サレ妻の一念発起〜嘘つき旦那と離縁して、私は会社を興します。お陰でステキなご縁に恵まれました〜

衿乃 光希(キャラ文芸大賞短編で参加中)

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10. 凌雲館と家族

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 私は久しぶりの実家を見上げた。

 大きな馬車でも出入りできるように馬車止めは広く作られ、お客様をお迎えする執事たちが背筋を伸ばして立っている。
 四階建ての建物が威風堂々と佇み、存在感を放っている。真裏には中庭があり、庭を囲んで同じ建物が他に三棟ある。

 凌雲館のレベルは高級まではいかないけれど、中級でもない。その間のレベルの宿泊施設。
 主な利用客はアストラール国の地方や国外から来る商人、他国から旅行にきた子爵・男爵たち。

 伯爵以上になると王城に近い中央にある高級宿泊施設を利用する。
 王都に屋敷を持つアストラール国内の貴族が利用することはない。

 ひよこ亭との規模の違いに、私すごい所の長女だったのね、といまさらながら思った。

 凌雲館の総合受付は目の前にある。けれど、私は凌雲館の木製の扉は使わずに従業員用の出入り口に向かおうとした。

 そこへ、木製の扉が開き、
「おかえりなさいませ。お嬢」

 出てきた男性と目が合った。
 白髪の髪を丁寧に撫でつけて流し、黒の執事服に身を包んでいる。
 この場所で私をそう呼ぶのはただ一人。

「久しぶりね。ヘンリー」

 近くまできたヘンリーが、足を止め、軽く頭を下げた。
 彼は最古参の従業員で、私が結婚して実家を出る頃は、執事のトップにいた。
 私が10歳になって学校に入るまで、勉強や宿での立ち居振る舞いを教えてくれた先生でもある。

「本日はこちらでお迎えするよう、言いつかりました。支配人たちがお待ちになっています。参りましょう。お荷物をお持ちいたします」

「ありがとう」
 手を差し出されて、着替えの入った鞄を渡す。レザートランクは自分で持つ。

「でも、ここはお客様がお入りになる玄関だから。身内である私が使うわけにはいかないわ」
 私は西館にある従業員用の出入り口に足を向けた。

「今日ぐらいよろしいのに」
「私はお客様じゃないもの」

 正面の建物、南館の横を回って西館にある扉から、建物に入った。

 西館の一階は従業員用のクロークや休憩室、食堂、事務所があり、父が仕事をする支配人室もある。
 まっすぐに支配人室に向かう。

 顔なじみの従業員と会うと、みんな笑顔で「おかえりなさい」と出迎えてくれる。離縁のことを知っているのか知らないのか、態度からではわからない。温かい態度で迎えてくれるので、どちらでも構わなかった。

 支配人室の扉を軽く叩き、声をかけると、
「入りなさい」
 父の低い声が聞こえた。こんなに優しくて温かい声だったかしらと思いながら、入室する。

 何年ぶりの帰省だろう。同業者で、お互い多忙で予定があわず、帰省すらままならなかった。

「おかえり。体はもう大丈夫なの?」
 室内には母もいた。ソファーから立ち上がり、腕を広げた。
 私はそっと、母の胸に抱かれる。背後に回した手で、よしよしと頭を撫ででくれる。

「大変だったわね。しばらくはゆっくりして、疲れを癒しなさいな」
「ありがとう、お母さん」

 母の温かい言葉と体温に、また泣きそうになる。
 しばらくハグしてしてもらってから、体を離して、父に向き合う。

「戻りました。離縁状の提出は、昨日代理の方に行っていただき、証明書を受け取りました」

 父は、うんと頷く。

「こんな結果になってしまい、申し訳ありません。もし、凌雲館にご迷惑をかけることになった場合は、すぐに出ていきますから」

 人の口に戸は立てられない。私が離縁されて出戻ってきたことは、界隈にすぐ知れ渡るだろう。お客様の耳に入り、もしも客足に影響が出るようなら、私はすぐにでも出ていく覚悟で戻ってきた。

 経営者の娘の離縁が、本業に何らかの影響を及ぼすのか。
 私にもわからない。だが評判次第で揺れ動く可能性があるのは、客商売のおもしろいところであり、怖いところでもある。

「珍しいとはいえ、たかだか縁が切れただけだ。リアーナが気に病む必要はない。働きたいならうちで再雇用するし、別の仕事を考えているなら、ここから通えばいい。ま、先のことはひとまずは置いて、体を休めることに専念しなさい」

「はい。ありがとう、お父さん」

 温かく迎え入れてもらって、私は指先で目尻をそっと拭った。

 凌雲館の北館に、従業員用の寮と、経営者家族の部屋があり、私は結婚前に使っていた自室の扉を開けた。
 カビっぽい匂いはしない。きっと誰かが掃除をしてくれたのね。寝具も整えてくれていて、いつでも横になれる状態になっていた。

 衣装棚を開けると、昔使っていた衣類が入っていた。部屋着としてなら問題ないけれど、これを着ての外出は、無理かな。
 メアリーさんが持ち出してくれた着替えだけではとうてい足りないので、買い足すか取りに行くかしないといけない。

