46 / 63
46. 9月 初めての訪問
しおりを挟む
9月に入った。
残暑は厳しく、突然の雷雨が降ることもあるけど、朝から太陽が照りつける日がほとんど。
ハンカチが手放せなくて、口癖のように暑いを連呼する毎日。
そんな中、俊介さんから引っ越ししましたと、メッセージが届いていた。
8月末に必要な荷物の運び込みは、お父様主導で行われ、いつでも引っ越せる状態だったけど。
誕生日を実家で過ごし、フルーツたっぷりのケーキを作ってお祝いをした数日後のことだった。
「体、大丈夫なんですか?」
びっくりして、出勤前に俊介さんに電話をした。
『夜に動きましたから、大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます』
「もしかして、わくわくが抑えられなかったんですか?」
『はい。そうです』
かわいい。新生活をこんなに楽しみにしている30代って、いるのかな。
「必要なものがあったら買っていきますから、言ってくださいね」
『今はネット通販で手配できますから、大丈夫だと思うんですが、気づかってくださってありがとうございます。頼みたい物ができたら、お願いします』
「いつでも頼ってください。それじゃ、仕事に行ってきます」
『いってらっしゃい』
一週間後、俊介さんが一人暮らしを始めた新居に行った。
「引っ越しといえば蕎麦! ですよね」と俊介さんからリクエストがあったので、スーパーでお蕎麦とつゆ、天ぷらに必要な食材を買いこんだ。
スマホで地図を見ながら住宅街の中を歩き、たどり着く。
小野、と表札のかかった一軒家。チャイムを鳴らして待っていると、
「どうぞ、玄関の鍵は開けてますので、入ってください」
俊介さんの声で応答があった。
玄関を開けると、
「いらっしゃい、彩綺さん」
日差しを避けるようにして、俊介さんが待っていた。
「迷いませんでした?」
「こんにちは。大丈夫でしたよ。お邪魔します」
俊介さんが買い物袋を持ってくれたので、すべて渡して、上がらせてもらう。
眩しかった小野家と比べると、木の香りが漂う一軒家は落ち着く気がする。
「ひとりの生活には慣れました?」
廊下を歩く俊介さんを追う。
「大変さを実感しています」
「そうですよね。お洗濯、ご飯、買い物。誰もやってくれないですもんね」
「そうなんですよね。四苦八苦しながらなんとかやっています。蕎麦ありがとうございます」
キッチンで袋の中身を取り出していく。
「天ぷらも作りますね」
「いいですね。教えてください」
「じゃ、一緒に作りましょう。普段のご飯は出前ですか?」
「頼む時もありますけど、取りに出られる夜だけですね。朝は自炊で、昼間はインスタントがメインです。まだ電子レンジがないので、冷凍モノは食べられなくて」
「近かったら、ご飯作りにきたいですけど」
「いえ。僕も覚えないといけませんから、たまに甘えさせてください」
「わかりました」
俊介さんと並んで昼食の準備をする。
天ぷらに使う野菜や鶏肉を切りながら、まな板は食中毒予防のために食材ごとに分けた方がいいですよ、とか天ぷらの揚げ方や揚げる順番などを伝えていく。
俊介さんの手つきは危なっかしいけど、とても真剣に取り組んでいる。
一緒にご飯を作れるなんて、楽しい。
ここならご実家よりも、訪問しやすいから、もうちょっと会えるようになるかも。俊介さんの了解を得られたら、だけど。
「ちょっと作り過ぎちゃいましたね」
こんもりとお皿に盛った天ぷらの山。鶏天、海老、山芋、蓮根、かぼちゃ、なすび、ちくわ、舞茸。ふたりで食べきれない量になってしまった。
「あまったら、夜にいただきます」
「天丼がオススメです」
「いいですね」
いただきますと手を合わせて、揚げたてさくさくの天ぷらを食べ、蕎麦をすする。お腹いっぱいの昼食をいただいた。
「僕が洗います。彩綺さんはゆっくりしていてください」
食後、俊介さんがそう言って袖をまくった。
「俊介さん、その腕‥‥‥」
腕が赤くなって、じんましんができている。
「あ、そうでした。気持ち悪いですよね。すみません」
袖を伸ばして隠そうとする手を止める。
「違います。気持ち悪いなんて思わないです。あの、アレルギーが出たんですか」
「はい。うっかりして、袖をめくった状態のまま玄関を開けてしまって。少しの時間だったから平気だと思ったんですけどね。出ちゃいました」
「痛々しい。怖いですね。少しの時間でも紫外線に触れたらこうなってしまうんですね」
「これは、軽い方なので。酷いときは頭痛やめまいも出て、しばらく布団の民になります」
「そんな症状も出るんですか。気をつけないといけないですね」
「気をつけます」
いつも長袖の服を着ていたから、初めて目にした。痛々しい状態を。
「俊介さん、一緒に電子レンジを買いに行こうって約束しましたけど、まだ外に出ちゃダメです。冬になったら行きましょう」
「寒くなるまで電子レンジはなしですか」
