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三章 新しい仕事
4.夕食作り
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遅いにゃ、と言いたげな顔で八さんが一声鳴く。
「ただいま。お出迎えありがとう」
沙耶さんが頭を撫でようと手を伸ばすと、八さんはすっと頭をかわした。
「ツンデレ猫め」
沙耶さんは愛情が込められた声で言う。
八さんは雨が強かった日、ぐっしょりと濡れた体を震わせながら庭で休んでいたところを、沙耶さんの旦那さんが見つけて体を拭いてやり、餌を与えた。雨が止むと出ていったけど、毎日やってくるから、保護し、飼い猫になった。
名前は見た目そのまま。顔の毛が黒と白の二色に分かれている、ハチワレ模様から縁起の良い〈八〉と名付けたらしい。
八さんは、台所に向かう沙耶さんを追っていく。
「お邪魔します」
私も沙耶さんに続いて靴を脱ぎ、上がろうとすると、
「ただいま、でしょ」
振り返った沙耶さんに訂正された。
「あ、はい。ただいま」
「おかえりなさい。夜ご飯どうしよっか?」
同じ所から一緒に戻ってきたのに、自然におかえりと言われて、思わず口の端が上がる。この家の一員なんだと言われたみたいで、嬉しかった。
沙耶さんの家に引っ越したのは、二日前のこと。運よく引っ越し業者の手が空いていて、しかも良心的な価格で運んでくれた。
初日の夕食は、引っ越し蕎麦だった。『引っ越しっていったら蕎麦でしょ』と沙耶さんが用意してくれた。しかも大きな海老がどんと乗っていた。食べきれるかな、と不安がついてきたけれど、沙耶さんと話しながら食べていると、気がつけばたいらげていた。
昨夜はとまり木の売れ残ったパンをもらってきてくれたから、ミートパスタと食べた。
売れ残ったパンは塩バターパンとバゲットのプレーン。沙耶さんはハード系のパンが好きだと知った。
バゲットは薄めにスライスして、沙耶さんオススメの明太バターと、ガーリックバターをそれぞれ塗り、塩バターと一緒にトーストした。
残ったバゲットは、今朝チーズやトマトを挟んで食べた。
さらに残った分は、小さく切ってオイルで炒め、クルトンを作ってくれた。クルトンはお昼にも飲んだポトフに浮かべた。
「鶏肉と卵があるね。オムライスとか、親子丼とかできるよ」
「オムライスがいいです」
「OK。じゃ、オムライスにしよう。一緒に作る? 疲れてたら、ゆっくりしていていいよ」
「いえ、教えてください」
「じゃ、一緒に作ろうか。着替えてくるね」
「私も着替えます」
沙耶さんは八さんのご飯を準備する。私は先に階段を上がった。
一階は台所リビングお風呂トイレなどの共用部分で、二階は個室が四部屋あり、階段を上がってすぐの部屋を自室にと用意してくれた。
家具は折りたたみマットレス、小さなローテーブル、ハンガーラックがあるだけ。
私は物をあまり持たない。アルバムは実家に置きっぱなし。スマホがあれば事足りるから、パソコンは持っていない。
物欲もかつての食欲と同様低いらしく、あっという間に荷物を運び終え、沙耶さんに「荷物が少ないね」とびっくりされた。
部屋着に着替えて部屋を出ると、沙耶さんが階段を上がってきた。
「すぐ着替えるから、ちょっと待っててね」
「はい。ゆっくりで大丈夫です」
と答えて、台所に向かった。
八さんは食べ終えて満足したのか、顔の毛づくろいをしていた。
私の姿を見ると、毛づくろいをやめて、ととと、っと逃げてしまう。
「ごめんね。くつろいでるところ」
背中に声をかけると、八さんが足を止めて振り返り、にゃーと一声鳴いてから、リビングに行った。
たぶん嫌われてはいないと思う。だけどまだ距離がある。
ペットを飼ったことがないから、どう対応すればいいのかわからない。もふもふに触れたいなと思っているけれど、今は無理に距離をつめるのは遠慮していた。
知らない人間がいきなりナワバリにやってきたのに、シャーされないだけありがたい。
そのうち私に獲物を見せにきてくれたら、逆に喜んでいいのかもしれない。
キャットタワーから私を見下ろす八さんを見ていると、着替えた沙耶さんが降りてきた。
「お待たせ。作ろっか」
「はい。よろしくお願いします。どういう手順になるんですか?」
「鶏肉を切って炒めて、火が通ったら、みじん切りにしたニンジンと玉ねぎを加えて炒めて、塩コショウとケチャップで味つけ。最後にご飯を入れて、チキンライスのできあがり。卵で包めば、オムライス完成。できそう?」
難しそうな手順には思えなかった。
「やってみます」
「うん、良い返事。ご飯は炊いてあるからね」
