乱波の女房

ユーリ(佐伯瑠璃)

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不忘の術

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 一閃はこのまま朝まで寝るのだろうか。千草が湯あみをして針仕事の続きを始めても目覚める様子はない。
 どんな仕事をしてきたのか、いったい何人この世から消したのか、千草には知る由もない。
 一閃は千草にそういったことは一切話さなかったし、出て行く日も戻る日も告げたことがない。また、千草も聞こうとはしなかった。互いの干渉は最小限にする。なぜかそれは、ここに住処を構えた時からの暗黙の了解となっていた。

 人里離れたこの山奥から、千草は外の世界に出たことがない。仕事から戻った一閃が纏う匂いや、持ち帰った土産から外の様子を想像するだけだった。
 外に出たくとも、甲賀衆から打たれた毒のせいで今でも右脚は不自由だ。走ることはおろか、歩くときでさえ引きずりながらの移動しかできない。忍びの術を持たない親から育った娘は、毒の耐性もなかったのだ。
 それでも一閃に助けられ、手当ての甲斐もあり脚を斬り落とすまでいかずにすんだ。

 初めて一閃と身体を通じあわせたのは十六のとき。それから二年が過ぎたが、今も関係は変わらない。女の痛みも喜びもこの男から教えられた。しかし、男女の情に変化はない。情事が終わった後に寝物語など聴くこともないし、将来の展望を語ることもない。

 気づけば伊賀の乱から、六年の月日が経っていた。

「雨は止まぬ、手元は見えぬ……寝る」

 千草はふっ、と灯りを吹き消し、ごろんとその場に転がった。一閃に手荒く貪られた身体は疲労を感じている。布団を敷くのも面倒と、一閃に背を向けて目蓋を閉じた。


 ◇


 戸の隙間から日が差し込んで、千草の目蓋の裏を茜色に染めた。
 いつの間にか夜が明けていた。
 家の中に一閃の気配はない。千草はゆっくりと上体を起こした。

「えっ」

 起きた拍子に着た覚えのない羽織が肩から落ちた。一閃が掛けてくれたのかと手に取ると、これまた見覚えのない羽織であった。
 忍び仕事では滅多に着ることのない、翠色すいしょくの男物の羽織だ。背中に藤林氏の家紋が刺繍されている、質の良いの着物である。

「ああ、忘れてた。一閃様は上忍三家の藤林の血をひいてるんだ。あたしなんかとは、違う」

 千草は一閃の羽織を丁寧にたたみながら、外の気配を探った。一閃は庭にいる。

 伊賀から逃げのびた千草は、一閃の隠れ家に住んでいる。此処は、奈良吉野の山中であるらしい。一閃は一人で、山深い場所を選び、誰にも見つけられない窪みのような所に一軒の民家を建てていた。
 家の前には小さな畑があり、井戸まで掘ってある。ずいぶんと長い時間をかけて作り上げたように見える。周囲は自然豊かな森に囲まれており、食したり薬草になる野草がたくさん生えていた。

 時々、猿や鹿、猪を見かけるが棲み分けができているのか、人間の敷地には一切近寄って来ない。
 それに、伊賀衆は獣の肉を食べる習慣がない。肉は体臭として外に出るからだ。忍び仕事をするとき、負に働く要素を伊賀の乱波は嫌う。
 野生の動物たちと、千草たちは互いを尊重するかのように暮らしていた。

 千草は助けられたあの日から、一歩もこの山を下りたことがなかった。下りたくとも自由のきかない右脚では、到底叶わない。

「よいしょっ」と、千草は土間に降り草履を履いた。戸を開けて外を見ると、昨夜の雨はすっかり上がり青い空が雲の切れ間から見えていた。

「やっと、晴れた。んー、いい匂いじゃ」
「何がいい匂いじゃ。こっちに来て手伝え。脚は無理してでも使わねば腐れ落ちるぞ」

 一閃は森で野草を摂ってきたのか、それらを根と葉に丁寧に分ける作業をしていた。

「使えば、脚はよくなるのですか」
「使わねば悪くなるだけだ。その脚がいらぬなら別だが」
「そうですが、もうこの脚で走ることはできませぬ」
「ここから逃げられぬことへの不服か」
「逃げたいなど思っていません。ただ、あたしは生まれてからずーっと、里暮らしだったから……外の世界はどうなっているのかと、思うことはあります。昨日の甘い菓子はどうやって作るのかなとか」

 千草は一閃の隣に腰を下ろし、芍薬やドクダミの葉を広げて天日に干しながらそう言った。逃げ出したいわけではなく、ただ外の世界を見てみたいだけだ。この先ずっと、この山奥で暮らすのかと思うと余計にそう思ってしまう。一閃のように疾風の如く駆けることも、商人に化して薬を売り歩くこともできない。
 願った所で、叶うはずのない事と分かっている。

