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思いつき犯罪の極み 第四話
しおりを挟む私は所持してきた手提げかばんの中をまさぐった。これは今から二十余年前、すなわち、千九百九十年代の話であるが、当時は、24時間営業のコンビニエンスストアが全国各地に爆発的に普及し始めた頃だった。当初は、簡易的な食料や文具、電球や電池、週刊誌や発売されたばかりの書籍程度の品揃えであったが、その後、年を重ねるごとに品ぞろえは充実していく。たったの数年で、それまではスーパーやデパートが主流であった商品販売業をリードする存在にまでなる。現在では、多くの人は日常生活に使用される製品のほとんどは、コンビニに行けば用立てられると考えているだろう。話を少し戻すが、その九十年代の中頃、雨季に限ったことではあるが、コンビニの入り口において透明な傘の販売が始まった。数度使用すれば破損してしまう程度の簡易的な製品ではあったが、その値段はほとんどの店舗で100円であったと記憶している。せわしない早朝、天気予報すらもろくに確認せずに、慌てて家を飛び出す勤め人は意外に多い。この安価な製品の登場は、多くの人に歓迎されることになった。正確な売上本数は、今からでは把握しにくいが、おそらく、短期間に何百万本、あるいは、何千万本といった数がコンビニの店頭において販売されたはずだ。
しかし、学生、会社員やOL、そして、主婦層にまで歓迎されたこの安価で単純な透明傘には、ある意図せぬ不備が存在したのである。それを、いつ誰がどのような意図をもって発見したかは今に伝わっていない。が、とにかく、この簡易傘のスイッチ部分の細い操作棒(部品名は知らぬので、仮にこう呼ぶ)は傘が破壊される過程で、あるいは、分解される過程で、比較的容易に外れてしまうのである。もちろん、この五センチ程度のプラスティック棒が、傘の本体から外されたところで、特に何の問題も起こらない。いや、問題は起こらないだろうと思われていた。先述のとおり、最初はとるに足りない問題と思われていた、少し湾曲したこの小さな細い棒が、実は少しの改良で万能鍵として使えることが分かったのである。最初に判明したところでは、自転車の鍵を解錠できるという点である。当時(九十年代半ば)から、すでに自転車の盗難事件は巷にあふれていた。その主犯は学生であることが多く、風紀の悪い学校の近くには大量の盗難自転車が放置されるという問題も起きており、担当の先生方はその対応に苦慮したとされている。もちろん、新車や高性能な製品ほど盗難されやすい傾向にあった。こうした悪質な盗難を未然に防ぐために、自転車屋で新車を購入する際には、最初から付いている前輪の鍵をあまり信用せずに、後輪にも頑丈な鍵を取りつけるのが一般的だった。その後輪鍵の鍵穴に、この傘から抜きとられた万能鍵がばっちり嵌まってしまうのである。つまり、この新しく考え出された、決して健全ではない鍵の存在により、自転車を盗難することが、これまでよりも容易になってしまったのである。数年と待たずに、全国各地で新車の二輪車の盗難件数が増大してしまったことは言うまでもないだろう。これはまったくもって、受容できない事態であったため、傘の製造メーカーはすぐに対策に乗り出すが、安い透明傘は、すでに何千万本も売れてしまった後である。たとえ、後から改良品を開発したとて、全国にくまなくばら撒かれてしまった古い素体の回収は困難を極めた。こうした百均透明傘の不備が発見されてから数十年を経ても、こうした悪質な盗難事件は後を絶たず、各地の都市圏で多発することとなる。