冷蔵庫は勝手に開けていいよ、と初日に許可をもらったので、鶏肉と玉ねぎとニンジンを取り出す。
「みじん切りは、手でやる? 機械もあるよ?」
「みじん切りって、機械でできるんですか?」
学校の授業でハンバーグを作ったことがある。みじん切りは包丁でやった。まな板からぱらぱらと零れていって、面倒臭い作業だねと班になった子たちと言い合っていたのを思い出した。
「そ。適当に切った野菜を入れて、ボタンを押すだけ。楽でいいよ」
「じゃあ、それ、使います」
半分に切ったニンジンをもう少し切ってから、みじん切りができるという機械に入れる。フードプロセッサーというらしい。蓋をして、教えてもらったボタンを押すと、刃がすごい勢いで回転を始めた。駆動音とともに、固いニンジンがどんどん細かくなっていく。手を離すと、刃の回転はすぐに止まった。
「すごい」
あっという間にニンジンのみじん切りが出来上がった。
玉ねぎも同じようにする。
「便利ですね、これ」
「でしょう。包丁でみじん切りってけっこう面倒だったからさ、これは買って良かった家電。百均とかなら手動で紐を引っ張ってできるの売ってたわよ」
「え! 百円なんですか?!」
「違う違う。百均でも、高い商品あるじゃない? そっちの商品。あたしは手動は嫌だったから、電気頼り」
家が見つかって、一人暮らしになったら買おうと決めた。
引き続き、沙耶さんから教わりながら、具材を炒める。
テフロン加工されたフライパンに油を入れて温めて、小さく切った鶏もも肉を炒める。
鶏肉の色が変わって火が入ったタイミングを教えてもらい、ニンジンと玉ねぎのみじん切りを投入。少し炒めてから塩コショウをして、
「具材を端に寄せて、空いたところにケチャップを入れて煮詰めてからご飯を入れたら、べちゃってならないんだって」
沙耶さんがコツを教えてくれた。
「順番を間違えるとべちゃってなるんですか」
「水分を飛ばすのが肝心らしいよ」
「そうなんですね」
言われたとおりに空間を作り、ケチャップを入れる。
「煮詰めるって、どんな感じですか」
わからなくて訊ねると、
「空気の穴みたいなのが出てくるはずだよ」
「空気の穴、ですか」
じっと見ていると、ケチャップがふつふつして弾けてきた。パチパチと爆ぜるような音がする。
「そんな感じかな。ご飯を入れて全体に絡めてね。そうそう上手いじゃない」
味見をして、塩コショウを少し足して調節する。
褒め上手の沙耶さんにうまく乗せられて、チキンライスが完成した。
5.失敗したけど
「ただいま。お出迎えありがとう」
沙耶さんが頭を撫でようと手を伸ばすと、八さんはすっと頭をかわした。
「ツンデレ猫め」
沙耶さんは愛情が込められた声で言う。
八さんは雨が強かった日、ぐっしょりと濡れた体を震わせながら庭で休んでいたところを、沙耶さんの旦那さんが見つけて体を拭いてやり、餌を与えた。雨が止むと出ていったけど、毎日やってくるから、保護し、飼い猫になった。
名前は見た目そのまま。顔の毛が黒と白の二色に分かれている、ハチワレ模様から縁起の良い〈八〉と名付けたらしい。
八さんは、台所に向かう沙耶さんを追っていく。
「お邪魔します」
私も沙耶さんに続いて靴を脱ぎ、上がろうとすると、
「ただいま、でしょ」
振り返った沙耶さんに訂正された。
「あ、はい。ただいま」
「おかえりなさい。夜ご飯どうしよっか?」
同じ所から一緒に戻ってきたのに、自然におかえりと言われて、思わず口の端が上がる。この家の一員なんだと言われたみたいで、嬉しかった。
沙耶さんの家に引っ越したのは、二日前のこと。運よく引っ越し業者の手が空いていて、しかも良心的な価格で運んでくれた。
初日の夕食は、引っ越し蕎麦だった。『引っ越しっていったら蕎麦でしょ』と沙耶さんが用意してくれた。しかも大きな海老がどんと乗っていた。食べきれるかな、と不安がついてきたけれど、沙耶さんと話しながら食べていると、気がつけばたいらげていた。
昨夜はとまり木の売れ残ったパンをもらってきてくれたから、ミートパスタと食べた。
売れ残ったパンは塩バターパンとバゲットのプレーン。沙耶さんはハード系のパンが好きだと知った。
バゲットは薄めにスライスして、沙耶さんオススメの明太バターと、ガーリックバターをそれぞれ塗り、塩バターと一緒にトーストした。
残ったバゲットは、今朝チーズやトマトを挟んで食べた。
さらに残った分は、小さく切ってオイルで炒め、クルトンを作ってくれた。クルトンはお昼にも飲んだポトフに浮かべた。
「鶏肉と卵があるね。オムライスとか、親子丼とかできるよ」
「オムライスがいいです」
「OK。じゃ、オムライスにしよう。一緒に作る? 疲れてたら、ゆっくりしていていいよ」
「いえ、教えてください」
「じゃ、一緒に作ろうか。着替えてくるね」