「金平糖だ」
「え?」
「あの菓子は金平糖という。異国の者が持ち込んだものだ。砂糖を釜の中で転がしてあの様な形にすると聞いた。ぬしでも作れるぞ」
「へぇ……釜の中で、転がす。家の中が甘くなりますね。ああ、でもだめだ……乱波は匂いがつくのは御法度」
「餓鬼がこしゃくな」
「そんな餓鬼を相手にしてるのに」
「舌を抜きたいのか」
「むぅ……」

 珍しく一閃とまともに話をした気がしていた。しかし、それはすぐに一閃の素っ気無い言葉で話を切られてしまう。
 六年という月日を費やしても、千草は一閃の心の内に入れないままでいた。十五も年が離れていれば仕方がないのかもしれない。けれど、千草は一閃が初めての男であり、そして最後の男になると思っている。少しでもいいから、睦まじい雰囲気を味わってみたいのは贅沢なのであろうか。


 ◇


 あれからひと月が経つが、一閃が請負い仕事で家をあけることはなかった。
 家にいる間は野草を採って薬にしたり、炊いた米を干してほしいにしたり、兵糧丸という麦粉や餅粉に蜂蜜や酒を混ぜた団子を作ったり、武器の手入れをしながらその時に備えていた。乱波の仕事は野宿をすることも多いうえ、万一に戦闘で傷を負っても自分で治さなければならない。準備に念を入れるのは当たり前のことだ。

 千草は言いつけられたわけでもないのに、一閃の忍び装束のほつれを縫ったり、効能ごとに薬草を分けて袋に詰めたりした。忍び装束の内側には把握し切れないほどの衣嚢いのうがあった。そこに手裏剣や薬などの小道具を隠す。
 千草は決して衣嚢は触らない。どこに人をも殺す毒が仕込まれているか分からないからだ。中には触れただけで火傷をする毒薬もあるという。ときに、発火する道具もあるらしいのだ。

(乱波って、なんなの。あたし、なにやってるんだろ……)

 これではまるで、一閃の女房ではないか。

 ふと、千草は手を止めた。
 自分はこんな事をしながら、このまま老いていくのかと。
 自分の取り柄は若い身体を持っているだけだ。情はなくとも身体はとうに通じあっていた。はじめは苦痛だったその行為も、今は自分の必要性を確かめられる唯一の手段となっている。それに、通じ合わせている間は、一閃の温もりや優しさを感じられる気がした。しかし、いずれ一閃は老いた千草を捨てるだろう。取り柄のなくなった千草は荷物以外の何者でもなくなるからだ。

(その時あたしは、死ねばいいのか……)

 途方もない不安に駆られた。

「ふっ、ふふふ……」

 笑ってやり過ごした。
 もともと死ぬはずだった人間が何を今さら。運良く同じ伊賀衆の一閃に助けられただけなのだ。
 死を恐れる必要はない。ただ、土に還るだけだ。
 そう、どんな人間も動物も草も、みな平等に土に還る。
 土に還れば無になれる。
 浄土はすぐ脚元にあるのだから、なにも怯える必要はない。

「怖くない、怖くない」

 十八の娘は、そう自分に言い聞かせた。千草にとって希望ゆめは持つものではなく、浄土ゆめを見て笑うものだったのだ。


 ある日の晩、夕餉が終わると一閃は無言で千草を引き寄せた。急に腕を引っ張られた千草はそのまま一閃の身体に倒れ込んだ。右の脚は踏ん張りがきかないので、そういった横からの力には抵抗できない。

「鍛錬が足りぬな。そんなことで己の身を守れるのか」
「守るもなにも、あたしはここから出ないし」
「この家の裏山に封鎖された獣道がある。人ひとりが辛うじて通る道だ。お前のその脚だと一晩はかかるだろうが、小さな集落に辿り着く。そこに菜温さいおんという伊賀の下忍がおる。半年経っても俺が此処に戻らねば、其奴そやつを頼れ」
「なんで、今そんなこと……あっ」

 一閃は千草を押し倒した。
 見上げた一閃の瞳はいつもの冷淡な色ではなく、初めてその奥に熱を感じた。ただならぬ気配に、千草は困惑した。

(ねえ、何か起こるの? ここは安全な隠れ家ではなかったの?)

