【完結】想いはピアノの調べに乗せて

衿乃 光希

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第五話 櫻木陽美 ~出逢い~

素敵な出逢い

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 年末、わたしたちは両親の田舎に帰省して、両祖父母たちと一緒に初詣に行き、のんびりした時間を過ごした。
 四日、白木百貨店の会長である祖父だけを連れ、わたしたちは帰宅した。
 翌五日、夕方からの予定に合わせて準備をする。手広く事業を展開している櫻木グループの懇親会に、毎年父母と祖父が参加していた。今年は成人し就職したわたしも参加させてもらえることになった。

 跡継ぎである和彦は未成年。大学への進学は決まっているものの、まだ高校生だから、同じく高校生である明美とお留守番。明美にいいないいなと羨ましがられながらお母さんに着付けをしてもらって、振袖を着る。
 去年の成人式用のために誂えてもらったもので、今後着る機会はあるのかしらと思っていた。まさかわずか一年でまた袖を通す機会が訪れるなんて。

 お母さんも黒留袖を着、お父さんとお祖父ちゃんはきっちりした黒のスーツにネクタイを結んで、普段以上に身だしなみを整え、予約時間の少し前に自宅に来たタクシーで美容院に立ち寄り、髪のセットをしてもらってからホテルに向かった。

 広い会場には櫻木グループに属する関連会社や子会社から経営者や家族が招待され、多くの人が挨拶を交わしていた。初老より上の年代の人たちが圧倒的に多かった。

 新年を迎えたからか着物の女性は多いけれど、華やかさはなかった。黒がほとんどだからかな。
 わたしぐらいの年代の人たちの中にはドレスの人がいて、楽そうだなあと思っていた。着物は慣れていないので、少し苦しい。

 櫻木グループの総帥だという杖をついたお爺さんのお話を皮切りに、いろんな人が壇上に上がり、話をして降りていく。
 立ちっぱなしでちょっと疲れちゃったなと感じた頃に、ようやく乾杯の後、歓談の時間になった。

 食事は立食形式で、四台の大きなテーブルに和食、中華、イタリアン、スイーツなどたくさんの料理が並んでいた。お腹は空いていたけれど、緊張と大人ばかりの空間に威圧され、おまけに着物では料理を取りづらくて遠慮してしまう。もう帰りたいと思ってしまった。物怖じしない明美ならこんな場でも楽しめるだろうけど、わたしは気後れしてしまって早々に限界がきそうだった。

「お母さん、座っててもいい?」
 両親に連れられて挨拶に回っていた。途中で気分が少し悪くなってきたので許しを得て、壁際に置かれたイスに腰掛けた。
 はあ、疲れた。着物を脱いで楽になりたい。
 脇を締め付ける帯が苦しい。成人式のときはしんどくなかったのに。

 人目のないところに行きたい。トイレで一息吐こうかな。
 深呼吸をしてから、心でよいしょと呟いて立ち上がった。
 途端に視界が暗転し、くらっとした。慌てて壁に手をつき、元のイスに座り込む。
 床に倒れることは防げたものの、動くのが怖くなってしまった。
 気持ちが悪い。胸がむかむかする。どうしよう。

 助けを求めて両親の姿を探したけれど、人は多いし同じような服装のせいで、どこにいるのかわからない。
 このまま安静にしていれば治まるかな。
 しばらくじっとしていようと決めたとき、「大丈夫ですか」と囁く男性の声が聞こえた。
 目を開けると、わたしより少し年上の男性の顔が同じ高さにあった。

「あ、はい……」
 大丈夫ですと答えようとしたけれど、本当は声を出すのもつらかった。
「女性スタッフを呼んできます」
 察してくれたのか、彼は会場を早足で出て行き、すぐにホテルの女性スタッフを呼んできてくれた。
 彼女に支えてもらってゆっくりと会場を離れ、廊下のイスに座り直す。

「お客様、お着替えはお持ちでしょうか?」
「いえ」

 荷物になっても持ってくればよかった。そうすれば着物が脱げたのに。
 でも帯だけでも外したい。一度楽になれば体調が戻るかもしれないし。

 ということを伝えたいのに、口を開けるのが怖い。
 一流のホテルで吐いてしまうような醜態を晒したくない。今でも十分に恥ずかしいのに。

「お客様、お部屋の準備が整いましたので、休憩なさってください。ご両親様には私共から後ほどお伝え致します」
 名前を伝えることもできず、もう一人増えた女性スタッフに付き添われて、エレベーターで上階へ向かった。
 部屋で帯とたくさんの紐を外してもらい、振袖を脱いで長襦袢姿になると、ようやく人心地がついた。

「楽になりました。ありがとうございました」
 締め付けから解放されて気持ちにも余裕ができ、やっと二人に感謝の気持ちを伝えられた。
 自分と両親の名前を伝え、しばらく横になっているので部屋に来るのは会がお開きになってからでいいと伝言を頼み、わたしはベッドで横になった。
 完璧にベッドメイキングされたふかふかのお布団は気持ちがいい。旅行で枕が変わると寝つきが悪くなるんだけど、今日は気を張って疲れていたからか、すぐに眠ってしまった。

 チャイムの音で目が覚めた。部屋の時計を確認すると一時間が経っていた。
 体調はだいぶ戻っていたけど、着物をもう一度着て帰るのかと思うと気が滅入った。

 扉を開けると母が飛び込んできた。
「陽美ちゃん、大丈夫なの? ごめんね。きつく着付けちゃったのかしら」
「慣れない場だから緊張しちゃったんだと思う。もう大丈夫だよ」
 お腹空いちゃったと言うと、母は安心したように笑った。

 母と話をしていると、またチャイムが鳴った。父と祖父だろうと対応に向かってくれた母が戻ってきた。後ろから女性スタッフさんが入ってくる。

「どうしたの?」
「ホテルの人。お連れ様からですって」
「え?」

 ワゴンを押していたスタッフさんは、備え付けのテーブルに蓋をした食器と飲み物の入ったガラスコップを置いた。もう一人のスタッフさんは、イスの上に提げていたたくさんの紙袋を置いた。
 二人は「失礼致します」と言ってすぐに下がった。

 紙袋の中の物を取り出す。ワンピースとコートと靴。着物を持ち運ぶバッグが入っていた。
 母と顔を見合わせた後、食器の蓋を開けた。胃に優しそうなサンドイッチだった。

「お父さんかしら? そんな時間はなかったと思うんだけど」
 ワンピースに着替え、ありがたくサンドイッチを食べて空腹だったお腹を少し満たし、父と祖父と合流する。

「俺たちじゃないよ」
 服とサンドイッチのことを尋ねると、二人とも首を横に振った。
 誰だろうと全員が疑問符を浮かべながら、帰宅のために部屋の支払いをしようとクロークに向かうと、支払いはすでに済んでいた。

 確信した。彼しかいないと。
 お世話になったお礼をしたいからと尋ねると、連絡先は教えられないが名前だけなら、と教えてくれた。
 櫻木一馬。
 わたしを助けてくれたのは、櫻木家本家の三男にあたる人物だった。
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