落胆したのは電子レンジが買えないからか、私と買い物に行けないからか、どっちかな。
私も二人で出掛けるのを楽しみにしていた。だけど、少しの時間でも症状が出てしまうなんて。一人暮らしなんだから、無理はさせちゃいけない。
「お父様にお願いして、温めるだけのレンジを買ってきていただきましょう」
「それしかないですね。楽しみにしていたのに」
悲しい顔をする俊介さんに、きゅんと心がうずく。
「私も残念です。いつか一緒にお出掛けしましょうね」
お互い残念に思っている。その気持ちを共有できているだけで救われる気がする。
よしよしとハグしたい気持ちを堪えて、俊介さんの手を包みこんだ。
次回⇒47. 不審な手紙
残暑は厳しく、突然の雷雨が降ることもあるけど、朝から太陽が照りつける日がほとんど。
ハンカチが手放せなくて、口癖のように暑いを連呼する毎日。
そんな中、俊介さんから引っ越ししましたと、メッセージが届いていた。
8月末に必要な荷物の運び込みは、お父様主導で行われ、いつでも引っ越せる状態だったけど。
誕生日を実家で過ごし、フルーツたっぷりのケーキを作ってお祝いをした数日後のことだった。
「体、大丈夫なんですか?」
びっくりして、出勤前に俊介さんに電話をした。
『夜に動きましたから、大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます』
「もしかして、わくわくが抑えられなかったんですか?」
『はい。そうです』
かわいい。新生活をこんなに楽しみにしている30代って、いるのかな。
「必要なものがあったら買っていきますから、言ってくださいね」
『今はネット通販で手配できますから、大丈夫だと思うんですが、気づかってくださってありがとうございます。頼みたい物ができたら、お願いします』
「いつでも頼ってください。それじゃ、仕事に行ってきます」
『いってらっしゃい』
一週間後、俊介さんが一人暮らしを始めた新居に行った。
「引っ越しといえば蕎麦! ですよね」と俊介さんからリクエストがあったので、スーパーでお蕎麦とつゆ、天ぷらに必要な食材を買いこんだ。
スマホで地図を見ながら住宅街の中を歩き、たどり着く。
小野、と表札のかかった一軒家。チャイムを鳴らして待っていると、
「どうぞ、玄関の鍵は開けてますので、入ってください」
俊介さんの声で応答があった。
玄関を開けると、
「いらっしゃい、彩綺さん」
日差しを避けるようにして、俊介さんが待っていた。
「迷いませんでした?」
「こんにちは。大丈夫でしたよ。お邪魔します」
俊介さんが買い物袋を持ってくれたので、すべて渡して、上がらせてもらう。
眩しかった小野家と比べると、木の香りが漂う一軒家は落ち着く気がする。
「ひとりの生活には慣れました?」
廊下を歩く俊介さんを追う。
「大変さを実感しています」
「そうですよね。お洗濯、ご飯、買い物。誰もやってくれないですもんね」
「そうなんですよね。四苦八苦しながらなんとかやっています。蕎麦ありがとうございます」
キッチンで袋の中身を取り出していく。
「天ぷらも作りますね」
「いいですね。教えてください」
「じゃ、一緒に作りましょう。普段のご飯は出前ですか?」
「頼む時もありますけど、取りに出られる夜だけですね。朝は自炊で、昼間はインスタントがメインです。まだ電子レンジがないので、冷凍モノは食べられなくて」
「近かったら、ご飯作りにきたいですけど」
「いえ。僕も覚えないといけませんから、たまに甘えさせてください」
「わかりました」
俊介さんと並んで昼食の準備をする。
天ぷらに使う野菜や鶏肉を切りながら、まな板は食中毒予防のために食材ごとに分けた方がいいですよ、とか天ぷらの揚げ方や揚げる順番などを伝えていく。
俊介さんの手つきは危なっかしいけど、とても真剣に取り組んでいる。
一緒にご飯を作れるなんて、楽しい。
ここならご実家よりも、訪問しやすいから、もうちょっと会えるようになるかも。俊介さんの了解を得られたら、だけど。
「ちょっと作り過ぎちゃいましたね」
こんもりとお皿に盛った天ぷらの山。鶏天、海老、山芋、蓮根、かぼちゃ、なすび、ちくわ、舞茸。ふたりで食べきれない量になってしまった。
「あまったら、夜にいただきます」
「天丼がオススメです」
「いいですね」
いただきますと手を合わせて、揚げたてさくさくの天ぷらを食べ、蕎麦をすする。お腹いっぱいの昼食をいただいた。
「僕が洗います。彩綺さんはゆっくりしていてください」
食後、俊介さんがそう言って袖をまくった。
「俊介さん、その腕‥‥‥」
腕が赤くなって、じんましんができている。
「あ、そうでした。気持ち悪いですよね。すみません」
袖を伸ばして隠そうとする手を止める。
「違います。気持ち悪いなんて思わないです。あの、アレルギーが出たんですか」
