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第二部 海野汐里
27 目覚め
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帰宅途中、徐々に興奮が冷めてきた。自室に戻った頃には、麻帆への申し訳なさで、胸が押しつぶされそうになっていた。
本来なら、麻帆が包丁授与式を受けられていた。去年、クラスメイトたちと一緒に。
帰ってくるなり、興奮して受け取った瞬間の話をしてくれただろうな。
持って帰ってこれないことを残念がっただろうな。でもすぐに使う時に思いを馳せて、何を作ろうかな、と期待に瞳を輝かせていただろう。
麻帆の喜ぶ姿を見たかった。
「麻帆、包丁すごくきれいだったよ。麻帆の物なんだから、早く使いたいね。そうだ、料理の本でも読もうか」
ママが持っている料理の本をキッチンから持ち出してきた。
料理の基礎、カフェ飯、お手軽時短、電子レンジでスピードご飯。
ページをめくっていくと、ときどき汚れてくっついてしまっている。ママの苦労の後が窺えた。
「オムライス食べたいなあ。卵巻くの難しいんだよね」
私がやると破けたり、くっついてしまったりで、ご飯の上にぼとんと乗っかる形になってしまう。
麻帆もうまく巻けないけど、ご飯をお皿で挟んでフライパンをひっくり返してから、キッチンペーパーを使って、ご飯の下に入れ込んでいた。ほとんど破れてないし、見た目ちゃんとしたオムライスになっていた。
見た目失敗しているオムライスも、麻帆は「お姉ちゃん、美味しいね」と頬をぷくりと膨らませて頬張ってくれた。
そんなかわいい姿が見たくて、今度は何が食べたい? 何を作ろうっか? とフライパンを握った。
やがて、麻帆も「あたしもやる」と言いだして、子供用の包丁と踏み台を買ってもらって、並んで料理をするようになった。
麻帆はぐんぐん上達して、すぐに抜かされた。
「一緒に料理をすることは、もう叶わないけど、麻帆には頑張って欲しいんだ。麻帆の料理でたくさんの人を笑顔にするの。ハッピーな人は、もっとハッピーに。心につかえがある人は、一時でもそのつかえがほぐれたらいいな、って。勝手だけど、お姉ちゃんの夢なんだよ」
いつものように語りかけていると、麻帆がもぞもぞと動きだす気配を感じた。大きな欠伸をする。
「麻帆。起きるの?」
期待を込めて、頭の中に集中する。緊張から、体に力が入る。
麻帆はもぞもぞした動きと欠伸を繰り返す。やがてーー
「お、ねえ‥‥‥ちゃん?」
「麻帆! 良かった、良かったよお」
麻帆の声が聞こえた。
安心して、全身から力が抜けた。
「やっと起きたぁ。お姉ちゃん待ってたんだからね」
「ん‥‥‥どういう、状態?」
頭の中の麻帆が寝ぼけているのが伝わってくる。
「麻帆の体にお姉ちゃんが入ってるの。麻帆の意識は、ずっと寝てたんだよ。もう九ヶ月経つの。今日二年の始業式だったんだよ」
「お姉ちゃんが、学校に行ってたの?」
「そうよ。無事に転科できたよ」
「転科? え‥‥‥転科!」
麻帆ががばっと起き上がった。
「そうよ。看護科から調理科に転科できたの」
「調理科に行けたんだ。一般教科の赤点は取っちゃダメだって」
「そうだよ。お姉ちゃんが試験を受けていました」
「お姉ちゃんが、頑張ってくれたんだ。さすがだね」
「調理科に入れたのは、麻帆の力だよ。空きが出ないとダメって言われてたんだけど、担任の安堂先生が学校に掛け合ってくれて、特例で受け入れてくれた。麻帆が去年、面接で頑張ったからだよ」
「面接? 何を言ったっけ」
「お姉ちゃんのために料理をしてきたって」
「ああ、うん。言った。お姉ちゃんが喜んでくれるから、作ってたんだもん」
「泣きそうな顔をしてたのが、先生の琴線に触れたみたい。料理に大切な思い出があったんだろう。だから受け入れたんだって。去年、調理科も合格していて、先生は来て欲しかったみたい。だから、麻帆は胸を張っていいの」
「本当のことを話しただけなのに」
どことなく自信のなさが窺える声色。寝ぼけているんじゃなくて、この状態になった去年の夏を思い出したのかもしれない。
「だからこそ、先生の胸を打ったんだよ。良かったね、麻帆」
「‥‥‥うん。勉強してくれてありがとう、お姉ちゃん」
「うん。体、交代できる?」
「‥‥‥わかんない。眠くなってきた。お姉ちゃんが使っていていいよ」
「ダメよ。麻帆。お姉ちゃん料理得意じゃないもん。明日から実習の補講が始まるの。お姉ちゃん不安だから、麻帆がやってよ」
「うーん。わかった。明日起きる」
「ほんとよ。麻帆、約束だからね」
「う‥‥‥ん」
ほんの少し会話をしただけで、麻帆はまた眠ってしまった。
目覚めれば、すぐにでも私は体から追い出されて、幽霊に戻るんじゃないかと思っていたんだけど。現状維持なのは、麻帆がまだ体に戻る気になっていないからだろうか。
麻帆の不安を取り除いてやらないと、ダメなのかもしれない。
でも目覚めたのは大きな一歩。
明日も起きてくれると信じよう。説得は少しずつやっていけばいいかな。
もっと話したかったけど、長い時間眠っていたんだから、本調子じゃないのかも。
