古民家ベーカリー&カフェ とまり木 ~美味しいパンとやすらぎを~ 〈何気ない暮らしの景色賞〉受賞

衿乃 光希

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六章 地域のイベント

1. 前日の仕込み

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 料理用の白いグローブをつけた店長が、ボウルに手を入れる。
 中身は国産和牛百%のミンチだ。
 このミンチはついさっき店長が包丁を入れて、ミンチにしたもの。
 牛肉の塊がミンチになっていく姿は、残酷ながらも豪華で、思わず見とれてしまうほど圧巻だった。
 ミンチに塩とコショウを混ぜて、こねてこねてこねて、粘りをだしていく。
 私もグローブをはめて、ボウルを支え、こねられていくミンチを見守った。

「OKです。そしたら握りこぶしぐらいの大きさに分けてください」
 店長の見本とおりの大きさに取り分けて丸め、バットに置いていく。
 その丸めたミンチを、店長がラップを敷いた円形の型にはめて、形を作っていく。

 いよいよ地域のイベントを明日に控えた今日、お店は臨時休業し、私と沙耶さんは仕込みを手伝っている。
 今やっている作業は、グルメバーガーに挟むパティ作り。
 つなぎを一切入れない店長こだわりのパティが出来上がる様子を、私は真剣な思いで手伝っていた。

 私の舌に味覚を取り戻してくれたのはオレンジジュースとサンドイッチだったけど、初めて食べたグルメバーガーへの感動は、一か月半が経った今でも新鮮な気持ちで思い出せる。
 その仕込みに関わらせてもらえるなんて。信頼してもらえたような気がして、嬉しいさがじんわりと広がった。

 出来上がったパティは冷凍していき、明日会場で焼いていく、と教えてもらった。
 販売するグルメバーガーは、私が食べたベーコンレタスチーズバーガー。
 会場中に広がるだろう美味しい香りを想像するだけで、わくわくしてくる。

 イベントは二日間行われ、150食ずつ販売し、売り切れ次第終了となる。
 パンも何種類か持って行くため、沙耶さんは袋詰めの作業をしていた。

 パティ作りが終わると、次はベーコン。
 ベーコンは店長の手作りだった。お店の裏庭に燻製機があって、ほぼ毎日のように作っているらしい。

 ブロックのベーコンを、長さ15センチ幅5ミリほどに切り、食べやすいように縦に切り込みを入れていく。自宅の料理では見ない量の多さに、ミンチ以上にびっくりした。
 切ったベーコンをタッパに入れて、冷蔵庫へ。ベーコンも会場で焼く。

 次はレタス。一枚一枚剥がすのだと思っていた。
 店長は表の固い部分を二枚ほど剥がしてから芯に十字の切り込みを入れて、冷たい水に浸した。二分ほどで取り出して、ざるに上げる。
 水が切れると、蓋付きのケースにキッチンペーパーを敷き、その上にレタスを置く。

「レタスは剥がしておかないんですか」
「変色しちゃうとダメですからね。調理の直前に剥がします。もし傷みや変色があったら、その部分は取ってくださいね」
「わかりました」
 トマトも洗って周りを拭くと、キッチンペーパーの上に乗せていった。トマトのカットも調理の直前にする。

 野菜のケースは冷蔵庫に、袋詰めを終えたパンは黄色のケース――番重ばんじゅうと教えてもらった――に収め、明日車で運ぶ。ホットプレートやカセットコンロとフライパンなど、持って行くものがたくさん準備されていた。
 とまり木には白のミニバンがあり、明日、店長が荷物を載せて運んでいく。私たちは一度とまり木に寄ってから、荷物の積み込みをして、電車で現地に向かう段取りになっていた。

 特製マヨネーズやバンズに塗るソースも作り終え、消毒済みの先が細いボトルに詰めておく。
「お疲れ様でした」
 夕方には仕込みが終わって、私と沙耶さんはとまり木を出た。
 店長は休憩後、明日のバンズを作っていくとのことだった。