ただ、ひとつ付け加えると、この万能鍵は一概に犯罪にばかり使用されたわけではない。窃盗目的の悪人だけでなく、その自転車の所有者にとっても有益であることが多かったのだ。これはつまり、自転車で向かった遊び先で後輪の鍵を紛失してしまった場合の対処がかなり楽になったことに尽きる。それまでは、自転車を駐輪場に置いたまま遊びに出かけた際、遊びに気をとられている際中に鍵を紛失してしまうと、自分の自転車であるにも関わらず、運転できない、操作できない、つまり、家に帰れなくなるといった事態に陥っていた。後輪の鍵は前輪のそれと比べて非常に頑丈で比較的隙がなく作られていたため、専門業者でもなければ個人での破壊は困難であった。もちろん、近くに自転車屋があれば、そこに持ち込んで破壊には成功するだろう。しかし、後輪鍵は新しい製品を買い直すことになってしまう。しかし、この万能鍵が手元にあれば、キーホルダーごと紛失したとしても、それを容易に解錠することができて、とりあえずは、自転車に乗って家に帰ることができるのである。鍵を失くしてしまい路頭に迷った経験を持つ人には、この裏鍵事情は盗難への不安というよりも、緊急の際の次善の解錠方法として受け入れられる向きもあった。後輪の鍵を紛失してしまい、万能鍵の所持すら忘れた場合であっても、近くのゴミ捨て場などに透明傘が捨ててあれば、あるいは、自分でそれを事前に所持していれば、それを簡単に破壊してしまうことで、プラスチック棒を取り出すさえできれば、自宅までの長時間の徒歩移動という不毛な疲労を避けることが可能だったわけである。ということで、自転車窃盗の意志のあるなしに関わらず、当時の若者の多くは、この万能合鍵をポケットに入れておく習慣を持っていたのである。
ここで重要なことは、この簡易的な合鍵は市販のヤスリなどを用いた簡単な細工によって、トランクや秘密の木箱、ランジェリーの宝石箱、工場の外に設置されている倉庫の鍵、果てには、あらゆる家のドアさえこじ開けることができたといわれている。このゆゆしき事態に、多くの市民が治安の悪化を懸念したことはいうまでもない。この不穏な一件が境になったのかは知れぬが、この頃から、新築住宅のドアの施錠は、そんじょそこらの安い合鍵では、まったく通用しないような、頑丈なものに置き換えられていくことになる。建売住宅の玄関のドアに、上下二重の鍵が採用されるのも、これ以後のことである。さて、私がここで説明したいのは、ここ三十年ばかりの防犯事情の変化についてではなく、今現在、自分のポッケの中に、その懐かしい一品が入っているということである。もちろん、改造なしでは、平成初期の自転車泥棒が喜ぶ程度のものである。これから先の作業をやりやすくするために、他人の家の自宅のドアにも対応できるよう、慎重に細工を施す必要があった。いつまでも、同じ位置にいることを不安に思い、一度、背後を振り返ってみた。事前に予測していた通り、背の高い門扉に遮られて、敷地の外から私の姿を確認することはできないようだ。また、数分前にこの家の外壁を乗り越えた侵入者に、周辺住民が気づいていて、警察に通報したような気配も現時点では感じられなかった。私は心を落ち着けて、ドアの鍵穴に完成した合鍵を差し込んでみた。かちゃりという音が聴こえて、封印は簡単に解かれた。この家が建築されてから、おおよそ五十年ほどが経過していることは先ほども申し上げたが、この正面扉も外観は非常に古びていて、近年になって、新式に取り替えられたようには見えなかった。それがために、私が所有している簡易な合鍵で十分に対応できたわけだ。しかし、想像以上にドアの立て付けが悪く、開こうにも外壁に擦ってしまい、上手く開かなかった。いくら頑丈な鉄の扉といえど、数十年が経過すれば、直射日光や気温の上昇により、全体が歪んでくる。多くの場合、次第に湾曲してのけぞってくるのである。これはもちろん、この邸宅がかなり以前、おそらくは私が生まれる以前に建てられたのだろう、という持論を裏付けるものであった。しかし、この鉄製のドアが軋む音は、ここに侵入しようとする者にとってはかなり都合が悪い。どうしても、周囲の住民の反応を恐れてしまうからである。すでに邸内に侵入していると思われる犯人たちも、このぎぎぎ……、という音にはかなりビビらされたはずだ。いよいよ、不幸な老夫婦を救うか、あるいは弔うためにこの家に侵入することになった。