「はい。うっかりして、袖をめくった状態のまま玄関を開けてしまって。少しの時間だったから平気だと思ったんですけどね。出ちゃいました」
「痛々しい。怖いですね。少しの時間でも紫外線に触れたらこうなってしまうんですね」
「これは、軽い方なので。酷いときは頭痛やめまいも出て、しばらく布団の民になります」
「そんな症状も出るんですか。気をつけないといけないですね」
「気をつけます」
いつも長袖の服を着ていたから、初めて目にした。痛々しい状態を。
「俊介さん、一緒に電子レンジを買いに行こうって約束しましたけど、まだ外に出ちゃダメです。冬になったら行きましょう」
「寒くなるまで電子レンジはなしですか」
落胆したのは電子レンジが買えないからか、私と買い物に行けないからか、どっちかな。
私も二人で出掛けるのを楽しみにしていた。だけど、少しの時間でも症状が出てしまうなんて。一人暮らしなんだから、無理はさせちゃいけない。
「お父様にお願いして、温めるだけのレンジを買ってきていただきましょう」
「それしかないですね。楽しみにしていたのに」
悲しい顔をする俊介さんに、きゅんと心がうずく。
「私も残念です。いつか一緒にお出掛けしましょうね」
お互い残念に思っている。その気持ちを共有できているだけで救われる気がする。
よしよしとハグしたい気持ちを堪えて、俊介さんの手を包みこんだ。
次回⇒47. 不審な手紙
37
あなたにおすすめの小説
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
夢見るシンデレラ~溺愛の時間は突然に~
美和優希
恋愛
社長秘書を勤めながら、中瀬琴子は密かに社長に想いを寄せていた。
叶わないだろうと思いながらもあきらめきれずにいた琴子だったが、ある日、社長から告白される。
日頃は紳士的だけど、二人のときは少し意地悪で溺甘な社長にドキドキさせられて──!?
初回公開日*2017.09.13(他サイト)
アルファポリスでの公開日*2020.03.10
*表紙イラストは、イラストAC(もちまる様)のイラスト素材を使わせていただいてます。
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
俺様御曹司は十二歳年上妻に生涯の愛を誓う
ラヴ KAZU
恋愛
藤城美希 三十八歳独身
大学卒業後入社した鏑木建設会社で16年間経理部にて勤めている。
会社では若い女性社員に囲まれて、お局様状態。
彼氏も、結婚を予定している相手もいない。
そんな美希の前に現れたのが、俺様御曹司鏑木蓮
「明日から俺の秘書な、よろしく」
経理部の美希は蓮の秘書を命じられた。
鏑木 蓮 二十六歳独身
鏑木建設会社社長 バイク事故を起こし美希に命を救われる。
親の脛をかじって生きてきた蓮はこの出来事で人生が大きく動き出す。
社長と秘書の関係のはずが、蓮は事あるごとに愛を囁き溺愛が始まる。
蓮の言うことが信じられなかった美希の気持ちに変化が......
望月 楓 二十六歳独身
蓮とは大学の時からの付き合いで、かれこれ八年になる。
密かに美希に惚れていた。
蓮と違い、奨学金で大学へ行き、実家は農家をしており苦労して育った。
蓮を忘れさせる為に麗子に近づいた。
「麗子、俺を好きになれ」
美希への気持ちが冷めぬまま麗子と結婚したが、徐々に麗子への気持ちに変化が現れる。
面倒見の良い頼れる存在である。
藤城美希は三十八歳独身。大学卒業後、入社した会社で十六年間経理部で働いている。
彼氏も、結婚を予定している相手もいない。
そんな時、俺様御曹司鏑木蓮二十六歳が現れた。
社長就任挨拶の日、美希に「明日から俺の秘書なよろしく」と告げた。
社長と秘書の関係のはずが、蓮は美希に愛を囁く
実は蓮と美希は初対面ではない、その事実に美希は気づかなかった。
そして蓮は美希に驚きの事を言う、それは......
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
数合わせから始まる俺様の独占欲
日矩 凛太郎
恋愛
アラサーで仕事一筋、恋愛経験ほぼゼロの浅見結(あさみゆい)。
見た目は地味で控えめ、社内では「婚期遅れのお局」と陰口を叩かれながらも、仕事だけは誰にも負けないと自負していた。
そんな彼女が、ある日突然「合コンに来てよ!」と同僚の女性たちに誘われる。
正直乗り気ではなかったが、数合わせのためと割り切って参加することに。
しかし、その場で出会ったのは、俺様気質で圧倒的な存在感を放つイケメン男性。
彼は浅見をただの数合わせとしてではなく、特別な存在として猛烈にアプローチしてくる。
仕事と恋愛、どちらも慣れていない彼女が、戸惑いながらも少しずつ心を開いていく様子を描いた、アラサー女子のリアルな恋愛模様と成長の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる