Wing Cross

森野アヤ

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【第二章】 港町シエル

第十三話 -波打ち際の攻防-

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 マリン――

 少女は一瞬はっと顔を上げた後、仄暗い海底に沈む一粒の真珠を探り当てるかのように、静かに慎重にゆっくりと瞼を閉じ、何処からともなく響く聞き覚えのある声に身を委ねた。
 懐かしく優しい声色が、放たれる光と共鳴しながら心に直に語りかけてくる。
 誰よりも温かく、誰よりも強く、それでいて息が詰まるほどに切ない。
 自の運命を変える事となったあの日からもう十数年経つけれど、胸を締め付けるこの声色が誰のものなのかは、マリンにとっては考えずとも理解できることであった。
 一人きりじゃ乗り越えられない。だからこそ、今をずっと待ち望んでいたのかもしれない。
 遠い世界に行ってしまった“彼女”がこうして背中を押してくれる今を……

 今まで感じ得たことの無い強烈なパワーが、胸元のペンダントからから溢れ出て来たかと思うと、次の瞬間、瞬きは音も無くすうと消え、再び広間は静寂で包まれた。


 ほんの僅かな出来事に、場に居る誰もが呆然と立ち尽くす。何が起きたかなど無論誰にも理解は不可能であろう。
 只一人の少女を除いては。
「……さあ、水神様がお怒りよ。アンタ達!あたしのスピードに付いて来られなきゃ、置いっていっちゃうんだから!」
「お、おう!?」
 前にも増して一層清々としたマリンの声音に、止まっていた時間が再び回り出す。
 すぐ隣で剣を構えていたガイルは頭の上に疑問符を浮かべながらすっとんきょうな声をあげ、当の彼女はと言うと、大きく息を吐いた後、煌くサファイアの瞳を更に輝かせる。
「マリンちゃん……よかった」
 そして、その様子を伺っていたセレナは、胸に手を当てふわりと柔らかな笑みを浮かべた。

「ええい!何も良くないわっ!」
 一人吐きちらしたのは、客間に潜み見る見る数を減らしてゆく僧兵達に懲りずに指示を送っている男。ジョウガンであった。
「ぐぬぬ……あの小娘にこんな力が。水神の巫女なんぞてっきり名ばかりかと思っておったわい。稀に見る美貌……手放すのは惜しいが、このままではマズイ」
そう呟くと、男は中庭の喧騒に紛れてそそくさとその場を去ろうとした。
「あ!二人とも、後ろにジョウガンさんが……」
「ぎくぅ」
 しかし、部屋から渡り廊下へ出た直後に、後方から二人の様子を伺っていたセレナにあっさりと見つかってしまった。
「ちぃ、もう一人居たのすっかり忘れておった」
「待ちなさいジョウガン!どこへ逃げるつもり!?あんた、こいつら頼んだわよ」
「お、おい!」
 マリンはガイルの呼び掛けを振り切り、そこらじゅうに汗を撒き散らしながら全速力で走り去るジョウガンの後を追い、表門の方向へと消えていった。

 残されたガイルとセレナ。
 ジョウガンが中庭を後にすると、直前まで相手をしていた僧兵は風船の空気が抜けたかの様にばたりと倒れこんだ。
 どうやら操られていた者達は、術が解けると途端に眠ってしまうらしい。
 取りあえず二人は、倒した僧兵含めその場で眠っている全員の無事を確認した後、嵐が過ぎ去り噴水の水音だけが響く中庭で、ぽかんと顔を見合わせていた。

 
 
