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最期の贈り物――橘 修(享年55歳)

12. 修 5の続き

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「――良かったら見に来てよ」と掛けられた言葉に現実に引き戻された。
「もう死んでますので」
一瞬老人がきょとんした顔で俺を見つめ、「そうでしたなぁ。見えてるからつい・・・・・・ついねぇ」と笑って誤魔化した。
このままでは話が進まないと思い、こちらから先を促してみることした。
「それで、チャンスというは、何かご存知なのでしょうか?」
「それね、そうそう、その話だったねぇ」
話が脱線したことで、すっかり忘れられていたようだ。
「私の人形を使えばいいよぉ」
この老人はまた訳の分からない話を――。やや腹が立って、これみよがしに溜め息をついてみたが、そもそも呼吸をしていないのだから空気が揺らぐわけもなく。しかし老人は俺の表情で悟ったのか、
「冗談とかじゃ、ないんよぉ」
と、姿勢を正した。
「私の人形は死者が動かせるみたいなんよねぇ」
今度は俺がきょとんとする番だった。
「どれくらいの時間動かせるのかは、わからないんだけどねぇ。まあ、騙されたと思って入ってみたら、どうだろうかねぇ」
うんうんと頷きながら、俺の背後を指差す。つられて振り返ってみたものの、初っ端にぎょっとした、大量のマネキンが鎮座しているのみ。これに入れと言っているのだろうか。
もう一度老人の顔を見直してみたが、期待のこもった目で見つめられた。やはりそういうことらしい。
近寄ってマネキンを眺めてみる。動かせると言われても到底信じられる話ではない。入れといわれても戸惑うばかりだ。
「扉とか壁とかすり抜けられるでしょ。その要領でやってみたら、いいんじゃないかなぁ」
老人のアドバイスに従い、手をマネキンの手に重ねてみる。当然ながらすり抜けるわけだが、試しにやってみようかと、マネキンの身体に向きに合わせて霊体を重ねてみる。
違和感もなければ、しっくりくるようなフィット感も、何もない。だがしかし、霊体に合わせてマネキンが動いたのがわかった。
「鏡、見てみたらどうかねえ」
壁際に置いてあった全身鏡を覗き込んでみる。見慣れた自分の姿がそこにあった。向こう側が透けてみえることもなく、マネキンの姿でもない。
「できたねぇ」
老人の声が弾んでいるようだった。戸惑う俺の代わりに喜んでくれているのだろうか。
「マネキンに見えないよぉ。立派に人間だよぉ。家族に会いに行けるねぇ」
「会いに、行ける・・・・・・?」
右手で顔に触れてみる。硬質で温もりが感じられない。
指先をこすり合わせてみる。すり抜けなかった。鏡にも触れることができた。
こんなことがあるのかとしばらくぼんやりしていたが、不思議な現象続きで麻痺していたのか脳は意外にも冷静で、現実的なことを考えていた。
「死んだ人間が会いに行っても、気持ち悪がられるだけではないでしょうか?」
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