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巨象に刃向かう者たち 第八話

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「たしか、ネットの映像提供会社ですよね。最近えらく売り出してるようですね。あの企業の広告を見ない日はありませんよ」

「はい、その通りです」

「ネット動画配信社があなたの人生にいったい何をしたのです?」

「簡単にいえば、ビー・ジャングルカンパニーは、私の人生を完全に踏みつぶしたのです……」

 彼は死にかけた野良犬のような低い声でそう呻いた。相手の大企業に対して、ここまで頑なになっているのだから、話しにくい事情があるのはよく分かっている。ただ、ダンマリとされたままでは、私の仕事がちっとも前に進まない。こちらとしては、公共の催し物に対して、あからさまな不満を表すまでになったその詳しい事情が少しでも知りたい。

「言いにくいことなのは分かりますが、もう少し説明を続けてください。それは、そのカンパニーのスタッフの一人が、あなたに対して、無礼や暴行を働いたり、営業を妨害したりしたと……、具体的な無礼を働いたと、そういうことですかね?」

「……たら、……ですよ……」

「えっ、ごめんなさいね。もう少しだけ、大きな声で話して貰えますか?」

「……たときに……二度……も、部屋に……されてしまいまして……」

 話しにくいことなのか、それとも、単に思い出せないのか、あるいは、最初から具体性のない事件なのか。彼が何を喋っているのか捉えられなくなってきた。このままでは会話が途絶えてしまいかねないので、私は少し苛立ったが、こちらも会話のプロを自称しているので、キレかけていることを知られてはならないと思った。

「いったい、どうしたというんですか? 貴方の身に何が起こったというのです。そして、どういう行動に出るつもりなんです」

「……簡単にいいますと、ビージャングルカンパニーは、私が苦心して作った、専売特許を奪って、自分たちの商品にしてしまったのです」

「先ほど海底と神獣の物語とか言っておられましたが、あれを奪われてしまったのですか?」

「そうです。金と権力の前に敗れてしまいました。懸命に抗ったのですが……」

 ただ、彼との会話をじわじわと続けていくと、どうも、ビージャングルカンパニーの社員に自分の考えた企画を盗まれてしまったということらしい。ありそうもないことだが、その悔しさと苦しさはかなり滲んでいた。

「その動画配信社に企画を取られたというのであれば、私にも力になれることだって、あるかもしれません。率直なところを話し合いましょうよ。この私だってね、無力というわけではありません。このまま平行線で終わるというのは、お互いの人生にとって、決してよくない」

「あなたが私の力に? まさか助言でもする気ではないでしょうね? まったく必要ありませんよ。私は今の生活に満足しています。あなたがどこに雇われてここへ来たかは知っていますが、そちらからの助力はいっさい必要としていません」

「私だってね、つい先ほど銀行に金を借りに行って、つまみ出されてきたばかりです。家に戻ってもカップラーメンを買うお金もありゃあしません。働いても働いてもろくに食えない、ワーキングプアというやつなんです。つまり、あなたと同じ立場の人間なんです。もう少し、話を伺わせてください」

「ほら、あなたもそう言いだすわけだ。言葉巧みにいいくるめて、私を凋落しようと企んでおられる。」

 こういうタイプの男はこちらが強く迫るにつれて態度を硬化させる傾向にある。このペースで話し始めると、今回の貴重な交渉が、本当に収穫ゼロで終わってしまう。それだけは避けねばならない。このムサい男の未来がどうなっていくかは誰にも分からないし、誰も知りたくないのだが、今日の報酬が受けられないと、私の方は数日後に破産する。遠回りに攻めるのもめんどくさいが、この部屋から追い出される方が余計に怖いので、仕方なく下手に出ることにする。

「私にはよく分かってますよ。貴方は大きな夢を持っておられる」

 男はその言葉にびくっと反応して、部屋の右や左の隅を確認するような素振りを見せた。それが何を意味する行動かは分からない。あるいは、何かを隠しているのかもしれない。霊感が多少なりともあるのかもしれないし、風水の心得があるのかもしれない。とにかく、辺りの雰囲気がえらく気になるらしい。大体、自分の部屋だろうに。

「小さい頃から抱いていたその夢はもう少しで実現可能……、いえ、それで言い過ぎなら、もう二三歩のところまで近づいて来ているわけですね。貴方はその夢を成し遂げて人生の一発逆転、それを図るためにどうしてもこの部屋の区画が必要だと、そう考えておられる」

「ちょっと、そういうくすぐったい攻め方はやめて下さいよ。本当に大したことではないんです。ただ……、これは誰の頭にも浮かぶことかもしれませんが、『確かにありふれた発明だ。だが、案外海原にぶん投げられた五十メートルにも及ぶ漁師網をかいくぐって、この発想は自分だけのものなのでは……?』 私はね、いつしかそう思うようになったんです。負け組の論理でいえば、私だって完全なる負け組です。一週間後の食費も怪しい。ですけどね……、もし、人生の大逆転、一攫千金を狙うなら、これはもう、この非凡なアイデアに賭けるしかないと思うようになったんです」

「それが完成しかけたところで、ビージャングルカンパニーの連中に邪魔されたと、そういうわけなんですね?」

「その通りなんです。あいつらは実際悪魔です。自分たちのアイデアに少しでも似ているものをこちらが作ったら、著作権侵害で訴えてくるくせに、庶民からであれば、自分たちはいくらでもアイデアをパクってもいいと思っているんです」