 凌雲館は王城に近く、ひよこ亭は城門に近い。
 王都の道は王城に向かって登り坂になっている。乗合馬車が出ているとはいえ、荷物を持って戻ってくるのは、今の体では無理だと判断した。
 凌雲館に出入りしている配送業者にでも紹介してもらって、荷物の持ち出しを依頼しよう。

 足りないものだけ買ってきたいところだけど、先立つものが……左手で持っているレザートランクをちらりと見て、母にお金を借りることにした。

 メアリーさんかもらった花束を鞄から取り出して、枕元の棚の上に置く。あとで花瓶を探してこようと思いながら。それから寝台に座り、部屋を見渡した。

 懐かしい。小さな頃は両親と同じ部屋で過ごしていたけど、三年後に弟レオが生まれてから、この部屋を与えられた。
 ひとりで寝るのが怖くて、慣れるまでは夜だけ両親の布団に潜り込んだ。

 いつしかひとりで眠れるようになり、レオのお世話を手伝い、一緒に勉強するようになり、二人ともが学校に通うようになると、一緒に通学した。

 仲の良い姉弟だったと思う。
 両親が仕事で忙しくてあまり構ってもらえず、遊び相手は姉弟といとこしかいなかったから。親戚の子供たちの中で年長の私が必然的に面倒を見ることになり、レオは私を頼ってくれた。

 私が17歳で学校を卒業し、同時に成人した頃は、思春期真っ盛りのレオとの距離は開いた。レオが成人して凌雲館で勤め始め、私が結婚して家を出ると会う機会もなくなり、父と同様疎遠気味だった。

 今日もこの凌雲館のどこかで働いている。忙しいだろうから、捜してまで戻った報告をする必要もないかな。そのうち顔を合わせるだろう。

 と思っていたら、扉を叩く音がして返事をすると、扉を開けて顔を覗かせたのは、レオだった。

「姉さん、おかえり。大変だったね。体はどう? 痛みは治まったの?」
 腰を浮かせようとした私に、レオは手のひらを向けて制した。

「まだ痛みはあるけど、なんとか大丈夫」

 レオと私は父の髪色をもらったので、互いに水色。でもレオは母の顔を受け継いだらしく、柔和な造りをしている。父に似た私より、女性らしいと言われてきた。レオは気にしていた時期もあったけど、23歳になった今は、男性らしさが備わっていた。
 声は男性にしては高めだけど、優しい顔つきに合っている。

「無理はするなよ。気にせず、療養すればいいから。何か必要なものがあれば買ってくるし」

「ケガ人扱いしすぎよ。でも、ありがとう」

「いやいや、ケガ人だろ。馬に蹴られたんだから。大怪我していてもおかしくないのに、骨も折れずに打撲だけですんだなんて、奇跡だろ」

「馬の速度を落としてくれていたからよ。それに体が頑丈だったのね。お父さんとお母さんに感謝だわ。あー、それに」

「それに?」

「離縁を言われた次の日だったから、運的なものが可哀想って慈悲をかけてくれたんじゃない?」

 自虐的に言うと、レオは眉毛を下げ、悲しそうな顔をした。
 室内に入り、レオは扉を閉めた。込み入った話だからだと、気づかってくれたのだろう。
 腕を組み、壁によりかかる。

「離縁の理由は?」

「好きな女ができたそうよ」

「不倫してたってこと?」

「さあ? 否定したけど、嘘かもしれないし。確かめようがない」
 私は肩をすくめる。

「自分勝手だよな」

「もういいの。あんな人のことは忘れることに決めたの」

「受け入れられたんだ」

「私の仕事の仕方を否定した。それにお金にね……強欲だったってわかって。ショックだった。六年間ぜんぜん気付かなくて。あやうく慰謝料を取られるところだった」

 昨日のルードの態度は、思い出すだけで不快な気持ちになる。せめて一緒に交渉しようと言ってくれたなら、疑うこともなかったのに。

 ルードとのやりとりを話して聞かせると、レオは眉をひそめた。

「姉さんが事故に遭ったのに?」

「信じられないでしょ? 全額とはいわなくても、多くもらっておいて、これだけしかもらえなかったって嘘の額を渡しそうだなって思っちゃった。ま、慰謝料なんていらなかったんだけどね。私も悪かったんだから」

「相手の誠意なんだから、もらっておいていいんじゃないか」

「そうなのかな? 一応は受け取ったんだけど、なんだか使う気になれなくって。部屋に置いておくのも心配だから、お父さんに預かってもらおうかしら」

 ベッドに置いていたレザートランクを掲げて見せる。

「金庫を買って、この部屋に隠しておいた方がいいんじゃないか。もし泥棒にでも入られたら、真っ先に狙われるのは事務所だから」

 自室に置いておくのは不安だったけれど、レオの言うことも一理ある。

「それもそうね。分散させておいた方が安心だものね。そうするわ」

「そろそろ戻るな。とにかくゆっくりしてろよ」

 仕事に戻ろうとするレオを私は呼び止めた。

「ひとつだけ頼んでもいい?」

「いいよ」

「ひよこ亭から、私の荷物を運びたいんだけど、手配を頼んでもいい?」

「ああ、そっか。そうだよな。わかった。やっておくよ」

「忙しいのにごめんね。頼みます」

「承知いたしました」
 レオは仕事をしているかのように慇懃に頭を下げて、請け負ってくれた。


 次回⇒11.夫の浮気相手
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