申し出たときに繋いでくれた店員さん。
「今月末で辞めちゃうんですよね。開店時から働いてくれていたんだけど、ご主人が転勤になってね。それで急いで探していたんだけど、見つからなくて、困っていたんです。鈴原さんさえよければ、きてもらえますか?」
急募と書かれていた理由を聞かされた。
今月末だなんて、もう二週間しかない。
「はい! ぜひ! ありがとうございます。急いで退職手続きをします。家はもう少し探してみます。条件に合わなければ、しばらく松本さんのお宅に住み込みをさせてもらおうかと……」
採用してもらえるなら、一時的にお世話になろうかと考えを改めながら松本さんを見ると、
「ウェルカ~ム。沙耶って呼んで」
松本さんは、にっこりと笑いながら頷いた。
「退職は、早くて一か月後ぐらいからになりますかね」
笹井さんの質問に、私は首を横に振った。
「出社したくないので、代行業者に手続きを依頼します」
「代行業者?」
笹井さんが首を傾けた。
「退職を代わりに手続きをしてくれる会社があるんです。スマホで依頼できるので、探します」
説明をしても笹井さんはわからないのか、固まっている。
松本さんが言葉を添えてくれた。
「オーナー知らないんですか? 今は退職代行業者っていう会社があるんですよ。本人の代わりに手続きをしてくれるんですって。嫌な上司に辞めますって言いにくいもんねえ。文句言われるの、怖いもん」
「退職を代わりにしてくれる仕事なんてあるんですね。びっくりしました」
固まりから戻った笹井さんは、それまでと変わらない口調で言った。
私はバレないように、ほっと息を吐いた。笹井さんは前田課長より年が上だから、そういうのはダメだと叱られるかもと、少しだけびくついていた。
「それじゃ、引っ越しがすんだら、連絡をください」
「わかりました。できるだけ早く、こちらに来ます」
私は力強く頷いた。
次回⇒三章 新しい仕事 1.パン屋さんでの仕事始め
またも掃除中の店員さんが声をかけてきた。
頷いていいのかわからず、あいまいにしていると、笹井さんが間に入ってくれた。
「パワハラだと決めつけてしまうには難しい問題ではあるけれど、きつい上司に当たってしまいましたね」
笹井さんからきつい上司に当たったと同情されて、やはりそうなんだ、と納得がいった。今まで疑問を持つことなく受け入れてきた。仕事だからそういうものだと思い込んでいた。
「普通は違うんですか?」
「今はハラスメントが問題視されているから、気を付けている会社も多いはずですけど。まだそういう人も残っているでしょうね。問題視されて初めて自分の行いがハラスメントだったと気がつくんだと思いますよ。それでも認めないタイプの人もいるでしょうね」
前田課長は、認めなさそうな気がする。そんな人と戦おうとは思わない。逃げるが勝ちだと思う。
「ハズレ引いたね、上司ガチャ」
「こらこら。松本さん」
気遣いのない言い方を、笹井さんがたしなめるけど、そうなのかもしれない。私はくじ運があるほうではない。
欲しいものほど当たらず、嫌なときほど当たってしまうから。
松本さんが続ける。
「でも、たまたま変な奴に当たっちゃただけで、今後もそうだとは限らないよ。どうしたって合わない人はいる。でも合う人もいるし、合う職場に巡り合う可能性だってある。ここに来たのは、巡り合いだったのかもしれないよね」
松本さんの言葉に、私は頷いた。
電車を降りられずに、流れるままにここに来た。このベーカリー&カフェ とまり木のパンを食べたのは、たまたまだと思ったけれど、松本さんの言うように、巡り合ったのかもしれない。
少なくとも、私は救われた。
「ここは空気がとてもおいしくて。気持ちがすっとしたんです。解放された気がしました。味覚が戻ったのは、それのお陰もあるのかもしれません」
笹井さんがウンウンと頷く。