「ああ、なるほど、分かりましたよ。彼が制作発表した動画の中に、あなたの想像したアイデアと似ているものがあったというわけですね」

「実はその通りなんです。まるで、瓜二つです。完全にやられました」

「しかし、企画を奪われるからには、部屋に入られるとか、レジュメを奪われるとか、相手方からの攻撃があったわけですよね。それに対して、あなたは激しく抵抗なされたと……、そういうわけですよね?」

「その通りなんです。どんな大企業でも、すべてのスタッフが完璧に揃っているわけではありません。私のように、金に目の眩まない強情が相手だとそりゃあ大変と思ったのでしょう。彼らはついに強権を発動して、私の留守中にこの部屋に入り込んだに違いないのです」

「あなたが家に帰ってみると、部屋はすっかり荒らされ、企画書とレジュメが奪われていたわけですね?」あなたとあの大企業では接点がまるでないでしょう、と指摘したかったが、ぐでっと凹まれてしまうと、かえってやりにくくなるので、私はなるべく彼の気合を削がないように静かにことを進めることにした。

「いえ、何も奪われてはいません。いや、一見して、奪われていないように見えるのです。私の持つ空想という能力に嫉妬されてしまったのです。私は心に企画を持っているだけで何も行動に移してはいない。もしかすると……、うーん……、彼らは、私のことなんて、何にも知らないのかもしれない。しかし、もし、そうだったら、企画がすっぱりと抜かれてしまったことに納得がいかない。彼らは最初は私のことなんて無視していましたが、放っておいてみると、こちらの計画がいよいよ現実味を帯びてきたので、その長い腕を、ついに、こちらに向けて伸ばしてきたと、そういうわけです」

「それで……、奪われたと仰っているのは、いったい、どんなアイデアなんです。さわりだけでも聴かせて頂けませんか?」

「実は世界各地の神話に語られる神獣をテーマにした企画だったんです」

「神獣……、といいますと?」

「一般にはグリフィンやリヴァイアサンなどという名で知られています」

「それは、ギリシャ神話や北欧神話のようなものと考えていいんですかね? よく、ゲームのモンスターなどがその名前を借りているわけですが」

「その通りです。現代のゲーム開発者なんて、歴史や神話の勉強なんてまるでしていません。専門学校でプログラミングの基礎だけを学んで、そこを卒業すると、すぐにその世界に飛び込んでいるわけですから。古代神話を興味を持って勉強している人なんて、ほんの一部です。制作者のほとんどは、単なるゲーマーで占められています。彼らは遊びながら仕事ができて、そこそこの給料さえもらえれば、自分の制作するゲームの内容なんて何でもいいんです。芸術家に特有のプライドなんて、これっぽっちも持ち合わせていないのです。本当にいい加減な奴らです」

「ちょっと、待ってください。ゲーム開発者や動画配信サービスの悪口はとりあえず置いておきましょうよ。今、尋ねているのは、あなたが作られたという、神話に関する企画のお話でしたよね?」

 この男の場合、いったん、話が逸れると、どこまで迷走していくか、知れないので、私はとりあえず釘を刺すことにした。こんな注意ごときで、彼の妄想が解けるとはとても思えないが。

「神獣というのは、先ほど申し上げました。グリフィンなどの他に、一角獣、セイレーン、ケンタウロス、カーバンクル、エルフ、キマイラ、ベヒモス、スフィンクスそれにサラマンダーですとか、中国や西欧の竜の原型は、ほとんどすべてこれにあたります。あなたはおそらく、これらの名前をゲームの中ですとか、洋画の中でしか聞いたことはないでしょうが、これらはすべて西欧や中国や世界各地の民話の中に登場するのです」

「なるほど、そこまでは理解できますよ。まあ、いわゆるモンスターというやつですね。あなたは世界各国の神話や民間伝承で、そのモンスターたちの元ネタを調べるのがお好きだというわけですね」

「そうなんです。それが私の趣味でした」

 彼の顔がようやく明るくなってきた。このまま、解決の糸口を一気に手繰り寄せるべく、私はもう一押ししてみることにした。

「しかし、元ネタがあるものというのは、ストーリーの企画には使いにくいものでしょう。なぜなら、最近なら、ネットや本などでいくらでも情報を調べられるわけです。あなたが十調べているうちに、大企業は千の情報を引き出してしまうでしょう。先ほど言われたような『大企業を出し抜く』企画を思いつかれたのは、神獣や神話のどの辺りからなんです?」

「それは、私の脚本の真に迫る部分ですので、非常に言いにくいです。ですが、あなたは交渉人としてここに来られたわけだから、公平な情報を差し上げます。ただし、他言無用でお願いしますよ。何しろ……、この企画はまだ生きているかもしれないのです……」

 元々、おぎゃーと生まれることすら許されないレベルの想像の可能性も十分にあるわけで、それを生きているだの死んでいるだのと言われても、こちらとしては困るわけだが、素人(アマチュア)のクリエーターとは、このような独りよがりの思考を常に持ち続けているものなので、反論を繰り出すのは控えることにした。

「分かりました。ここで聞いたことは私の胸の中だけにしまっておきますよ。その先をお願いします」

「いいですか……、実はですね……、私はこの神獣たちの物語の中に、ある奇妙な共通点をみつけてしまったのです。そこから斬新な企画が浮上したと、そういうわけなんです」

 彼はすっかり喋り慣れた九官鳥のように饒舌になり、そのようなことを図々しく言ってのけた。もちろん、私にとっては、頭を抱えて落ち込んでしまうほどに、自分の描いた筋書きの通りに進んでいるわけだが……。

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