「明日と明後日、忙しいんですか」
「グルメバーガー目当てのお客さんが並ぶからね。忙しくはなるけど、お店よりあれこれがないから、楽かもしれない」

「店長がパティを焼いて、沙耶さんが調理補助ですよね。私は注文を聞いて、会計すればいいんですか」
「そんな感じになると思う。けどね……」

 沙耶さんが言葉を止めたから、何から問題でもあるのかと思って隣に顔を向けると、沙耶さんはにこにこと微笑んでいた。

「え? どうしたんですか? 嬉しいことでもありました?」
「伊織ちゃんにも調理のお手伝いしてもらおかなって、店長言ってたよ」

「え……」
 足が止まる。
 調理の、お手伝い……?
 言葉の意味を理解して、「え? え?」とそわそわ。

 一歩先にいる沙耶さんが振り返って言った。
「グルメバーガー作り、伊織ちゃんにもしてもらおうかなって言ってたよ」

 沙耶さんが繰り返した言葉が、ゆっくりと浸透していく。
「ほんとうに? 店長が言ってたんですか?」

「うん。今日、すごく真剣に取り組んでくれたって喜んでたよ」
「店長が……」
 褒めてもらうために真剣に手伝ったわけじゃない。お給料が発生する仕事だから、真剣にしたけれど、それ以上に、大切な食材だから大切に扱うことが当たり前だと思っていた。
 その姿勢を店長が見てくれていた、ということなのかな。

「嬉しいよね。頑張りを見ていてくれる人がいて、評価してくれて」
「……はい」
 思わず涙が流れてしまい、手の甲で頬を拭う。

 沙耶さんが戻ってきて、頭にぽんと手を置いた。
「伊織ちゃんは素直に教えられたことを受け入れて、ちゃんと実践しようとしてる。素直だからこそ、うまく立ち回れなくてつらい思いをしたんだろうけど、その素直さこそが、伊織ちゃんの長所だって」

 頭を撫でられて、恥ずかしい。なのに、沙耶さんの優しい声と手が、嬉しい。
 心に刺さっていたトゲを、抜いてもらえたような気がした。

「ありがとう、ございます」
 涙を拭って気持ちを落ち着けて、歩き出す。

「私、言葉をそのとおりに受け取っちゃうんです。気にしなくていいって諭されても、ずっと引きずっていつまでもくよくよしてしまうんです。『ダメな人間だ』って言われたら、私はダメな人間なんだなって落ち込んで。二度と言われないために、もっと頑張らないといけないんだって思ってました」

 今までも誰にも話したことがなかった私の悩み。母にも言ったことがない。
「だから素直なのは短所だと思っていました」
 履歴書の短所欄には、自信がない、といつも書いていた。人の言葉に左右されて、自分という芯がないと思っていたから。

「素直なのは良いことだよ」
 沙耶さんが隣で、優しく言ってくれる。
「世の中にはそのままが出来ないって人もいるんだよね。反論したり、すねちゃったりして。他人に教えられたことを素直に受け取るのは、言葉によってはきついこともあるだろうけど、でも長所だとあたしも思うな」

「それじゃ、これから履歴書の長所に素直って書けますか」
「書いちゃえ書いちゃえ。今までは何て書いていたの?」

「責任感がある」
「ああ、うん、それも当てはまると思うよ。放棄しないで、ちゃんと対応してくれてるもんね」

「あ、でも、会社、責任感のない辞め方をしました」
「それは非常事態だったんだから、ノーカン」

「ノーカン、でいいんでしょうか」
「今の仕事、ちゃんとやってくれてるじゃない」

「非難されたくないから、ちゃんとやろうって思って。それが責任に繋がったんだと思います」
「理由なんてなんでもいいじゃん。依織ちゃんがそう決めて実行してるんだから、ちゃんと芯があるよ」

「芯、そっか。責任感があるのは、芯なんですね」
「そうだよ」

「沙耶さんや店長と話していると、自己肯定感が上がりそうです」
「爆上げしちゃえ」
「ありがとうございます!」

 とまり木に転職してから、私の価値観が良い意味で狂わされている。
 短所だったことが長所になった。
 ないと思っていた私という芯は、実はあった。
 人の言葉に左右されているのは変わらないけれど、前向きになれてるんだからいいよね。と都合よく考えることにした。

「家に帰ったら、ハンバーガーを作る手順を教えてください」
「OK。特訓だ」
「頑張ります」
 イベントのワクワクと、新しいことに挑戦するワクワクとで、私の心はやる気で爆発しそうになっていた。


 次回⇒2.イベント開始直前
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