古民家ベーカリー&カフェ とまり木 ~美味しいパンとやすらぎを~ 〈何気ない暮らしの景色賞〉受賞

衿乃 光希

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九章 父の五年間

3.ありがとう

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「沖縄で仕事をしてるってことは、また戻るんだよね」
 今後のことを訊ねると、父は顔を上げて頷いた。

「もうしばらく、向こうで生活したいと思ってる。依織は、反対か?」
「いいよ。反対なんてしない。私も好きな場所で働いてる。バイトだから不安定だけど、やりがいのある仕事だと思ってるから、好きにさせてほしい。だから、お父さんも自分に合う場所で、のびのび生活したらいいよ」

 連絡先だけ教えて、とスマホを出すと、父はズボンのポケットからスマホを取り出した。
 たどたどしい手つきで操作をする。
 セルフレジでも手間取っていた。

「お父さん、何歳だっけ?」
 父の老いを感じて、年齢を訊ねた。
「五十七になったよ」

 沙耶さんよりも二歳年上。
 沙耶さんは見た目も考え方も行動も若々しいから、同年代の両親もまだまだ若いと思っていた。どうやら違うらしい。
 単純に機械が不得手なだけかもしれないけれど、これが老いなのかもしれない、とも思った。

 追加された父の連絡先に、心から安心した。これでいつでも連絡がつく。
 私は交換したばかりの父のアプリに、送信した。

 ≪これからは、ちゃんと返信してよね
 目の前にいる父が、スマホを触る。私のメッセージを表示させる。
 ≪連絡します
 ちゃんと返ってきた。

 あのころ、何度も何度もメッセージを送った。返信どころか既読にならなくて、気持ちが焦ってばかりいた。
 どうして電話に出ないの! どうしてメッセージを見ないの! なんのためにスマホを持ってるのと腹が立った。

 今は、もう怒っていない。
 父の事情を知ったことで、怒りの気持ちは消え去った。
 顔を見たことで、話したことで、心配が安心に代わった。

 これからは話したくなれば電話をすればいい。メッセージのやり取りだってできる。
 いつでも繋がれる。繋がっている。
 たった一個の機械に翻弄されたけど、安心も得られた。
 スマホを抱きしめたいぐらい、心から安堵した。

 私たちは祖父宅にもう一泊した。誰も住んでいないこの家を、今後どうするのか。答えはでなかった。
 法事の翌朝、レンタル業者に布団を返却し、ガス水道電気を止めて、戸締りをした。
 三人で実家に戻るため、歩き出す。母を真ん中にして。

「並んで歩くなんて、いつぶりかな」
 私がぽつりと言うと、
「依織ちゃんが小学生とかじゃない?」
 母が楽しそうに言う。

「そんなに前になる?」
「中学校の入学式だ」
 父が確信を持った口調で言った。

 そうかもしれない。新しいセーラー服に身を包んだ私を中央にして、両親と並んで学校に行った。
 入学式の看板の前で写真を撮ろうと父に提案されて、恥ずかしく思いながら、通りがかった人の良さそうな親子に写真を撮ってもらった。
 お礼にと、父がその親子の写真も撮った。

 体育祭や文化祭は親とは別行動だったし、中学の卒業式、高校の入学式に父は出席できなかった。
 中学生になって私の交友範囲が広がり、親と出掛けることもなくなった。
 無性に親にイライラしがちになり、会話が減った時期もあった。
 そんな反抗期も忘れたころに、父との別居生活が始まった。

 母との二人暮らしは気楽だった。男手が家になくて、困ることはなかった。母も私もそこそこ身長はあるので、電球の交換に背の高い人を必要としなかった。そもそも、父も私たちと身長は変わらない。男性にしては低い方。
 だけど、家に父がいない寂しさは、あったように思う。

 それぞれの誕生日にはビデオ通話をして、顔を見て話したり、いついつ行くからねとメッセージを送って、待ってるよの返事が嬉しかったり。
 体は離れていても、連絡は取り合っていた。
 いつでも繋がれる。その安心が崩れたから、不安な気持ちでいっぱいになった。

 子供だったな、私。
 再び繋がったことで、気持ちが落ち着いた。
 変わっていない。大人になっているつもりだけど、私はまだまだ子供だ。

 仲良く話している父と母を盗み見る。
 和弘と早織が出会って、私が生まれた。大切に育ててもらった。

「ありがとう」
 私は二人に聞こえないような小さな声で、感謝の気持ちを呟いた。

 母が私に顔を向けた。手を出される。
 母の反対側の手を見ると、父と繋がっていた。
 父は照れ臭そうな笑顔で、私を見ている。

 私も、母と手を繋いだ。
 親子で手を繋ぐなんて、長らくなかった。
 とても温かい。心までじんわりと満たされて、私は手に力を込めた。
 
 

 次回⇒4.実家
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