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思いつき犯罪の極み 第五話

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「もしもし、この家の中で息を潜めておられる方々がおられれば、お伝えいたします。私はこの隣近所に住む善意の者であります。前提として申し上げておきますが、この家の正式な住民でも、その方々の知り合いでもありません。警察当局や市役所や自治体の職員、あるいは近所の住民などから、周辺の警備を依頼されているわけでもありません。たまたま、通りすがっただけと表現しても良いかと思います。近年、我が国におきましては、全国津々浦々まで高齢化が進んでおります。結果として、税金の徴収が滞り、公共サービスがままならなくなり、昔は賑わったはずの観光地の情景も、在りし日の姿を維持することはできなくなりました。観光客の激減により財政が破綻した市町村、客足が途絶えて消滅した商店街。もう、とうの昔に住民たちに打ち捨てられた山奥の寒村、生徒の減少により次々と廃校と化していく教育施設、行政機関が再生を諦めた大病院、受け継ぐ者のいなくなったために住む者もなく、かといって、整備したり、始末する費用も捻出できぬために畑には雑草が伸びるままに、広場には廃棄物とがらくたが貯まるままに、区町村もうかつに手を出せずに放置された廃屋が全国のあちこちで寂しげにその骸を晒しているのです。そういった廃屋が不良児童や裏社会の人間やホームレスに悪用されたり、行く当てのない者の溜まり場となり、別の犯罪の温床となることもあります。行政や警察の目がまったく行き届かない現状では、ある程度は致し方のないことかもしれません。それは、公共施設や観光地や職場や街の憩いの場のあちこちが、人で溢れていた時代の仕組みを、今になって大きく刷新することは困難であるためです。インフラも整っていない地方の町の人口が突然増加することはあり得ないのです。しかし、この住宅に関しましては、その捨てられた村々の条件には当てはまりません。この家にはまだ住民の方の生活感があり、家具も家電も庭の大道具も、きちんとした機能を兼ね備えているからです。今現在、何らかの形で姿をくらましている方々が、ここに戻ってくる意思を鮮明にしたときのために、この古い家は現状のままに保存されるべきであります。いくら隙があっても他人が乱暴に押し入るべきではありません。私がここで申し上げたいのは、あなた方のやり口についてであります。どんなに多くの資産を有した一族の繁栄も時代の推移とともに移ろいます。時の流れは人の心や体力や価値観をも容赦なく変えてしまうためです。それはそのまま、人と人との関係を断裂させることに繋がります。かつては蜘蛛網のように、そこら中に張り巡らされていた人間同士の関係も、時の流れの前にはなし崩し的に崩れ去ります。若い時分は多くの仲間に囲まれた人の晩年にも、孤独という悲愴は必ずや訪れるものです。人は自分にとって都合のいいものだけを氷土の中に押し込め、身ひとつで未来へ進むことはできないのです。自分を支えていたすべてを失いながら、前に進みます。悠久の時の流れと生命の衰えは、ここで申し上げるまでもなく必然であります。どんなに優れた才能を輩出した一族も、数十年という時間の流れの前に、最盛期の繁栄を維持することは困難であったわけです。そういう意味からすれば、この家は今や誰も住まぬ廃墟、すなわち、置き去りにされた骸(むくろ)であります。たとえ、あなた方がここを狙って襲わなくとも、早晩、崩れ落ちて灰となり、自然消滅したのかもしれません。そうなれば、受け取り手のない邸宅内の遺産は、国家により没収され、国庫の中に清算されてしまいます。その前に、恵まれぬ小市民の手に分配されるべき、との考えにも一理は有ります。老年による病と互いの介護に思い悩む老夫婦の生活に助けの手を差し伸べることすらしなかった国や自治体が、亡くなった人の資産のほとんどを没収してしまうことに、いつしか、ふつふつと疑念が沸き、その成り行きに抵抗したくなる気持ちもよく分かります。しかし、大多数の人に認められていなくとも、たとえ、死文と化していても、法は法であります。第三者が暴力により割って入り、すべてを覆そうとすることは、さらなる混乱を呼ぶでしょう。法を守ることは、ただ地域住民の安心安定のためならず、あなた方、裏社会に属する窃盗集団の権利のためにも必要なものです。自分たちの都合と欲望だけを優先して、やがては破綻していくあなた方の運命に対しても、きちんとした裁判を受ける権利、警察の尋問に抵抗する権利が与えられて当然なのです。しかし、人として絶対に必要な、それらの権利を主張される前に、やはり、自らの身をもって、法の正義と社会規範の在り方をここに示すべきではないでしょうか。つまり、人権の対価として法を遵守するのです。少なくとも、私はそれが最良と思うのです。これでもお分かりいただけませんか? さすれば、これから、私は捜査のために乗り込みますが、そういった理由からも、あなた方に執拗な抵抗をして欲しくはないのです。私たちは正義と悪、大変遺憾ながら、思想も立ち位置も完全な対極として生まれついてしまったわけではありますが、人間というものは元々一人ひとり別々の存在であります。これは歴史と血脈の話にあらず、生まれもった罪と本能の問題であります。すなわち、アダムとイブ、雨降って地固まる、雷落ちて地面割れる、天鳴轟くラグナロク、大岡越前のマルチ裁き、バベルの塔創作秘話、30年ローン抱えながらの募金活動、人類皆兄弟喧嘩、世界各地に伝わる大亀神話、豆を鍋で煮るとどうたらこうたら。どうです? 改心は得られましたか? では、ここで武器を置き、共に肩を組み、一緒に警察に弁解をするために参りませんか?」

