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第72話 新たな居場所
神宮寺の車に乗り込むと、どこか懐かしい香りがした。最初に感じた嫌悪感は、いつの間にか消えていた。
「では、行きましょうか」運転席から抑えた声が落ちる。
「神宮寺さんは、僕に何をお望みですか?」「それは追々」と、やんわりかわされた。
「いまから、こちらが用意した施設に向かいます。今後はこのスマホを」予想していた通りだ。自分のスマホはすでに初期化してあったので、抵抗せずに手渡した。
受け取った端末は、どこまで監視されているのか。あとでデータの書き換えが可能か試してみよう。
そうぼんやり考えていると、ふと車内の香りが変わった気がした。次の瞬間、強い眠気が波のように押し寄せ、そこで記憶が途切れた。
「着きましたよ」
その声に引き戻され、ようやく目が覚めた。見知らぬビルの地下駐車場。コンクリートの壁に足音が乾いて響く。促されるままエレベーターに乗り込むと、神宮寺がカードキーをかざした。行き先は表示されず、上昇の感覚だけが身体に伝わる。
扉が開いた。一歩踏み出すと、無機質な廊下に冷気が満ちていて、思わず息を浅くした。
「こちらが神川さんの住居スペースになります」
通された部屋は、天井近くのハイサイドライトから柔らかな光が差し込み、室内のグリーンが目に優しい。作り物めいた整然さのなかに、ストレスを抑える工夫が隠されている。
「食事は私が届けます。仕事スペースはこちらに」隣室のドアが開く。複数のモニターには、別拠点で作業している人々の画面が並び、ログやタスクが帯のように流れていた。
「今後、彼らに指示を出す立場になっていただきます。まずは、この人物のデータをイルジオンから取得してください。あなたなら簡単にできますよね」
「この人は?」モニターに映された顔写真を指す。
「それは、あなたが知る必要はありません」
「……わかりました。あの」言い淀むと、神宮寺が振り向く。
「何か?」「この部屋の香りが、少し……」「気に入りませんか?」「少し頭が痛くなるんです」
「何かご希望は?」「車の中の香りが、落ち着いて……」「ああ、この香りですか」
神宮寺はそっと僕の手首を取り、わずかに引き寄せた。首筋からほのかに漂う香りが、さっきの車内と同じだとわかる。
「この香りをお願いします」「わかりました。すぐに手配しましょう。データが取得できたら、先ほど渡したスマホに入っている私の連絡先へ連絡を」短く告げると、神宮寺は部屋を出ていった。
ひとり残され、ソファに腰を下ろす。
深く息を吐くと、肺の奥の冷たさがゆっくり溶けていく。
*---------------
「あの香りに反応しないのはなぜだ?」エレベーターに乗り込んだ神宮寺が、通話相手に低く問う。
『神宮寺様が以前に確認された通り、ムルたちが強く反応したものと同一の調香を使用しています』
「強度を少し上げて、定期的に部屋へ送れ。ただし、今私が使っている『一条の香り』を先に入れてバレないように」
ムル専用の、乱れを誘う香りには反応せず、一条の香りには落ち着きを示す。いつ、私に反応するようになるのか。でも、焦る必要はない。時間をかけて、確実に。
通話を切ると、神宮寺はエレベーターを降り、研究室へと歩を進めた。
「では、行きましょうか」運転席から抑えた声が落ちる。
「神宮寺さんは、僕に何をお望みですか?」「それは追々」と、やんわりかわされた。
「いまから、こちらが用意した施設に向かいます。今後はこのスマホを」予想していた通りだ。自分のスマホはすでに初期化してあったので、抵抗せずに手渡した。
受け取った端末は、どこまで監視されているのか。あとでデータの書き換えが可能か試してみよう。
そうぼんやり考えていると、ふと車内の香りが変わった気がした。次の瞬間、強い眠気が波のように押し寄せ、そこで記憶が途切れた。
「着きましたよ」
その声に引き戻され、ようやく目が覚めた。見知らぬビルの地下駐車場。コンクリートの壁に足音が乾いて響く。促されるままエレベーターに乗り込むと、神宮寺がカードキーをかざした。行き先は表示されず、上昇の感覚だけが身体に伝わる。
扉が開いた。一歩踏み出すと、無機質な廊下に冷気が満ちていて、思わず息を浅くした。
「こちらが神川さんの住居スペースになります」
通された部屋は、天井近くのハイサイドライトから柔らかな光が差し込み、室内のグリーンが目に優しい。作り物めいた整然さのなかに、ストレスを抑える工夫が隠されている。
「食事は私が届けます。仕事スペースはこちらに」隣室のドアが開く。複数のモニターには、別拠点で作業している人々の画面が並び、ログやタスクが帯のように流れていた。
「今後、彼らに指示を出す立場になっていただきます。まずは、この人物のデータをイルジオンから取得してください。あなたなら簡単にできますよね」
「この人は?」モニターに映された顔写真を指す。
「それは、あなたが知る必要はありません」
「……わかりました。あの」言い淀むと、神宮寺が振り向く。
「何か?」「この部屋の香りが、少し……」「気に入りませんか?」「少し頭が痛くなるんです」
「何かご希望は?」「車の中の香りが、落ち着いて……」「ああ、この香りですか」
神宮寺はそっと僕の手首を取り、わずかに引き寄せた。首筋からほのかに漂う香りが、さっきの車内と同じだとわかる。
「この香りをお願いします」「わかりました。すぐに手配しましょう。データが取得できたら、先ほど渡したスマホに入っている私の連絡先へ連絡を」短く告げると、神宮寺は部屋を出ていった。
ひとり残され、ソファに腰を下ろす。
深く息を吐くと、肺の奥の冷たさがゆっくり溶けていく。
*---------------
「あの香りに反応しないのはなぜだ?」エレベーターに乗り込んだ神宮寺が、通話相手に低く問う。
『神宮寺様が以前に確認された通り、ムルたちが強く反応したものと同一の調香を使用しています』
「強度を少し上げて、定期的に部屋へ送れ。ただし、今私が使っている『一条の香り』を先に入れてバレないように」
ムル専用の、乱れを誘う香りには反応せず、一条の香りには落ち着きを示す。いつ、私に反応するようになるのか。でも、焦る必要はない。時間をかけて、確実に。
通話を切ると、神宮寺はエレベーターを降り、研究室へと歩を進めた。
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