「仕事のプレッシャーが、味覚を奪っていたのかもしれませんね。だから環境を変えるのは、鈴原さんにとって良いことだと思います。だけど、うちの雇用形態はアルバイトですよ。若いんだから、正社員か正社員登用のある会社を探したほうがいいと思うんです、おじさんは。家はこの辺じゃないんでしょう?」
「通勤するには遠いので、引っ越しを考えています」
「ないでしょう。賃貸物件は」
「はい。なので、近隣の駅で探していました」
「そうなんだよね。そもそも人口が少ない上に、持ち家住まいが多いから、賃貸は需要が低いんですよ。ここは」
笹井さんは周辺の物件情報に詳しいらしい。
働きたい気持ちはあっても、住居が定まらないと無理な話。
「じゃあ、うち来る? あたし一人で住んでて、部屋余ってるよ」
「え?」
唐突な提案をしてくる松本さんの顔を、じっと見つめた。
あまりにもさらりと言われたので、どう返していいのかわからなかった。
「うち、部屋数だけはあるのよ。あなたが住むことで上がる光熱費の支払いと、交代で家事をしてくれるなら、家賃なんていらないわよ」
「あ、いえ、それは」
今さっき初めて会った人と同居なんて。同性とはいえ、さすがに二つ返事はできない。
「お店から近いよ。徒歩十分ぐらい。他人と暮らすのが苦手なら無理にとはいわないけど、近いと楽よ」
「松本さんのお住まいは、ここと同じ古民家です。僕は二階が居住区なんだけど、妻に先立たれて一人暮らしだから、広い家は持てあますんですよ。掃除も大変だし」
プライベートな情報を聞かされて、あたふたと慌てる。
アットホームな雰囲気のお店だし、人も良さそうだけど、距離感に戸惑う。
「うち、おいでよ」
「ちょっと待ってください。その前に、採用してもらえたということでいいのでしょうか?」
そもそもの前提として、採用されないと引っ越しもできない。
「なかなか人が来てくれなくて、正直困ってはいたんですよ。福留さんが、あぁ、白い帽子のあの人」
笹井さんがもう一人の店員さんを見やる。
働きたいと申し出たときに繋いでくれた店員さん。
「今月末で辞めちゃうんですよね。開店時から働いてくれていたんだけど、ご主人が転勤になってね。それで急いで探していたんだけど、見つからなくて、困っていたんです。鈴原さんさえよければ、きてもらえますか?」
急募と書かれていた理由を聞かされた。
今月末だなんて、もう二週間しかない。
「はい! ぜひ! ありがとうございます。急いで退職手続きをします。家はもう少し探してみます。条件に合わなければ、しばらく松本さんのお宅に住み込みをさせてもらおうかと……」
採用してもらえるなら、一時的にお世話になろうかと考えを改めながら松本さんを見ると、
「ウェルカ~ム。沙耶って呼んで」
松本さんは、にっこりと笑いながら頷いた。
「退職は、早くて一か月後ぐらいからになりますかね」
笹井さんの質問に、私は首を横に振った。
「出社したくないので、代行業者に手続きを依頼します」
「代行業者?」
笹井さんが首を傾けた。
「退職を代わりに手続きをしてくれる会社があるんです。スマホで依頼できるので、探します」
説明をしても笹井さんはわからないのか、固まっている。
松本さんが言葉を添えてくれた。
「オーナー知らないんですか? 今は退職代行業者っていう会社があるんですよ。本人の代わりに手続きをしてくれるんですって。嫌な上司に辞めますって言いにくいもんねえ。文句言われるの、怖いもん」
「退職を代わりにしてくれる仕事なんてあるんですね。びっくりしました」
固まりから戻った笹井さんは、それまでと変わらない口調で言った。
私はバレないように、ほっと息を吐いた。笹井さんは前田課長より年が上だから、そういうのはダメだと叱られるかもと、少しだけびくついていた。
「それじゃ、引っ越しがすんだら、連絡をください」
「わかりました。できるだけ早く、こちらに来ます」
私は力強く頷いた。
次回⇒三章 新しい仕事 1.パン屋さんでの仕事始め
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