「ぜーはー」
「ようやく追い付いたわ。逃げ足だけは速いのね」
 そう長くはない追跡劇の後、マリンが男を追い詰めた先は、闇夜に浮かぶ月明かりだけが辺りを照らす白の砂浜。
 白銀に煌く小波の心地よい音色が響く、港町シエル自慢の広く美しい海岸である。
 マリンは、腰に手を当て嗚咽にも似た荒い息を吐き、前のめりに転倒したジョウガンを、背後から冷めた目で見下した。
 漁師や海女の威勢の良い音吐が溢れる昼間とは打って変わり、日が昇り始める明け方までは人気の無い、それこそ波の打ち寄せる音しか響かない、静かな浜辺だ。
 無論、付近には遮る物も身を隠せる物もない。何故この男はこんな場所へ逃げ込んだのか、マリンがふと疑問を抱いたその時。
「ふふふ……惜しかったな!」
 不意にジョウガンが声を張り上げた。
「なんですって?」
「このわしがのこのこと小娘ごときに捕まるような真似をするとでも思ったか」
 態度を急変させた男の手元を凝視すると、赤いランプの点った小さな箱のような物が握られている。
「くく。これが何か庶民にはわからんだろう?これはな、東の大陸から取り寄せた“あるもの”を起動させる装置だ。結構な高値でなぁ。ま、この町の馬鹿な信者から巻き上げ……おっと、有難い寄付金のお陰でこうしてお披露目する機会ができた訳だが」
「アンタ……みんなが汗水垂らして頑張って稼いだお金をこんなものの為に……!」
「勘違いしてもらっては困る。わしが見せたいものはこっちだ!」
 ギリと唇を噛み締めるマリンを横目に、ジョウガンが装置に付いたボタンを力強く押すと――
「な……船!?」
 同時に、静寂に包まれていた海原に高波が発生し、その中心部から波音と共に突如として丸い影が姿を現した。
「その辺のボロ船と一緒にされて貰っては困るな」
 そう言い放つと、ジョウガンは有りっ丈の力を振り絞り、呆気に取られているマリンを他所に一目散にその影のもとへ駆け出した。男の言うそれがぎこちない機械音と響かせながら浜辺へと移動すると、徐々に姿形が露になってゆく。
「潜水艇!どうだ、田舎娘には初見だろう?よーく目に焼き付けておくんだな。わしの華々しい逃避行を!」
「待ちなさい!あんた自分が何してるかわかってるの!?」
 マリンは声を荒げたが時既に遅く、ジョウガンは尾ヒレに見立てた推進器とえらの付いた魚らしきものをモチーフにした潜水艇の中へと移動しており、彼女の制止はハッチが閉まる音によって遮られた。
 男が乗り込むと同時に魚眼と思われる部分が激しく光り、その辺り一帯を明るく照らす程の眩しさに、マリンは身動き出来ずにたじろいだ。
「このままじゃいけない……いいえ、そんな事よりもこの胸騒ぎ……“海が怒ってる”?」
 
「マリンちゃん!」
「やけに明るいから来てみたら、こんな所にいたのかよ……って、なんだありゃ?」
 そんな状況の最中、セレナとガイルが息を切らしながらようやく駆け付けた。
「あんた達、遅かったじゃないの!どうにかしてあの船を止めないと、ジョウガンに逃げられちゃう」
「何!?じゃあ俺達も漁船を使って……」
「無理よ。あれは潜水艇だから、潜られたら普通の船じゃ追いつけない。それに漁船は使えないわ……万が一壊れたりしたら迷惑になっちゃうもの。漁船はシエルのみんなの命なの!」
「今はそんなこと言ってる場合かよ!」
 そうこうしている間に、ジョウガンを乗せた潜水艇は沖合いの方角へと踵を返し、二人の討論などお構い無しに、ぎこちない機械音と激しい波音を辺りに轟かせながら、悠々と船体を沈めてゆく。
 水面にはぶくぶくと不規則な泡が浮かび、子供達の目の前で、とうとう大きな“機械仕掛けの魚”は姿をくらました。
 魚眼から発せらた明かりは浜辺から少し離れた水面をぼんやりと照らしており、その海中から漏れた明かりだけが潜水艇の位置を示していた。
 
「どうすんだよ……行っちまうじゃねえか」
「……泳げば、今ならまだ間に合うかも知れない」
 そう呟くと、マリンは突然纏っていたボロボロの衣を脱ぎ捨て下着姿になった。
「お、おい!ちょ、お前正気かよ!!?」
「マリンちゃん……危ないよ!」
 赤面するガイルの隣でセレナが必死にかぶりを振る。当の本人は海だけを見据えながら、軽く準備運動をし始めた。
「水神の巫女をなめないでちょうだい。こう見えて去年の素潜り大会で一位だったんだから!船からあいつを引きずり出してやるわ」
 そう言い放つと二人の制止を振り払い、そばにあった銛を手にずんずんと水中へ身を進めた。
「だからって丸腰のお前一人でどうこうできるのかよ!?」
「だってこうするしかないじゃない!あたしが……巫女のあたしがやらなきゃ、シエルのみんなの苦労が水の泡になっちゃう……!!」
 マリンが悔しさから溢れくる涙と共に、ぎゅっと目を瞑ったその時だった――
 