「一閃様、もしや命に関わるような仕事なのですか」
「余計な口はきけなくしてやる。脚を開け」
「ごまかしは無用です。千草は子供ではありませぬゆえ、どのような依頼を受けて……っ、ん」

 一閃は千草の口を自らの唇で塞いだ。これ以上、千草に喋らせぬようその小さな口内に舌を差し込む。
 千草は突然の口吸いに狼狽した。これまで幾度となく一閃に身体を許してきたが、一閃は一度も千草の口を吸う行為はしてこなかったのだ。ただ、乳を揉み吸い、頃合いを見て下から穿つだけだった。

 千草は初めての行為にどう対処したら良いか分からないでいた。ただ、分かるのは口に舌を入れられただけで、全身に痺れがはしるということ。それは困ったことに、脚に毒を受けたときとは違うのだ。
 痺れはしだいに下腹部へと集中し始めている。たまらなく甘く疼いてしまう。

(一閃様は、私をどうしようというのだ。腹が、熱くてならぬ)

 一閃の舌先が、千草の舌を撫で内側から歯列をなぞった。そして、その舌先は千草の舌先をとらえて擦り合わせてる。恐ろしく気持ちが良い。
 千草に溢れ出る涎を拭う術などないまま、だらしなく口の端から滴った。
 逃げ場のない快楽はこれにとどまらない。一閃は口内を貪りながら、千草の胸元を開いた。丸い乳房の先はもう痛いほどに尖っている。口から舌を抜いた一閃はそこに熱い息をかける。息を吹きかけられた千草は、身を捩らせながら泣くしかなかった。

「ふああっ……ん」

 肌が敏感になり、一閃が起こす微々たる空気の揺れにも反応する。腰紐を解かれ下半身が晒される頃には、千草の太腿ははしどろに濡れていた。

「俺の持つ術を全て施してやる。存分にけ」

 千草にとってこのような感覚は初めてだった。口を吸われただけなのに、身体が喜び泣き叫んでいる。触れられてもいない両脚の奥は、自分でも分かるほど酷い濡れようだ。

「いや……こ、んなっ……仕打ち。慙愧ざんきにたえませぬ」
「慙愧? 快いの間違いであろう。まだ触れてもおらぬのにこの有り様だぞ」
「早く、終いにしてっ……ふっ、あああっ」

 一閃は千草の太腿を指の腹でなぞった。たったそれだけで、千草は果ててしまいそうになる。

(おかしいっ……あたしの身体、どうにかなってる)

「まだ、始まったばかりだとなぜ分からぬ」
「え、や……無理」

 一閃は施しをするといったとおり、千草の身体を丁寧に扱った。唇で乳房を食みながら、空いた手で腹を撫で尻を揉んだ。千草は息も絶え絶えだった。
 休む間もなく次から次へと愛撫が襲ってくる。

「はぁ、はぁ、っ……ふ、ああっ」

 泣きたくない、でも涙は抑えられない。勝手に目尻から流れてゆく。それを一閃が舌で舐めとるので、更に胸の奥が高鳴った。耳を、首筋を、鎖骨を、そして指先をも一閃は丁寧に舐めた。生温い軟い舌が、千草を快楽の奈落へと追い詰める。
 そしてとうとう一閃の口元が、千草の下腹部の先に差し掛かる。

「一閃様、だめぇっ!」

 目から火が散るほどの衝撃が襲った。千草の脳内は「どうして、どうして」と、そればかりを繰り返す。
 じゅる……と吸う音がして、千草の子宮は爆ぜた。身体が勝手に伸縮を繰り返す。それを自身の意思で止められない。

「ひ、ああっ」
「これでもう、忘れられぬわ……赦せ」

 一閃の熱の塊が、千草の身体を串刺しにした。千草の身体に痛みはおろか、気が狂うほどの悦楽が脳をも犯す。一閃はなんと恐ろしい術を施したのだと千草は恨んだ。気づけば千草は一閃の動きに合わせて、己の腰を突き上げ振っている。
 女の本能が男の種子を搾り取ろうとしている。

 一閃は奥歯を食いしばった。

(こんか小娘にっ、食われてなるか……!)

「ああ……一閃さま、一閃さま」

 千草の抑えられていた色欲が溢れ出す。熱にうなされたように、一閃の名を戀しそうに呼ぶのだ。一閃は己を穿ちながら、唇を強く噛んだ。
 千草が放つ女の匂いに殺されそうになるからだ。

(まだ死ぬわけには、いかぬのだ)

「くっ、淫乱めがっ!」

 日が変わり、朝日が昇る直前まで二人の行為は続いた。

 不忘ぶぼうの術。
 忘れてはならぬ事、記憶を留めたいときに、乱波は自分の体に傷をつける。その傷の痛みを感じた時や、その傷の痕を見るたびに思い出すように。

 千草は忘れないだろう。一閃が千草の心と身体に刻んだ不忘の術は、苦悶と快楽が入り混じった残酷なものだった。
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