内部には、古い日本家屋にありがちなの匂いが漂っていた。ひと気のない寂しさを感じたが、それは当然のこととして受け止め、不安とは感じなかった。この家には誰もいないと分かって侵入してきたような気がした。誰の許可も得ずに、他人の家の内部を捜索する覚悟もままならぬうちに、さっそく目についたのは、まるで、パーティー会場のような広い玄関口であった。おおよそ十五人程度の革靴が並べられるように思えた。しかし、実際に置かれていたのは、玄関先を掃除する際に使用されたと思われる黒いスリッパひとつであった。靴箱の上には、クレープの造花の花束が飾られ、その隣にはミニアチュアの七宝焼きが当然のように置かれていた。壁に掛かっているのは、すでに三年が過ぎたカレンダーであった。天井からはシアンの磁器の笠を被ったランプが下げられていた。奥へと長く続いている廊下は薄暗く、住民の気配はまるで感じられなかった。玄関に靴が脱ぎ捨てられていない以上、犯人たちは外靴を履いたままで、今現在、この家のどこかに乗り込んでいるものと思われる。しかし、その割には玄関にも廊下にも目立った汚れは付いていなかった。廊下の木の床や壁紙の上に、泥の靴跡や血痕のこびりついた手形の跡のようなものが付着しているわけでもないのだ。私がドアを開いた振動は家の奥まで伝わったはずだが、内部のどこにも、その不審な音に反応して人が動く気配は感じられない。おそらく、犯人グループは逃走した後で、邸内はすでに無人なのだろうか、そうなると、老夫婦とその関係者の遺体が居間や台所のあちこちに惨たらしく散乱しているのかもしれない。私は簡単なカメラや携帯電話でもいいから、現場の状況を保存できるものをここに持って来れなかったことをいたく後悔した。しかし、遺体を厳重に保存した上で、警察に届け出るだけでも、一般人の行為としては大きな手柄といえるだろう。当初はこの時点において、犯人グループ数名と激しく格闘するという想定もあったわけだが、残念ながら、この家の住民に残酷な運命が訪れてから、すでに長い時間が経ってしまっているらしい。しかし、油断はしない方がよいだろう。ゆっくりと邸内に踏み込むことにした。玄関に敷かれた豪華な紋様の絨毯の上に足を踏み込むと、しばしそこに踏みとどまり、早まった行動を取る前に、今度の活動の指針を定めねばならなかった。ただ、やみくもに捜索しては、肝心なものを発見することに余分な時間を費やしてしまうからだ。所有できる時間は決して多くはない。最善の策をとらねば、思わぬ落とし穴にはまることになるだろう。
「すいません! この宅内に住人の方はおられますでしょうか? 私は偶然ここを通りすがったところでして、決して怪しい者ではありません。実は数週間ほど前から、この家の現在の様態について訝しんでおりました。もしかすると、邸内にはすでに長い期間にわたり人が出入りしておらず、住民の方々の暮らしが非常に危うい状態を迎えているのではないかと思っておりました。今日も、散歩の途上でここを通り、嫌な気配を感じ取りまして、その危機的な思いに確信を持ってしまったのであります。前もって申し上げておきますが、我が身を火事場泥棒に貶めるつもりは毛頭ございません。正義の志士として、これから邸内の捜索に踏み切らせて頂きます」
私は誰にいうともなく一応の挨拶の言葉をかけた。邸内にいる人間たちに向けてこう申し述べておくことで、今後不測の事態が起きても、地元住民の監視者たる自分の立場に、ある程度の保証を与えることになるかもしれない。さっそく奥の部屋へと進もうとしたが、すぐに思いとどまった。物事は多面的でなければならない。そして、あらゆる主義主張は尊重されて然るべきである。他人の家に勝手に踏み込んで暴力や窃盗に至るのは、言うまでもなく許されざる犯罪行為である。しかし、どんな善行も必ず報われるとは限らないように、古代オリエントからの数千年にも及ぶ、あらゆる時代を見渡せば、悪が必ずしも悪でなかった時代もある。法と秩序が完全に崩れ去った瞬間も至るところにあった。大多数の人々が心ならずも殺人や強盗に手を染めたときもあった。すべての時代において、すべての思想が平等の価値を持つのであれば、魔女狩りも悪魔崇拝も禁酒法もアンチキリストもノストラダムスもバーガも一定の理解を得るべきである。
そこで、私としては、いったい、何が起こっているのかすら判然としないこの邸内に向けて、もう一度話しかけてみることにした。今度はいわゆる悪の側に訴えかける形で言葉を投げるのである。いやはや、自分の行為を正当に評するのは、なかなか難しいが、これは中々に殊勝な行いといってよいだろう。
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