「な、なんだこの音……!?」
 
 突如として地鳴りのような轟音が響き渡る。それと同時に、浜辺へ打ち寄せていた押波がみるみる内に後退し、いっきに濡れた砂浜一帯が露になった。
 ガイルとマリンは鳴り響く音の中心へと顔を向ける。そこには、船など悠に呑み込んでしまいそうな程の大きさの“渦”が発生していた。
 不思議な事に、二人の体は激しい引き潮に巻き込まれずに保っている。しかしジョウガンの潜水艇は海面に浮上し、突然進行方向に現れた渦に呑み込まれまいと、もがいている様にも見えた。
「もしかして……水神様の力?」
 マリンは海面で起きた恐ろしくも神秘的な光景を目の当たりにし息を呑む。だがその思惑は、彼女よりもいち早く状況の変化に気付いたガイルによって打ち消された。
「いや……違う。セレナだ。セレナの魔法だよ」
 彼の言葉を受け、マリンは浜辺へと振り返る。
 
 そこには、淡い水色の光に包まれた、エルフの少女セレナが立っていた。
 
 呪文なのか、それとも祈りの言葉なのか。
 波音にかき消され聞き取る事は出来ないものの、何かを呟き祈りながら、少女は身動きひとつせず静かに瞳を閉じて立っていた。
「山賊達と闘ったあの時と同じ……マリン、海から離れろ!“何か”が来るぞ!」
「え!?な、なんなのよ一体」
 ガイルは腰まで浸かったマリンの細腕を勢いよく引っ張り、戻るように促す。マリンは呆気に取られながらも、ただならぬ様子を察し彼に従った。
 二人が急いで海を上がり、浜辺へ到達したまさにその瞬間、再び怒号にも似た海鳴りが響き渡った。
 そして海原へと目を向けると――
 
「あれは……ドラゴン!?」
 大きなサファイアの瞳に、それははっきりと映し出された。そう、渦の中心から姿を現したのは、紛れもなくドラゴンそのものであった。
 “海の水で成形された”と言った方が正しいのかもしれない。透明な巨体は月明かりを透かし、とぐろを巻く長い尾は海面の渦と一体化し常に流動している。
 瞳だけが青白く発光しており、鋭い視線の先にはぐらぐらと波に大きく揺れるジョウガンの潜水艇があった。
「た、助けてくれええ」
「ジョウガン!」
 無論、常人であればこの異様な状況下で冷静でいられる訳がない。ジョウガンは出入り口のハッチを自ら開け放ち、慌てふためきながら今にも泣き出しそうな声で子供達に助けを求めた。
 自身の何十倍もの海獣に頭上高くから睨みを利かされては、抗う術もなく降伏せざるをえないだろう。
「もう悪いことしませんから!町の皆さんにちゃんと謝りますから!だからお願い!助けてええーー」
「あいつ……ね、ねえ!あのドラゴン、まさかジョウガンをあのまま沈めちゃったりしないわよね!?」
 マリンが不安を投げ掛けるも、セレナは依然静かに瞼を閉じ微動だにしない。
「落ち着けよマリン」
 そんな彼女の肩に、宥めるように置かれる手。ガイルだった。
「安心しろ。信じようぜ。セレナの力を……」
 
 セレナが言葉を発せずとも、水を纏う美しき召喚獣は、主である少女の意思をしっかりと汲み取っていた。
 ドラゴンは汽笛にも似た、低音の、それでいて港全体に残響するほどの激しい雄叫びをあげた後、子供達とジョウガンの見上げる目前で、自らの巨体を海面へと打ち付けたのだ。
「ぎゃあああ」
 今度は猛スピードで船内に潜り込むジョウガン。
 海水によって創られたドラゴンの体は、水しぶきと共にそのまま海へと還り、代わりに大きな波を生む。押波となったそれは、ガイルとマリンが見守る中で、ジョウガンを乗せた潜水艇を軽々と持ち上げ、ゆったりと浜辺へ運んできたのだった。
「な?言っただろ!」
 隣で呆然としているマリンに、ガイルは片目を瞑ってみせた。
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