「私も着替えます」
沙耶さんは八さんのご飯を準備する。私は先に階段を上がった。
一階は台所リビングお風呂トイレなどの共用部分で、二階は個室が四部屋あり、階段を上がってすぐの部屋を自室にと用意してくれた。
家具は折りたたみマットレス、小さなローテーブル、ハンガーラックがあるだけ。
私は物をあまり持たない。アルバムは実家に置きっぱなし。スマホがあれば事足りるから、パソコンは持っていない。
物欲もかつての食欲と同様低いらしく、あっという間に荷物を運び終え、沙耶さんに「荷物が少ないね」とびっくりされた。
部屋着に着替えて部屋を出ると、沙耶さんが階段を上がってきた。
「すぐ着替えるから、ちょっと待っててね」
「はい。ゆっくりで大丈夫です」
と答えて、台所に向かった。
八さんは食べ終えて満足したのか、顔の毛づくろいをしていた。
私の姿を見ると、毛づくろいをやめて、ととと、っと逃げてしまう。
「ごめんね。くつろいでるところ」
背中に声をかけると、八さんが足を止めて振り返り、にゃーと一声鳴いてから、リビングに行った。
たぶん嫌われてはいないと思う。だけどまだ距離がある。
ペットを飼ったことがないから、どう対応すればいいのかわからない。もふもふに触れたいなと思っているけれど、今は無理に距離をつめるのは遠慮していた。
知らない人間がいきなりナワバリにやってきたのに、シャーされないだけありがたい。
そのうち私に獲物を見せにきてくれたら、逆に喜んでいいのかもしれない。
キャットタワーから私を見下ろす八さんを見ていると、着替えた沙耶さんが降りてきた。
「お待たせ。作ろっか」
「はい。よろしくお願いします。どういう手順になるんですか?」
「鶏肉を切って炒めて、火が通ったら、みじん切りにしたニンジンと玉ねぎを加えて炒めて、塩コショウとケチャップで味つけ。最後にご飯を入れて、チキンライスのできあがり。卵で包めば、オムライス完成。できそう?」
難しそうな手順には思えなかった。
「やってみます」
「うん、良い返事。ご飯は炊いてあるからね」
冷蔵庫は勝手に開けていいよ、と初日に許可をもらったので、鶏肉と玉ねぎとニンジンを取り出す。
「みじん切りは、手でやる? 機械もあるよ?」
「みじん切りって、機械でできるんですか?」
学校の授業でハンバーグを作ったことがある。みじん切りは包丁でやった。まな板からぱらぱらと零れていって、面倒臭い作業だねと班になった子たちと言い合っていたのを思い出した。
「そ。適当に切った野菜を入れて、ボタンを押すだけ。楽でいいよ」
「じゃあ、それ、使います」
半分に切ったニンジンをもう少し切ってから、みじん切りができるという機械に入れる。フードプロセッサーというらしい。蓋をして、教えてもらったボタンを押すと、刃がすごい勢いで回転を始めた。駆動音とともに、固いニンジンがどんどん細かくなっていく。手を離すと、刃の回転はすぐに止まった。
「すごい」
あっという間にニンジンのみじん切りが出来上がった。
玉ねぎも同じようにする。
「便利ですね、これ」
「でしょう。包丁でみじん切りってけっこう面倒だったからさ、これは買って良かった家電。百均とかなら手動で紐を引っ張ってできるの売ってたわよ」
「え! 百円なんですか?!」
「違う違う。百均でも、高い商品あるじゃない? そっちの商品。あたしは手動は嫌だったから、電気頼り」
家が見つかって、一人暮らしになったら買おうと決めた。
引き続き、沙耶さんから教わりながら、具材を炒める。
テフロン加工されたフライパンに油を入れて温めて、小さく切った鶏もも肉を炒める。
鶏肉の色が変わって火が入ったタイミングを教えてもらい、ニンジンと玉ねぎのみじん切りを投入。少し炒めてから塩コショウをして、
「具材を端に寄せて、空いたところにケチャップを入れて煮詰めてからご飯を入れたら、べちゃってならないんだって」
沙耶さんがコツを教えてくれた。
「順番を間違えるとべちゃってなるんですか」
「水分を飛ばすのが肝心らしいよ」
「そうなんですね」
言われたとおりに空間を作り、ケチャップを入れる。
「煮詰めるって、どんな感じですか」
わからなくて訊ねると、
「空気の穴みたいなのが出てくるはずだよ」
「空気の穴、ですか」
じっと見ていると、ケチャップがふつふつして弾けてきた。パチパチと爆ぜるような音がする。
「そんな感じかな。ご飯を入れて全体に絡めてね。そうそう上手いじゃない」
味見をして、塩コショウを少し足して調節する。
褒め上手の沙耶さんにうまく乗せられて、チキンライスが完成した。
5.失敗したけど
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