包丁授与式の話もしたかったけれど、日記に書いておこう。
目尻に滲んだ涙を拭って、本棚にしまっているノートを取り出した。
本来なら、麻帆が包丁授与式を受けられていた。去年、クラスメイトたちと一緒に。
帰ってくるなり、興奮して受け取った瞬間の話をしてくれただろうな。
持って帰ってこれないことを残念がっただろうな。でもすぐに使う時に思いを馳せて、何を作ろうかな、と期待に瞳を輝かせていただろう。
麻帆の喜ぶ姿を見たかった。
「麻帆、包丁すごくきれいだったよ。麻帆の物なんだから、早く使いたいね。そうだ、料理の本でも読もうか」
ママが持っている料理の本をキッチンから持ち出してきた。
料理の基礎、カフェ飯、お手軽時短、電子レンジでスピードご飯。
ページをめくっていくと、ときどき汚れてくっついてしまっている。ママの苦労の後が窺えた。
「オムライス食べたいなあ。卵巻くの難しいんだよね」
私がやると破けたり、くっついてしまったりで、ご飯の上にぼとんと乗っかる形になってしまう。
麻帆もうまく巻けないけど、ご飯をお皿で挟んでフライパンをひっくり返してから、キッチンペーパーを使って、ご飯の下に入れ込んでいた。ほとんど破れてないし、見た目ちゃんとしたオムライスになっていた。
見た目失敗しているオムライスも、麻帆は「お姉ちゃん、美味しいね」と頬をぷくりと膨らませて頬張ってくれた。
そんなかわいい姿が見たくて、今度は何が食べたい? 何を作ろうっか? とフライパンを握った。
やがて、麻帆も「あたしもやる」と言いだして、子供用の包丁と踏み台を買ってもらって、並んで料理をするようになった。
麻帆はぐんぐん上達して、すぐに抜かされた。
「一緒に料理をすることは、もう叶わないけど、麻帆には頑張って欲しいんだ。麻帆の料理でたくさんの人を笑顔にするの。ハッピーな人は、もっとハッピーに。心につかえがある人は、一時でもそのつかえがほぐれたらいいな、って。勝手だけど、お姉ちゃんの夢なんだよ」
いつものように語りかけていると、麻帆がもぞもぞと動きだす気配を感じた。大きな欠伸をする。
「麻帆。起きるの?」
期待を込めて、頭の中に集中する。緊張から、体に力が入る。
麻帆はもぞもぞした動きと欠伸を繰り返す。やがてーー
「お、ねえ‥‥‥ちゃん?」
「麻帆! 良かった、良かったよお」
麻帆の声が聞こえた。
安心して、全身から力が抜けた。
「やっと起きたぁ。お姉ちゃん待ってたんだからね」
「ん‥‥‥どういう、状態?」
頭の中の麻帆が寝ぼけているのが伝わってくる。
「麻帆の体にお姉ちゃんが入ってるの。麻帆の意識は、ずっと寝てたんだよ。もう九ヶ月経つの。今日二年の始業式だったんだよ」
「お姉ちゃんが、学校に行ってたの?」
「そうよ。無事に転科できたよ」
「転科? え‥‥‥転科!」
麻帆ががばっと起き上がった。
「そうよ。看護科から調理科に転科できたの」
「調理科に行けたんだ。一般教科の赤点は取っちゃダメだって」
「そうだよ。お姉ちゃんが試験を受けていました」
「お姉ちゃんが、頑張ってくれたんだ。さすがだね」
「調理科に入れたのは、麻帆の力だよ。空きが出ないとダメって言われてたんだけど、担任の安堂先生が学校に掛け合ってくれて、特例で受け入れてくれた。麻帆が去年、面接で頑張ったからだよ」
「面接? 何を言ったっけ」
「お姉ちゃんのために料理をしてきたって」
「ああ、うん。言った。お姉ちゃんが喜んでくれるから、作ってたんだもん」
「泣きそうな顔をしてたのが、先生の琴線に触れたみたい。料理に大切な思い出があったんだろう。だから受け入れたんだって。去年、調理科も合格していて、先生は来て欲しかったみたい。だから、麻帆は胸を張っていいの」
「本当のことを話しただけなのに」
どことなく自信のなさが窺える声色。寝ぼけているんじゃなくて、この状態になった去年の夏を思い出したのかもしれない。
「だからこそ、先生の胸を打ったんだよ。良かったね、麻帆」
「‥‥‥うん。勉強してくれてありがとう、お姉ちゃん」
「うん。体、交代できる?」
「‥‥‥わかんない。眠くなってきた。お姉ちゃんが使っていていいよ」
「ダメよ。麻帆。お姉ちゃん料理得意じゃないもん。明日から実習の補講が始まるの。お姉ちゃん不安だから、麻帆がやってよ」
「うーん。わかった。明日起きる」
「ほんとよ。麻帆、約束だからね」
「う‥‥‥ん」
ほんの少し会話をしただけで、麻帆はまた眠ってしまった。
目覚めれば、すぐにでも私は体から追い出されて、幽霊に戻るんじゃないかと思っていたんだけど。現状維持なのは、麻帆がまだ体に戻る気になっていないからだろうか。
麻帆の不安を取り除いてやらないと、ダメなのかもしれない。
でも目覚めたのは大きな一歩。
明日も起きてくれると信じよう。説得は少しずつやっていけばいいかな。
もっと話したかったけど、長い時間眠っていたんだから、本調子じゃないのかも。
包丁授与式の話もしたかったけれど、日記に書いておこう。
目尻に滲んだ涙を拭って、本棚にしまっているノートを取り出した。
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