 案の定、邸内のどこからも返答は聞かれなかった。足腰がすっかり弱って、近所を出歩くことも出来なくなった老夫婦を襲おうというのだから、これは相当に腹が座っている。遊び半分や模倣犯や思いつきの単独犯ではあり得ない。これしきの説教ではタイガー戦車にバケツの水を引っかける程度に終わることは最初から承知していた。どんなに悲惨な結果をもたらそうとも、ここは実力行使に出る他はないだろう。一階全体を眺め回してその雰囲気を掴むと、私はまず一階の奥の居間の方に進むことにした。この邸宅の構造だと夫婦の寝室は二階にある可能性が高かった。彼らが押し入ってきた強盗団の手により、すでに殺害されてしまっているとすれば、遺体は二階に転がっているだろう。しかし、もし、この邸内に資産のすべてをしまい込んだ金庫というものがあるなら、それは一階にあると推測する。足腰の弱った老人がここから300メートルも離れた駅前の銀行にまで足繁く通うとは到底思えず、この家には以前から大きめの金庫があり、そこには、70年代の昔に、この国のあちこちから様々な手段により集められた、多くの紙幣が眠っていると考えるのが妥当である。少なくとも、この私はこの豪華な邸宅の前を行き来するたびに、そういう推測をしてきた。彼らの資産形成の過程をそのように考えていくと、巨大な金庫は確実にあるとして、それを二階に置くことは本末転倒である。階段を登ることも億劫なはずの老人たちが、通院費用や新聞代、ちょっとした買い物をするのに必要な紙幣を取り出すために、わざわざ、二階と居間とを何度も往復したりするものだろうか? そういった推測から、金庫は一階にあると断定してもよさそうだ。ただ、このくらいの単純な情報は、当然ながら、犯人側も得ているはずである。「必要な金品さえ奪えれば、住民の命まで奪う必要はない」と考える稀有な犯人像であれば、あえて、二階の寝室までは確認せず、金庫が隠されているはずの一階の広間に直接向かうだろう。犯人グループが最初に物色したのは一階の居間ではないかと結論付けることにした。危険を伴うが致し方ない。もっとも優先されるべきは如何に短時間で効率よく邸内を捜索するかである。被害者や容疑者の身柄を、この手に確保できるかどうかは、二の次である。周到に用意してきた薄手の手袋を鞄から取り出して両手にはめた。私の指紋をこの現場に残してしまうことは、後に行われる警察による捜査に無用な混乱を起こしてしまうかもしれないからだ。善と人徳に突き動かされて行われた、決死の捜索が「実はおまえこそが空き巣ではないのか」と疑われる由々しき事態を招いてはならないからだ。

 不必要なほど派手に飾り立てた英国風の置き時計がけたたましく11時の鐘を鳴らした。洋風の居間の広さは十畳ほどだった。壁紙や柱の造りが豪勢な割には家具が少なく、意外なほど飾り気がなかった。奥の方には八畳ほどの和室がみえた。キッチンのすぐ横に中程度の冷蔵庫が置かれていたが、この家の大きさには似つかわしくない。事前の予想通り、ここの住民はふたり、ないしは三人であろう。冷蔵庫は比較的最近になって購入されたものである。大人数家族向きの製品を購入しなかったということは、自分達の家族の人員が、今後増えていく見込みのないことを知っていたからである。若い娘夫婦や従兄弟や他の親戚と同居していることはあり得ない。住民は三名以下であるとこの記憶にインプットした。ダイニングルームのテーブルはさすがに大きい。備え付けの椅子も六つある。テーブルの上には、封をした書留小包、葉山の絵はがき、菓子を包んでいたと思われる派手な包み、アスピリンの小瓶、ほぼ新品の爪切りバサミ、象牙のヘアブラシ、隅の方に鉄製のコーヒー挽きが置かれていた。しかし、これらは必ずしも構成員の多さを意味していない。これだけの資産家なら、結婚当初は休日に客人が訪れることを見込んでいたはずだからである。少し調べてみると、奥のふたつの椅子は最近になって動かされた形跡がまったくない。その脚には多くの埃(ほこり)がまとわりついているし、椅子のすぐ脇には、使い古した衣服や汚れた座布団などが積まれている。これでは寸分たりとも動かすことはできない。これでは食事時にこれを使用することはできないだろう。手前のふたつの以外の椅子は、日常的に使われているものではない。
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